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 今日は、昭和時代中期の1955年(昭和30)に、洋画家安井曾太郎の亡くなった日です。
 安井曾太郎は、明治時代前期の1888年(明治21)5月17日に、京都府京都市で木綿問屋を営む父安井元七と母よねの五男として生まれました。
 1898年(明治31)に京都市立商業学校に入学するものの、2年後に中退して、翌年に聖護院洋画研究所(のち関西美術院に発展)に入所します。浅井忠、鹿子木孟郎らに師事して絵を学び始めましたが、同門に、梅原龍三郎もいました。
 1907年(明治40)に、フランスに留学し、アカデミー・ジュリアンで、J.P.ローランスに師事しながらセザンヌらの後期印象派の美術を学び、1914年(大正3)に帰国します。
 翌年に、二科会展に「足を洗う女」など滞欧作を発表して注目を集め、二科会々員に推挙されました。その後、毎年二科会に作品を発表する一方、1930年代に石原求龍堂から木版画を発表するようになり、1931年(昭和6年)に『安井曾太郎版画集』を出します。
 しかし、1935年(昭和10)に帝国美術院会員に任命されると共に二科会々員を辞し、翌年同志と一水会を創立してその会員となります。1944年(昭和19)には、東京美術学校(現在の東京幻術大学)教授となり、同年7月1日帝室技芸員となりました。
 1948年(昭和23)以来、療養を兼ねて神奈川県湯河原に移り、翌年日本美術家連盟の創立とともにその会長に推され、終生同連盟の発展に尽力しました。
 独自の写実様式を確立し、梅原竜三郎とともに一時代を画し、1952年(昭和27)には、文化勲章を受章したものの、1955年(昭和30)12月14日、肺炎のため67歳で亡くなっています。

〇安井曾太郎の主要な作品

<油彩画>
・「足を洗う女」(1913年)
・「孔雀と女」 (1914年・個人蔵)
・「黒き髪の女」(1924年・BBプラザ美術館蔵)
・「婦人像」(1930年・京都国立近代美術館蔵)
・「外房風景」(1931年・大原美術館蔵)
・「薔薇」(1932年・ブリヂストン美術館蔵)
・「金蓉」(1934年・東京国立近代美術館蔵)
・「T先生の像」(玉蟲先生像)(1934年・東北大学史料館蔵)
・「深井英五氏像」(1937年・東京国立博物館蔵)
・「承徳喇嘛廟(らまびょう)」(1938年・愛知県美術館蔵)
・「孫」(1950年・大原美術館蔵)
・「安倍能成氏像」(1955年・東京国立近代美術館蔵)

<木版画>
・「椅子に凭れる女」(1932年・郡山市立美術館蔵) 石原求龍堂版 平塚運一彫、摺
・「果物」(1932年・郡山市立美術館蔵) 石原求龍堂版 平塚運一彫、摺
・「外房風景」(1932年・郡山市立美術館蔵) 石原求龍堂版 
・「魚とさざえ」(1934年・郡山市立美術館蔵) 石原求龍堂版 
・「画家とモデル」(1934年・郡山市立美術館蔵) 石原求龍堂版 
・「レコードを聴く人」(1935年・郡山市立美術館蔵) 石原求龍堂版
・「十和田湖の秋」(1935年・郡山市立美術館蔵) 石原求龍堂版