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 今日は、昭和時代中期の1946年(昭和21)に、「日本国憲法」が公布された日です。それを記念して、1948年(昭和23)公布・制定の「祝日法」によって、「自由と平和を愛し、文化をすすめる」国民の祝日として、「文化の日」に定められました。
 「日本国憲法」は、現在の日本国最高法規(前文および11章103条からなる)で、国民主権、基本的人権の尊重、恒久平和主義を三大原則として、象徴天皇制、戦争放棄、三権分立、地方自治の保障などを規定しています。
 1945年(昭和20)の太平洋戦争敗戦によるポツダム宣言受諾によって、日本国が連合国側に無条件降伏したことにより、その後どのように進むべきかは、大きな議論となりました。その第6項「6.There must be eliminated for all time the authority and influence of those who have deceived and misled the people of Japan into embarking on world conquest, for we insist that a new order of peace, security and justice will be impossible until irresponsible militarism is driven from the world.」(現代語訳:6.日本の人々を惑わさせて、世界征服に乗り出させた影響勢力や権威・権力は、永遠に除去されなければならない。われわれは、無責任な軍国主義が世界から駆逐されるまでは、平和・安全・正義の新秩序は実現不可能であると主張する。)を実現することは、ポツダム宣言受諾の要件でした。
 その中で、大日本帝国憲法を改正する必要があるとの意見が多く出され、当時の各政党や民間団体・個人による憲法草案や連合国最高司令部(GHQ)から、憲法改正を考慮すべき旨の指示もあって、当時の幣原喜重郎首相は、GHQのマッカーサーと1946年(昭和21)1月24日に会談しました。この日のマッカーサーとの会談で平和主義を提案し、天皇制の護持と戦争放棄の考えを幣原の側からマッカーサーに述べたとされています。それを考慮して、同年2月13日に、マッカーサー草案が示されました。その後、紆余曲折を経て、日本政府の憲法草案が出来たのです。
 1946年(昭和21)に、大日本帝国憲法73条の憲法改正手続に従い、第90回帝国議会での4ヶ月弱の審議を経て修正可決(衆議院では、賛成421票、反対8票)後、同年11月3日に日本国憲法として公布され、その6ヶ月後の翌年5月3日に施行されました。
 以下に、「日本国憲法」制定の趣旨を記した、その前文を掲載しておきます。

〇「日本国憲法」前文

前 文

日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものてあつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。