葉山嘉樹は、大正時代から昭和時代前期に活躍したプロレタリア文学の小説家で、本名は嘉重といいます。
1894年(明治27年)3月12日に、 福岡県京都郡豊津村(現在のみやこ町)の旧小倉藩士族の父荒太郎(京都郡郡長)の子として生まれました。
1913年(大正2)に旧制豊津中学(現在の福岡県立育徳館高等学校)を卒業し、早稲田大学高等予科文科に進学します。
しかし、学費未納により除籍され、横浜へ転居して職を転々とした後、カルカッタ航路の貨物船に水府見習いとして乗船しました。
下船後は、1917年(大正6)頃から私立明治専門学校(現在の九州工業大学)の職員となりましたが、1920年(大正9)に馘首され、名古屋セメント会社に勤務します。しかし、労働組合を作ろうとして、首になり、「名古屋新聞」に勤めるようになって、労働問題担当記者となり、同時に名古屋労働者協会に参加し、労働争議を指導しました。
1923年(大正12)に、「名古屋共産党事件」で検挙、名古屋刑務所に投獄され、獄中で「淫売婦」「難破」を執筆します。1925年(大正14)に出獄後、「淫売婦」「セメント樽の中の手紙」を『文芸戦線』に発表しました。翌年には、「海に生くる人々」を改造社から出版し、プロレタリア作家として、注目されます。
その後、プロレタリア文学運動の組織が分裂・統合する中で、労農芸術家連盟に属し、その代表的作家として活躍しました。
思想統制が厳しくなると、1934年(昭和9)1月に土木工事の帳付けとして長野県下伊那に移住、現地で小説を書きながら、以後各地を転々とします。
そして、1945年(昭和20)6月に、満蒙開拓団員として満州北安省に赴き、敗戦後引揚げ列車の車中で、同年10月18日に51歳で病没しました。
〇葉山嘉樹の主な著作
・「淫賣婦」 (春陽堂 1926年)
・「海に生くる人々」 (改造社 1926年)
・「浚渫船」 (春陽堂 1927年)
・「新選葉山嘉樹集」 ( 改造社 1928年)
・「勞働者の居ない船」 (1929年 改造文庫)
・「稚き鬪士」 (日本評論社 1930年)
・「誰が殺したか?」 (日本評論社 1930年)
・「仁丹を追つかける」 (塩川書房 1930年)
・「葉山嘉樹全集」 (改造社 1933年)
・「今日様」 (ナウカ社 1935年)
・「山谿に生くる人人」 (竹村書房 1938年)
・「海と山と」 (河出書房 1939年)
・「流旅の人々」 (春陽堂 1939年)
・「山の幸」 (日本文学社 1939年)
・「濁流」 (新潮社 1940年)
・「葉山嘉樹随筆集」 (春陽堂書店 1941年)
・「裸の命」 (日本出版社 1946年)