この協定は、イタリアのローマで調印された、日本、ドイツ、イタリア三国の協定でした。その前身は、前年にドイツとの間で締結された「日独防共協定」で、それにイタリアが参加したものです。
このとき結ばれた議定書の正式名称は「日本國、伊太利國及獨逸國閒議定書」といいました。その後、1939年(昭和14)には、ハンガリー王国、「満州国」、スペインが参加した多国間協定となっていきます。
内容は、共産主義に対する防衛を目的とし、対コミンテルンの対抗措置を定め、秘密付属協定でソ連を仮想敵国としたものでした。その後、1940年(昭和15)締結の「日独伊三国同盟」へ発展していきます。
これによって、ヒットラーのドイツ、ムッソリーニのイタリアのファシズム国家と結ぶことになり、アメリカ・イギリスを強く刺激し、太平洋戦争へ突入していく端緒となりました。
〇日本國、伊太利國及獨逸國閒議定書 (全文) 1937年(昭和12)11月6日調印
日本國、伊太利國及獨逸國間議定書
昭和十二年(千九百三十七年)十一月六日 「ローマ」ニテ署名
同年(同年)同月六日ヨリ實施
同年(同年)十一月一〇日公布
大日本帝國政府、伊太利國政府及獨逸國政府ハ共産「インターナショナル」カ絶エス東西兩洋ニ於ケル文明世界ヲ危險ニ陷レ、其ノ平和及秩序ヲ攪亂シ且破壞シツツアルニ鑑ミ平和及秩序ノ維持ヲ念トスル一切ノ國家間ニ於ケル密接ナル協力ノミカ右危險ヲ減殺シ且除去シ得ルコトヲ確信シ「ファシスト」政治ノ創始以來不撓ノ決意ヲ以テ右危險ト鬪ヒ共産「インターナショナル」ヲ其ノ領土ヨリ驅逐シタル伊太利國ハ共産「インターナショナル」ニ對シ同樣ノ防衞ノ意思ヲ堅持スル日本國及獨逸國ト共ニ右共同ノ敵ニ當ルコトニ決シタルニ鑑ミ
千九百三十六年十一月二十五日「ベルリン」ニ於テ日本國及獨逸國間ニ締結セラレタル共産「インターナシヨナル」ニ對スル協定第二條ノ規定ニ從ヒ左ノ通協定セリ
第一條 伊太利國ハ千九百三十六年十一月二十五日日本國及獨逸國間ニ締結セラレタル共産「インターナショナル」ニ對スル協定及附屬議定書ニ參加ス右協定及附屬議定書ノ本文ハ本議定書ノ附録トシテ添附セラル
第二條 本議定書ノ三署名國ハ伊太利國カ前條ニ掲ケラルル協定及附屬議定書ノ原署名國ト看做サルルコトニ同意ス本議定書ノ署名ハ右協定及附屬議定書ノ原本ノ署名ニ相當スルモノトス
第三條 本議定書ハ前記協定及附屬議定書ト一體ヲ爲スモノトス
第四條 本議定書ハ日本語、伊太利語及獨逸語ヲ以テ作成セラレ其ノ各本文ヲ以テ正文トス本議定書ハ署名ノ日ヨリ實施セラルヘシ(附録ハ前掲日獨防共協定及附屬議定書ト同文ニ付省略)
(全權委員署名略)
外務省編「日本外交年表竝主要文書」下巻より