イメージ 1

 今日は、江戸時代前期の1646年(正保3)に、江戸幕府5代将軍徳川綱吉の生まれた日ですが、新暦では2月23日となります。
 綱吉は、三代将軍家光の四男で、側室於玉(桂昌院)を母として、江戸で生まれ、幼名は徳松といいました。
 1651年(慶安4)に15万石を拝領し、1653年(承応2)に元服して、綱吉と名乗るようになります。1661年(寛文元)に10万石を加増されて上野国館林城主となり、参議に任じられました。1680年(延宝8)に、兄の4代将軍家綱が病気となり、跡継ぎとなれる男子がななったため継嗣に決まり、従二位権大納言に叙任されます。
 同年に家綱没後、5代将軍となり、翌年、堀田正俊を大老に任命して、「天和の治」と呼ばれる政治改革に着手しました。「賞罰厳明」と天領行政の刷新を特色とし、将軍自ら積極的な政治に乗り出します。
 しかし、正俊の死後、柳沢吉保を重用し、財政悪化に対処するため、貨幣改鋳や積極的な貿易策によって商品経済への対応を強めましたが、インフレが起こり、経済の混乱を招きます。また、「生類憐(あわれ)みの令」を出したり、一部役人の腐敗による治世の乱れも引き起こしました。
 その反面、学問を奨励し、文治政治を進めようともしたので、「元禄文化」が花開くことともなります。
 犬公方(くぼう)とも称され、悪評を受けつつ、1709年(宝永6)1月10日に、63歳で死去しました。