今日は、明治時代前期の1884年(明治17)に、いわゆる自由民権運動における激化諸事件の一つである秩父事件が起きた日です。
埼玉県秩父地方では、松方デフレ政策の影響を受けて、米や生糸相場が暴落し、高利貸からの多額の負債のため、生活がとても困窮しました。
そこで、旧自由党左派の指導の下に井上伝蔵らを幹部として1884年(明治17)8月に困民党を結成します。そして、田代栄助を総裁として、高利貸への返済延長や村民税の減税などを要求し、陳情、請願を続けました。
ところが、一向にらちが明かず、万策尽きた農民は、困民党のもとにやむにやまれず立ち上がることになったのです。
1884年(明治17年)10月31日に、風布村琴平神社集会後、金崎村永保社の襲撃が起こり、「秩父事件」がはじまりました。翌日、下吉田村椋神社に約3,000名が終結し、大宮郷へ入って、郡役所を占拠し本陣とし、租税の軽減・義務教育の延期・借金の据え置き等を要求します。
しかし、明治政府による警官隊と軍隊を使った徹底した弾圧によって押さえ込まれ、10日にわたる抵抗の後、鎮圧されました。この中で、30名以上が戦死し、警察官5名が殉職、その後の裁判の結果、死刑12名を含む計3,821名が処罰されたのです。
秩父地方を巡ると音楽寺、椋神社、田代栄助の墓などにその足跡を見い出し、自由民権の先駆けになって処刑された人々のことを考えずにはおられませんでした。
この事件については、2004年(平成16)公開の映画「草の乱」(神山征二郎監督)に描かれています。その撮影時に使用された、オープンセットの中の井上伝蔵邸が「秩父事件資料館」として、吉田町の「龍勢会館」に隣接して残されていて、貴重な資料を見ることができます。
〇秩父事件関係年表
<1883年(明治16)>
・12月 高岸善吉ら秩父郡役所に高利貸説諭方を請願する
<1884年(明治17)>
・2月 大井憲太郎が秩父を遊説(自由党へ多数が入党)
・8月 困民党の山野集会始まる
・9月6日 田代栄助が困民党に加わる
・9月30日 大宮警察署に高利貸説諭を請願
・10月4日 高利貸への集団交渉を開始する
・10月26日 困民党の武装蜂起を決定する
・10月30日 上日野沢村小前会議(戦術を練る)
・10月31日 風布村琴平神社集会後、金崎村永保社を襲撃(秩父事件はじまる)
・11月1日 下吉田村椋神社に約3,000名が終結し、夜小鹿野へ行く
・11月2日 大宮郷へ入り郡役所を占拠し本陣とする(総勢7千~1万名)
・11月3日 警察署・郡役所・裁判所を焼き、東京憲兵隊が出動し交戦
・11月4日 困民党軍は皆野本陣を解体、金屋の戦いで敗退する
・11月5日 軍隊・警官隊が大宮郷を奪還する
・11月6日 困民党軍数百名が長野県佐久地方へ進む
・11月9日 長野県佐久郡の東馬流の戦いで敗れて困民党軍は壊滅する
埼玉県秩父地方では、松方デフレ政策の影響を受けて、米や生糸相場が暴落し、高利貸からの多額の負債のため、生活がとても困窮しました。
そこで、旧自由党左派の指導の下に井上伝蔵らを幹部として1884年(明治17)8月に困民党を結成します。そして、田代栄助を総裁として、高利貸への返済延長や村民税の減税などを要求し、陳情、請願を続けました。
ところが、一向にらちが明かず、万策尽きた農民は、困民党のもとにやむにやまれず立ち上がることになったのです。
1884年(明治17年)10月31日に、風布村琴平神社集会後、金崎村永保社の襲撃が起こり、「秩父事件」がはじまりました。翌日、下吉田村椋神社に約3,000名が終結し、大宮郷へ入って、郡役所を占拠し本陣とし、租税の軽減・義務教育の延期・借金の据え置き等を要求します。
しかし、明治政府による警官隊と軍隊を使った徹底した弾圧によって押さえ込まれ、10日にわたる抵抗の後、鎮圧されました。この中で、30名以上が戦死し、警察官5名が殉職、その後の裁判の結果、死刑12名を含む計3,821名が処罰されたのです。
秩父地方を巡ると音楽寺、椋神社、田代栄助の墓などにその足跡を見い出し、自由民権の先駆けになって処刑された人々のことを考えずにはおられませんでした。
この事件については、2004年(平成16)公開の映画「草の乱」(神山征二郎監督)に描かれています。その撮影時に使用された、オープンセットの中の井上伝蔵邸が「秩父事件資料館」として、吉田町の「龍勢会館」に隣接して残されていて、貴重な資料を見ることができます。
〇秩父事件関係年表
<1883年(明治16)>
・12月 高岸善吉ら秩父郡役所に高利貸説諭方を請願する
<1884年(明治17)>
・2月 大井憲太郎が秩父を遊説(自由党へ多数が入党)
・8月 困民党の山野集会始まる
・9月6日 田代栄助が困民党に加わる
・9月30日 大宮警察署に高利貸説諭を請願
・10月4日 高利貸への集団交渉を開始する
・10月26日 困民党の武装蜂起を決定する
・10月30日 上日野沢村小前会議(戦術を練る)
・10月31日 風布村琴平神社集会後、金崎村永保社を襲撃(秩父事件はじまる)
・11月1日 下吉田村椋神社に約3,000名が終結し、夜小鹿野へ行く
・11月2日 大宮郷へ入り郡役所を占拠し本陣とする(総勢7千~1万名)
・11月3日 警察署・郡役所・裁判所を焼き、東京憲兵隊が出動し交戦
・11月4日 困民党軍は皆野本陣を解体、金屋の戦いで敗退する
・11月5日 軍隊・警官隊が大宮郷を奪還する
・11月6日 困民党軍数百名が長野県佐久地方へ進む
・11月9日 長野県佐久郡の東馬流の戦いで敗れて困民党軍は壊滅する