狩野永徳は、狩野宗家五世で、幼名は源四郎、後に州信と名乗りました。1543年(天文12年1月13日)に、絵師狩野松栄の長男として、京都で生まれ、幼い時から将来を期待され、祖父狩野元信の指導を受けたと考えられています。
1566年(永禄9)弱冠24歳にして、父松栄とともに大徳寺聚光院の障壁画を制作しました。30~40歳代には、織田信長の安土城(1576年)、豊臣秀吉の大坂城(1585年)と聚楽第(1587年)、正親町院御所(1586年)、大徳寺山内の天瑞寺(1588年)、京都御所(1990年)などの障壁画を次々と手がけ、高い評価を得ます。しかし、1590年(天正18年9月14日)に、48歳で亡くなりました。
〇狩野永徳の現存する主要な作品一覧
・聚光院障壁画(国宝) - 京都市・聚光院
・洛中洛外図(国宝) - 上杉博物館
・唐獅子図屏風 - 宮内庁三の丸尚蔵館
・南禅寺大方丈障壁画(重要文化財) - 京都市・南禅寺
・檜図屏風(国宝) - 東京国立博物館
・許由巣父図(重要文化財) - 東京国立博物館
・仙人高士図屏風(重要文化財) - 京都国立博物館
・花鳥図押絵貼屏風 六曲一双 - 個人蔵
・梔子に小禽図(墨画) - 京都国立博物館
・老莱子図 - 山口・菊屋家住宅保存会
・二十四孝図屏風 六曲一双 - 福岡市博物館
・四季山水図 六曲一双 - 香雪美術館
・渡唐天神図 - 瀬戸市・定光寺
・柿本人麻呂図 - 群馬県立近代美術館
・織田信長像 - 大徳寺
・松に叭々鳥・柳に白鷺図屏風 六曲一双 紙本墨画 - 九州国立博物館蔵
・瀟湘八景図 一幅 紙本墨画 - 個人蔵