この大会は、日常生活のいろいろな問題や教育、平和、民主的諸権利などについて母親の立場から話し合って、連帯することを目的に毎年開催されるものです。
昭和時代中期の1955年(昭和30)6月7日に、「生命を生みだす母親は、生命を育て、生命を守ることをのぞみます」というスローガンの下に、第1回母親大会(東京・豊島公会堂)が開催され、約2,000名が参加しました。
これは、1954年(昭和29)3月のビキニ環礁での水爆実験によって、操業中だった日本のまぐろ漁船第五福竜丸が被災を受け、日本婦人団体連合会会長平塚らいてうが抗議したのですが、これをきっかけに、1955年(昭和30)7月にスイスのローザンヌで、第1回世界母親大会が開催されることになり、これに先立って行われたものです。
日本では、その後も女性団体・社会運動団体・労働組合・教育問題を取り扱う市民団体などで構成される実行委員会の主催で、県大会、地域・職場集会を積み重ねて、年1回継続して日本母親大会が開催され、全体会、分科会等が行われてきました。2017年(平成29)の第63回日本母親大会での参加団体は、全国47都道府県実行委員会と、50の中央団体となっています。
以下に、日本母親大会のよびかけの一部を載せておきます。
〇日本母親大会のよびかけ(一部)
「戦争の恐怖を忘れさることのできないお母さん、家や財産も失ったお母さん。息子を戦争の犠牲にしたお母さん。子どもを学校に出せないお母さん、病院も食事も満足に与えられない子どもたちのお母さん、失業している若者のお母さん、働く職場をもてないお母さん、そして自分は幸福だが他の多くの母たちの幸福をねがっている母親、そういうすべての母親が集まるのです。
原子兵器の製造とか水爆の実験とか、また戦争になるのではないかとの不安が私たちをおそいます。すべての子どもの幸福を守るために世界のお母さんと話しあいましょう。婦人の権利をかちとるために、みんなで話しあいましょう。母と子どもが安心して住める世の中をつくるために、お母さんの力を結集しましょう。日本母親大会に集まりましょう。」