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 今日は、平成時代の1996年(平成8)に、有機化学者野副鉄男が亡くなった日です。
 野副鉄男(のぞえ てつお)は、明治時代後期の1902年(明治35)5月16日に、宮城県仙台市で生まれました。宮城県仙台第一中学校、旧制第二高等学校を経て、1923年(大正12)に東北帝国大学理学部化学科に入学します。
 1926年(大正15)に卒業後、翌年に台湾総督府中央研究所の助手となり、1929年(昭和4)に台湾に台北帝国大学が新設されると理農学部化学科助教授となりました。1936年(昭和11)に「高級テルペン類似体及び其の配糖体の研究」により、大阪帝国大学理学部から理学博士号を取得、台湾檜の色素成分からヒノキチオールを分離、その基本構造が七員環化合物(トロポロン)であることをつきとめます。
 1937年(昭和12)には、台北帝国大学理学部化学科教授に昇任し、1942年(昭和17)には、日本化学会真島賞を受賞しました。1945年(昭和20)に、台北帝国大学は中国側に接収されて国立台湾大学となったものの、中華民国側の要請を受けて、引き続き教授として留任します。
 1948年(昭和23)に帰国後、東北大学理学部化学科講師を経て教授となり、翌年には、七員環化合物(トロポロン)の合成にも成功しました。これらの研究により、1952年(昭和27)に朝日賞、1953年(昭和28)に日本学士院賞を受賞します。
 1958年(昭和33)に文化勲章を受章、1959年(昭和34)に仙台市名誉市民となり、1966年(昭和41)には、東北大学理学部化学科教授を定年退官し、名誉教授となるなど数々の栄誉に輝きました。さらに、1972年(昭和47)に勲一等瑞宝章を受章、1975年(昭和50)に日本化学会長となり、1979年(昭和54)には、日本学士院会員となり、台湾から中華民国文化褒章を授与されます。
 1981年(昭和56)にドイツ化学会ホフマン賞、1983年(昭58年)には、「非ベンゼン系芳香族化学への貢献」で、有機合成化学協会賞特別賞を受賞したものの、1996年(平成8)4月4日に、東京において、93歳で亡くなり、従三位を追贈されています。

〇野副鉄男関係略年表

・1902年(明治35)5月16日 宮城県仙台市で生まれる
・1921年(大正10) 宮城県仙台第一中学校を卒業し、旧制第二高等学校へ入学する
・1923年(大正12) 東北帝国大学理学部化学科に入学する
・1926年(大正15) 東北帝国大学理学部化学科を卒業する
・1927年(昭和2) 台湾総督府中央研究所の助手となる
・1929年(昭和4) 台北帝国大学理農学部化学科助教授となる
・1936年(昭和11) 「高級テルペン類似体及び其の配糖体の研究」により、大阪帝国大学理学部から理学博士号を取得、台湾檜の色素成分からヒノキチオールを分離、その基本構造が七員環化合物(トロポロン)であることをつきとめる
・1937年(昭和12) 台北帝国大学理学部化学科教授となる
・1942年(昭和17) 日本化学会真島賞を受賞する
・1945年(昭和20) 中国に留用され台湾大学教授となる
・1948年(昭和23) 帰国後、東北大学理学部化学科講師を経て教授となる
・1949年(昭和24) 七員環化合物(トロポロン)の合成にも成功する
・1952年(昭和27) 「ヒノキチオールの研究」で、朝日賞を受賞する
・1953年(昭和28) 「ヒノキチオール及びその関連化合物に関する研究」で、日本学士院賞を受賞する
・1958年(昭和33) 文化勲章を受章する
・1959年(昭和34) 仙台市名誉市民となる
・1966年(昭和41) 東北大学理学部化学科教授を定年退官し、名誉教授となる
・1972年(昭和47) 勲一等瑞宝章を受章する
・1975年(昭和50) 日本化学会長となる
・1979年(昭和54) 日本学士院会員となり、台湾から中華民国文化褒章を授与される
・1981年(昭和56) ドイツ化学会ホフマン賞を受賞する
・1983年(昭58年) 「非ベンゼン系芳香族化学への貢献」で、有機合成化学協会賞特別賞を受賞する
・1996年(平成8)4月4日 東京において、93歳で亡くなり、従三位を追贈される

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