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 今日は、幕末明治維新期の1872年(明治5年8月2日)に、「学制」が公布された日ですが、新暦では9月4日となります。
 これは、明治政府から発布された、日本最初の近代的学校制度を定めた教育法令です。その序文として「學事獎勵ニ關スル被仰出書」が出され、教育理念が示されました。
 その内容は、四民平等の原則に立って、封建時代の儒教的教育理念を否定し、個人主義、実学主義を教育の原理としたものです。
 そして、国民皆学を目ざし、立身出世の財本としての学問の普及を理念として、全国を8大学区、1大学区を32中学区、1中学区を210小学区に編成、大学区に大学、中学区に中学、小学区に小学校、各1校ずつを設置しようとし、文部省の中央集権的管理を目ざしました。
 義務教育は8年と定められていましたが、費用は住民の負担にしたため、学制に反対する一揆が起こり、1879年(明治12)に廃止になり、教育令に切り換えられたのです。

〇「學事獎勵ニ關スル被仰出書」(全文)

學事獎勵ニ關スル被仰出書(學制序文)

太政官布告第二百十四號(明治五壬申年八月二日)

朕人々自ラ其身ヲ立テ、其産ヲ治メ、其業ヲ昌ニシテ、以テ其生ヲ遂ル所以ノモノハ他ナシ、身ヲ脩メ、智ヲ開キ、才藝ヲ長スルニヨルナリ。而テ其身ヲ脩メ、智ヲ開キ、才藝ヲ長スルハ學ニアラサレハ能ハス。是レ學校ノ設アル所以ニシテ日用常行、言語、書算ヲ初メ、士官・農商・百工・技藝及ヒ法律・政治・天文・醫療等ニ至ル迄、凡人ノ營ムトコロノ事、學アラサルハナシ。人能ク其才ノアル所ニ應シ、勉勵シテ之ニ從事シ、而シテ後初テ生ヲ治メ、産ヲ興シ、業ヲ昌ニスルヲ得ヘシ。サレハ學問ハ身ヲ立ルノ財本共云ヘキ者ニシテ、人タルモノ誰カ學ハスシテ可ナランヤ。夫ノ道路ニ迷ヒ、飢餓ニ陷リ、家ヲ破リ、身ヲ喪ノ徒ノ如キハ、畢竟不學ヨリシテカヽル過チヲ生スルナリ。從來學校ノ設アリテヨリ年ヲ歴ルコト久シト雖トモ、或ハ其道ヲ得サルヨリシテ人其方向ヲ誤リ、學問ハ士人以上ノ事トシ、農工商及ヒ婦女子ニ至ツテハ、之ヲ度外ニヲキ學問ノ何物タルヲ辨セス。又士人以上ノ稀ニ學フ者モ、動モスレハ國家ノ爲ニスト唱ヘ、身ヲ立ルノ基タルヲ知ラスシテ、或ハ詞章記誦ノ末ニ趨リ、空理虚談ノ途ニ陷リ、其論高尚ニ似タリト雖トモ、之ヲ身ニ行ヒ事ニ施スコト能ハサルモノ少カラス。是即チ沿襲ノ習弊ニシテ文明普ネカラス。才藝ノ長セスシテ、貧乏破産喪家ノ徒多キ所以ナリ。是故ニ人タルモノハ學ハスンハ有ヘカラス。之ヲ學フニハ宜シク其旨ヲ誤ルヘカラス。之ニ依テ、今般文部省ニ於テ學制ヲ定メ、追々敎則ヲモ改正シ、布告ニ及フヘキニツキ、自今以後、一般ノ人民 華士族卒農工商及婦女子 必ス邑ニ不學ノ戸ナク、家ニ不學ノ人ナカラシメン事ヲ期ス。人ノ父兄タル者宜シク此意ヲ體認シ、其愛育ノ情ヲ厚クシ、其子弟ヲシテ必ス學ニ從事セシメサルヘカラサルモノナリ。 高上ノ學ニ至テハ其人ノ材能ニ任カスト雖トモ幼童ノ子弟ハ男女ノ別ナク小學ニ從事セシメサルモノハ其父兄ノ越度タルヘキ事
但從來沿襲ノ弊學問ハ士人以上ノ事トシ、國家ノ爲ニスト唱フルヲ以テ、學費及其衣食ノ用ニ至ル迄多ク官ニ依頼シ、之ヲ給スルニ非サレハ學ハサル事ト思ヒ、一生ヲ自棄スルモノ少カラス。是皆惑ヘルノ甚シキモノナリ。自今以後此等ノ弊ヲ改メ、一般ノ人民他事ヲ抛チ自ラ奮テ必ス學ニ從事セシムヘキ樣心得ヘキ事
右之通被仰出候條、地方官ニ於テ邊隅小民ニ至ル迄不洩樣、便宜解譯ヲ加ヘ、精細申諭文部省規則ニ隨ヒ、學問普及致候樣、方法ヲ設可施行事。

                    「法令全書」より
 *縦書きの原文を横書きに改め、句読点を付してあります。

<現代語訳>
学事奨励に関する仰せ出だされ書

人々が自分自身でその身を立て、その生計を立て、その家業を盛んにして、そのようにしてその一生を成就することができるものはというと、それは他でもない、自分の行いや心を整え正し、知識を広め、才能と技芸を伸ばすことによるものである。そうして、その、自分の行いや心を整え正し、知識を広め、才能と技芸を伸ばすことは、学ばなければ不可能である。これが学校を設置する理由であり、日常普段の行動、言語・読み書き・算数を始め、役人・農民・商人・いろいろな職人・技芸に関わる人、ならびに法律・政治・天文・医療等に至るまで、だいたい人の営むところで学ぶ事によらないものはない。人間はよくその才能のあるところに応じて勉励して学問に従事し、その後に初めて自分の暮らしの道を立て、資産を増やし、家業を盛んにすることができるであろう。従って、学問は立身のための資本ともいうべきものであって、人間たるものは、誰が学問をしないでよいということがあろうか、いやない。その、路頭に迷い、飢餓にはまり、家を破産させ、身を滅ぼすような人たちは、要するに学ばなかったことによって、このような過ちをもたらしたのである。これまで学校が設置されてから長い年月が経過しているとはいっても、あるいはその方法が正しくないことによって人はその方向を誤り、学問は武士階級以上の人がすることと考え、農業・工業・商業に就く人、及び女性や子供に至っては、学問を対象外のものとし、学問がどういうものであるか考えていない。また、武士階級以上の人でまれに学問する者があっても、場合によると学問は国家のためにするのだと唱え、学問が身を立てる基礎であることを知らないで、ある者は詩歌や文章を暗唱するなどの瑣末なことに走ったり、現実とかけ離れた役に立たない理論や事実に基づかない話に陥り、その言っている論理は知性や品性の程度が高いように見えるけれども、これを自分自身が行ったり、実施したりすることができないものが、少なくない。これはつまり、長い間従ってきた古くからの悪い習わしであって、文明が普及せず、才能と技芸が上達しないために、貧乏や破産、家を失う者といった連中が多い理由である。こういうわけで、人間は学問をしなければならないのである。これを学ぶためには、ぜひともその趣旨を誤ってはならない。こういう理由で、このたび文部省で学制を定め、順々に教則を改正し布告していくことになるだろうから、今から後は、一般の人民(華族・士族・卒族・農民・職人・商人及び女性や子供)は、必ず村に子供を学校に行かせない家がなく、家には学校に行かない人がいないようにしたい。人の父兄である者は、よくこの趣旨を認識し、その子弟を慈しみ育てる気持ちを厚くし、その子弟を必ず学校に通わせるようにしなければならない。上級の学校については、その人の才能に任せるが、幼い子弟は男女の別なく、小学校に通わせないことは、その父兄の落ちどであることになること。
 ただし、これまでの長期間の悪習となっている学問は武士階級以上の人のことであり、そして学問は国家のためにすることだと唱えることにより、学費及びその衣類・食事の費用に至るまで、多くを官に依拠して、これを給付してくれるのでなければ学問はしないと思い、一生自分の身を粗末にして顧みない者が少なくない。これは皆どうしたらよいか戸惑っていることの甚しいものである。今から以後は、これらの弊害を改め、一般の人民は他の事を投げうって自分から奮闘して必ず学問に従事させるように心得るべきであること。
 右の通り仰せ出だされましたので、地方官において、辺境の庶民に至るまで漏らすことのないよう、その時々に応じ、意義を説明してやり、詳しく細かく申し諭し、文部省規則に従い、学問が普及していくように、方法を考えて施行すべきであること。