今日は、明治時代前期の1881年(明治14)に、「国会開設の勅諭」が出された日です。
これは、明治天皇が出した勅諭で、憲法の制定と国会の一刻も早い開設を主張する自由民権運動などに対し、明治のはじめから漸進的に立憲政体を樹立のため、元老院や府県会を設置してきたことに言及し、9年後の1890年(明治23)を期して、議員を招集して国会(議会)を開設すること、欽定憲法を定めることなどを表明したものです。
官僚の井上毅が起草し、太政大臣の三条実美が奉詔したもので、憲法は政府官僚起草の原案を天皇自身が裁定し公布するとの姿勢が明示され、自由民権運動の尖鋭化を抑えようとしたものでもありました。
これによって、1889年(明治22)2月11日の大日本帝国憲法の発布、1890年(明治23)11月29日の帝国議会開設に繋がっていきます。
〇「国会開設の勅諭」(全文)
勅諭
朕祖宗二千五百有餘年ノ鴻緖ヲ嗣キ、中古紐ヲ解クノ乾綱ヲ振張シ、大政ノ統一ヲ總攬シ、又夙ニ立憲ノ政體ヲ建テ、後世子孫繼クヘキノ業ヲ爲サンコトヲ期ス。嚮ニ明治八年ニ、元老院ヲ設ケ、十一年ニ、府縣會ヲ開カシム。此レ皆漸次基ヲ創メ、序ニ循テ步ヲ進ムルノ道ニ由ルニ非サルハ莫シ。爾有衆、亦朕カ心ヲ諒トセン。顧ミルニ、立國ノ體國各宜キヲ殊ニス。非常ノ事業實ニ輕擧ニ便ナラス。我祖我宗、照臨シテ上ニ在リ、遺烈ヲ揚ケ、洪模ヲ弘メ、古今ヲ變通シ、斷シテ之ヲ行フ、責朕カ躬ニ在リ。將ニ明治二十三年ヲ期シ、議員ヲ召シ、國會ヲ開キ、以テ朕カ初志ヲ成サントス。今在廷臣僚ニ命シ、假スニ時日ヲ以テシ、經畫ノ責ニ當ラシム。其組織權限ニ至テハ、朕親ラ衷ヲ栽シ、時ニ及テ公布スル所アラントス。朕惟フニ、人心進ムニ偏シテ、時會速ナルヲ競フ。浮言相動カシ、竟ニ大計ヲ遺ル。是レ宜シク今ニ及テ、謨訓ヲ明徴シ、以テ朝野臣民ニ公示スヘシ。若シ仍ホ故サラニ躁急ヲ爭ヒ、事變ヲ煽シ、國安ヲ害スル者アラハ、處スルニ國典ヲ以テスヘシ。特ニ茲ニ言明シ爾有衆ニ諭ス。
奉
勅 太政大臣三條實美 明治十四年十月十二日
「法令全書」より
*縦書きの原文を横書きに改め、句読点を付してあります。
<現代語訳>
勅諭
私は、先祖代々2,500年余りの国家統治の大きな仕事を受け継ぎ、平安時代に乱れた君主の大権の威力をのばし広げ,大政を一手に掌握し、又早くから立憲制をとる政治形態を建て、後の世の子孫に継承すべき事業を成し遂げようと考えた。さきに明治8年、元老院を設置し、明治11年に府県会を開設させた。これみな、しだいに基礎を創成し、順序に従って、歩を進める方策によるものである。おまえたち人民は、また私の心を諒解してほしい。
ふりかえってみると、政体は各国によって異なっている、このような大事業は実に軽々しく行うべきではない。私の祖先は、上に在って天下を治めてきた。後世に残る功績を高め、大きなはかりごとをひろめ、時の情勢に応じで、臨機応変に事に対応し、判断してこれを行う責任は、私みずからにある。まさに明治23年を期して、議員を招集し国会を開設し、私の初志を達成したいと思う。今朝廷に仕えている多くの臣下や役人に命じて、時間を与えて、その策定の責務に当らせている。その組織権限(憲法)については、私がみずから偏らずに判定し、時節を得て公布するようにしたい。
私が思うのには、世の中の人々の考え方が展開するうちに偏って、その時(憲法制定や国会開設)が早くなることを競っている。流言が相手を動かして、ついには大局的な観点から外れてしまっている。これについてはちょうどよいように、現今において国家の大計と後世の政治の手本となる教えを明らかにし、もって天下人民に公示すべきである。もしなお、故意にいらだちあせり、事を煽動し、国家の安泰を阻害する者があれば、処罰するには国の法律をもってすべきである。特にここに言明し、おまえたち人民に言いきかせる。
奉
勅 太政大臣 三条実美
明治14年10月12日
【注釈】
[1]祖宗:そそう=祖先。祖は開祖、宗は歴代の祖先をいう。
[2]鴻緖:こうちょ=皇統。皇位。帝王の国家統治の大業。
[3]中古:ちゅうこ=平安時代のこと。
[4]紐ヲ解ク:ちゅうをとく=乱れること。
[5]乾綱:けんこう=君主の大権。国家の要綱。
[6]振張シ:しんちょうし=威力をのばし広げること。
[7]大政:たいせい=天下の政治。まつりごと。
[8]総攬:そうらん=統合して一手に掌握すること。掌握して治めること。
[9]夙ニ:つとに=早くから。
[10]元老院:げんろういん=1875年(明治8)に設置された国会開設以前の立法上の諮問機関、1990年に廃止された。
[11]府縣會:ふけんかい=1878年(明治11)に府県会規則によて定められた地方議会。
[12]序ニ楯テ:じょにしたがいて=順序に従って。
[13]爾有衆:なんじゆうしゅう=国民。人民。君主が人民を呼ぶ呼称。
[14]立國ノ體:りっこくのてい=国の立て方。政体。
[15]國各宜キヲ殊ニス:くにおのおのよろしきをことにす=政体は各国によって異なっている。
[16]輕擧ニ便ナラス:けいきょにびんならず=軽々しく行うべきではない。
[17]照臨:しょうりん=君主が天下を治めること。
[18]遺烈:いれつ=後世に残る功績。先人のなした立派な功績。
[19]洪模:こうぼ=大きなはかりごと。
[20]古今ヲ變通シ:ここんをへんつうし=時の情勢に応じで、臨機応変に事を処すること。
[21]躬:みずから=自分で。みずから。
[22]在廷臣僚:ざいていしんりょう=朝廷に仕えている多くの臣下や役人。
[23]假スニ時日ヲ以テシ:かすにじじつをもってし=時間を与えること。
[24]親ラ:みずから=自分で直接に。自分から。特に、天皇が直接行うときに用いる。
[25]衷:ちゅう=なかほど。偏らないこと。
[26]裁シ:さいし=判定する。さばく。
[27]人心:じんしん=人間の心。また、世の人々の考えや気持ち。
[28]浮言:ふげん=根も葉もないうわさ。浮説。流言。
[29]大計:たいけい=大きな計画。遠大なはかりごと。
[30]謨訓:ぼくん=国家の大計と後世の政治の手本となる教え。
[31]明徴:めいちょう=明らかな証拠。また、証拠などに照らして明らかにすること。
[32]朝野:ちょうや=世間。天下。
[33]躁急ヲ爭ヒ:そうきゅうをあらそい=いらだちあせり。
[34]事變ヲ煽シ:じへんをせんし=事を煽動する。
[35]國典:こくてん=国の法律。国法。
[36]諭ス:さとす=目下の者に、ことの道理を理解できるように言いきかせる。納得するように教え導く。
これは、明治天皇が出した勅諭で、憲法の制定と国会の一刻も早い開設を主張する自由民権運動などに対し、明治のはじめから漸進的に立憲政体を樹立のため、元老院や府県会を設置してきたことに言及し、9年後の1890年(明治23)を期して、議員を招集して国会(議会)を開設すること、欽定憲法を定めることなどを表明したものです。
官僚の井上毅が起草し、太政大臣の三条実美が奉詔したもので、憲法は政府官僚起草の原案を天皇自身が裁定し公布するとの姿勢が明示され、自由民権運動の尖鋭化を抑えようとしたものでもありました。
これによって、1889年(明治22)2月11日の大日本帝国憲法の発布、1890年(明治23)11月29日の帝国議会開設に繋がっていきます。
〇「国会開設の勅諭」(全文)
勅諭
朕祖宗二千五百有餘年ノ鴻緖ヲ嗣キ、中古紐ヲ解クノ乾綱ヲ振張シ、大政ノ統一ヲ總攬シ、又夙ニ立憲ノ政體ヲ建テ、後世子孫繼クヘキノ業ヲ爲サンコトヲ期ス。嚮ニ明治八年ニ、元老院ヲ設ケ、十一年ニ、府縣會ヲ開カシム。此レ皆漸次基ヲ創メ、序ニ循テ步ヲ進ムルノ道ニ由ルニ非サルハ莫シ。爾有衆、亦朕カ心ヲ諒トセン。顧ミルニ、立國ノ體國各宜キヲ殊ニス。非常ノ事業實ニ輕擧ニ便ナラス。我祖我宗、照臨シテ上ニ在リ、遺烈ヲ揚ケ、洪模ヲ弘メ、古今ヲ變通シ、斷シテ之ヲ行フ、責朕カ躬ニ在リ。將ニ明治二十三年ヲ期シ、議員ヲ召シ、國會ヲ開キ、以テ朕カ初志ヲ成サントス。今在廷臣僚ニ命シ、假スニ時日ヲ以テシ、經畫ノ責ニ當ラシム。其組織權限ニ至テハ、朕親ラ衷ヲ栽シ、時ニ及テ公布スル所アラントス。朕惟フニ、人心進ムニ偏シテ、時會速ナルヲ競フ。浮言相動カシ、竟ニ大計ヲ遺ル。是レ宜シク今ニ及テ、謨訓ヲ明徴シ、以テ朝野臣民ニ公示スヘシ。若シ仍ホ故サラニ躁急ヲ爭ヒ、事變ヲ煽シ、國安ヲ害スル者アラハ、處スルニ國典ヲ以テスヘシ。特ニ茲ニ言明シ爾有衆ニ諭ス。
奉
勅 太政大臣三條實美 明治十四年十月十二日
「法令全書」より
*縦書きの原文を横書きに改め、句読点を付してあります。
<現代語訳>
勅諭
私は、先祖代々2,500年余りの国家統治の大きな仕事を受け継ぎ、平安時代に乱れた君主の大権の威力をのばし広げ,大政を一手に掌握し、又早くから立憲制をとる政治形態を建て、後の世の子孫に継承すべき事業を成し遂げようと考えた。さきに明治8年、元老院を設置し、明治11年に府県会を開設させた。これみな、しだいに基礎を創成し、順序に従って、歩を進める方策によるものである。おまえたち人民は、また私の心を諒解してほしい。
ふりかえってみると、政体は各国によって異なっている、このような大事業は実に軽々しく行うべきではない。私の祖先は、上に在って天下を治めてきた。後世に残る功績を高め、大きなはかりごとをひろめ、時の情勢に応じで、臨機応変に事に対応し、判断してこれを行う責任は、私みずからにある。まさに明治23年を期して、議員を招集し国会を開設し、私の初志を達成したいと思う。今朝廷に仕えている多くの臣下や役人に命じて、時間を与えて、その策定の責務に当らせている。その組織権限(憲法)については、私がみずから偏らずに判定し、時節を得て公布するようにしたい。
私が思うのには、世の中の人々の考え方が展開するうちに偏って、その時(憲法制定や国会開設)が早くなることを競っている。流言が相手を動かして、ついには大局的な観点から外れてしまっている。これについてはちょうどよいように、現今において国家の大計と後世の政治の手本となる教えを明らかにし、もって天下人民に公示すべきである。もしなお、故意にいらだちあせり、事を煽動し、国家の安泰を阻害する者があれば、処罰するには国の法律をもってすべきである。特にここに言明し、おまえたち人民に言いきかせる。
奉
勅 太政大臣 三条実美
明治14年10月12日
【注釈】
[1]祖宗:そそう=祖先。祖は開祖、宗は歴代の祖先をいう。
[2]鴻緖:こうちょ=皇統。皇位。帝王の国家統治の大業。
[3]中古:ちゅうこ=平安時代のこと。
[4]紐ヲ解ク:ちゅうをとく=乱れること。
[5]乾綱:けんこう=君主の大権。国家の要綱。
[6]振張シ:しんちょうし=威力をのばし広げること。
[7]大政:たいせい=天下の政治。まつりごと。
[8]総攬:そうらん=統合して一手に掌握すること。掌握して治めること。
[9]夙ニ:つとに=早くから。
[10]元老院:げんろういん=1875年(明治8)に設置された国会開設以前の立法上の諮問機関、1990年に廃止された。
[11]府縣會:ふけんかい=1878年(明治11)に府県会規則によて定められた地方議会。
[12]序ニ楯テ:じょにしたがいて=順序に従って。
[13]爾有衆:なんじゆうしゅう=国民。人民。君主が人民を呼ぶ呼称。
[14]立國ノ體:りっこくのてい=国の立て方。政体。
[15]國各宜キヲ殊ニス:くにおのおのよろしきをことにす=政体は各国によって異なっている。
[16]輕擧ニ便ナラス:けいきょにびんならず=軽々しく行うべきではない。
[17]照臨:しょうりん=君主が天下を治めること。
[18]遺烈:いれつ=後世に残る功績。先人のなした立派な功績。
[19]洪模:こうぼ=大きなはかりごと。
[20]古今ヲ變通シ:ここんをへんつうし=時の情勢に応じで、臨機応変に事を処すること。
[21]躬:みずから=自分で。みずから。
[22]在廷臣僚:ざいていしんりょう=朝廷に仕えている多くの臣下や役人。
[23]假スニ時日ヲ以テシ:かすにじじつをもってし=時間を与えること。
[24]親ラ:みずから=自分で直接に。自分から。特に、天皇が直接行うときに用いる。
[25]衷:ちゅう=なかほど。偏らないこと。
[26]裁シ:さいし=判定する。さばく。
[27]人心:じんしん=人間の心。また、世の人々の考えや気持ち。
[28]浮言:ふげん=根も葉もないうわさ。浮説。流言。
[29]大計:たいけい=大きな計画。遠大なはかりごと。
[30]謨訓:ぼくん=国家の大計と後世の政治の手本となる教え。
[31]明徴:めいちょう=明らかな証拠。また、証拠などに照らして明らかにすること。
[32]朝野:ちょうや=世間。天下。
[33]躁急ヲ爭ヒ:そうきゅうをあらそい=いらだちあせり。
[34]事變ヲ煽シ:じへんをせんし=事を煽動する。
[35]國典:こくてん=国の法律。国法。
[36]諭ス:さとす=目下の者に、ことの道理を理解できるように言いきかせる。納得するように教え導く。