大岡昇平は、明治時代後期の1909年(明治42)3月6日に、東京市牛込区新小川町(現在の東京都新宿区)に父・貞三郎、母・つるの長男として生まれました。
青山学院中等部から成城中学へ転じ、1926年(大正15)成城高校文科へ進み、家庭教師となった小林秀雄に影響を受けます。1929年(昭和4)同校卒業後、京都帝国大学文学部文学科に入学し、河上徹太郎や中原中也らと同人雑誌『白痴群』を創刊しました。
1932年(昭和7)に大学卒業後は、国民新聞社や帝国酸素、川崎重工業に勤めながら、スタンダールを研究していましたが、1944年(昭和19)に召集されます。
フィリッピンの戦線へ送られ、アメリカ軍の捕虜となったものの、1945年(昭和20)12月に帰国を果たしました。その時の体験を描いた『俘虜記(ふりょき)』を1948年(昭和23)に発表し、翌年横光利一賞を受賞して注目されます。
同年、明治大学文学部仏文学講師に就任し、1952年(昭和27)『野火』を刊行して、読売文学賞を受賞しました。1961年(昭和36)には、『花影』を刊行し、毎日出版文化賞と新潮社文学賞を受賞し、戦後文学を代表する作家の一人となります。
その後も、『レイテ戦記』 (1967~69年) で毎日芸術賞受賞、1974年(昭和49)『中原中也』で野間文芸賞など数々の栄誉に輝き、1981年(昭和46)に芸術院会員に選出されたものの、辞退しました。
多彩な作品を発表して、多方面で活躍し続けましたが、1988年(昭和63)12月25日に、東京に於いて79歳で亡くなっています。
〇大岡昇平の代表的著作
・『俘虜記』(1949年)
・『武蔵野夫人』(新潮社、1950年)
・『野火』(1952年)
・『酸素』(新潮社、1955年)
・『在(あ)りし日の歌』(角川書店、1966年)
・『朝の歌 中原中也伝』(角川書店、1958年)
・『花影』(中央公論社、1961年)
・『常識的文学論』(講談社、1962年)
・『将門記』(中央公論社、1966年)
・『昭和文学への証言』(文藝春秋、1969年)
・『レイテ戦記』(中央公論社 全3巻、1971年)
・『中原中也』(角川書店、1974年)
・『天誅組』(講談社、1974年)
・『富永太郎』(中央公論社、1974年)
・『文学における虚と実』(講談社、1976年)
・『事件』(新潮社、1977年)
・『ながい旅』(新潮社、1982年)
・『小説家 夏目漱石』(筑摩書房、1988年)