同年の1月20日(新暦では3月20日)に、新政府樹立を主導した薩摩・長州・土佐・肥前の4藩が上表(建白書)を提出しており、それを明治天皇が認めるという形で行われ、他藩もそれに追従しました。
これによって、明治政府による中央集権化が進むことになります。
〇版籍奉還とは?
幕末明治維新期の1869年(明治2)に実施された、明治政府による中央集権化の政治改革です。まず、長州・薩摩・土佐・肥前の4藩主が、この年の1月20日(新暦では3月20日)に、天皇に対して「長薩土肥四藩上表」(建白書)を行って、封土・領民返還の先駆けとなりました。その後、それにならって、諸藩主が土地(版)と人民(籍)を朝廷に還納し、6月17日(新暦では7月25日)には奉還聴許に決するとともに、旧藩主をそのまま政府の任命する知藩事としたのです。藩主の封建的諸特権はほぼ従来どおりで、形式的な面もありましたが、2年後の廃藩置県への第一歩となりました。
「長薩土肥四藩上表」を原文と訳文で掲載しておきます。
☆「長薩土肥四藩上表」(縦書きを横書きにし、句読点を付してあります)
臣某等頓首再拝謹テ案スルニ、朝廷一日モ失フ可ラサルモノハ大体ナリ。一日モ仮ス可ラサル者ハ大権ナリ。天祖肇テ国を開キ基ヲ建玉ヒシヨリ、皇統一系、万世無窮、普天率土、其ノ有ニ非サルハナク、其臣ニ非サルハナシ。是レ大体トス。且ツ与ヘ且ツ奪ヒ、爵禄以テ下ヲ維持シ、尺土モ私ニ有スルコト能はす、一民モ私ニ攘ムコト能ハス。是大権トス。在昔朝廷海内ヲ統馭スル一ニコレニヨリ、聖躬之ヲ親ラス。故ニ名実並ヒ立チテ、天下無事ナリ。中葉以降、綱維一タヒ弛ヒ、権ヲ弄シ、柄ヲ争フ者、踵ヲ朝廷ニ接シ、ソノ民ヲ私シ、ソノ土ヲ攘ムモノ、天下ニ半シ、遂ニ搏噬攘奪ノ勢成リ、朝廷守ル所ノ体ナク、トル所ノ権ナクシテ、是レヲ制馭スルコト能ハス。姦雄タカヒニ乗シ、弱ノ肉ハ強ノ食トナリ、ソノ大ナル者ハ十数州ヲ併セ、ソノ小ナル者ハ猶士ヲ養フ数千。所謂幕府ナル者ノ如キハ、土地人民擅ニソノ私スル所ニ分チ、以テソノ勢権ヲ扶植ス。是ニオイテカ、朝廷徒ニ虚器ヲ擁シ、ソノ視息ヲ窺ヒテ、喜戚ヲナスニ至ル。横流ノ極ミ、滔天回ラサルモノ、茲ニ六百有余年。然レトモソノ間往々天子ノ名爵ヲ假リテ、ソノ土地人民ヲ私スルノ跡ヲ蔽フ。是固ヨリ君臣ノ大義上下ノ名分、万古不抜ノモノ有ニ由ナリ。方今大政新ニ復し、万機之ヲ親ラス、実ニ千歳ノ一機、其名アツテ其実ナカル可ラス。其実ヲ挙ルハ大義ヲ明ニシ名分ヲ正スヨリ先ナルハナシ。嚮ニ徳川氏ニ起コル、古家旧族天下ニ半ス、依テ家ヲ興スモノ亦多シ、而シテ其土地人民、之ヲ朝廷ニ受ルト否トヲ問ハス、因襲ノ久シキ以テ今日ニ至ル。世或ハ謂ラク、是祖先鋒鏑ノ経始スル所ト、吁何ソ兵を擁シテ官庫ニ入リ、其貨ヲ奪ヒ、是死ヲ犯シテ獲所ノモノ云ニ異ナランヤ、庫ニ入ルモノハ人其賊タルヲ知ル、土地人民ヲ攘医奪スルニ至ツテハ、天下コレヲ怪シマス甚哉名義ノ紊攘スル事。今也丕新ノ治ヲ求ム、宜シク大体ノ在ル所、大権ノ繋ル所、毫モ仮スヘカラス。抑臣等居ル所ハ、即チ天子ノ土、臣等牧スル所ハ、即チ天子ノ民ナリ。安ンソ私有スヘケンヤ。今謹ミテ其版籍ヲ収メテ之ヲ上ル。願クハ朝廷其宜ニ処シ、其与フ可キハ之ヲ与ヘ、其奪フ可キハ之ヲ奪ヒ、凡列藩ノ封土更ニ宜シク詔命ヲ下シ、コレヲ改メ定ムヘシ。而シテ制度、典型、軍旅ノ政ヨリ戎腹、器機ノ制ニ至ルマテ、悉ク朝廷ヨリ出テ、天下ノ事大小トナク皆一ニ帰セシムヘシ。然后ニ名実相得、始テ海外各国ト並立へし。故ニ臣某等不肖謭劣ヲ顧ミス、敢テ鄙衷ヲ献ス。天日ノ明、幸ニ照臨ヲ賜へ。臣某等誠恐誠惶、頓首再拝、以表。
毛利宰相中将
島津少将
鍋島少将
山内少将
「公文録・明治二年・第五十六巻・己巳・版籍奉還(一)」より
<訳文>
臣某等、頓首再拝
かしこんで心配するのは、朝廷が一日も失ってはならないもの、天皇国家としての体制である。一日も仮借することができないのは、天皇の統治権である。天がはじめて国を開き、基礎を築かれてから、皇室の系統はいつまでも永遠に続き、天が覆い、地の続く限り、その所有でないものはなく、その臣下でないものはいない、これが天皇国家としての体制である。一方では与え、一方では奪い、爵位と俸禄によって臣下を維持し、わずかの土地も私有することはできないし、一人の民も私有することはできない、これが天皇の統治権である。
昔は朝廷が天下を統一支配することにより、天子の御身によって親政を行ってきた。だから、名も実もならび立って、天下は何事もなかった。中葉以降、国家の法が一たびゆるみ、権力をもてあそび、柄を争ふ者が次々と続いて朝廷に起こる。その民を私し、その土地をぬすむもの、天下の半分くらいになり、ついにつかみ捕らえて食らい力づくで奪う勢力がまさり、朝廷は守る所の体制もなく、とる所の権力もなくして、これをおさえつけて自分に従わせることができなくなった。
悪知恵にたけたものが互いに勢いに乗り、弱肉強食となり、その大きな者は十数州を併せ持ち、その小なる者でもなお士を養うこと数千にもなった。いわゆる幕府というような者は、土地人民をほしいままにその私する所に分ち、もってその勢力や権威を拡大した。これにおいて、朝廷はいたづらに名ばかりの地位を持たされ、幕府の顔色をうかがって、杞憂をなすに至ってしまった。誤まった流れは極まって、天をしのいではならないものが、ここに六百有余年も続いている。とはいうものの、その間たびたび天皇の権威を借りて、その土地人民を私するの跡を覆い隠していた。これはもとより君臣の大義上下の名分といった、変えることができない理由によるものである。
今や政治は新しく天皇の元に戻って、すべての政治が天皇の親政となった。じつに千載一遇の好機なので、改革は名目のみではなく、実質のあるものでなければならない。その実をあげるには、大義名分をはっきりさせることが先決である。
先に徳川氏が起り、古家や旧族は天下の半分くらいになった。それに依拠して家を興したものもまた多い。そのようにしてその土地人民これを朝廷に授与されたか否かを問はないで、古くからの風習が長く続いて今日に至っている。世間でまた考えるには、これ祖先の武力によるものだと。ああどうして兵を従えて官有の庫に入り、その財物を略奪し、これ人を殺して、奪った人のものと言うのと異なるだろうか、いや異ならない。倉庫に侵入するものは、人は盗賊であることを知っている。しかし、土地人民を略奪するに至っては、天下はこれを怪しいとは思わず、はなはだししいときは、名分も損壊することとなる。今や偉大で新しい政治が求められている。よろしく天皇国家としての体制の在る所、天皇の統治権の及ぶ所、少しでも仮にしてはいけない。
そもそも私たちがいる所は、端的には天皇の土地、治めているのは天皇の臣民である。どうして私有することができようか。今つつしんで私たちの土地・人民を奉還する。どうか朝廷のよろしいように措置されて、与えるべきものには与え、奪うべきものは奪い、諸藩の領地については天皇の命令によって改めて決定すべきである。そして制度・法律・軍制から軍服・兵器の制度に至るまで、すべて朝廷で定めて天下の政治は大小となく朝廷に一元化すべきである。そうすれば、名実ともに備わり、海外の列強と並び立つことができよう。これこそ朝廷の急務であり、私たち臣下の責務である。だから臣下の者等、未熟で才能が浅くて劣っていることを顧みず、あえて真心を以て上表する。天日の明、幸にも君主の国土、人民の統治について下賜いただきたい。
臣某等 誠恐誠惶 頓首再拝以表。
毛利宰相中将
島津少将
鍋島少将
山内少将