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 今日は、昭和時代前期の1942年(昭和17)に、小説家中島敦の亡くなった日です。
 中島敦は、明治時代後期の1909年(明治42)5月5日に、東京府東京市四谷区(現在の東京都新宿区)で、父中島田人、母チヨの長男として生まれました。
 漢学者中島撫山の孫で、中国文学に造詣の深い儒学の家という環境で育ち、第一高等学校を経て、1933年(昭和8)に東京帝国大学国文科を卒業しました。
 その後、大学院在籍のまま私立横浜高等女学校(現在の横浜学園高等学校)の教師となり、多くの小説を書き、1934年(昭和9)に『中央公論』の公募に応じた小説「虎狩」が選外佳作10編に入ります。
 持病(喘息)の転地療養を兼ねて、1941年(昭和16)に南洋庁の教科書編集書記としてパラオへ赴任し、翌年に代表作「山月記」を含む「古譚」、「光と風と夢」が続けて『文学界』に掲載され、文壇デビューしました。
 1942年(昭和17)3月に南洋庁を辞して帰京し、作家生活に入ろうとしましたが、同年12月4日に喘息悪化のため、34歳の若さで亡くなります。
 没後の1948年(昭和23)に、中村光夫、氷上英廣らの編纂で『中島敦全集』全3巻が筑摩書房から刊行され、毎日出版文化賞を受賞しました。
 作品では、古譚や歴史を借りて近代知識人の苦悩を鋭く分析したものが評価され、戦後の国語教科書にも掲載されて、広く知られるようになります。

〇中島敦の主要な作品
・「虎狩」1934年
・「山月記」1942年
・「文学禍」1942年
・「光と風と夢」1942年
・「悟浄出世」1942年
・「南島譚」1942年
・「李陵」1943年
・「弟子」1943年
・「名人伝」