この事件は、第二次世界大戦後続いた、一連の国鉄ミステリー事件(三鷹事件、松川事件など)の一つで、昭和時代中期の1949年(昭和24)7月5日、当時の国鉄総裁下山定則が失踪し、翌日に国鉄常磐線北千住駅~ 綾瀬駅間(東京都足立区綾瀬)で汽車に轢断された遺体となって発見された事件です。
失踪当時は、国鉄の人員整理をめぐり緊張した状況にあり、職員62万3千余名の内12万413名の大規模な人員整理に着手し、前日に第1次整理3万700名の解雇通告を行ったばかりでした。
この事件発生によって、左翼勢力による他殺説が流され、ストを含む反対闘争を決定していた国鉄労組の出鼻をくじき、さらには、民間企業の人員整理を有利に進めさせるという重大な影響を与えたのです。
しかし半年後、警視庁は他殺説・自殺説ともに決め手のないままで捜査本部を閉じ、真相不明のまま1964年(昭和39)の時効成立で迷宮入りとなりました。
作家の松本清張は『日本の黒い霧』で、当時の朝日新聞記者矢田喜美雄は著書『謀殺・下山事件』の中で、アメリカ軍防諜部隊の関与を唱えるなど、これに関する書物がいろいろと出されています。
〇当時の国鉄ミステリー事件の一覧
・庭坂事件(1948年4月27日) 奥羽線赤岩~庭坂間で発生
脱線地点付近の線路継目板2枚、犬釘6本、ボルト4本が抜き取られていて、列車が転覆し、死者3人を出しましたが、真相は不明です。
・予讃線事件(1949年5月9日) 予讃線浅海 - 伊予北条駅間で発生
脱線地点で、継ぎ目板2カ所4枚、ボルト8本、犬釘7本が故意に抜き取られており、列車が転覆し、死者3人を出しましたが、真相は不明です。
・下山事件(1949年7月6日) 常磐線北千住~綾瀬駅間で発生
・三鷹事件(1949年7月15日) 中央本線三鷹駅で発生
中央本線三鷹駅構内で、無人列車が暴走して車止めに激突し、脱線転覆、突っ込んだ線路脇の商店街などで、6名が車両の下敷となって即死し、負傷者も20名出る大惨事となりました。国鉄労働組合員11人が共同謀議による犯行として逮捕・起訴されましたが、結局は元運転士の単独犯として死刑判決が言い渡され、獄死しました。しかし、冤罪ではなかったかとも言われ、その後長男による再審請求がなされています。
・松川事件(1949年8月17日) 東北本線松川~金谷川駅間で発生
何者かによって当時の国鉄東北本線の旅客列車が転覆させられ、機関車の乗務員3人が死亡しました。それに関連して、東芝松川工場労働組合と国鉄労働組合構成員の労働組合員等合計20名が、不当逮捕・起訴されたのです。一審、二審判決では、有罪(死刑含む)とされましたが、裁判が進むにつれ被告らの無実が明らかになり、全国的な支援活動もあって、1963年(昭和38)に、最高裁で被告全員の無罪が確定しました。しかし、真犯人は不明のままです。
・まりも号脱線事件(1951年5月17日) 根室本線新得~落合駅間で発生
脱線地点では、レールの継ぎ目板を外し、レールを4 cmずらされていて、蒸気機関車が線路外に逸脱して宙吊りとなり、軽傷者1人を出しましたが、真相は不明です。