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 今日は、昭和時代後期の1966年(昭和41)に、大阪国際空港発松山空港行きの全日空533便(国産旅客機YS-11)が松山空港沖で墜落(全日空松山沖墜落事故)し、乗客・乗員50名全員が死亡した日です。
 全日空松山沖墜落事故(ぜんにっくうまつやまおきついらくじこ)は、大阪国際空港発松山空港行きの全日空533便(国産旅客機YS-11)が、松山空港への着陸に失敗したため、着陸復行しましたが、瀬戸内海沖合に墜落した航空機事故でした。これによって、新婚旅行の12組を含む乗客45名と乗員5名の計50名全員が死亡しています。
 この旅客機には、ボイスレコーダーとフライトレコーダーを搭載していなかったこともあり、事故調査委員会は墜落原因を特定することが出来なかったものの、調査報告書では、速度計の誤読あるいは故障等の推測原因を検討した上で、パイロットのミスを示唆していました。この事故により、同年2月4日に羽田沖墜落事故も起こしていた全日本空輸は、乗客からの信頼を喪失して経営困難に陥り、責任を取る形で、翌年に社長の岡崎嘉平太が辞任しています。また、当時の松山空港では、滑走路が1,200mしかないなど、地方空港の貧弱さが浮き彫りになり、この事故を契機に地方空港の滑走路の拡張・拡幅工事が進められたことにより、松山空港も現在では海面を埋め立てるなどして、滑走路が2,500mまで延長されました。

〇戦後の日本における重大航空機事故(死者30名以上)一覧

・1952年(昭和27)4月9日 日本航空301便(もく星号) 機種:マーチン2-0-2
 状況: 伊豆大島の三原山山頂付近に墜落。乗員乗客37人全員が死亡。
・1958年(昭和33)8月12日 全日本空輸25便 機種:ダグラスDC-3
 状況: エンジントラブルのため羽田空港に引き返そうとしたが、利島近海に墜落。乗員乗客33人全員が死亡。
・1966年(昭和41)2月4日 全日本空輸60便 機種:ボーイング727-81
 状況: 羽田空港着陸直前に東京湾に墜落(原因不明)。乗員乗客133人全員が死亡。
・1966年(昭和41)3月4日 カナダ太平洋航空402便 機種:ダグラスDC-8-43
 状況: 濃霧の中、羽田空港への着陸に失敗し爆発炎上。乗員乗客72人中64人が死亡。
・1966年(昭和41)3月5日 英国海外航空 (BOAC) 911便 機種:ボーイング707-436
 状況: 富士山上空で乱気流に巻き込まれて機体が空中分解し墜落。乗員乗客124人全員が死亡。
・1966年(昭和41)11月13日 全日本空輸533便 機種:日本航空機製造YS-11-111
 状況: 松山空港への着陸に失敗したため、着陸復行したが瀬戸内海沖合に墜落。乗員乗客50人全員が死亡。
・1971年(昭和46)7月3日 東亜国内航空63便(ばんだい号) 機種:日本航空機製造YS-11A-217
 状況: 函館空港への着陸アプローチ中に山間部に墜落。乗員乗客68人全員が死亡。
・1971年(昭和46)7月30日 全日本空輸58便と航空自衛隊訓練機 機種:ボーイング727-281とノースアメリカンF-86Fセイバー
 状況: 岩手県雫石町上空で空中衝突。全日空機の乗員乗客162人全員が死亡。
・1985年(昭和60)8月12日 日本航空123便 機種:ボーイング747SR-46
 状況: 1978年6月の尻もち事故の際にボーイング社が修理ミスを起こしたために、飛行中に圧力隔壁が破壊され、操縦系統が破損し操縦不能に陥り迷走した後に墜落。乗員乗客524人中520人が死亡。
・1994年(平成6)4月26日 中華航空140便 機種:エアバスA300B4-622R
 状況:名古屋空港への着陸復行の際に操縦士と機体制御システムが相反したあげく、失速し墜落。乗員乗客271人中264人が死亡。

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1752年(宝暦2)浮世絵師・宮川派の祖宮川長春の命日(新暦12月18日)詳細
1904年(明治37)週刊「平民新聞」第53号に、日本初の翻訳された『共産党宣言』(第三章を除く)が掲載される詳細
1940年(昭和15)第4回御前会議において「支那事変処理要綱」が決定される詳細
1973年(昭和48)詩人・作詞家・作家サトーハチローの命日詳細
1997年(平成9)北陸自動車道の新潟亀田~新潟空港が開通し、米原~新潟空港間が全通する詳細