田宮虎彦は、1911年(明治44)8月5日に、東京府東京市に生まれ、兵庫県神戸市で育ち、神戸一中、第三高等学校を経て、1933年(昭和8)に東京帝国大学文学部国文学科へ入学しました。在学中から小説を書き、同人誌『日暦』に参加して、小説「無花果」「風のひびき」を発表しました。1936年(昭和11)に卒業後は、『人民文庫』の同人として、「恥多し」「十八歳」などの作品を発表します。
1938年(昭和13)に、私立京華高等女学校の教師となり、平林千代とも結婚しました。それから、職を変えながらも小説修業を続け、戦後1946年(昭和21)に文明社を創立して、『文明』を創刊します。
翌年に『世界文化』に発表した「霧の中」で注目され、『文明』を拝観して、小説家生活に入りました。その後、精力的に作品を執筆し、1949年(昭和24)には、「落城」「足摺岬」の代表作を発表します。1951年(昭和26)には、短編集『絵本』で毎日出版文化賞を受賞しました。
それからも、半自伝的小説や歴史小説、現代社会の矛盾をつく作品などを発表してきましたが、1988年(昭和63)に脳梗塞で倒れて、右半身不随となり、同年4月9日に77歳で、自殺しました。
〇田宮虎彦の主要な出版物
『早春の女たち』赤門書房 赤門叢書 1941年発行
『萠える草木 長篇小説』通文閣 青年芸術派叢書 1941年発行
『或る青春』赤坂書店 青春文学叢書 1947年発行
『霧の中 創作集』沙羅書房 1948年発行
『絵本』河出書房 市民文庫 1951年発行
『菊坂』コスモポリタン社 1951年発行
『落城』東京文庫 1951年発行
『足摺岬 田宮虎彦小説集』暮しの手帖社 1952年発行
『異端の子 田宮虎彦小説集』暮しの手帖社 1953年発行
『鷺』和光社 195年発行3
『落城・足摺岬』新潮文庫 1953年発行
『愛情について』朝日新聞社 1954年発行
『ある女の生涯』新潮社 昭和名作選 1954年発行
『卯の花くたし』筑摩書房 1954年発行
『小説千恵子の生き方』光文社 カッパ・ブックス 1954年発行
『眉月温泉』山田書店 1954
『ぎんの一生』角川小説新書 1955年発行
『随筆たずねびと 人間への郷愁』光文社 カッパ・ブックス 1955年発行
『道子の結婚』光文社 カッパ・ブックス 1955年発行
『銀心中』新潮社 小説文庫 1956年発行
『田宮虎彦作品集』全6巻 光文社 1956‐57年発行
『飛び立ち去りし』角川小説新書 1956年発行
『野を駈ける少女』平凡出版 平凡映画小説シリーズ 1956年発行
『文学問答』近代生活社 1956年発行
『愛するということ』東都書房 1957年発行
『小説異母兄弟』光文社 カッパ・ブックス 1957年発行
『落城・霧の中 他四篇』岩波文庫 1957年発行
『祈るひと』光文社 1958年発行
『風と愛のささやき』平凡出版 1958年発行
『生きるいのち』角川書店 1959年発行
『黄山瀬』光文社 1959年発行
『若き心のさすらい』光文社 195年発行9
『赤い椿の花』毎日新聞社 1960 のち角川文庫年発行
『悲恋十年・銀心中 他六篇』角川文庫 1960年発行
『小さな赤い花 長編小説』光文社 1961年発行
『笛・はだしの女』光文社 1961年発行
『木の実のとき』新潮社 1962年発行
『私のダイヤモンド』角川小説新書 1962年発行
『花』新潮社 1964年発行
『姫百合』講談社 1964年発行
『別れて生きる時も』東方社 1964年発行
『若い日の思索』旺文社新書 1967年発行
『二本の枝』新潮社 1968年発行
『夜ふけの歌』新潮社 1968年発行
『お別れよ』三笠書房 1970年発行
『沖縄の手記から』新潮社 1972年発行
『ブラジルの日本人』朝日選書 1975年発行
『私の日本散策』写真: 山本明 北洋社 1975年発行
『荒海』新潮社 1978年発行
『日本讃歌』礒貝浩 写真 創作集団ぐるーぷ・ぱあめ 1979年発行
『さまざまな愛のかたち』暮しの手帖社 1985年発行
『足摺岬 田宮虎彦作品集』講談社文芸文庫 1999年発行
『寛永主従記』明治書院 2010年発行
☆田宮虎彦の代表作である小説「足摺岬」の名場面を引用しておきます
「烈しくじりじりとやきつく日差をうけて私はまた足摺岬にあるいていった。あの雨の日のことがあって二十日余りたった日であった。蒼い怒濤がはてしもなくつづいて、鴎が白い波がしらを這ってとんでいた。砕け散る荒波の飛沫が崖肌の巨巌いちめんに雨のように降りそそいでいた。巨大な石の孟宗をおし並べたように奇岩が海中に走っている。私はそれをじっとみつめた。だが、私の心に、死のうといった気持ちは不思議にうかばなかった。あまりに日差が明かるすぎたからであろうか。・・・・・・・・」