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 今日は、江戸時代後期の1831年(天保2)に、戯作者 十返舎一九が亡くなった日ですが、新暦では9月12日となります。
 十返舎一九は、本名を重田貞一といい、江戸時代中期の1765年(明和2)に、駿河府中(現静岡市)で生まれ、江戸へ出て武家奉公後、一時大坂で暮らし、20歳代末に再び江戸に出てきたとされます。
 版元の蔦屋で働きながら、当時流行の戯作を手がけ、黄表紙、洒落本、滑稽本などのジャンルにわたる作品を次々に出して、世間に認められるようになりました。
 その中で、最も知られているのが『東海道中膝栗毛』で、以後、全国にわたる道中記『金草鞋』等も書いています。広い分野での文筆活動を続けましたが、1831年(天保2年8月7日)67歳で没しています。

〇『東海道中膝栗毛』とは?
 十返舎一九著の滑稽本で、江戸時代後期の1802年(亨和2)から出版されました。
 弥次郎兵衛(弥次さん)と北八(北さん)が、江戸の長屋を旅立ち、東海道を西に向かい、伊勢参宮するまでに、さまざまな滑稽を演じる物語です。
 当時庶民の間でもお伊勢詣りがブームとなり、毎年多くの人が訪れていましたので、ちまたに普及し、ベストセラーとなりました。文中には当時流行の狂歌が散りばめられています。
 ものすごい人気となったので、次々と続編が出され20年にわたり、西日本から中山道を帰るまで続きました。
 この本に書かれた、弥次郎兵衛(弥次さん)と北八(北さん)の旅程は以下のようでした。
(1日目)
 ・早朝長屋を立つ
 ・子供同士の抜け参りにだまされる。
 ・戸塚宿の旅籠に泊まる。
(2日目)
 ・茶屋で熱い団子を食べる。
 ・弥次さん駕篭に乗る。
 ・小田原宿の旅籠に泊まり、北八が五右衛門風呂の底を踏み抜く。
(3日目)
 ・道中ふんどしを頭にかぶって恥をさらす。
 ・三島宿の旅籠鶴屋に泊まり、夜すっぽんに食いつかれる。
(4日目)
 ・胡麻の蝿に有り金全部盗まれる。
 ・蒲原宿の木賃宿へ泊まり、夜這いに失敗する。
(5日目)
 ・府中宿の旅籠よね屋へ泊まり、金策に成功する。
 ・安倍川遊郭で豪遊する。
(6日目)
 ・田舎親父と一悶着有り、茶屋で食い逃げされる。
 ・安倍川越えで盲人をだまし、川に落とされる。
 ・丸子宿のとろろ屋で夫婦喧嘩に合う。
 ・岡部宿の旅籠相良屋へ泊まる。
(7日目)
 ・大井川渡しで偽侍を演じ、人足賃をねぎろうとしたがばれる。
 ・日坂宿の旅籠へ泊まり、巫女と一悶着ある。
(8日目)
 ・茶代として64文払う。
 ・浜松宿の旅籠に泊まり、幽霊騒ぎにあう。
(9日目)
 ・新居への渡しの中で蛇騒動。
 ・篭かきの金を使ってひと騒動。
 ・御油の松並木で北を狐と間違えて縛り上げる。
 ・赤坂宿の旅籠に泊まる。
(10日目)
 ・草鞋代をねぎって一悶着。
 ・宮宿の旅籠鍵屋に泊まる。
(11日目)
 ・七里の渡し舟の中で小便騒動。
 ・四日市宿の旅籠に泊まり、石地蔵を抱いて寝る。
(12日目)
 ・馬に乗ったが、借金騒動に巻き込まれる。
 ・偽十返舎一九事件。
 ・松阪宿の木賃宿に泊まる。
(13日目)
 ・江戸の米屋太郎兵衛の大々講に紛れ込む。
 ・妙見町の旅籠藤屋へ泊まる。
 ・古市の千束屋で女郎と遊ぶ。
(14日目)
 ・内宮参拝後藤屋へ戻って出立。
 ・外宮参拝。
 ・天の岩戸で弥次さん腹痛を起こす。
 ・広小路の旅籠に泊まり、藪医者の診察で一騒動起こる。
(15日目)
 ・伊勢本街道を経て、奈良から京都に向かった。
    ↓<この間の旅程は省略されていて不明>
 ・伏見、京、大坂と遊ぶ

☆『東海道中膝栗毛』の膝栗毛発端序

鬼門關外莫道遠、五十三驛是皇州、といへる山谷が詩に據て、東海道を五十三次と定めらるよしを聞り。予此街道に毫をはせて膝栗毛の書を著す。元来野飼の邪々馬といへども、人喰馬にも相口の版元、太鼓をうつて売弘たる故、祥に乗人ありて、編数を累ね、通し馬となり、京大阪および、藝州宮嶋までの長丁場を歴て帰がけの駄賃に、今年続五篇、岐蘇路にいたる。弥次郎兵衛喜多八の称、異国の龍馬にひとしく、千里の外に轟たれば、渠等が出所を問ふ人有。依て今その起る所を著し、東都を鹿島立の前冊とし、おくれ走に曳出したる、馬の耳に風もひかさぬ趣向のとつて置を、棚からおろして如斯

 干時文化
   甲戌初春                   十返舎一九志