中原中也は、昭和時代前期に活躍した詩人でした。1907年(明治40)4月29日に、山口県吉敷郡山口町(現在の山口市湯田温泉)の軍医柏村謙助とフク夫妻の長男として生まれます。
8歳の時に養子縁組により、中原姓となりました。小学校時代は学業成績もよく神童とも呼ばれ、1920年(大正9)に、山口県立山口中学校(現在の山口県立山口高等学校)に入学します。
しかし、読書に耽り、成績が芳しくなく、1923年(大正12)に、京都の立命館中学校3年に編入することになりました。
1925年(大正14)には、中学を4年で修了して上京し、下宿生活を送りながら大学予備門で学ぶことになります。
その後、詩を書きつつ紆余曲折を経て、1931年(昭和6)には、中大予科に籍を置いたまま、東京外国語学校専修科仏語部(現在の東京外国語大学)に入ることになりました。
1933年(昭和8)に東京外語専修科を卒業後、小遣い稼ぎをしながら詩を書き続け、 同年12月、『ランボオ詩集〈学校時代の歌〉』の翻訳を三笠書房より刊行します。さらに、翌年12月に、代表作となる『山羊の歌』を文圃堂より刊行(限定200部)しました。
しかし、1937年(昭和12)10月22日に、結核のために30歳の若さで亡くなりました。
尚、死後の翌年4月に、『在りし日の歌』が、創元社より刊行されています。