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 今日は、1871年(明治4)に「日清修好条規」が調印された日(新暦では9月13日)です。
 この条約は、明治時代前期の1871年9月13日(明治4年7月29日)に中国の天津で、日本側が大蔵卿伊達宗城、清国側は直隷総督李鴻章とで結んだ二国間の最初の通商条約で、同時に通商章程、海関税則も調印されました。
 全18ヶ条から成り、領土保全と侵略に対する相互援助規定、領事裁判権と両国が列強に強制された協定関税率とを相互に認め合う変則的対等条約となり、最恵国待遇や内地通商権は盛り込まれなかったのです。
 その後、1873年(明治6)4月30日に、批准書が交換されて発効しましたが、1894年(明治27)8月1日の日清戦争の開戦により失効しました。

〇「日清修好条規」(全文)

大日本国ト大清国ハ、古来友誼敦厚ナルヲ以テ、今般一同旧交ヲ修メ、益邦交ヲ固クセント欲シ、
 大日本国欽差全権大臣従二位大蔵卿伊達
 大清国欽差全権大臣弁理通商事務太子太保協弁大学士兵部尚書直隷総督部堂一等肅毅伯李
 各奉シタル上諭ノ旨ニ遵ヒ、公同会議シ修好条規ヲ定メ、以テ双方信守シ久遠替ラサルコトヲ期ス。其議定セシ各条左ノ如シ。

第一条 此後大日本国ト大清国ハ、弥和誼ヲ敦クシ、天地ト共ニ窮マリ無ルヘシ。又両国ニ属シタル邦土モ各礼ヲ以テ相待チ、聊侵越スルコトナク、永久安全ヲ得セシムヘシ。

第二条 両国、好ミヲ通セシ上ハ、必ス相関切ス。若シ他国ヨリ不公及ヒ軽藐スルコト有ル時、其知ラセヲ為サハ、何レモ互ニ相助ケ、或ハ中ニ入リ、程克ク取扱ヒ、交誼ヲ敦クスヘシ。

第三条 両国ノ政事禁令各異ナレハ、其政事ハ己国自主の権ニ任スヘシ。彼此ニ於テ、何レモ代謀干預シテ禁シタルコトヲ取リ行ハント請ヒ願フコトヲ得ス。其禁令ハ互ニ相助ケ、各其商民ニ諭シ、土人ヲ誘惑シ聊カ違犯有ルヲ許サス。

第四条 両国、秉権大臣ヲ差出シ、其眷属随員ヲ召具シテ京師ニ在留シ、或ハ長ク居留シ、或ハ時々往来シ、内地各所ヲ通行スルコトヲ得ヘシ。其入費ハ何レモ自分ヨリ払フヘシ。其地面家宅ヲ賃借シテ大臣等ノ公館ト為シ、並ニ行李ノ往来及ヒ飛脚ノ仕立書状ヲ送ル等ノコトハ何レモ不都合ナキ様世話イタスヘシ。

第五条 両国ノ官位何レモ定品有リトイヘトモ、職ヲ授ルコト各同カラス。因テ彼此ノ職掌相当スル者ハ、応接及ヒ文通トモ均ク対待ノ礼ヲ用ユ。職卑キ者ト上官ト相見ルニハ客礼ヲ行ヒ、公務ヲ弁スルニ付テハ職掌相当ノ官ヘ照会シテ其上官ヘ転申シ、直達スルコトヲ得ス。又、双方礼式ノ出会ニハ各官位ノ名帖ヲ用ユ。凡、両国ヨリ差出シタル官員初テ任所ニ到着セハ、印章アル書付ヲ出シ見セ、仮冐ナキ様ノ防キヲナスヘシ。

第六条 此後両国往復スル公文、大清ハ漢文ヲ用ヒ、大日本ハ日本文ヲ用ヒ、漢訳文ヲ副フヘシ。或ハ只漢文ノミヲ用ヒ其便ニ従フ。

第七条 両国、好ミヲ通セシ上ハ、海岸ノ各港ニ於テ彼此共ニ場所ヲ指定シテ商民ノ往来貿易ヲ許スヘシ。猶別ニ通商章程ヲ立テ、両国ノ商民ニ永遠遵守セシムヘシ。

第八条 両国ノ開港場ニハ彼此何レモ理事官ヲ差置キ、自国章民ノ取締ヲナスヘシ。凡、家財、産業、公事、訴訟ニ干係セシ事件ハ、都テ其裁判ニ帰シ、何レモ自国ノ律例ヲ按シテ糺弁スヘシ。両国商民相互ノ訴訟ニハ何レモ願書体ヲ用ユ。理事官ハ先ス理解ヲ加ヘ、成ル丈ケ訴訟ニ及ハサル様ニスヘシ。其儀能ハサル時ハ、地方官ニ掛合ヒ、双方出会シ、公平ニ裁断スヘシ。尤、盗賊、欠落等ノ事件ハ両国地方官ヨリ召捕リ吟味取上ケ方致ス而已ニシテ、官ヨリ償フコトハナサゝルヘシ。

第九条 両国ノ開港場ニ、若シ未タ理事官ヲ置サル時ハ、其人民貿易何レモ地方官ヨリ取締リ世話スヘシ。若シ罪科ヲ犯サハ本人ヲ捕ヘテ吟味ヲ遂ケ、其事情ヲ最寄開港場ノ理事官ヘ掛合ヒ、律ヲ照シテ裁断スヘシ。

第十条 両国ノ官吏商人ハ諸開港場ニ於テ何レモ其地ノ民人ヲ雇ヒ、雑役手代等ニ用ルコト勝手ニ為ヘシ。尤、其雇主ヨリ時々取締ヲ為シ、事ニ寄セ人ヲ欺クコトナカラシメ、別シテ其私言ヲ偏聴シテ事ヲ生セシムヘカラス。若シ犯罪ノ者有ラハ、其地方官ヨリ召捕リ糺弁スルニ任セ、雇主ヨリ庇フコトヲ得ス。

第十一条 両国ノ商民、諸開港場ニテ彼此往来スルニ付テハ互ニ友愛スヘシ。刀剣類ヲ携帯スルコトヲ得ス。違フ者ハ罰ヲ行ヒ、刀剣ハ官ニ取上クヘシ。又何レモ其本文ヲ守リ、永住暫居ノ差別無ク必ス自国理事官ノ支配ニ従フヘシ。衣冠ヲ替ヘ改メ、其他ノ人別ニ入リ、官途ニ就キ、紛ハシキ儀有ルコトヲ許サス。

第十二条 此国ノ人民、此国ノ法度ヲ犯センコト有テ、彼国ノ役所、商船、会社等ノ内ニ隠シ忍ヒ、或ハ彼国各処ニ遁ケ潜ミ居ル者ヲ、此国ノ官ヨリ査明シテ掛合越サハ、彼国ノ官ニテ早速召捕リラヘ見遁スコトヲ得ス。囚人ヲ引送ル時ノ途中、衣食ヲ与ヘ凌虐スヘカラス。

第十三条 両国ノ人民、若シ開港場ニ於テ兇徒ヲ語合ヒ盗賊悪事ヲナシ、或ハ内地ニ潜ミ入リ、火ヲ付ケ、人ヲ殺シ、劫奪ヲ為ス者有ラハ、各港ニテハ地方官ヨリ厳ク捕ヘ直ニ其次第ヲ理事官ニ知らスヘシ。若シ兇器ヲ用テ手向ヒセハ、何レニ於テモ格殺シテ論ナカルヘシ。併シ之ヲ殺セシ事情ハ、理事官ト出会シテ、一同ニ査験スヘシ。若シ其事内地ニ発リテ理事官自ラ赴キ査験スルコト届キカヌル時ハ、其地方官ヨリ実在ノ情由ヲ理事官ニ照会シテ査照セシムヘシ。尤、縛シテ取ルタル罪人ハ、各港ニテハ地方官ト理事官ト会合シテ吟味シ、内地ニテハ地方官一手ニテ吟味シ、其事情ヲ理事官ニ照会シテ査照セシムヘシ。若シ此国ノ人民、彼国ニ在テ一揆徒党ヲ企テ、十人以上ノ数ニ及ヒ、並ニ彼国人民ヲ誘結通謀シ、害ヲ地方ニ作スノ事有ラハ、彼国ノ官ヨリ早速査拏シ、各港ニテハ理事官ニ掛合ヒ会審シ、内地ニテハ地方官ヨリ理事官ニ照会セシメ、何レモ事ヲ犯セシ地方ニ於テ法ヲ正スヘシ。

第十四条 両国ノ兵船、開港場ニ往来スルコトハ自国ノ商民ヲ保護スルタメナレハ、都テ未開港場及ヒ内地ノ河湖支港ヘ乗入ルコトヲ許サス。違フ者ハ引留テ罰ヲ行フヘシ。尤、風ニ遇ヒ難ヲ避ルタメニ乗入リタル者ハ此例ニ在ラス。

第十五条 此後両国、若シ別国ト兵ヲ用ユル事有ルニ付、防禦イタスヘキ各港ニ於テ布告ヲナサハ、暫ク貿易並ニ船隻ノ出入ヲ差止メ、誤テ傷損ヲ受ケサラシムヘシ。又平時ニ於テ大日本人ハ大清ノ開港場及ヒ最寄海上ニテ、何レモ不和ノ国ト互ニ争闘搶刼スルコトヲ許サス。

第十六条 両国ノ理事官ハ、何レモ貿易ヲ為スコトヲ得ス。亦条約ナキ国ノ理事官ヲ兼勤スルコトヲ許サス。若シ事務ノ計ヒ方、衆人ノ心ニ叶ハサル実拠有ラハ、彼此何レモ書面ヲ以テ秉権大臣ニ掛合ヒ、査明シテ引取ラシムヘシ。一人事ヲ破ルニ因テ両国ノ友誼ヲ損傷スルニ至ラシメス。

第十七条 両国ノ船印ハ各定式アリ。万一彼国ニ船、此国ノ船印ヲ仮冐シテ私ニ不法ノ事ヲ為サハ、其船並ニ荷物トモ取上クヘシ。若シ其船印、官員ヨリ渡シタル者ナラハ其筋ニ申立、官ヲ罷メシムヘシ。又両国ノ書籍ハ彼此誦習ハント願ハハ、互ニ売買スルコトヲ許ス。

第十八条 両国議定セシ条規ハ、何レモ預メ防範ヲ為シ、偶嫌隙ヲ生スルヲ免レシメ、以テ講信修好ノ道ヲ尽ス所ナリ。是ニ因テ両国欽差全権大臣、証拠ノタメ先ス花押ヲ調印ヲナシ置キ、両国御筆ノ批准相済ニ互ニ取替ハセシ後チ、版刻シテ各処ニ通行シ、彼民ニ普ク遵守セシヲ永ク以テ好ヲ為スヘシ。

明治四年辛未七月二十九日   花押
同治十年辛未七月二十九日   花押

      外務省編「日本外交年表竝主要文書」上巻より
     *縦書きの原文を横書きに改め、句読点を付してあります。