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 今日は、1950年(昭和25)に、金閣寺(鹿苑寺)の金閣が同寺の僧侶の放火により全焼した日です。
 金閣は、室町時代の北山文化を代表する建造物で、当時まで現存し旧国宝にも指定され、建物の内外に金箔を貼った3層の楼閣建築で、内部には、旧国宝の足利義満像なども安置されていました。
 その前庭の日本庭園ともマッチし、京都を代表する景観として、多くの人々に愛でられていたので、その焼失は残念でなりません。
 この金閣寺放火事件については、小説家三島由紀夫が、1956年(昭和31)に、小説『金閣寺』を雑誌『新潮』に連載し、同年新潮社から刊行されました。美に魅せられた青年が復讐と独占のために金閣に放火するまでの心理を描いていて、話題となったのです。

〇金閣寺(鹿苑寺)とは?
 京都府京都市北区にある鹿苑寺の通称で、相国寺の山外塔頭寺院です。室町幕府3代将軍足利義満は別荘北山殿に金閣などの殿楼を造営しましたが、1408年(応永15)の義満の死後、遺言により夢窓疎石を勧請開山とし、禅宗の寺院とされました。
 宗派は臨済宗相国寺派、本尊は聖観世音菩薩で、当時は金閣以外に紫雲殿、天上間、拱北楼、反橋、芳徳殿、天鏡閣、泉殿、護摩堂、懺法堂などが立ち並び、壮観を極めたものの、のちに紫雲殿、天鏡閣は南禅寺に、天上間は建仁寺に、懺法堂は等持寺に移転され、焼失や破壊された建物もあって衰退したのです。
 しかし、天正年間(1573~1592年)から再建が始まり、徐々に堂舎の修理、復興が行われ、昭和時代前期には、金閣、方丈(本堂)、不動堂、大書院、夕佳亭などがありました。
 ところが、中心となる金閣は、1950年(昭和25)7月2日に放火によって焼失、現在のものは1955年(昭和30)に同じ様式で再建されたものです。
 金閣の前の庭は、室町時代初期に改修されましたが、池中の島の配置などに山荘時代の面影を残す名園で、1956年(昭和31)に国の特別史跡・特別名勝に指定されました。そして、1994年(平成6)には、「古都京都の文化財」の一つとして世界遺産(文化遺産)に登録されています。

☆金閣寺(鹿苑寺)の文化財一覧
<国指定重要文化財>
・絹本著色足利義満像・絹本著色足利義満像
・絹本著色達磨図
・大書院障壁画(伊藤若冲筆)宝暦九年の年記がある
 紙本墨画葡萄図(葡萄之間)(一之間)15面
 紙本墨画松鶴図(松鶴之間)(二之間)8面
 紙本墨画芭蕉図(芭蕉之間)(三之間)12面
 紙本墨画鶏及秋海棠図(四之間)11面
 紙本墨画竹図(狭屋之間)4面
・木造不動明王立像(不動堂安置)(西園寺護摩堂旧本尊)
・子元祖元高峰顕日問答語 
・慈聖院并寿寧院遺誡

<特別史跡・特別名勝>
・鹿苑寺(金閣寺)庭園