近代以前の日本では、生まれた年を「1歳」とし、元日を迎えるごとに年をとる計算方法である「数え年」での年齢計算が広く行われていました。
明治維新後の1873年(明治6)より太陰暦(旧暦)に代わり、太陽暦(新暦)が採用され、それに基づいて、1873年(明治6)2月5日公布の太政官布告第36号『年齡計算方ヲ定ム』によって、新暦にもとづいて満年齢で何年何月と数えることとし、旧暦においては「数え年」の使用も認めるということになります。
この太政官布告では、公式には満年齢を採用しつつ、条件付で「数え年」の併用も認めていたので、それを改正して満年齢のみとしたのが、1902年(明治35)12月2日公布の『年齢計算ニ関スル法律』で、12月22日より施行されました。
それでも、民間では「数え年」を使う「ならわし」が多く残存していたので、1949年(昭和24)5月24日公布の『年齢のとなえ方に関する法律』によって正すように定められます。
1902年(明治35)公布・施行の『年齢計算ニ関スル法律』は、以下に示すように3項のみからなるものでした。
〇『年齢計算ニ関スル法律』1902年(明治35)12月2日公布(法律50号)12月22日施行
1 年齢ハ出生ノ日ヨリ之ヲ起算ス
2 民法第143条ノ規定ハ年齢ノ計算ニ之ヲ準用ス
3 明治6年第36号布告(年齢計算方ヲ定ム)ハ之ヲ廃止ス
〇『民法』第143条
(暦による期間の計算)
第一四三条 週、月又は年によって期間を定めたときは、その期間は、暦に従って計算する。
2 週、月又は年の初めから期間を起算しないときは、その期間は、最後の週、月又は年においてその起算日に応当する日の前日に満了する。ただし、月又は年によって期間を定めた場合において、最後の月に応当する日がないときは、その月の末日に満了する。
〇『年齡計算方ヲ定ム』1873年(明治6)2月5日公布(太政官布告第36号)(明治35)12月2日廃止
自今年齡ヲ計算候儀幾年幾月ト可相數事
但舊曆中ノ儀ハ一干支ヲ以テ一年トシ其生年ノ月數ト通算シ十二ヶ月ヲ以テ一年ト可致事
<現代語訳>
今後、年齢計算に関しては、何年何月と数えること。ただし、旧暦における年齢計算に関しては、1干支をもって1年とし、その生年の月数と通算し、12ヶ月をもって1年と数えること。
〇『年齢のとなえ方に関する法律』1949年(昭和24)5月24日公布(法律第96号)
1 この法律施行の日以後、国民は、年齢を数え年によつて言い表わす従来のならわしを改めて、年齢計算に関する法律(明治三十五年法律第五十号)の規定により算定した年数(一年に達しないときは、月数)によつてこれを言い表わすのを常とするように心がけなければならない。
2 この法律施行の日以後、国又は地方公共団体の機関が年齢を言い表わす場合においては、当該機関は、前項に規定する年数又は月数によつてこれを言い表わさなければならない。但し、特にやむを得ない事由により数え年によつて年齢を言い表わす場合においては、特にその旨を明示しなければならない。
附 則 抄
1 この法律は、昭和二十五年一月一日から施行する。
2 政府は、国民一般がこの法律の趣旨を理解し、且つ、これを励行するよう特に積極的な指導を行わなければならない。