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 今日は、明治時代後期の1894年(明治27)に、戯作者・新聞記者仮名垣魯文の亡くなった日です。
 仮名垣魯文は、江戸時代後期の1829年2月9日(文政12年1月6日)に、江戸京橋(現在の東京都中央区)で魚屋を営む父野崎佐吉の子として生まれ、本名は野崎文蔵、字は能連、幼名兼吉と言いました。
 幼少期から奉公に出され、その先で戯作に興味を持つようになり、好きをつのらせ、18歳の時に戯作者花笠魯介文京の弟子となります。
 1849年(嘉永2)の19歳の時に名弘めの摺物「名聞面赤本」を書き、1855年(安政2)に起こった安政大地震のルポルタージュ『安政見聞誌』で注目されます。
 1860年(万延元)から翌年にかけて出した滑稽本『滑稽富士詣』で認められ、戯作者としての地位を得ました。
 明治時代になって、『西洋道中膝栗毛』 (1870~76年) 、『安愚楽鍋 』(1871~72年)などの開化風俗を描く滑稽本の代表作家となります。
 1872年(明治5)の敬神愛国などを謳った「三条の教憲」公布後はしばらく執筆を控えていましたが、その後、戯作者からジャーナリストへ転身し、1874年(明治7)からは『横浜毎日新聞』の雑報記者となりました。
 翌年には、自ら編集者として『仮名読新聞』を創刊、新聞小説の土台を築き、新聞の続き物を草双紙化した「高橋阿伝夜刃譚」などの毒婦・悪婦もので読者を魅了します。
 次いで『いろは新聞』の社長となり、1884年(明治17)には『今日新聞』を創刊し主筆となりましたが、1894年(明治27)11月8日に、66歳で亡くなりました。

〇仮名垣魯文の主要な作品
・「安政風聞集」(1856年)
・「仮名読八犬伝」(-1867年)
・「薄緑娘白浪」(1868-72年頃)
・「報讐殿下茶屋聚」(1868年)
・「西洋道中膝栗毛」(1870-76年)
・「安愚楽鍋」(1871年)
・「松飾徳若譚」(1871年)
・「胡瓜遣」(1872年)
・「世界都路」(1872年)
・「西洋器会」(1872年)
・「倭国字西洋文庫」(1872年)
・「蛸之入道魚説教」(1872年)
・「黄金花猫目鬘」(1872年)
・「三教則の捷径」(1873年)
・「佐賀電信録」(1874年)
・「格蘭氏伝倭文賞」(1879年)
・「高橋阿伝夜叉譚」(1879年)
・「葉武列土倭錦絵」(1886年)
・「毒婦の行末」(1889年)
・「甲府地名くらべ」(?)