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 今日は、エドワード・S・モースが、1838年に生まれた日であり、1877年(明治10)に初めて来日した日でもあります。
 モースは、明治時代前期に日本に招かれたお雇い外国人の一人で、アメリカ人動物学者ですが、大森貝塚を発掘し、日本の人類学、考古学の基礎をつくったことで知られています。
 1838年(天保9)6月18日に、アメリカ合衆国メイン州ポートランドで生まれ、ハーバード大学のJ.L.R.アガシの助手として動物学を学び、腕足類の研究に携わりました。
 1867年(慶応3)から、ピーボディ科学アカデミーの所員として研究を続け、1871年(明治4)から3年ほどボードウィン大学教授として教鞭をとったのです。
 1877年(明治10)6月18日に、39歳で腕足類研究のため初来日し、翌日横浜から東京へ向かう汽車の車窓から大森貝塚を発見しました。
 その後、請われて東京大学理学部動物学生理学教授に就任、大森貝塚の発掘、近代動物学とダーウィンの進化論の紹介に努め、教育施設の充実のためにも活躍したのです。そして、1879年(明治12)に東京大学を退職し、9月3日に離日しました。
 1882年(明治15)に44歳で再来日し、日本陶器の収集に専念、日本各地で収集した陶器はモース・コレクションとしてボストン美術館に収蔵されています。
 帰国後はピーボディー博物館長、同名誉館長を務めましたが、1925年(大正14)12月20日に、アメリカ合衆国マサチューセッツ州セイラムにおいて、87歳で死去しました。
 日本に関する主な著書としては、『大森貝墟古物編』(1879年)、『日本のすまい・内と外』(1885年)、『モース日本陶器コレクション』(1901年)、『日本その日その日』(1917年)があります。

〇「大森貝塚」とは?
 東京都品川区・大田区にまたがる縄文時代後期~晩期の貝塚です。アメリカの動物学者エドワード・S・モースが1877年(明治10)、横浜から東京へ向かう汽車の車窓から発見し、発掘が行われ、1879年(明治12)には日本初の発掘報告書が出版されました。この発掘は、日本初の学術的なものとして、大森貝塚は「日本考古学発祥の地」と呼ばれています。
 これらのことから、 1955年(昭和30)に国の史跡に指定され、1986年(昭和61)には追加指定を受けています。出土物は、各種の貝殻をはじめ、縄文式土器、土偶、石斧、石鏃、人骨片、鹿やクジラの骨などで、「東京大学総合研究資料館」に保存され、1975年(昭和50)に、一括して大森貝塚出土品として国の重要文化財の指定を受けました。
 その後、1984年(昭和59)と1993年(平成5)に、大森貝塚遺跡庭園整備などの発掘調査が行われ、住居址や土器・装身具・魚や動物の骨などが大量に見つかっています。この時の発掘資料の一部は、「品川歴史館」に展示されていますし、品川区大井六丁目と大田区山王一丁目には記念碑が建てられ、大森貝塚遺跡庭園も整備され、大森貝塚貝層断面やモース博士像もあります。