源頼朝は、1147年(久安3)に、平安時代後期の武将であった父源義朝、母熱田大宮司季範の娘の三男として生まれました。1159年(平治元)の平治の乱に敗れて、父は亡くなり、翌年に伊豆国に流されることになります。
1180年(治承4)の以仁王の平氏討伐の令旨を受けて挙兵しましたが、石橋山の戦に敗れて海路安房国に逃げのびました。しかし、坂東武士をまとめて勢力を伸ばし、鎌倉を本拠として平氏と対抗することになります。
同年に、富士川の戦で平家軍を破り、弟たち(範頼、義経)を代官として源義仲や平氏と戦いを続けます。1184年(寿永3)に、宇治川の戦いで源義経が木曽義仲を討ち、翌年壇ノ浦の戦いで平氏を滅亡させました。
戦功のあった弟の義経を追放の後、その追討を名目に守護・地頭設置の許可を得て武家政権の基礎を固め、奥州合戦で奥州藤原氏を滅ぼして全国を平定します。
1190年(建久元)に上京して権大納言、右近衛大将に任じられ、翌々年には、征夷大将軍となり、後に鎌倉幕府と呼ばれるようになりました。
その後数年間は、範頼が伊豆に流されたり、大庭景義が鎌倉を追われるなど、幕府内での深刻な権力闘争が続きます。そんな中で、1199年(建久10)1月13日に、相模国での落馬が原因で、51歳で亡くなりました。