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 今日は、飛鳥時代の646年(大化2)に、「改新の詔」が発布された日ですが、新暦では1月22日となります。
 これは、飛鳥時代の645年(大化元)に起きた「大化の改新」において、新たな施政の基本方針を示すために、孝徳天皇が難波長柄豊碕宮で出されたとされる詔です。
 『日本書紀』の大化2年正月に所載されていて、「(1)屯倉、田荘などの私有地、ならびに子代、部曲などの私有民の廃止によって、公地公民制を敷く。(2)天皇の所在する京都・畿内を設定し、地方の行政区画と中央集権体制を整備する。(3)戸籍・計帳を作成して、班田収授法を実施する。(4)これまでの賦役を廃止し、新しい税制を打ち立てる。」の四ヶ条からなっていました。
 しかし、学者の間で「郡評論争」が起こり、藤原京から出土した木簡等により、編者により潤色されたものではないかと考えられるようになったのです。
 実際には、これらの改革が一度に実施されたのではなく、近江朝から天武・持統朝へと引き継がれる中で、律令体制として整えられていったのではないかとされるようになりました。

〇「改新の詔」(全文)大化2年正月

二年春正月甲子朔。賀正禮畢。即宣改新之詔曰。

其一曰。罷昔在天皇等所立。子代之民。處々屯倉及別臣連。伴造。國造。村首所有部曲之民。處處田庄。仍賜食封大夫以上。各有差。降以布帛賜官人。百姓有差。又曰。大夫所使治民也。能盡其治則民頼之。故重其祿所以爲民也。

其二曰。初修京師。置畿内國司。郡司。關塞。斥候。防人。驛馬。傳馬。及造鈴契。定山河。凡京毎坊置長一人。四坊置令一人。掌按検戸口督察奸非。其坊令取坊内明廉強直堪時務者充。里坊長並取里坊百姓清正強幹者充。若當里坊無人。聽於比里坊簡用。凡畿内東自名墾横河以來。南自紀伊兄山以來。〈兄。此云制。〉西自赤石櫛淵以來。北自近江狹々波合坂山以來。爲畿内國。凡郡以四十里爲大郡。三十里以下四里以上爲中郡。三里爲小郡。其郡司並取國造性識清廉堪時務者爲大領少領。強幹聰敏工書算者爲主政主帳。凡給驛馬。傅馬。皆依鈴傅苻剋數。凡諸國及關給鈴契。並長官執。無次官執。

其三曰。初造戸籍。計帳。班田收授之法。凡五十戸爲里。毎里置長一人。掌按検戸口。課殖農桑禁察非違。催駈賦役。若山谷阻險。地遠人稀之處。隨便量置。凡田長卅歩。廣十二歩爲段。十段爲町。段租稻二束二把。町租稻廿二束。

其四曰。罷舊賦役而行田之調。凡絹絁絲綿並隨郷土所出。田一町絹一丈。四町成疋。長四丈。廣二尺半。絁二丈。二町成疋。長廣同絹。布四丈。長廣同絹絁。一町成端。〈綿絲絇屯諸處不見。〉別收戸別之調。一戸貲布一丈二尺。凡調副物鹽贄。亦随郷土所出。凡官馬者。中馬毎一百戸輸一疋。若細馬毎二百戸輸一疋。其買馬直者。一戸布一丈二尺。凡兵者。人身輸刀甲弓矢幡鼓。凡仕丁者。改舊毎卅戸一人〈以一人充廝也。〉而毎五十戸一人〈以一人充廝。〉以充諸司。以五十戸充仕丁一人之粮。一戸庸布一丈二尺。庸米五斗。凡釆女者。貢郡少領以上姉妹及子女形容端正者〈從丁一人。從女二人。〉以一百戸充釆女一人之粮。庸布。庸米皆准仕丁。

                  『日本書紀』第二十五巻より

   *縦書きの原文を横書きに改め、句読点を付してあります。

<読み下し文>

二年春正月甲子の朔、賀正の禮畢りて、即ち改新之詔を宣ひて曰く

 其の一に曰はく、昔在の天皇等の立てたまへる子代の民、処処の屯倉、及び別には臣・連・伴造・国造・村首の所有る部曲の民、処処の田庄を罷めよ。仍りて食封を大夫以上に賜ふこと各差有らむ。降りて布帛を以て、官人・百姓に賜ふこと差有らむ。又曰はく、大夫は民を治めしむる所なり。能く其の治を尽すときは則ち民頼る。故、其の禄を重くせむことは、民の為にする所以なり。

 其の二に曰はく、初めて京師を修め、畿内国司・郡司・関塞・斥候・防人・駅馬・伝馬を置き、及び鈴契を造り、山河を定めよ。凡そ京には坊毎に長一人を置き、四の坊に令一人を置きて、戸口を按へ検め、奸しく非を督し察むることを掌れ。其の坊令には坊の内に明廉く強く直しくして時の務に堪ふる者を取りて充てよ。里坊の長には並びに里坊の百姓の清く正しく強幹しき者を取りて充てよ。若し当里坊に人なくば、比の里坊に簡び用ゐることを聴せ。凡そ畿内は、東は名墾の横河より以来、南は紀伊の兄山より以来、(兄、此をば制と云ふ)、西は赤石の櫛淵より以来、北は近江の狭狭波の合坂山より以来を、畿内国とす。凡そ郡は四十里を以て大郡とせよ。三十里以下、四里以上を中郡とし、三里を小郡とせよ。其の郡司には並びに国造の性識清廉くして時の務に堪ふる者を取りて大領・少領とし、強く幹しく聡敏くして書算に工なる者を主政・主帳とせよ。凡そ駅馬・伝馬を給ふことは皆鈴・伝符の剋の数に依れ。凡そ諸国及び関には鈴契を給ふ。並びに長官執れ、無くば次官執れ。

 其の三に曰はく、初めて戸籍・計帳・班田収授の法を造れ。凡そ五十戸を里とす。里毎に長一人を置く。戸口を按へ検め、農桑を課せ殖ゑ、非違を禁め察め、賦役を催し駈ふことを掌れ。若し山谷阻険しくして、地遠く人なる処には、便に随ひて量りて置け。凡そ田は長さ三十歩、広さ十二歩を段とせよ。十段を町とせよ。段ごとに租稲二束二把、町ごとに租稲二十二束とせよ

 其の四に曰はく、旧の賦役を罷めて、田の調を行へ。凡そ絹・絁・糸・綿は、並びに郷土の出す所に随へ。田一町に絹一丈、四町にして匹を成す。長さ四丈、広さ二尺半。絁は二丈、二町にして匹を成す。長さ広さ絹に同じ。布四丈、長さ広さ絹・絁に同じ。一町にして端を成す。(糸・綿の絇屯は諸の処に見ず)、別に戸別の調を収れ。一戸に貲布一丈二尺。凡そ調の副物の塩・贄は亦>郷土の出す所に随へ。凡そ官馬は中の馬は一百戸毎に一匹を輸せ。若し細馬ならば二百戸毎に一匹を輸せ。其馬買はむ直は一戸に布一丈二尺。凡そ兵は人の身ごとに刀・甲・弓・矢・幡・鼓を輸せ。凡そ仕丁は旧の三十戸毎に一人を改めて、(一人を以て廝に充つ)、五十戸毎に一人を、(一人を以て廝に充つ)、以て諸司に充てよ。五十戸を以て、仕丁一人の粮に充てよ。一戸に庸布一丈二尺、庸米五斗。凡そ采女は、郡の少領以上の姉妹、及び子女の形容端正しき者を貢れ。(従丁一人。従女二人)、一百戸を以て、采女一人の粮に充てよ。庸布・庸米は、皆仕丁に准へ。

<現代語訳>

大化2年正月元旦,新年の儀式を終えて,改新の詔が宣布された。

1. 従前の天皇等が立てた子代の民と各地の屯倉、そして臣・連・伴造・国造・村首の所有する部曲の民と各地の田荘を廃止する。その代わりに食封を大夫以上の者に身分に応じて与えることとする。その下の諸官人や庶民にはその身分に応じて布帛を与えることとする。また、大夫は民を治めるものである。その政治を誠意を尽くして行えば、民は頼ってくるものである。よって、その禄を重くするのは、民のためにするものである。

2. 初めて都を定め、畿内・国司・郡司・関塞・斥候・防人・駅馬・伝馬の制度を設置し、駅鈴・木契を作成し、国や郡の境界を設定することとする。京には坊毎に長を一人置きなさい。四つの坊には令を一人置き、戸口を調べて、邪な悪いやつを正し、監察する役としなさい。その坊令には、坊の内で潔白で強く実直で、時節の政務に対応できるものを採用して当てなさい。里坊の長には、里坊の庶民の中から清く正しく、意志が強いものを採用して当てなさい。もしその里坊に適当な人物がいない場合は、隣の里坊から選んで採用してもよい。だいたい畿内の範囲は、東は名墾横河から、南は紀伊の兄山から、西は明石の櫛淵から、北は近江の狹々波の合坂山を畿内国とする。郡は40里を大郡とせよ。30里以下、4里より以上を中郡とし、3里を小郡とせよ。郡司には国造の中から清廉で政務に役立つ者を大領・少領に選任し、強健・明敏で読み書き計算のすぐれた者を主政・主帳に任ぜよ。駅馬・伝馬の数は、駅鈴・伝符に刻んだ数による。諸国と関には駅鈴と木契(割符)を与える。長官が取りなさい。そうでなければ、次官が取るものとする。

3. 初めて戸籍・計帳・班田収授法を定めることとする。およそ50戸を里とし、里ごとに里長一人を置く。戸口を調べて、農耕と養蚕を課して増えさせ、法を犯すものを禁じ、監察し、賦役を促し駆り立てるのを役目としなさい。もし、山谷が険しい辺境の地で人があまりいない地域には、報告に従って、調べたことにして処理しなさい。田の広さは、長さ三十歩・幅二十歩を一段とし、十段をもって一町とする。一段からの租税の稲は二束二把、一町からは二十二束と決める。

4. 旧来の税制・労役を廃止して、新たな租税制度(田の調)を策定することとする。絹・絁・絲・綿などは、その土地で産出するものを納めよ。田が1町ならば絹を1丈。4町で1匹となる。長さ4丈は広さ2尺半。絁ならば2丈、2町で1匹となる。長さと広さは絹と同じとする。布ならば4丈、長さ広さは絹・絁と同じで、1町で1匹となる。また戸毎に調を徴収せよ。一戸にあら布一丈二尺。調の付加税の塩・贄(魚介類・海藻など)はその土地の産物から選べ。官馬は、中の馬は100戸ごとに1匹を献上しなさい。もし、良い馬ならば200戸ごとに1匹を献上しなさい。その馬を他に置き換える場合の値は、1戸に布1丈2尺とする。兵器は、一人につき、刀・甲・弓・矢・幡・鼓を献上しなさい。おおよそ、役所に仕える雑役夫は、従来30戸に一人を出すのを改めて50戸毎に一人を出して各役所に割当て、五十戸から納入されるものを、役所に仕える雑役夫一人分の食料として充当せよ。後宮に奉仕する女官として、郡の少領以上の家の姉妹・子女の容姿端麗な者を差し出せ。100戸から納入されるものを、後宮に奉仕する女官一人の食料として充当せよ。庸布・庸米は、諸官司の雑役夫と同じとする。

【注釈】
[1]改新之詔:かいしんのみことのり=新たな施政の基本方針を示すため、孝徳天皇が難波長柄豊碕宮で出されたとされる詔。
[2]子代の民:こしろのたみ=皇室の私有民で、天皇が皇太子のために設置したもの。
[3]屯倉:みやけ=皇室の私有地。
[4]臣・連・伴造・国造・村首:おみ・むらじ・とものみやつこ・くにのみやつこ・むらのおびと=諸豪族の呼称。
[5]部曲の民:かきのたみ=豪族の私有民。
[6]田庄:たどころ=豪族の私有地。
[7]食封:へひと・じきふ=国家が指定した一定地域の郷戸が出す祖税を官人の俸禄として支給する制度。
[8]大夫:まえつきみ・たいふ=中・上の役人で、国政審議に参加する官。
[9]各差有らむ:おのおのしなあらん=各々の地位に応じて給付するという意味。
[10]布帛:ふはく・きぬ=絹織物。
[11]官人:つかさ=役人。
[12]民頼る:たみかうぶる=民が頼ってくる。
[13]禄:たまもの・ろく=民の取り分。
[14]京師:みさと・けいし=天子の住む都のこと。
[15]機内国司:うちつくにみこともち=大和周辺の国の長官。機内・国司と分けて読む説もある。
[16]郡司:こおりのみやつこ=郡の長官の意味だが、金石文や木簡では大宝令まで評が用いられたので、改竄説がある。
[17]関塞:せきそこ=険要の地を守る軍塁。軍事上の防御施設。関所。
[18]斥候:うかみ・せっこう=北辺の守備兵。敵の内情を偵察する者。スパイ。
[19]防人:さきもり=西海の防衛隊。辺境、特に大宰府管内の守備兵。
[20]駅馬:はいま・えきば=駅におく馬。律令制では、駅家に備えて駅使の乗用に使った馬。
[21]伝馬:つたわりうま・てんま=郡におく馬。律令制では郡ごとの郡家に5疋常備された官馬。
[22]鈴契:すずしるし=駅鈴と木契(割符)のことで、駅馬・伝馬の利用や関を通過するための証明とした。
[23]山河を定めよ:やまかわをさだめよ=地方の境界を定めよ。
[24]坊毎:まちごと=町ごと。
[25]坊令:ぼうれい=京の四坊ごとに置かれた責任者。住民 の有力者が充てられ、治安の維持などに当たった。
[26]強幹しき者:いさをしきもの=意志が強い者。
[27]名墾横河:ながりのよこかわ=伊賀名張郡名張川。
[28]紀伊の兄山:きいのせのやま=現在の和歌山県伊都郡かつらぎ町に背山・対岸に妹山がある。
[29]明石の櫛淵:あかしのくしぶち=播磨国明石郡の内、塩屋あたりや界(境)川をあてるなど諸説 あり。
[30]合坂山:あうさかやま=現在の滋賀県大津市にある。
[31]大領:こおりのみやつこ=律令制の官職で、郡司の中の四等官(大領・少領・主政・主帳)の1番目。
[32]少領:すけのみやつこ=律令制の官職で、郡司の中の四等官(大領・少領・主政・主帳)の2番目。
[33]書算:てかきかずとる・しょさん=読み書き計算。書道と算術。
[34]主政:しゅせい・まつりごとひと=律令制の官職で、郡司の中の四等官(大領・少領・主政・主帳)の3番目。
[35]主帳:しゅちょう・ふびと=律令制の官職で、郡司の中の四等官(大領・少領・主政・主帳)の4番目。
[36]戸籍:へのふみた・こせき=人民登録の基本台帳で、6年ごとに作成された。
[37]計帳:かずのふみた・けいちょう=調・庸の課税台帳。
[38]班田収授の法:あかちだをさめさづくるののり=6歳以上の男女に口分田を班給し、徴税する制度。
[39]農桑:なりわいくわ・のうそう=農耕と養蚕。
[40]賦役:ぶえき・えつき=労働する税。労働で納める課役。
[41]便:たより=報告。
[42]租:たちから・そ=穀物の税。
[43]調:みつぎ・ちょう=一定基準で田地に賦課する税。
[44]絹:かとり=絹を固く織ったもの。
[45]絁:ふとぎぬ=目の粗い絹。
[46]絲:いと=生糸。
[47]綿:わた=絹綿(真綿)。
[48]貲布:さよみのぬの・さいみ= 織り目の粗い麻布。
[49]副物:そわりつもの=付加税。
[50]贄:にえ=朝廷に献上する食料用の魚介類・海藻など。
[51]官馬:つかさうま=公に献上する馬。
[52]中の馬:なかのうま=中級の馬。
[53]細馬:よきうま・さいば=上級の馬。駿馬。良馬。
[54]兵:つわもの=兵器。兵士。
[55]仕丁:つかえのよぼろ・しちょう=諸官司の雑役をするもの。
[56]廝:し=めしつかい。しもべ。下男。こもの。
[57]諸司:もろつかさ・しょし=役所。役人。
[58]粮:かて=食糧。食物。
[59]庸布:ちからしろのぬの・ようふ=税(庸)として納めた布。
[60]庸米:ちからしろのこめ・ようまい=税(庸)として納めた米。
[61]采女:うねめ=後宮に奉仕する女官。