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 今日は、平安時代後期の1180年(治承4)に、源平合戦(治承・寿永の乱)の富士川の戦いが行われた日ですが、新暦では11月9日となります。
 富士川の戦いは、源頼朝・武田信義軍と平維盛軍が、富士川の河口付近で戦ったものです。夜陰に乗じて、武田信義の部隊が平家の後背を衝かんと富士川の浅瀬に馬を乗り入れると、水鳥が反応し一斉に飛び立ちました。これに驚いた平家方は大混乱に陥って、敗走したといわれています。
 古戦場跡の伝承地には、「平家越」の碑(静岡県富士市)が建てられました。また、戦の後で、離れ離れになっていた源頼朝と義経の劇的な対面があったと言われ、その伝承地である黄瀬川八幡神社(静岡県駿東郡清水町)に対面石があります。

〇源平合戦(治承・寿永の乱)とは?
 平安時代後期、1180年(治承4)の後白河法皇の皇子以仁王の挙兵を契機にして、日本各地で平清盛を中心とする平氏政権に対する反乱が起こり、最後には平氏政権の崩壊により、源氏の源頼朝を中心とした鎌倉幕府の樹立ということになります。
 この一連の平氏と源氏の戦いが、「源平合戦」(治承・寿永の乱)と呼ばれていました。
 有名な『平家物語』には、この合戦の模様が詳しく書かれています。

☆源平合戦関係年表(日付は旧暦です)

〇保元元年(1156年)
・7月11日 保元の乱が起き、崇徳上皇方、後白河天皇方に、源氏・平氏共に一族を二分してついて戦うが、後白河天皇方が勝利する
・7月23日 崇徳上皇は讃岐に流される

〇平治元年(1159年)
・12月9日 平治の乱が起き、源義朝、藤原信頼と結び院御所・三条殿を襲撃する
・12月26日 源義朝、藤原信頼は、平清盛と六条河原で戦うが敗北する
・12月29日 源義朝が、尾張の知多半島の野間で謀殺される

〇永暦元年(1160年)
・3月11日 源頼朝が、伊豆へ流される

〇仁安2年(1167年)
・2月 平清盛が太政大臣に就任する

〇嘉応2年(1170年)
・5月25日 藤原秀衡が、鎮守府将軍に任命される

〇承安2年(1172年)
・2月10日 平徳子が、高倉天皇の中宮となる

〇治承元年(1177年)
・6月 鹿ケ谷の陰謀が起き、藤原成親、俊寛らが平家打倒を計画したが、密告で露見して失敗する

〇治承3年(1179年)
・11月20日 平清盛、後白河法皇を幽閉し、院政は停止となる

〇治承4年(1180年)
・4月9日 以仁王が、各地の源氏に平家追討の令旨を出す
・5月26日 源頼政が以仁王を立てて挙兵するが、平知盛に敗れ、平等院にて敗死する
・6月22日 平家、福原遷都を強行する
・8月17日 源頼朝が、伊豆で挙兵し山木館を襲撃する
・8月23日 源頼朝が石橋山の戦いで敗れる
・8月29日 源頼朝は、房総半島へ船で逃れる
・9月7日 源(木曽)義仲が挙兵する
・10月20日 富士川の戦いが起こり、平氏軍は水鳥の飛び立つ音を源氏の襲撃と間違えて敗走する
・11月17日 源頼朝が、鎌倉に侍所(別当は和田義盛)を設置する
・12月28日 平重衡が、東大寺・興福寺を焼く

〇養和元年(1181年)
・閏2月4日 平清盛が病没する

〇寿永2年(1183年)
・5月11日 倶利伽羅峠の戦いで木曽義仲が平氏を破る
・7月28日 木曽義仲が、京都に入る
・10月14日 源頼朝が、寿永宣旨を受け、東国支配権を獲得する

〇寿永3年(1184年)
・1月20日 宇治川の戦いで源義経が木曽義仲を討つ
・2月7日 一の谷の戦いで源義経が平氏を破り、平家惣領・平宗盛らは四国・九州に敗走する
・10月20日 源頼朝が、鎌倉に公文所、問注所を設置する

〇寿永4年(1185年)
・2月7日 屋島の戦いで源義経らが平氏を破る
・3月24日 壇の浦の戦いで源義経らが平氏を破り、平氏は滅亡する
・11月 源頼朝が、諸国に守護・地頭を設置する
・11月 源義経と源頼朝の対立が始まる

〇文治3年(1187年)
・2月 源義経が、藤原秀衡を頼って奥州に落ちのびる
・10月29日 藤原秀衡が病没する

〇文治5年(1189年)
・閏4月30日 衣川の戦いが起き、藤原泰衡が、源義経を討つ
・7月17日 源頼朝が奥州に向けて出兵する
・8月22日 源頼朝軍に攻められて平泉が陥落する
・9月3日 藤原泰衡が殺害される
・9月18日 源頼朝が、奥州を平定する