ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事)

 学生時代からの大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。その中でいろいろと歴史に関わる所を巡ってきましたが、日々に関わる歴史上の出来事や感想を紹介します。Yahooブログ閉鎖に伴い、こちらに移動しました。

2017年09月

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 今日は、昭和時代中期の1960年(昭和35)に、NHK・日本テレビ・ラジオ東京テレビ(現在のTBS)・読売テレビ・朝日放送の東京・大阪の5局がカラーテレビの本放送を開始した日で、「カラーテレビ放送記念日」とも呼ばれています。
 カラーテレビとは、被写体の色彩のついた画像を伝送し再現するテレビジョン放送、およびそのテレビ受像機のことでした。
 当初は、3色の回転フィルタを使った CBS方式 (アメリカ) により初めて実用化されましたが、この方式では従来の白黒受像器によって白黒像として受けることができない欠点がありました。そこで、この欠点を改善するものとして、アメリカで NTSC方式が開発され、1954年1月23日、米NBCのニューヨーク局であるWNBC局が最初に本放送を開始したのです。
 日本では、1956年(昭和31)12月20日に実験放送として始まり、アメリカの NTSC方式を使って、1960年(昭和35)9月10日から、本放送が開始されましたが、アメリカ、キューバに次いで世界で3番目でした。尚、アメリカや日本のNTSC方式に対して、ヨーロッパではPAL方式、フランスやロシアではSECAM方式と違いがあります。
 本放送開始時のカラーテレビ受像機はたいへん高価であり、カラー放送番組も少ししかありませんでしたが、1964年(昭和39)の東京オリンピックを契機に普及が促進されました。当時は、自動車(car)、クーラー(cooler)、カラーテレビ(color television)を「三C商品」と呼んで、庶民のあこがれの的となっていたのです。その後、急速に普及拡大していって、1973年(昭和48)には、カラーテレビの普及率が75%を超え、白黒テレビと逆転するまでになりました。
 そして、1975年(昭和50)には、NHKのカラーテレビ受信契約数が2,000万件を突破し、さらに翌年には、カラーテレビの普及率は94%へと至ったのです。その後も、テレビは、さらに高精細・高音質を追求してデジタル化が進められ、ブラウン管テレビから徐々に液晶テレビやプラズマテレビへと変わっていくこととなりました。
 しかし、最近は若者のテレビ離れが進行していて、10代から20代の若年層については、テレビの視聴時間は年ごとに減少しているのです。
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 今日9月9日は、重陽(菊の節句)です。
 重陽(ちょうよう)は、中国から伝えられてきた節供、節日の一つで、「五節句」の一つとされ、菊の節句とも呼ばれています。
 奇数(陽)が重なると陰になるとして、暦の中で奇数の重なる日を取り出して、避邪の行事が行われたことから由来しますが、中でも9月9日は、奇数の中でも一番大きな数字という意味で重陽といわれ、重九 (ちょうく) とも言いました。
 中国ではこの日,茱萸(しゅゆ:ミカン科の植物カワハジカミのこと)を飾り、高所に登って菊酒を飲み、長寿を願い災難を払う風習がありましたが、日本に伝えられ、奈良時代から宮中や寺院で菊を観賞する宴が行われ、菊は霊薬ともいわれ、延寿の効があると信じられていたので、この日に菊酒を飲むことも行われました。
 江戸時代には、「五節句」の一つとして、式日に定められていましたが、制度としては、1873年(明治6)に廃止されました。
 また、庶民の間では、9月9日を「お九日(おくにち)/(おくんち)」と呼んで秋祭をする風習が各地にありましたが、有名な「長崎くんち」「唐津くんち」はその名残とも言われ、現在では新暦の10月頃に開催されています。

〇「五節句」とは?
 五節句の「節」は、中国の唐時代の暦法で決められた季節の変わり目のことでした。奇数(陽)が重なると陰になるとして、暦の中で奇数の重なる日を取り出して、避邪の行事が行われたことから由来しています。
 この中国の暦法と、日本の農耕風習が重なって、宮中で邪気を祓う宴会が催されるようになり、この日を「節句」というようになりました。
 五節句には、奇数の重なる日が選ばれていますが、1月だけは1日(元旦)を別格とし、7日が五節句の中に入れられています。
 江戸時代には、「五節句」は式日に定められていましたが、制度としては、1873年(明治6)に廃止されました。しかし、今でも年中行事の一環として定着していて、各地に以下のような色々な風習が残されています。
・1月7日:人日(じんじつ) 七草の節句…<風習>七草粥を食べる
・3月3日:上巳(じょうし) 桃の節句…<風習>雛人形を飾る、菱餅や白酒など。
・5月5日:端午(たんご) 菖蒲の節句 …<風習>五月人形を飾る、菖蒲酒、菖蒲湯、柏餅、粽を食べる
・7月7日:七夕(しちせき) 七夕(たなばた)…<風習> 素麺を食べる
・9月9日:重陽(ちょうよう) 菊の節句…<風習> 菊を浮かべた酒など
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 今日は、昭和時代中期の1951年(昭和26)に、「サンフランシスコ平和条約」が調印された日です。
 この条約は、第二次世界大戦を終結させるために、アメリカ合衆国など48ヶ国の連合国と日本との間で締結された平和条約でした。
 アメリカ合衆国のサンフランシスコでの講和会議に集まって、署名されたので、この名前がありますが、サンフランシスコ条約、サンフランシスコ講和条約、日本国との平和条約とも言います。
 当時のソビエト連邦、チェコスロバキア、ポーランドは、会議には参加したものの署名を拒否し、インド、ビルマ、ユーゴスラビアは招かれましたが会議に参加せず、中国は会議に招かれなかったので、全面的な講和とはなりませんでした。
 この条約は、連合国との戦争状態の終了、主権の回復、領土の放棄または信託統治への移管、戦前の国際協定に基づく権利等の放棄、国際協定の受諾、賠償、安全保障などからなっていたのです。
 1952年(昭和27)4月28日に発効し、連合国による日本占領が終わったので、日本は一応独立を回復しましたが、沖縄や小笠原諸島、奄美群島は本土復帰までの間、アメリカ合衆国の施政下に残されることになりました。
 また、この条約と同じ日に、「日米安全保障条約(旧)」にも調印したので、アメリカ軍の駐留は今日まで続くことになったのです。

〇「サンフランシスコ平和条約」(日本語版全文)

サンフランシスコ平和条約(日本国との平和条約)

 連合国及び日本国は、両者の関係が、今後、共通の福祉を増進し且つ国際の平和及び安全を維持するために主権を有する対等のものとして友好的な連携の下に協力する国家の間の関係でなければならないことを決意し、よつて、両者の間の戦争状態の存在の結果として今なお未決である問題を解決する平和条約を締結することを希望するので、

 日本国としては、国際連合への加盟を申請し且つあらゆる場合に国際連合憲章の原則を遵守し、世界人権宣言の目的を実現するために努力し、国際連合憲章第五十五条及び第五十六条に定められ且つ既に降伏後の日本国の法制によつて作られはじめた安定及び福祉の条件を日本国内に創造するために努力し、並びに公私の貿易及び通商において国際的に承認された公正な慣行に従う意思を宣言するので、

 連合国は、前項に掲げた日本国の意思を歓迎するので、

 よつて、連合国及び日本国は、この平和条約を締結することに決定し、これに応じて下名の全権委員を任命した。これらの全権委員は、その全権委任状を示し、それが良好妥当であると認められた後、次の規定を協定した。

  第一章 平和

   第一条

 (a) 日本国と各連合国との間の戦争状態は、第二十三条の定めるところによりこの条約が日本国と当該連合国との間に効力を生ずる日に終了する。

 (b) 連合国は、日本国及びその領水に対する日本国民の完全な主権を承認する。

  第二章 領域

   第二条

 (a) 日本国は、朝鮮の独立を承認して、済州島、巨文島及び欝陵島を含む朝鮮に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。

 (b) 日本国は、台湾及び澎湖諸島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。

 (c) 日本国は、千島列島並びに日本国が千九百五年九月五日のポーツマス条約の結果として主権を獲得した樺太の一部及びこれに近接する諸島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。

 (d) 日本国は、国際連盟の委任統治制度に関連するすべての権利、権原及び請求権を放棄し、且つ、以前に日本国の委任統治の下にあつた太平洋の諸島に信託統治制度を及ぼす千九百四十七年四月二日の国際連合安全保障理事会の行動を受諾する。

 (e) 日本国は、日本国民の活動に由来するか又は他に由来するかを問わず、南極地域のいずれの部分に対する権利若しくは権原又はいずれの部分に関する利益についても、すべての請求権を放棄する。

 (f) 日本国は、新南群島及び西沙群島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。

   第三条

 日本国は、北緯二十九度以南の南西諸島(琉球諸島及び大東諸島を含む。)孀婦岩の南の南方諸島(小笠原群島、西之島及び火山列島を含む。)並びに沖の鳥島及び南鳥島を合衆国を唯一の施政権者とする信託統治制度の下におくこととする国際連合に対する合衆国のいかなる提案にも同意する。このような提案が行われ且つ可決されるまで、合衆国は、領水を含むこれらの諸島の領域及び住民に対して、行政、立法及び司法上の権力の全部及び一部を行使する権利を有するものとする。

   第四条

 (a) この条の(b)の規定を留保して、日本国及びその国民の財産で第二条に掲げる地域にあるもの並びに日本国及びその国民の請求権(債権を含む。)で現にこれらの地域の施政を行つている当局及びそこの住民(法人を含む。)に対するものの処理並びに日本国におけるこれらの当局及び住民の財産並びに日本国及びその国民に対するこれらの当局及び住民の請求権(債権を含む。)の処理は、日本国とこれらの当局との間の特別取極の主題とする。第二条に掲げる地域にある連合国又はその国民の財産は、まだ返還されていない限り、施政を行つている当局が現状で返還しなければならない。(国民という語は、この条約で用いるときはいつでも、法人を含む。)

 (b) 日本国は、第二条及び第三条に掲げる地域のいずれかにある合衆国軍政府により、又はその指令に従つて行われた日本国及びその国民の財産の処理の効力を承認する。

 (c) 日本国とこの条約に従つて日本国の支配から除かれる領域とを結ぶ日本所有の海底電線は、二等分され、日本国は、日本の終点施設及びこれに連なる電線の半分を保有し、分離される領域は、残りの電線及びその終点施設を保有する。

  第三章 安全

   第五条

 (a) 日本国は、国際連合憲章第二条に掲げる義務、特に次の義務を受諾する。

  (i)その国際紛争を、平和的手段によつて国際の平和及び安全並びに正義を危うくしないように解決すること。

  (ii)その国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使は、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎むこと。

  (iii)国際連合が憲章に従つてとるいかなる行動についても国際連合にあらゆる援助を与え、且つ、国際連合が防止行動又は強制行動をとるいかなる国に対しても援助の供与を慎むこと。

 (b) 連合国は、日本国との関係において国際連合憲章第二条の原則を指針とすべきことを確認する。

 (c) 連合国としては、日本国が主権国として国際連合憲章第五十一条に掲げる個別的又は集団的自衛の固有の権利を有すること及び日本国が集団的安全保障取極を自発的に締結することができることを承認する。

  第六条

 (a) 連合国のすべての占領軍は、この条約の効力発生の後なるべくすみやかに、且つ、いかなる場合にもその後九十日以内に、日本国から撤退しなければならない。但し、この規定は、一又は二以上の連合国を一方とし、日本国を他方として双方の間に締結された若しくは締結される二国間若しくは多数国間の協定に基く、又はその結果としての外国軍隊の日本国の領域における駐とん{前2文字強調}又は駐留を妨げるものではない。

 (b) 日本国軍隊の各自の家庭への復帰に関する千九百四十五年七月二十六日のポツダム宣言の第九項の規定は、まだその実施が完了されていない限り、実行されるものとする。

 (c) まだ代価が支払われていないすべての日本財産で、占領軍の使用に供され、且つ、この条約の効力発生の時に占領軍が占有しているものは、相互の合意によつて別段の取極が行われない限り、前期の九十日以内に日本国政府に返還しなければならない。

  第四章 政治及び経済条項

  第七条

 (a) 各連合国は、自国と日本国との間にこの条約が効力を生じた後一年以内に、日本国との戦前のいずれの二国間の条約又は協約を引き続いて有効とし又は復活させることを希望するかを日本国に通告するものとする。こうして通告された条約又は協約は、この条約に適合することを確保するための必要な修正を受けるだけで、引き続いて有効とされ、又は復活される。こうして通告された条約及び協約は、通告の日の後三箇月で、引き続いて有効なものとみなされ、又は復活され、且つ、国際連合事務局に登録されなければならない。日本国にこうして通告されないすべての条約及び協約は、廃棄されたものとみなす。

 (b) この条の(a)に基いて行う通告においては、条約又は協約の実施又は復活に関し、国際関係について通告国が責任をもつ地域を除外することができる。この除外は、除外の適用を終止することが日本国の通告される日の三箇月後まで行われるものとする。

   第八条

 (a) 日本国は、連合国が千九百三十九年九月一日に開始された戦争状態を終了するために現に締結し又は今後締結するすべての条約及び連合国が平和の回復のため又はこれに関連して行う他の取極の完全な効力を承認する。日本国は、また、従前の国際連盟及び常設国際司法裁判所を終止するために行われた取極を受諾する。

 (b) 日本国は、千九百十九年九月十日のサン・ジェルマン=アン=レイの諸条約及び千九百三十六年七月二十日のモントルーの海峡条約の署名国であることに由来し、並びに千九百二十三年七月二十四日にローザンヌで署名されたトルコとの平和条約の第十六条に由来するすべての権利及び利益を放棄する。

 (c) 日本国は、千九百三十年一月二十日のドイツと債権国との間の協定及び千九百三十年五月十七日の信託協定を含むその附属書並びに千九百三十年一月二十日の国際決済銀行に関する条約及び国際決済銀行の定款に基いて得たすべての権利、権原及び利益を放棄し、且つ、それらから生ずるすべての義務を免かれる。日本国は、この条約の最初の効力発生の後六箇月以内に、この項に掲げる権利、権原及び利益の放棄をパリの外務省に通告するものとする。

   第九条

 日本国は、公海における漁猟の規制又は制限並びに漁業の保存及び発展を規定する二国間及び多数国間の協定を締結するために、希望する連合国とすみやかに交渉を開始するものとする。

   第十条

 日本国は、千九百一年九月七日に北京で署名された最終議定書並びにこれを補足するすべての附属書、書簡及び文書の規定から生ずるすべての利得及び特権を含む中国におけるすべての特殊の権利及び利益を放棄し、且つ、前期の議定書、附属書、書簡及び文書を日本国に関して廃棄することに同意する。

   第十一条

 日本国は、極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判を受諾し、且つ、日本国で拘禁されている日本国民にこれらの法廷が課した刑を執行するものとする。これらの拘禁されている物を赦免し、減刑し、及び仮出獄させる権限は、各事件について刑を課した一又は二以上の政府の決定及び日本国の勧告に基く場合の外、行使することができない。極東国際軍事裁判所が刑を宣告した者については、この権限は、裁判所に代表者を出した政府の過半数の決定及び日本国の勧告に基く場合の外、行使することができない。

   第十二条

 (a) 日本国は、各連合国と、貿易、海運その他の通商の関係を安定した且つ友交的な基礎の上におくために、条約又は協定を締結するための交渉をすみやかに開始する用意があることを宣言する。

 (b) 該当する条約又は協定が締結されるまで、日本国は、この条約の最初の効力発生の後四年間、

  (1)各連合国並びにその国民、産品及び船舶に次の待遇を与える。

    (i)貨物の輸出入に対する、又はこれに関連する関税、課金、制限その他の規制に関する最恵国待遇

    (ii)海運、航海及び輸入貨物に関する内国民待遇並びに自然人、法人及びその利益に関する内国民待遇。この待遇は、税金の賦課及び徴収、裁判を受けること、契約の締結及び履行、財産権(有体財産及び無体財産に関するもの)、日本国の法律に基いて組織された法人への参加並びに一般にあらゆる種類の事業活動及び職業活動の遂行に関するすべての事項を含むものとする。

  (2)日本国の国営商企業の国外における売買が商業的考慮にのみ基くことを確保する。

 (c) もつとも、いずれの事項に関しても、日本国は、連合国が当該事項についてそれぞれ内国民待遇又は最恵国待遇を日本国に与える限定においてのみ、当該連合国に内国民待遇又は最恵国待遇を与える義務を負うものとする。前段に定める相互主義は、連合国の非本土地域の産品、船舶、法人及びそこに住所を有する人の場合並びに連邦政府をもつ連合国の邦又は州の法人及びそこに住所を有する人の場合には、その地域、邦又は州において日本国に与えられる待遇に照らして決定される。

 (d) この条の適用上、差別的措置であつて、それを適用する当事国の通商条約に通常規定されている例外に基くもの、その当事国の対外的財政状態若しくは国際収支を保護する必要に基くもの(海運及び航海に関するものを除く。)又は重大な安全上の利益を維持する必要に基くものは、事態に相応しており、且つ、ほしいままな又は不合理な方法で適用されない限り、それぞれ内国民待遇又は最恵国待遇の許与を害するものと認めてはならない。

 (e) この条に基く日本国の義務は、この条約の第十四条に基く連合国の権利の行使によつて影響されるものではない。また、この条の規定は、この条約の第十五条によつて日本国が引き受ける約束を制限するものと了解してはならない。

   第十三条

 (a) 日本国は、国際民間航空運送に関する二国間又は多数国間の協定を締結するため、一又は二以上の連合国の要請があつたときはすみやかに、当該連合国と交渉を開始するものとする。

 (b) 一又は二以上の前期の協定が締結されるまで、日本国は、この条約の最初の効力発生の時から四年間、この効力発生の日にいずれかの連合国が行使しているところよりも不利でない航空交通の権利及び特権に関する待遇を当該連合国に与え、且つ、航空業務の運営及び発達に関する完全な機会均等を与えるものとする。

 (c) 日本国は、国際民間航空条約第九十三条に従つて同条約の当事国となるまで、航空機の国際航空に適用すべきこの条約の規定を実施し、且つ、同条約の条項に従つて同条約の附属書として採択された標準、方式及び手続を実施するものとする。

  第五章 請求権及び財産

   第十四条

 (a) 日本国は、戦争中に生じさせた損害及び苦痛に対して、連合国に賠償を支払うべきことが承認される。しかし、また、存立可能な経済を維持すべきものとすれば、日本国の資源は、日本国がすべての前記の損害又は苦痛に対して完全な賠償を行い且つ同時に他の債務を履行するためには現在充分でないことが承認される。

 よつて、

  1 日本国は、現在の領域が日本国軍隊によつて占領され、且つ、日本国によつて損害を与えられた連合国が希望するときは、生産、沈船引揚げその他の作業における日本人の役務を当該連合国の利用に供することによつて、与えた損害を修復する費用をこれらの国に補償することに資するために、当該連合国とすみやかに交渉を開始するものとする。その取極は、他の連合国に追加負担を課することを避けなければならない。また、原材料からの製造が必要とされる場合には、外国為替上の負担を日本国に課さないために、原材料は、当該連合国が供給しなければならない。

  2(I) 次の(II)の規定を留保して、各連合国は、次に掲げるもののすべての財産、権利及び利益でこの条約の最初の効力発生の時にその管轄の下にあるものを差し押え、留置し、清算し、その他何らかの方法で処分する権利を有する。

  (a)日本国及び日本国民

  (b)日本国又は日本国民の代理者又は代行者

並びに

  (c)日本国又は日本国民が所有し、又は支配した団体

   この(I)に明記する財産、権利及び利益は、現に、封鎖され、若しくは所属を変じており、又は連合国の敵産管理当局の占有若しくは管理に係るもので、これらの資産が当該当局の管理の下におかれた時に前記の(a)、(b)又は(c)に掲げるいずれかの人又は団体に属し、又はこれらのために保有され、若しくは管理されていたものを含む。

 (II)次のものは、前記の(I)に明記する権利から除く。

  (i)日本国が占領した領域以外の連合国の一国の領域に当該政府の許可を得て戦争中に居住した日本の自然人の財産。但し、戦争中に制限を課され、且つ、この条約の最初の効力発生の日にこの制限を解除されない財産を除く。

  (ii)日本国政府が所有し、且つ、外交目的又は領事目的に使用されたすべての不動産、家具及び備品並びに日本国の外交職員又は領事職員が所有したすべての個人の家具及び用具類その他の投資的性質をもたない私有財産で外交機能又は領事機能の遂行に通常必要であつたもの

  (iii)宗教団体又は私的慈善団体に属し、且つ、もつぱら宗教又は慈善の目的に使用した財産

  (iv)関係国と日本国との間における千九百四十五年九月二日後の貿易及び金融の関係の再開の結果として日本国の管轄内にはいつた財産、権利及び利益。但し、当該連合国の法律に反する取引から生じたものを除く。

  (v)日本国若しくは日本国民の債務、日本国に所在する有体財産に関する権利、権原若しくは利益、日本国の法律に基いて組織された企業に関する利益又はこれらについての証書。但し、この例外は、日本国の通貨で表示された日本国及びその国民の債務にのみ適用する。

 (III)前記の例外から(i)から(v)までに掲げる財産は、その保存及び管理のために要した合理的な費用が支払われることを条件として、返還されなければならない。これらの財産が清算されているときは、代りに売得金を返還しなければならない。

 (IV)前記の(I)に規定する日本財産を差し押え、留置し、清算し、その他何らの方法で処分する権利は、当該連合国の法律に従つて行使され、所有者は、これらの法律によつて与えられる権利のみを有する。

 (V)連合国は、日本の商標並びに文学的及び美術的著作権を各国の一般的事情が許す限り日本国に有利に取り扱うことに同意する。

 (b)この条約に別段の定がある場合を除き、連合国は、連合国のすべての賠償請求権、戦争の遂行中に日本国及びその国民がとつた行動から生じた連合国及びその国民の他の請求権並びに占領の直接軍事費に関する連合国の請求権を放棄する。

   第十五条

 (a) この条約が日本国と当該連合国との間に効力を生じた後九箇月以内に申請があつたときは、日本国は、申請の日から六箇月以内に、日本国にある各連合国及びその国民の有体財産及び無体財産並びに種類のいかんを問わずすべての権利又は利益で、千九百四十一年十二月七日から千九百四十五年九月二日までの間のいずれかの時に日本国内にあつたものを返還する。但し、所有者が強迫又は詐欺によることなく自由にこれらを処分した場合は、この限りではない。この財産は、戦争があつたために課せられたすべての負担及び課金を免除して、その返還のための課金を課さずに返還しなければならない。所有者により若しくは所有者のために又は所有者の政府により所定の期間内に返還が申請されない財産は、日本国政府がその定めるところに従つて処分することができる。この財産が千九百四十一年十二月七日に日本国に所在し、且つ、返還することができず、又は戦争の結果として損傷若しくは損害を受けている場合には、日本国内閣が千九百五十一年七月十三日に決定した連合国財産補償法案の定める条件よりも不利でない条件で補償される。

 (b) 戦争中に侵害された工業所有権については、日本国は、千九百四十九年九月一日施行の政令第三百九号、千九百五十年一月二十八日施行の政令第十二号及び千九百五十年二月一日施行の政令第九号(いずれも改正された現行のものとする。)によりこれまで与えられたところよりも不利でない利益を引き続いて連合国及びその国民に与えるものとする。但し、前記の国民がこれらの政令に定められた期限までにこの利益の許与を申請した場合に限る。

 (c)(i)日本国は、公にされ及び公にされなかつた連合国及びその国民の著作物に関して千九百四十一年十二月六日に日本国に存在した文学的及び美術的著作権がその日以後引き続いて効力を有することを認め、且つ、その日に日本国が当事国であつた条約又は協定が戦争の発生の時又はその時以後日本国又は当該連合国の国内法によつて廃棄され又は停止されたかどうかを問わず、これらの条約及び協定の実施によりその日以後日本国において生じ、又は戦争がなかつたならば生ずるはずであつた権利を承認する。

 (ii)権利者による申請を必要とすることなく、且つ、いかなる手数料の支払又は他のいかなる手続もすることなく、千九百四十一年十二月七日から日本国と当該連合国との間にこの条約が効力を生ずるまでの期間は、これらの権利の通常期間から除算し、また、日本国において翻訳権を取得するために文学的著作物が日本語に翻訳されるべき期間からは、六箇月の期間を追加して除算しなければならない。

   第十六条

 日本国の捕虜であつた間に不当な苦難を被つた連合国軍隊の構成員に償いをする願望の表現として、日本国は、戦争中中立であつた国にある又は連合国のいずれかと戦争していた国にある日本国及びその国民の資産又は、日本国が選択するときは、これらの資産と等価のものを赤十字国際委員会に引き渡すものとし、同委員会は、これらの資産を清算し、且つ、その結果生ずる資金を、同委員会が衡平であると決定する基礎において、捕虜であつた者及びその家族のために、適当な国内機関に対して分配しなければならない。この条約の第十四条(a)2(II)の(ii)から(v)までに掲げる種類の資産は、条約の最初の効力発生の時に日本国に居住しない日本の自然人の資産とともに、引渡しから除外する。またこの条の引渡規定は、日本国の金融機関が現に所有する一万九千七百七十株の国際決済銀行の株式には適用がないものと了解する。

   第十七条

 (a) いずれかの連合国の要請があつたときは、日本国政府は、当該連合国の国民の所有権に関係のある事件に関する日本国の捕獲審検所の決定又は命令を国際法に従い再審査して修正し、且つ、行われた決定及び発せられた命令を含めて、これらの事件の記録を構成するすべての文書の写を提供しなければならない。この再審査又は修正の結果、返還すべきことが明らかになつた場合には、第十五条の規定を当該財産に適用する。

 (b) 日本国政府は、いずれかの連合国の国民が原告又は被告として事件について充分な陳述ができなかつた訴訟手続において、千九百四十一年十二月七日から日本国と当該連合国との間にこの条約が効力を生ずるまでの期間に日本国の裁判所が行なつた裁判を、当該国民が前記の効力発生の後一年以内にいつでも適当な日本国の機関に再審査のため提出することができるようにするために、必要な措置をとらなければならない。日本国政府は、当該国民が前記の裁判の結果損害を受けた場合には、その者をその裁判が行われる前の地位に回復するようにし、又はその者にそれぞれの事情の下において公平且つ衡平な救済が与えられるようにしなければならない。

   第十八条

 (a) 戦争状態の介在は、戦争状態の存在前に存在した債務及び契約(債券に関するものを含む。)並びに戦争状態の存在前に取得された権利から生ずる金銭債務で、日本国の政府若しくは国民が連合国の一国の政府若しくは国民に対して、又は連合国の一国の政府若しくは国民が日本国の政府若しくは国民に対して負つているものを支払う義務に影響を及ぼさなかつたものと認める。戦争状態の介在は、また、戦争状態の存在前に財産の滅失若しくは損害又は身体損害若しくは死亡に関して生じた請求権で、連合国の一国の政府が日本国政府に対して、又は日本国政府が連合国政府のいずれかに対して提起し又は再提起するものの当否を審議する義務に影響を及ぼすものとみなしてはならない。この頃の規定は第十四条によつて与えられる権利を害するものではない。

 (b) 日本国は、日本国の戦前の対外債務に関する責任と日本国が責任を負うと後に宣言された団体の債務に関する責任とを確認する。また、日本国は、これらの債務の支払再開に関して債権者とすみやかに交渉を開始し、他の戦前の請求権及び債務に関する交渉を促進し、且つ、これに応じて金額の支払を容易にする意図を表明する。

   第十九条

 (a) 日本国は、戦争から生じ、又は戦争状態が存在したためにとられた行動から生じた連合国及びその国民に対する日本国及びその国民のすべての請求権を放棄し、且つ、この条約の効力発生の前に日本国領域におけるいずれかの連合国の軍隊又は当局の存在、職務遂行又は行動から生じたすべての請求権を放棄する。

 (b) 前記の放棄には、千九百三十九年九月一日からこの条約の効力発生までの間に日本国の船舶に関していずれかの連合国がとつた行動から生じた請求権並びに連合国の手中にある日本人捕虜及び非拘留者に関して生じた請求権及び債権が含まれる。但し、千九百四十五年九月二日以後いずれかの連合国が制定した法律で特に認められた日本人の請求権を含まない。

 (c) 相互放棄を条件として、日本国政府は、また、政府間の請求権及び戦争中に受けた滅失又は損害に関する請求権を含むドイツ及びドイツ国民に対するすべての請求権(債権を含む。)を日本国政府及び日本国民のために放棄する。但し、(a)千九百三十九年九月一日前に締結された契約及び取得された権利に関する請求権並びに(b)千九百四十五年九月二日後に日本国とドイツとの間の貿易及び金融の関係から生じた請求権を除く。この放棄は、この条約の第十六条及び第二十条に従つてとられる行動を害するものではない。

 (d) 日本国は、占領期間中に占領当局の指令に基づいて若しくはその結果として行われ、又は当時の日本国の法律によつて許可されたすべての作為又は不作為の効力を承認し、連合国民をこの作為又は不作為から生ずる民事又は刑事の責任に問ういかなる行動もとらないものとする。

   第二十条

 日本国は、千九百四十五年のベルリン会議の議事の議定書に基いてドイツ財産を処分する権利を有する諸国が決定した又は決定する日本国にあるドイツ財産の処分を確実にするために、すべての必要な措置をとり、これらの財産の最終的処分が行なわれるまで、その保存及び管理について責任を負うものとする。

   第二十一条

 この条約の第二十五条の規定にかかわらず、中国は、第十条及び第十四条(a)2の利益を受ける権利を有し、朝鮮は、この条約の第二条、第四条、第九条及び第十二条の利益を受ける権利を有する。

  第六章 紛争の解決

   第二十二条

 この条約のいずれかの当事国が特別請求権裁判所への付託又は他の合意された方法で解決されない条約の解釈又は実施に関する紛争が生じたと認めるときは、紛争は、いずれかの紛争当事国の要請により、国際司法裁判所に決定のため付託しなければならない。日本国及びまだ国際司法裁判所規程の当事国でない連合国は、それぞれがこの条約を批准する時に、且つ、千九百四十六年十月十五日の国際連合安全保障理事会の決議に従つて、この条に掲げた性質をもつすべての紛争に関して一般的に同裁判所の管轄権を特別の合意なしに受諾する一般的宣言書を同裁判所書記に寄託するものとする。

  第七章 最終条項

   第二十三条

 (a) この条約は、日本国を含めて、これに署名する国によつて批准されなければならない。この条約は、批准書が日本国により、且つ、主たる占領国としてのアメリカ合衆国を含めて、次の諸国、すなわちオーストラリア、カナダ、セイロン、フランス、インドネシア、オランダ、ニュー・ジーランド、パキスタン、フィリピン、グレート・ブリテン及び北部アイルランド連合王国及びアメリカ合衆国の過半数により寄託された時に、その時に批准しているすべての国に関して効力を生ずる。この条約は、その後これを批准する各国に関しては、その批准書の寄託の日に効力を生ずる。

 (b) この条約が日本国の批准書の寄託の日の後九箇月以内に効力を生じなかつたときは、これを批准した国は、日本国の批准書の寄託の日の後三年以内に日本国政府及びアメリカ合衆国政府にその旨を通告して、自国と日本国との間にこの条約の効力を生じさせることができる。

   第二十四条

 すべての批准書は、アメリカ合衆国政府に寄託しなければならない。同政府は、この寄託、第二十三条(a)に基くこの条約の効力発生の日及びこの条約の第二十三条(b)に基いて行われる通告をすべての署名国に通告する。

   第二十五条

 この条約の適用上、連合国とは、日本国と戦争していた国又は以前に第二十三条に列記する国の領域の一部をなしていたものをいう。但し、各場合に当該国がこの条約に署名し且つこれを批准したことを条件とする。第二十一条の規定を留保して、この条約は、ここに定義された連合国の一国でないいずれの国に対しても、いかなる権利、権原又は利益も与えるものではない。また、日本国のいかなる権利、権原又は利益も、この条約のいかなる規定によつても前記のとおり定義された連合国の一国でない国のために減損され、又は害されるものとみなしてはならない。

   第二十六条

 日本国は、千九百四十二年一月一日の連合国宣言に署名し若しくは加入しており且つ日本国に対して戦争状態にある国又は以前に第二十三条に列記する国の領域の一部をなしていた国で、この条約の署名国でないものと、この条約に定めるところと同一の又は実質的に同一の条件で二国間の平和条約を締結する用意を有すべきものとする。但し、この日本国の義務は、この条約の最初の効力発生の後三年で満了する。日本国が、いずれかの国との間で、この条約で定めるところよりも大きな利益をその国に与える平和処理又は戦争請求権処理を行つたときは、これと同一の利益は、この条約の当事国にも及ぼさなければならない。

   第二十七条

 この条約は、アメリカ合衆国政府の記録に寄託する。同政府は、その認証謄本を各署名国に交付する。

 以上の証拠として、下名の全権委員は、この条約に署名した。

 千九百五十一年九月八日にサン・フランシスコ市で、ひとしく正文である英語、フランス語及びスペイン語により、並びに日本語により作成した。

(全権委員署名略)


                    『日本外交主要文書・年表(1)』より
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 今日は、昭和時代前期の1939年(昭和14)に、小説家泉鏡花の亡くなった日で、泉鏡花忌と呼ばれています。
 泉鏡花は、明治時代後期から昭和時代前期にかけて活躍した小説家で、本名は、鏡太郎といいました。1873年(明治6)11月4日に、石川県石川郡金沢町(現在の金沢市)で、彫金・象眼細工師の父泉清次と母鈴の子として生まれます。
 1880年(明治13)市内養成小学校(現在の金沢市立馬場小学校)に入学したものの、1883年(明治16)に母を亡くし、二人の妹は養女に出されました。1884年(明治17)金沢高等小学校に進み、翌年には北陸英和学校に転じましたが、1887年(明治20)には退学します。
 1889年(明治22)尾崎紅葉の小説に感化され、小説家を目指して上京し、1891年(明治24)には紅葉門下となり、書生生活をはじめました。
 1893年(明治26)に「冠弥左衛門」、翌年には「義血俠血」を新聞紙上に連載、1895年(明治28)に「夜行巡査」「外科室」を文芸誌『文芸俱楽部』に発表するに及んで観念小説の代表作家として脚光を浴びるようになります。同年博文館に入社し、1900年(明治33)には代表作となる「高野聖」を発表し、人気を博しました。
 その後も、「婦系図」(1908年)、「歌行燈」(1910年)、「夜叉ヶ池」(1913年)など旺盛な文筆活動を続け、近代小説史に異彩を放ちましたが、1939年(昭和14)9月7日に、65歳で亡くなったのです。

〇泉鏡花の主要な作品

<小説>
・『冠彌左衛門』(1893年、京都日出新聞)
・『活人形』(1893年、探偵文庫)
・『金時計』(1893年、博文館)
・『大和心』(1894年、博文館)
・『予備兵』(1894年、読売新聞)
・『海戦の余波』(1894年)
・『譬喩談』(1894年)小説
・『義血侠血』(1894年、読売新聞)
・『乱菊』(1894年)
・『鬼の角』(1894年)
・『取舵』(1895年)
・『聾の一心』(1895年)
・『秘妾伝』(1895年)
・『夜行巡査』(1895年、文芸倶楽部)
・『旅僧』(1895年)
・『外科室』(1895年、文芸倶楽部)
・『妙の宮』(1895年)
・『貧民倶楽部』(1895年)
・『黒猫』(1895年)
・『ねむり看守』(1895年)
・『化銀杏』(1896年、青年小説)
・『一之巻』(1896年)
・『ニ之巻』(1896年)
・『三之巻』(1896年)
・『四之巻』(1896年)
・『五之巻』(1896年)
・『六之巻』(1896年)
・『誓之巻』(1897年)
・『蓑谷』(1896年)
・『紫陽花』(1896年)
・『琵琶伝』(1896年、国民之友)
・『海城発電』(1896年、太陽)
・『毬栗』(1896年)
・『龍潭譚』(1896年)
・『化鳥』(1897年、新著月刊)
・『辰巳巷談』(1898年、新小説)
・『笈ずる草紙』(1898年、文芸倶楽部)
・『通夜物語』(1899年、大阪毎日新聞)
・『湯島詣』(1899年、春陽堂)
・『高野聖』(1900年、新小説)
・『柚屏風』(1901年、新小説)
・『起誓文』(1902年、新小説)
・『風流線』(1903年、国民新聞)
・『紅雪録』(1904年、新小説)
・『銀短冊』(1905年、文芸倶楽部)
・『春昼』(1906年、新小説)
・『春昼後刻』(1906年、新小説)
・『婦系図』(1907年、やまと新聞)
・『草迷宮』(1908年、春陽堂)
・『白鷺』(1909年、東京朝日新聞)
・『歌行燈』(1910年、新小説)
・『三味線掘』(1910年、三田文学)
・『三人の盲の話』(1912年、中央公論)
・『稽古扇』(1912年、中央新聞)
・『夕顔』(1915年、三田文学)
・『由縁の女』(1919年、婦人画報)
・『眉かくしの霊』(1924年、苦楽)
・『木の子説法』(1930年、文藝春秋)
・『貝の穴に河童が居る』(1931年、古東多万)
・『菊あはせ』(1932年、文藝春秋)
・『斧琴菊』(1934年、中央公論)
・『薄紅梅』(1937年、東京日日新聞、大阪毎日新聞)
・『雪柳』(1937年、中央公論)
・『縷紅新草』(1939年、中央公論)

<戯曲>
・『夜叉ヶ池』(1913年、演芸倶楽部)
・『海神別荘』(1913年、中央公論)
・『天守物語』(1917年、新小説)
・『お忍び』(1936年、中央公論)
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 今日は、江戸時代後期の1797年(寛政9)に、浮世絵師歌川広重(うたがわひろしげ)の亡くなった日ですが、新暦では10月12日となります。
 歌川広重は、江戸時代後期の浮世絵師で、安藤広重とも言います。1797年(寛政9)に、江戸・八代洲河岸定火消同心、安藤源右衛門の長男として生まれ、幼名は徳太郎のち重右衛門といいました。1809年(文化6)13歳の時に、相次いで両親を失い、家職の火消同心の職を継ぐことになりました。
 しかし、絵が好きだったので、1811年(文化8)歌川豊広に入門し、翌年より歌川広重と名のるようになります。1818年(文政元)頃には、画壇へも登場するようになり、美人画や役者絵などを描きました。
 1831年(天保2)頃から『東都名所』などの風景画を手がけ始め、1833年(天保5)には、代表作『東海道五十三次』を発表して、評判になったのです。
 その後、『木曾街道六十九次』、『名所江戸百景』などで名声を得ましたが、1858年(安政5年9月6日)に62歳で亡くなりました。

〇歌川広重の主要な作品

<錦絵>
・『傾城貞かがみ』(1818年)役者絵
・『中村芝翫と中村大吉』(1818年)竪大判の役者絵
・『外と内姿八景』(1821年)美人画
・『東都名所拾景』(1825〜1831年頃)横中判で10枚揃物
・『風流おさなあそび』(1830〜1834年頃)横大判の玩具絵
・『魚づくし』(1830〜1843年頃)花鳥画
・『忠臣蔵』(1830〜1844年頃)横大判で16枚揃物の役者絵
・『東都名所(一幽斎がき東都名所)』川口屋正蔵版(1832年)横大判で10枚揃物
・『東都名所』喜鶴堂版(1832年)
・『月二拾八景』(1832年)大短冊判
・『東海道五十三次』保永堂版(1833〜1834年)横大判で55枚揃物
・『近江八景』山本屋版・保永堂版(1834年)
・『京都名所』(1834年)横大判で10枚揃物
・『浪花名所図絵』(1834年)横大判で10枚揃物
・『四季江都名所』(1834年)中短冊判で4枚揃物
・『義経一代記』(1834〜1835年)歴史画
・『諸国六玉河』蔦重版(1835〜1936年)横大判で6枚揃物
・『木曽海道六十九次』(1835〜1842年)「宮ノ越」など、横大判で70枚揃物、渓斎英泉の後を継ぐ
・『江戸高名会亭尽』(1835〜1842年頃)横大判で30枚揃物
・『金沢八景』(1836年)横大判で8枚揃物
・『本朝名所』(1837年)横大判で15枚揃物
・『曽我物語図絵』(1837〜1848年頃)竪大判で30枚揃物の物語絵
・『江戸近郊八景』(1838年)横大判で8枚揃物
・『東都名所』藤彦版(1838年)
・『江都勝景』(1838年)
・『東都司馬八景』(1839年)横大判で8枚揃物
・『即興かげぼしづくし』(1839〜1842年)竪中判の2丁掛で玩具絵
・『和漢朗詠集』(1839〜1842年頃)
・『諸芸稽古図絵』(1839〜1844年頃)横大判の4丁掛で4枚揃物の玩具絵
・『東海道五拾三次(狂歌東海道)』佐野喜版(1840年)
・『新撰江戸名所』(1840年)
・『東都名所坂づくし』(1840〜1842年頃)
・『東都名所之内隅田川八景』(1840〜1842年頃)
・『日本湊尽』(1840〜1842年頃)
・『参宮道』(1840〜1844年頃)八つ切判で24枚揃物
・『東海道五十三次(行書東海道)』江崎版(1842年)
・『甲陽猿橋之図』『雪中富士川之図』(1842年)、竪大判の竪2枚続
・『東海道五十三対』(1843年)三代豊国・国芳との合作
・『教訓人間一生貧福両道中の図』(1843〜1847頃)横3枚続の玩具絵
・『娘諸芸出世双六』(1844〜1848年頃)間判4枚貼りの双六
・『小倉擬百人一首』(1846年)100枚揃物で三代豊国・国芳との合作
・『春興手習出精雙六』(1846年)大判2枚貼りの双六
・『東海道(隷書東海道)』(1847年)
・『東海道五十三図絵(美人東海道)』(1847年)美人画
・『狂戯芸づくし』(1847〜1848年頃)竪大判の戯画
・『相州江ノ島弁財天開帳参詣群衆之図』(1847〜1852年頃)竪大判の横3枚続
・『江戸名所五性』(1847〜1852年頃)竪大判で5枚揃物の美人画
・『本朝年歴図絵』(1848〜1854年頃)物語絵
・『東海道張交図会』(1848〜1854年頃)張交絵
・『東都雪見八景』(1850年頃)、横大判で8枚揃物
・『伊勢名所二見ヶ浦の図』(1850年年頃)竪大判の横3枚続
・『五十三次張交』(1852年)張交絵
・『箱根七湯図会』(1852年)
・『源氏物語五十四帖』(1852年)物語絵
・『五十三次(人物東海道)』(1852年)
・『不二三十六景』(1852年)広重がはじめて手がけた富士の連作
・『国尽張交図絵』(1852年)張交絵
・『浄る理町繁花の図』(1852年)竪大判で7枚揃物の戯画
・『六十余州名所図会』(1853〜1856年)竪大判で70枚揃物
・『双筆七湯廻』(1854年)団扇絵で7枚揃物、三代豊国との合作
・『童戯武者尽』(1854年)戯画
・『東都名所年中行事』(1854年)竪大判で12枚揃物
・『双筆五十三次』(1854〜1855年)三代豊国との合作
・『当盛六花撰』(1854〜1858年)竪大判で10枚揃物の役者絵
・『五十三次名所図絵(竪の東海道)』(1855年)
・『名所江戸百景』(1856〜1859年)竪大判で120枚揃物
・『諸国六玉川』丸久版(1857年)竪大判で6枚揃物
・『武陽金澤八勝夜景』『阿波鳴門之風景』『木曽路之山川』(1857年)竪大判の横3枚続
・『山海見立相撲』(1858年)横大判で20枚揃物
・『冨士三十六景』(1859年)竪大判で37枚揃物

<肉筆浮世絵>
・『琉球人来貢図巻』(1807年)紙本墨画1巻、浮世絵太田記念美術館所蔵
・『傾城図』(1818〜1822年頃)紙本着色、日本浮世絵博物館所蔵
・『行列図』(1832年)絹本着色、東京国立博物館所蔵  
・『桜と小禽図』(1835年)杉戸板地着色、泉谷寺所蔵
・『煙管をもつ立美人図』絹本着色、出光美術館所蔵
・『鬼念仏と美人図』紙本墨画淡彩、出光美術館所蔵
・『玉川の富士・利根川筑波図』(1848〜1853年)絹本着色双幅、ニューオータニ美術館所蔵
・『御殿山花見図』絹本着色、ニューオータニ美術館所蔵
・『利根川図』絹本着色、ニューオータニ美術館所蔵
・『本牧風景図』絹本着色、ニューオータニ美術館所蔵
・『高尾図』紙本淡彩、ニューオータニ美術館所蔵
・『武相名所手鑑・馬入川舟渡』(1853年)絹本彩色、平木浮世絵財団所蔵
・『武相名所手鑑・南郷之松原左り不二』(1853年)絹本彩色、平木浮世絵財団所蔵
・『高輪の雪図・両国の月図・御殿山の花図』絹本着色3幅対、鎌倉国宝館所蔵
・『不二川の図』絹本着色短冊、城西大学水田美術館所蔵
・『鴻ノ台図屏風』(1841年)絹本着色六曲一隻、山梨県立博物館大木コレクション
・『不二望岳図』絹本着色、熊本県立美術館所蔵
・『屋根船の芸妓図』紙本淡彩、熊本県立美術館所蔵

<草双紙・絵本>
・『狂歌紫の巻』(1818年)絵入り狂歌本
・『音曲情糸道』(1820年)合巻挿絵
・『くま坂物がたり』(1821年)合巻挿絵
・『出謗題無智哉論』(1822年)合巻挿絵
・『白井権八』(1824年)合巻挿絵
・『義経千本桜』(1825年)合巻挿絵
・『御膳浅草法』(1826年)合巻挿絵
・『寶船桂帆柱』(1827年)合巻挿絵
・『丹波与作関の小万春駒駅談』(1827年)読本挿絵
・『狂歌山水奇鑑』(1831年)絵入り狂歌本
・『狂歌隅田川余波』(1833年)絵入り狂歌本
・『旗飄莵水葛葉』(1834年)合巻挿絵
・『俳諧三十六句撰』(1837年)絵入り俳諧本
・『絵本忠臣蔵』(1845年)絵本
・『菅原伝授手習鑑』(1846年)絵本
・『絵本膝栗毛』(1846〜1849年)合巻挿絵で、国芳・英泉との合作
・『立斎草筆画譜』(1848〜1851年)絵本
・『絵本江戸土産』(1850〜1857年)全10編の絵本、8編以降は、二代広重が描いた
・『略画光琳風立斎百図』(1851年)琳派調の草花・人物・風俗等を描いた絵手本
・『岐蘇名所図会』(1851-1852年)絵入り狂歌本
・『狂歌四季人物』(1855年)絵入り狂歌本
・『狂歌江都名所図会』(1856年)全16編の絵入り狂歌本、15編以降は二代広重が描いた
・『狂歌文茂智登理』(1858年)絵入り狂歌本
・『富士見百図』(1859年)富士の姿をリアルに描いた絵本、初編のみで未完に終わる
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