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 今日は、江戸時代前期の1669年(寛文9)に、北海道日高アイヌの首長 シャクシャインの謀殺された日です。
 シャクシャインは、江戸時代前期の1606年(慶長11)に北海道日高地方で生まれたといわれています。
 蝦夷地では寛永年間から松前藩による商場知行制が推進されたため、アイヌ民族間での漁猟をめぐる対立が頻発しました。
 その中で、1648年(慶安元)に、シャクシャインがメナシクルのシベチャリの副首長(首長はカモクタイン)であったとき、漁猟場をめぐる争いからシュムクルのハエのアイヌを殺害、これをきっかけに東西アイヌの対立が深まりました。1653年(承応2)に、シュムクルの首長オニビシによってカモクタインが殺されたため首長となります。
 1655年(明暦元)に蝦夷地を治めていた松前藩の調停により、オニビシと講和しましたが、松前藩が1665年(寛文5)頃より交易価格を大幅につりあげたため、その後本格的な対立となりました。
 1668年(寛文8)には、シャクシャインらがオニビシを奇襲して殺害しましたが、その後、松前藩のアイヌに対する圧迫がさらに強まったため、民族間の対立を克服し、1669年(寛文9)6月に、東西蝦夷地のアイヌが一斉に蜂起します。この時、商船の船頭や鷹匠など和人 273人(355人説もあり)を殺害したとされました。
 しかし、軍事力でまさる松前藩の反撃によりアイヌの勢力は劣勢となり、賠償とシャクシャインらの助命という条件で和議が設けられましたが、シャクシャインはその酒宴(寛文9年10月23日)において松前藩側に謀殺されたのです。
 この戦いは、シャクシャインの戦いと呼ばれ、本州との直接交易再開を目的とするアイヌ民族と対アイヌ民族交易体制確立をすすめる松前藩の戦いでもありました。
 現在、北海道日高郡新ひだか町には、「シャクシャイン記念館」があります。この地に、城跡(チャシ)があったことにより、建てられました。北海道の先住民たちの有形無形の文化財を保存し民族文化の交流や研修など幅広く利用できる施設として出来たもので、アイヌのコタン(集落)を再現したコーナーなど、北海道の先住民族の文化財を豊富に展示しています。また、ゆかりの地、真歌山にシャクシャインの像が建立されています。