
竹内理三(たけうち りぞう)は、明治時代後期の1907年(明治40)12月20日に、愛知県知多郡岡田町(現在の知多市)において、機織工場の共同経営者である父・竹内仁重と母・志んの三男として生まれました。半田中学校(現在の愛知県立半田高等学校)、第八高等学校を経て、1927年(昭和2)に東京帝国大学文学部国史学科入学します。
1930年(昭和5)に、卒業論文「奈良朝時代に於ける寺院経済の研究」を書いて卒業後、、東京帝国大学史料編纂所業務嘱託となり、『大日本史料』第一編部に配属されました。1935年(昭和10)に、東京帝国大学史料編纂所史料編纂官補となり、1945年(昭和20)には編纂官に昇任され、1948年(昭和23)には、九州大学法文学部教授、翌年には文学部教授となります。
1956年(昭和31)に西日本文化賞、1958年(昭和33)に『律令制と貴族政権』で、朝日文化賞を受賞、1959年(昭和34)には、東京大学史料編纂所教授となりました。1961年(昭和36)に論文「日本に於ける貴族政権の成立」により、東京大学より文学博士の学位を取得、1965年(昭和40)には、東京大学史料編纂所所長となります。
1968年(昭和43)に東京大学教授を定年退官、早稲田大学文学部教授となり、翌年には紫綬褒章を受章しました。1978年(昭和53)に早稲田大学教授定年退職、勲三等旭日中綬章を受章、1988年(昭和63)には、日本学士院会員、文化功労者となります。
1991年(平成3)に『角川日本地名大辞典』編纂で、第45回毎日出版文化賞を受賞、1996年(平成8)には、文化勲章を受章しました。荘園史料集をまとめた『寧楽遺文 』(1943~44年) 、『平安遺文』 (1947~62年)などの実証的かつ緻密な研究で知られましたが、1997年(平成9)3月2日に、東京において、89歳で亡くなり、知多市名誉市民、叙従三位、賜銀杯一組を追贈されています。
1930年(昭和5)に、卒業論文「奈良朝時代に於ける寺院経済の研究」を書いて卒業後、、東京帝国大学史料編纂所業務嘱託となり、『大日本史料』第一編部に配属されました。1935年(昭和10)に、東京帝国大学史料編纂所史料編纂官補となり、1945年(昭和20)には編纂官に昇任され、1948年(昭和23)には、九州大学法文学部教授、翌年には文学部教授となります。
1956年(昭和31)に西日本文化賞、1958年(昭和33)に『律令制と貴族政権』で、朝日文化賞を受賞、1959年(昭和34)には、東京大学史料編纂所教授となりました。1961年(昭和36)に論文「日本に於ける貴族政権の成立」により、東京大学より文学博士の学位を取得、1965年(昭和40)には、東京大学史料編纂所所長となります。
1968年(昭和43)に東京大学教授を定年退官、早稲田大学文学部教授となり、翌年には紫綬褒章を受章しました。1978年(昭和53)に早稲田大学教授定年退職、勲三等旭日中綬章を受章、1988年(昭和63)には、日本学士院会員、文化功労者となります。
1991年(平成3)に『角川日本地名大辞典』編纂で、第45回毎日出版文化賞を受賞、1996年(平成8)には、文化勲章を受章しました。荘園史料集をまとめた『寧楽遺文 』(1943~44年) 、『平安遺文』 (1947~62年)などの実証的かつ緻密な研究で知られましたが、1997年(平成9)3月2日に、東京において、89歳で亡くなり、知多市名誉市民、叙従三位、賜銀杯一組を追贈されています。
〇竹内理三の主要な著作
・『奈良朝時代に於ける寺院経済の研究』(1931年)
・『日本上代寺院経済史の研究』(1934年)
・『寺領荘園の研究』(1942年)
・『寧楽遺文 (ならいぶん) 』(1943~44年)
・『平安遺文』全16巻 (1947~62年)
・『律令制と貴族政権』(1957年)
・『武士の登場』 (1965年)
・『鎌倉遺文』全46巻(1971~95年)
☆竹内理三関係略年表
・1907年(明治40)12月20日 愛知県知多郡岡田町(現在の知多市)において、機織工場の共同経営者である父・竹内仁重と母・志んの三男として生まれる
・1920年(大正9) 半田中学校(現在の愛知県立半田高等学校)へ入学する
・1924年(大正13) 半田中学校4年修了し、第八高等学校文科甲類入学する
・1927年(昭和2) 第八高等学校卒業し、東京帝国大学文学部国史学科入学する
・1930年(昭和5) 東京帝国大学文学部国史学科卒業、卒業論文は「奈良朝時代に於ける寺院経済の研究」、東京帝国大学史料編纂所業務嘱託となり、『大日本史料』第一編部に配属される
・1931年(昭和6) 大岡山書店から『奈良朝時代に於ける寺院経済の研究』が出版される
・1935年(昭和10) 東京帝国大学史料編纂所史料編纂官補となる
・1945年(昭和20) 東京帝国大学史料編纂所編纂官となる
・1948年(昭和23) 九州大学法文学部教授となる
・1949年(昭和24) 九州大学文学部教授となる
・1956年(昭和31) 西日本文化賞を受賞する
・1958年(昭和33) 『律令制と貴族政権』で、朝日文化賞を受賞する
・1959年(昭和34) 東京大学史料編纂所教授となる
・1961年(昭和36) 論文「日本に於ける貴族政権の成立」により東京大学より文学博士の学位を取得する
・1965年(昭和40) 東京大学史料編纂所所長となる
・1968年(昭和43) 東京大学教授定年退官、早稲田大学文学部教授となる
・1969年(昭和44) 紫綬褒章を受章する
・1978年(昭和53) 早稲田大学教授定年退職、勲三等旭日中綬章を受章する
・1988年(昭和63) 日本学士院会員、文化功労者となる
・1991年(平成3) 『角川日本地名大辞典』で、第45回毎日出版文化賞を受賞する
・1996年(平成8) 文化勲章を受章する
・1997年(平成9)3月2日 東京において、89歳で亡くなり、知多市名誉市民、叙従三位、賜銀杯一組を追贈される
・1992年(平成4) 早稲田大学名誉博士の称号を授与、東京大学名誉教授の称号を授与される
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
| 959年(天徳3) | 第64代の天皇とされる円融天皇の誕生日(新暦4月12日) | 詳細 |
| 1392年(元中9/明徳3) | 武将・守護大名・室町幕府管領細川頼之の命日(新暦3月25日) | 詳細 |
| 1886年(明治19) | 「帝国大学令」が公布される | 詳細 |
| 1899年(明治32) | 北海道アイヌの「保護」を名目として、「北海道旧土人保護法」が公布(同年4月1日施行)される | 詳細 |
| 1943年(昭和18) | 敵性語をやめ、野球用語も全面日本語化することを職業野球の理事会で決定する | 詳細 |
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