
西塚泰美(にしづか やすとみ)は、1932年(昭和7)7月12日に、兵庫県芦屋市において生まれましたが、愛知県名古屋市で育ちました。1951年(昭和26)に愛知県立瑞陵高校を卒業して京都大学医学部へ入学し、1957年(昭和32)には卒業します。
1962年(昭和37)に京都大学医学部助手となり、翌年に博士号を取得、1964年(昭和39)には助教授に昇任し、ロックフェラー大学客員研究員ともなりました。1968年(昭和43)に神戸大学医学部教授となり、1975年(昭和50)には、「ホルモンによる代謝の調節機構に関する研究」により、松永賞を受賞します。
1977年(昭和52)に、細胞の外から内へ情報を伝える物質を牛の脳細胞から取り出すことに成功、「蛋白質リン酸化酵素C (プロテインキナーゼC) 」と命名されたこの酵素が情報を伝えるだけでなく情報のあと始末役もすることを解明しました。1982年(昭和57)に、「ホルモン及び神経伝達物質の受容機構に関する研究」で、武田医学賞を受賞、1984年(昭和59)には、ハーバード大学医学部客員教授となります。
1986年(昭和61)に、「ホルモンおよび神経伝達物質の作用機構に関する研究」で、朝日賞、「ホルモン作用における情報の受容伝達機構に関する研究」で日本学士院賞を受賞、翌年には、文化功労者にもなりました。1988年(昭和63)に、スローン賞(米国)、アルフレッド賞、ガードナー国際賞を受賞、文化勲章も受章します。
1989年(平成元)に、アメリカ医学会の最高賞であるアルバート・ラスカー基礎医学研究賞を受賞、1990年(平成2)には、タンフォード大学客員教授となり、ロンドン王立協会外国人会員に選出されました。1991年(平成3)にバレンシア細胞研究所(スペイン)客員研究員、1992年(平成4)にワシントン大学客員教授ともなり、国際的に活躍します。
これにより、1992年(平成4)にブレメンダル賞(オランダ)、1994年(平成6)にウルフ賞医学部門、デールメダル(英国内分泌学会)、1995年(平成7)にディアズ賞(スペイン)、エルンスト・シエーリング賞を受賞するなど、国際的に評価されました。1995年(平成7)~2001年(平成13)まで神戸大学長も務め、退官後は名誉教授ともなります。
2001年(平成13)に兵庫県成人病センター総長となったものの、2004年(平成16)11月4日に、兵庫県神戸市において、72歳で亡くなり、従三位と銀杯一組を追贈されました。
1962年(昭和37)に京都大学医学部助手となり、翌年に博士号を取得、1964年(昭和39)には助教授に昇任し、ロックフェラー大学客員研究員ともなりました。1968年(昭和43)に神戸大学医学部教授となり、1975年(昭和50)には、「ホルモンによる代謝の調節機構に関する研究」により、松永賞を受賞します。
1977年(昭和52)に、細胞の外から内へ情報を伝える物質を牛の脳細胞から取り出すことに成功、「蛋白質リン酸化酵素C (プロテインキナーゼC) 」と命名されたこの酵素が情報を伝えるだけでなく情報のあと始末役もすることを解明しました。1982年(昭和57)に、「ホルモン及び神経伝達物質の受容機構に関する研究」で、武田医学賞を受賞、1984年(昭和59)には、ハーバード大学医学部客員教授となります。
1986年(昭和61)に、「ホルモンおよび神経伝達物質の作用機構に関する研究」で、朝日賞、「ホルモン作用における情報の受容伝達機構に関する研究」で日本学士院賞を受賞、翌年には、文化功労者にもなりました。1988年(昭和63)に、スローン賞(米国)、アルフレッド賞、ガードナー国際賞を受賞、文化勲章も受章します。
1989年(平成元)に、アメリカ医学会の最高賞であるアルバート・ラスカー基礎医学研究賞を受賞、1990年(平成2)には、タンフォード大学客員教授となり、ロンドン王立協会外国人会員に選出されました。1991年(平成3)にバレンシア細胞研究所(スペイン)客員研究員、1992年(平成4)にワシントン大学客員教授ともなり、国際的に活躍します。
これにより、1992年(平成4)にブレメンダル賞(オランダ)、1994年(平成6)にウルフ賞医学部門、デールメダル(英国内分泌学会)、1995年(平成7)にディアズ賞(スペイン)、エルンスト・シエーリング賞を受賞するなど、国際的に評価されました。1995年(平成7)~2001年(平成13)まで神戸大学長も務め、退官後は名誉教授ともなります。
2001年(平成13)に兵庫県成人病センター総長となったものの、2004年(平成16)11月4日に、兵庫県神戸市において、72歳で亡くなり、従三位と銀杯一組を追贈されました。
〇西塚泰美関係略年表
・1932年(昭和7)7月12日 兵庫県芦屋市において、生まれる
・1951年(昭和26) 愛知県立瑞陵高校を卒業し、京都大学医学部へ入学する
・1957年(昭和32) 京都大学医学部を卒業する
・1962年(昭和37) 京都大学医学部助手となる
・1963年(昭和38) 京都大学大学院医学研究科博士課程を修了する
・1964年(昭和39) 京都大学医学部助教授となり、ロックフェラー大学客員研究員ともなる
・1968年(昭和43) 神戸大学医学部教授となる
・1975年(昭和50) 「ホルモンによる代謝の調節機構に関する研究」により、松永賞を受賞する
・1977年(昭和52) 細胞の外から内へ情報を伝える物質を牛の脳細胞から取り出すことに成功、「蛋白質リン酸化酵素C (プロテインキナーゼC) 」と命名されたこの酵素が情報を伝えるだけでなく情報のあと始末役もすることを解明する
・1980年(昭和55) 生物科学総合研究機構基礎生物学研究所教授を併任(1981年4月まで)
・1981年(昭和56) 岡崎国立共同研究機構基礎生物学研究所教授を併任(1985年3月まで)
・1982年(昭和57) 「ホルモン及び神経伝達物質の受容機構に関する研究」で、武田医学賞を受賞する
・1984年(昭和59) ハーバード大学医学部客員教授となる
・1986年(昭和61) 「ホルモンおよび神経伝達物質の作用機構に関する研究」で、朝日賞、「ホルモン作用における情報の受容伝達機構に関する研究」で日本学士院賞を受賞する
・1987年(昭和62) 文化功労者に選出される
・1988年(昭和63) スローン賞(米国)、アルフレッド賞、ガードナー国際賞を受賞、文化勲章も受章する
・1989年(平成元) 神戸大学理学部教授併任(1992年3月まで)、アルバート・ラスカー基礎医学研究賞を受賞する
・1990年(平成2) スタンフォード大学客員教授となり、ロンドン王立協会外国人会員に選出される
・1991年(平成3) バレンシア細胞研究所(スペイン)客員研究員となる
・1992年(平成4) ワシントン大学客員教授となり、神戸大学バイオシグナル研究センター長ともなる(1995年2月まで)、京都賞基礎科学部門、ブレメンダル賞(オランダ)を受賞する
・1994年(平成6) 京都大学ウイルス研究所教授を併任(1995年2月まで)、ウルフ賞医学部門、デールメダル(英国内分泌学会)を受賞する
・1995年(平成7) 神戸大学学長となる(2001年2月まで、医療技術短期大学部学長兼務(1998年3月まで))、ディアズ賞(スペイン)、エルンスト・シエーリング賞を受賞する
・1996年(平成8) バナジーメダル(インド・カルカッタ大学学術賞)を受賞する
・2001年(平成13) 神戸大学を退官して名誉教授となり、兵庫県成人病センター総長となる
・2003年~2004年 トムソン・ロイター引用栄誉賞を受賞する
コメント
コメント一覧 (1)
ノーベル賞は取れなくても偉大な業績を残さした科学者でした
ガウス
が
しました