ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事)

 学生時代からの大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。その中でいろいろと歴史に関わる所を巡ってきましたが、日々に関わる歴史上の出来事や感想を紹介します。Yahooブログ閉鎖に伴い、こちらに移動しました。

2017年12月

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 今日は、昭和時代中期の1946年(昭和21)に、昭和南海地震が起きた日です。
 この地震は、潮岬南方沖78km(北緯32度56.1分、東経135度50.9分)、深さ 24kmを震源として発生したマグニチュード8.0の大地震で、津波が発生して関東から九州の沿岸を襲い、最大波高は紀伊半島南端で6.6mにもなりました。また、潮岬や室戸岬などでは、50~130cmの隆起があり、高知や須崎では1.2m沈下して、約15平方kmの地域が海面下に没したのです。
 この結果、死者・行方不明者1,443人、重傷者2,632人、家屋全壊1万1,591、半壊2万3,487、流失1,451、焼失2,598などの大きな被害が発生しました。
 海側のプレートが陸側のプレートに沈み込む南海トラフで起きた地震の一つで、この地域では、2年前に昭和東南海地震(1944年12月7日)も起き、連動性が指摘されています。
 過去にも、100~150年間隔で大地震が発生してきていて、1498年(明応7)、1605年(慶長9)、1707年(宝永4)、1854年(安政元)にも東海地震や東南海地震と連動して発生していました。この地震から、70年以上が経過し、次の大地震への対策がいろいろと考えられています。

〇明治時代以降に日本周辺で起きた被害の大きかった地震ワースト12

1. 関東地震[関東大震災](1923年9月1日)死者・行方不明者105,385人<マグニチュード7.9>
2. 東北地方太平洋沖地震[東日本大震災](2011年3月11日)死者・行方不明者22,010人<マグニチュード9.0>
3. 明治三陸地震(1896年6月15日)死者・行方不明者21,959人<マグニチュード8.2>
4. 濃尾地震(1891年10月28日)死者・行方不明者7,273人<マグニチュード8.0>
5. 兵庫県南部地震[阪神・淡路大震災](1995年1月17日)死者・行方不明者6,437人<マグニチュード7.3>
6. 福井地震(1948年6月28日)死者・行方不明者3,769人<マグニチュード7.1>
7. 昭和三陸地震(1933年3月3日)死者・行方不明者3,064人<マグニチュード8.1>
8. 北丹後地震(1927年3月7日)死者2,912人<マグニチュード7.3>
9. 三河地震(1945年1月13日)死者・行方不明者1,961人<マグニチュード6.8>
10,昭和南海地震(1946年12月21日)死者・行方不明者1,443人<マグニチュード8.0>
11.昭和東南海地震(1944年12月7日)死者・行方不明者1,223人<マグニチュード7.9>
12.鳥取地震(1943年9月10日)死者1,083人<マグニチュード7.2>
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 今日は、明治時代前期の1879年(明治12)に、青森県の尻屋崎灯台に日本初の霧笛(霧信号所)が設置された日で、「霧笛記念日」と呼ばれています。
 霧信号所は、航路標識の中で、視界が悪いときに音で船舶に位置を知らせる音波標識で、「霧笛」とも呼ばれていました。
 たいてい灯台と同じ場所に設置されていて、その鳴り方(周期といい鳴っている時間と休んでいる時間の間隔)が灯台毎に異なっているために、どこから発せられているか識別できるようになっています。
 音の発し方は多くが、ダイヤフラムホーン(電磁式発信器)に変わりましたが、犬吠埼灯台では、エアーサイレン(圧搾空気方式)が最後まで残されていました。
 1879年(明治12)12月20日、尻屋埼灯台(青森県下北郡東通村)に、日本で初め ての霧信号として霧鐘が設置されたので、それを記念して12月20日が、「霧笛記念日」となっています。
 しかし、電波標識の整備に伴い廃止されるところが増え、2010年(平成22)3月31日をもって海上保安庁所管の霧信号所はすべて廃止となったものの、漁協などが代替機を設置して稼働しているものが存在しています。
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 今日は、昭和時代前期の1941年(昭和16)に、「言論・出版・集会・結社等臨時取締法」が公布された日で、翌々日の12月21日に施行されました。
 この法律は、太平洋戦争中の戦時立法の一つで、言論・出版等の適正化を名目とした法律ですが、新聞雑誌発行や集会結社が届出制から許可制となります。
 これによって、同時に施行の「映画法」、「新聞紙等掲載制限令」と並び、政府統制下に表現の自由を抑圧し、違反行為には厳罰をもって臨むものとなりました。
 しかし、太平洋戦争後の1945年(昭和20)10月13日に、「國防保安法廢止等ニ關スル件」(昭和20年勅令第568号)によって廃止されます。

〇「言論・出版・集会・結社等臨時取締法」(全文)1941年(昭和16)12月19日公布(法律第97号)

第一條 本法ハ戰時ニ際シ言論、出版、集會、結社等ノ取締ヲ適正ナラシメ以テ安寧秩序ヲ保持スルコトヲ目的トス

第二條 政事ニ關スル結社ヲ組織セントスルトキハ命令ノ定ムル所ニ依リ發起人ニ於テ行政官廳ノ許可ヲ受クベシ

第三條 政事ニ關シ集會ヲ開カントスルトキハ命令ノ定ムル所ニ依リ發起人ニ於テ行政官廳ノ許可ヲ受クベシ但シ法令ヲ以テ組織シタル議會ノ議員候補者タルベキ者ヲ銓衡スル爲ノ集會及選擧運動ノ爲ニスル集會竝ニ公衆ヲ會同セザル集會ハ命令ノ定ムル所ニ依リ發起人ニ於テ行政官廳ニ屆出ヅルヲ以テ足ル

第四條 公事ニ關スル結社又ハ集會ニシテ政事ニ關セザルモノト雖モ必要アル場合ニ於テハ命令ヲ以テ前二條ノ規定ニ依ラシムルコトヲ得

第五條 屋外ニ於テ公衆ヲ會同シ又ハ多衆運動セントスルトキハ命令ノ定ムル所ニ依リ發起人ニ於テ行政官廳ノ許可ヲ受クベシ但シ命令ヲ以テ定メタル場合ハ此ノ限ニ在ラズ

第六條 法令ヲ以テ組織シタル議會ノ議員議事準備ノ爲相團結スルモノニ付テハ第二條ノ規定ヲ、議事準備ノ爲相會同スルモノニ付テハ第三條ノ規定ヲ適用セズ

第七條 新聞紙法ニ依ル出版物ヲ發行セントスル者ハ命令ノ定ムル所ニ依リ行政官廳ノ許可ヲ受クベシ

第八條 行政官廳必要アリト認ムルトキハ第二條乃至第五條若ハ前條ノ規定ニ依ル許可ヲ取消シ又ハ第三條若ハ第四條ノ規定ニ依リ屆出デタル集會ノ禁止ヲ命ズルコトヲ得

第九條 出版物ノ發賣及頒布ノ禁止アリタル場合ニ於テ行政官廳必要アリト認ムルトキハ當該題號ノ出版物ノ以後ノ發行ヲ停止シ又ハ同一人若ハ同一社ノ發行ニ係ル他ノ出版物ノ發行ヲ停止スルコトヲ得

第十條 第七條ノ規定又ハ前條ノ規定ニ依ル停止ノ命令ニ違反シテ發賣又ハ頒布スルノ目的ヲ以テ印刷シタル出版物ハ行政官廳ニ於テ之ヲ差押フルコトヲ得

第十一條 第二條ノ規定(第四條ノ規定ニ基キ依ラシメタル場合ヲ含ム)ニ違反シタル者ハ一年以下ノ懲役若ハ禁錮又ハ千圓以下ノ罰金ニ處ス

第十二條 第三條ノ規定(第四條ノ規定ニ基キ依ラシメタル場合ヲ含ム)又ハ第五條ノ規定ニ違反シタル者ハ六月以下ノ懲役若ハ禁錮又ハ五百圓以下ノ罰金ニ處ス

第十三條 第七條ノ規定ニ違反シタル者ハ一年以下ノ懲役若ハ禁錮又ハ千圓以下ノ罰金ニ處ス

第十四條 第九條ノ規定ニ依ル停止ノ命令アリタル出版物ヲ發行シタル者ハ六月以下ノ懲役若ハ禁錮又ハ五百圓以下ノ罰金ニ處ス

第十五條 第十條ノ規定ニ依ル差押處分ノ執行ヲ妨害シタル者ハ六月以下ノ懲役若ハ禁錮又ハ五百圓以下ノ罰金ニ處ス

第十六條 前三條ノ罪ニハ刑法併合罪ノ規定ヲ適用セズ

第十七條 時局ニ關シ造言飛語ヲ爲シタル者ハ二年以下ノ懲役若ハ禁錮又ハ二千圓以下ノ罰金ニ處ス

第十八條 時局ニ關シ人心ヲ惑亂スベキ事項ヲ流布シタル者ハ一年以下ノ懲役若ハ禁錮又ハ千圓以下ノ罰金ニ處ス

附則

本法施行ノ期日ハ勅令ヲ以テ之ヲ定ム

本法施行ノ際現ニ存スル政事ニ關スル結社(第六條前段ノ規定ニ該當スルモノヲ除ク)又ハ第四條ノ命令施行ノ際現ニ存スル當該命令ニ係ル公事ニ關スル結社ニ付テハ命令ノ定ムル所ニ依リ其ノ存續ニ付主幹者ニ於テ行政官廳ノ許可ヲ受クベシ

第八條ノ規定ハ前項ノ許可ニ、第十一條ノ規定ハ同項ノ規定ニ違反シタル者ニ之ヲ準用ス

集會又ハ多衆運動ニシテ第三條又ハ第五條ノ規定ニ依リ許可又ハ屆出ヲ要スルモノニ付テハ本法施行後三日以內ニ行フモノニ限リ仍從前ノ例ニ依ル

本法施行ノ際現ニ成規ノ手續ヲ經テ新聞紙法ニ依ル出版物ヲ發行スル者ハ第七條ノ規定ニ依ル許可ヲ受ケタル者ト看做ス

                        「官報」より
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 今日は、大正時代の1914年(大正3)に、東京駅が完成し、開業式が行われた日です。(東京駅完成記念日)
 東京駅建設は、1889年(明治22)に新橋~神戸間が全通した官設の東海道線と私設の日本鉄道上野駅を結ぶ鉄道線(高架)の建設が東京市区改正計画によって立案され、1896年(明治29)の第9回帝国議会でこの新設路線の途中に中央停車場を建設することが可決されたことに始まれます。
 駅舎は、当時東京帝国大学工学科教授だった辰野金吾の設計により、現在の東京都千代田区丸の内で1908年(明治41)に起工し、1914年(大正3)に現在の名称とすることに決まり、同年に完成して、12月18日に開業式が行われ、20日から実際に使用されるようになりました。
 ルネサンス風の西洋建築を模した、地上3階建て煉瓦造りの大正初期の代表的建築物でしが、太平洋戦争中の1945年(昭和20)5月25日、アメリカ軍のボーイングB-29の焼夷弾を受けて被災し、丸の内駅舎のドーム部分と 3階部分を焼失します。
 戦後の1947年(昭和22)に、旧観を残して復興されましたが、屋根は寄棟造で地上2階建てとなりました。翌年には、八重洲口駅舎が落成しましたが、1949年(昭和24)に失火で焼失し、1954年(昭和29)に新駅舎の鉄道会館ビルが完成しています。
 1964年(昭和39)に八重洲口側に東海道新幹線の発着ホームが完成し、1972年(昭和47)には、丸の内口側に地下5階の総武線・横須賀線などのホームが完成、1991年(平成3)には、東北・上越新幹線ホームができるなど次第に拡張されていきました。
 現在では、東海道本線、東海道・東北・上越・北陸新幹線のほか横須賀・山手・中央・京浜東北・総武・京葉などの各線が発着(1日当たりの列車発着本数は約3,000本)し、JR関係だけで1日約61万人が利用する一大ターミナルとなっています。
 また、2003年(平成15)には、「東京駅丸ノ内本屋」として国の重要文化財に指定され、2007年(平成19)から総事業費は約500億円をかけて、丸の内駅舎の復元工事が行われ、2012年(平成24)10月に創建当時の外観となって、供用開始されました。

〇東京駅の歴史年表
・1888年(明治21)8月16日 - 東京市区改正条例で新橋と上野を結ぶ高架鉄道敷設と中央停車場建設決定。
・1896年(明治29) 2月4日 - 第9回帝国議会において中央停車場に関する予算が可決成立する。
・1908年(明治41)3月25日 - 駅舎基礎工事に着手する。
・1914年(大正3)12月5日 - 鉄道院総裁達第113号により中央停車場の正式駅名が東京駅と告示される。
・1914年(大正3)12月18日 - 開業記念式典を挙行。
・1914年(大正3)12月20日 - 東京駅開業(旅客駅)。
・1915年(大正4)11月2日 - 東京ステーションホテルが丸の内駅舎内に開業。
・1924年(大正13)9月1日 - 関東大震災により被災する。
・1925年(大正14)11月1日 - 東北本線が乗り入れてその起点となる、山手線環状運転開始。
・1945年(昭和20) 5月25日 - 東京空襲による爆撃で焼夷弾にて炎上、ホーム上屋などとともに焼失。
・1947年(昭和22) 3月15日 - 丸の内口駅舎復旧工事完了。
・1948年(昭和23)11月16日 - 八重洲口駅舎完成、使用開始。
・1949年(昭和24) 4月29日 - 八重洲口駅舎本屋が失火により焼失。
・1954年(昭和29) 10月14日 - 八重洲口新駅舎使用開始(6階建て)。
・1960年(昭和35)11月12日 - 東海道新幹線工事着手。
・1964年(昭和39)10月1日 - 東海道新幹線の当駅 - 新大阪間が開業し、同時に新幹線の駅が完成。
・1972年(昭和47) 7月15日 - 総武本線地下ホームが開業、東京駅が総武本線の起点となる。
・1987年(昭和62) 4月1日 - 国鉄分割民営化で東海道新幹線の駅はJR東海が他の駅はJR東日本が継承。
・1990年(平成2) 3月10日 - 京葉線地下ホームが開業し、南口新通路供用開始。
・1991年(平成3) 6月20日 - 東北新幹線が上野から乗り入れ、第6プラットホームを新幹線用に供用開始。
・1997年(平成9)10月1日 - 北陸新幹線(高崎~長野)営業開始で上越・北陸新幹線用20・21番線使用開始。
・2003年(平成15)5月30日 - 丸の内駅舎を「東京駅丸ノ内本屋」として国の重要文化財に指定される。
・2007年(平成19) 5月30日 - 丸の内側の赤レンガ駅舎を開業当時の3階建てに復原する工事に着工。
・2012年(平成24) 10月1日 - 復原された丸の内駅舎が全面開業。
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 今日は、昭和時代中期の1957年(昭和32)に、恩賜上野動物園内に現存最古のモノレールが開業した日です。
 日本で最初のモノレールは、大阪市で行われていた交通電気博覧会で、1928年(昭和3)に運用された懸垂式のものでした。太平洋戦争後は、1951年(昭和26)に、豊島園で遊戯施設として運行され、1957年(昭和32)には、恩賜上野動物園内に懸垂式モノレールが開業し、これが現存する最古のものとなっています。
 その後も、1961年(昭和36)に奈良ドリームランド、1962年(昭和37)に犬山のラインパークに、遊覧用のものが開業しましたが、いずれも廃止されました。
 1964年(昭和39)には、東京モノレールが浜松町~羽田(現、天空橋)間13.1kmを15分で結ぶ本格的都市交通機関として営業運転を開始し、その後は、都市交通機関として建設されるようにもなります。
 そして、1996年3月末時点で、モノレールは6事業者(総延長31.4km)でしたが、消長を経て、現在では、10事業者(総延長111.9km)によって運行されています。

〇「モノレール」とは?
 1本の走行軌条(走行桁)を用いて車両を走行させる鉄道(単軌鉄道ともいう)のことで、日本の法令上では、鉄道事業法に基づく「鉄道(懸垂式鉄道/跨座式鉄道)」と軌道法に基づく「軌道(懸垂式モノレール/跨座式モノレール)」が存在しています。形式によって分類すると、地上数mの高さに架設された1本の桁に吊下がって走る懸垂(けんすい)式と、桁の上にまたがって走る跨座 (こざ) 式に大別され、さらに下記のように区分されました。
<懸垂式>
(1)ランゲン式:鉄骨で空中に支えられた鉄のレールに鉄の車輪がのり、車輪の車軸は逆L字型に曲がって車両を懸垂するもので、日本には現在ありません。
(2)日本車両式:レールは鋼板製箱型でゴムタイヤ車輪がレールに乗り、タイヤが外れないように補助車輪が左右からレールを挟んでいて、車両は片側補助車輪の車軸に懸垂されるもので、東京都交通局の上野懸垂線に採用されています。
(3)サフェージュ式:レールは鋼板製箱型の筒状で、車両を懸垂するために箱の下面中央部は開いていて、その開口部両側を、車両の屋根上の支柱につけられたゴムタイヤ車輪が走行するもので、千葉都市モノレールや湘南モノレールで採用されています。
<跨座式>
(1)アルウェグ式:レールは太いI字型の鉄筋コンクリートで、走行用ゴムタイヤがレールの上にのり、補助車輪が左右からレールを挟んで安定を保つもので、東京モノレールで採用されています。
(2)日本跨座式:アルウェグ式の改良型で、軌道桁を太くし、ゴムタイヤを使用するが、現在日本の跨座式モノレールの主流になっています。
(3)ロッキード式:コンクリート製の桁の上に鉄のレールを乗せ、その上を鉄の車輪が走るもので、姫路市営モノレールと向ヶ丘遊園モノレール線に採用されましたが、現在は廃止されて存在しません。

☆日本で営業中の「モノレール」一覧

・東京モノレール(東京都) 跨座式:アルヴェーグ式 羽田空港線[17.8km] 1964年開業
・東京都交通局(東京都) 懸垂式:日本車両式 上野懸垂線[0.3km] 1957年開業
・多摩都市モノレール(東京都) 跨座式:日本跨座式 多摩都市モノレール線[16.0km] 1998年開業
・千葉都市モノレール(千葉県) 懸垂式:サフェージュ式 1号線[3.2km] 1995年開業
・千葉都市モノレール(千葉県) 懸垂式:サフェージュ式 2号線[12.0km] 1988年開業
・舞浜リゾートライン(千葉県) 跨座式:日本跨座式 ディズニーリゾートライン[5.0km] 2001年開業
・湘南モノレール(神奈川県) 懸垂式:サフェージュ式 江の島線[6.6km] 1970年開業
・大阪高速鉄道(大阪府) 跨座式:日本跨座式 大阪モノレール線[21.2km] 1990年開業 、
・大阪高速鉄道(大阪府) 跨座式:日本跨座式 国際文化公園都市モノレール線(彩都線)[6.8km] 1998年開業
・スカイレールサービス(広島県) 懸垂式:ロープ駆動懸垂式 広島短距離交通瀬野線[1.3km] 1998年開業
・北九州高速鉄道(福岡県) 跨座式:日本跨座式 小倉線[8.8km] 1985年開業
・沖縄都市モノレール(沖縄県) 跨座式:日本跨座式 沖縄都市モノレール線[12.9km] 2003年開業
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