
辻善之助(つじ ぜんのすけ)は、明治時代前期の1877年(明治10)4月15日に、兵庫県姫路元塩町(現在の姫路市)において、父・辻善次郎、母・つねの子として生まれました。姫路中学校、第三高等中学校予科を経て、1896年(明治29)に第一高等学校を卒業し、帝国大学文科大学国史科へ入学します。
1899年(明治32)に卒業後、同大大学院へ進み、日本仏教史の研究を進め、1902年(明治35)には、東京帝国大学史料編纂掛史料編纂員となりました。「政治ノ方面ヨリ観察シタル日本仏教史 - 徳川時代ノ初期 - 」と「安国寺考」「安国寺志料」により、1909年(明治42)に東京帝国大学より文学博士の学位を取得します。
1911年(明治44)に東京帝国大学文科大学助教授兼任となり、欧米に留学、万国東洋学会に出席し、翌年帰国しました。1920年(大正9)に東京帝国大学史料編纂掛事務主任となり、1921年(大正10)には、『日本仏教史之研究』で、帝国学士院恩賜賞を受賞します。
1922年(大正11)に古社寺保存会委員となり、1923年(大正12)に東京帝国大学教授に昇任し、国史学第二講座を担当、1924年(大正13)には、臨時御歴代史実考査委員会委員、京都御所東山御文庫取調掛となりました。1926年(大正15)に東京帝国大学教授兼史料編纂官となり、国史学第一講座を担当、1929年(昭和4)には、東京帝国大学史料編纂所初代所長となり、国宝保存会委員ともなります。
1932年(昭和7)に帝国学士院会員となり、1938年(昭和13)、東京帝国大学を停年退官し、名誉教授となり、聖心女子学院専門学校教授となりました。1949年(昭和24)に立正大学教授となり、1952年(昭和27)文化勲章を受章、1953年(昭和28)、立正大学教授を退職、『日本仏教史』で、朝日文化賞を受賞します。
実証的な仏教史研究に業績を残し、いわゆる“辻仏教史学”を打ち立てましたが、1955年(昭和30)10月13日に、東京において、78歳で亡くなりました。
1899年(明治32)に卒業後、同大大学院へ進み、日本仏教史の研究を進め、1902年(明治35)には、東京帝国大学史料編纂掛史料編纂員となりました。「政治ノ方面ヨリ観察シタル日本仏教史 - 徳川時代ノ初期 - 」と「安国寺考」「安国寺志料」により、1909年(明治42)に東京帝国大学より文学博士の学位を取得します。
1911年(明治44)に東京帝国大学文科大学助教授兼任となり、欧米に留学、万国東洋学会に出席し、翌年帰国しました。1920年(大正9)に東京帝国大学史料編纂掛事務主任となり、1921年(大正10)には、『日本仏教史之研究』で、帝国学士院恩賜賞を受賞します。
1922年(大正11)に古社寺保存会委員となり、1923年(大正12)に東京帝国大学教授に昇任し、国史学第二講座を担当、1924年(大正13)には、臨時御歴代史実考査委員会委員、京都御所東山御文庫取調掛となりました。1926年(大正15)に東京帝国大学教授兼史料編纂官となり、国史学第一講座を担当、1929年(昭和4)には、東京帝国大学史料編纂所初代所長となり、国宝保存会委員ともなります。
1932年(昭和7)に帝国学士院会員となり、1938年(昭和13)、東京帝国大学を停年退官し、名誉教授となり、聖心女子学院専門学校教授となりました。1949年(昭和24)に立正大学教授となり、1952年(昭和27)文化勲章を受章、1953年(昭和28)、立正大学教授を退職、『日本仏教史』で、朝日文化賞を受賞します。
実証的な仏教史研究に業績を残し、いわゆる“辻仏教史学”を打ち立てましたが、1955年(昭和30)10月13日に、東京において、78歳で亡くなりました。
〇辻善之助の主要な著作
・『田沼時代』(1915年)
・『日本仏教史の研究』正・続(1919年、1931年)帝国学士院恩賜賞受賞
・『日本仏教史』10巻(1944~1955年)朝日文化賞受賞
・『日本文化史』7巻・別録4巻(1948~1953年)
・編著『明治維新神仏分離史料』
・編著『国史大辞典』(4巻までで未完)
☆辻善之助関係略年表
・1877年(明治10)4月15日 兵庫県姫路元塩町(現在の姫路市)において、父・辻善次郎、母・つねの子として生まれる
・1893年(明治26) 姫路中学校(現在の兵庫県立姫路西高等学校)より京都の第三高等中学校予科3年に編入する
・1894年(明治27) 学制改革で第三高等学校に改組の上、予科が廃止されると、第一高等学校に転校する
・1896年(明治29) 第一高等学校を卒業し、帝国大学文科大学国史科へ入学する
・1899年(明治32) 東京帝国大学文科大学国史科を卒業し、同大大学院へ入学する
・1902年(明治35) 東京帝国大学史料編纂掛史料編纂員となる
・1904年(明治37) 博士論文として、「政治ノ方面ヨリ観察シタル日本仏教史 - 徳川時代ノ初期 - 」と「安国寺考」「安国寺志料」を東京帝国大学に提出する
・1905年(明治38) 東京帝国大学史料編纂掛史料編纂官となる
・1909年(明治42) 東京帝国大学より文学博士の学位を取得する
・1910年(明治43) 三重県の高田専修寺で親鸞の真蹟30数点を発見し紹介する
・1911年(明治44) 東京帝国大学文科大学助教授となり、欧米に留学する
・1912年(大正元) 欧米留学より帰国し、従五位となる
・1918年(大正7) 正五位となる
・1920年(大正9) 東京帝国大学史料編纂掛事務主任となる
・1921年(大正10) 『日本仏教史之研究』で、帝国学士院恩賜賞を受賞する
・1922年(大正11) 古社寺保存会委員となる
・1923年(大正12) 東京帝国大学教授となり、国史学第二講座を担当する
・1924年(大正13) 臨時御歴代史実考査委員会委員、京都御所東山御文庫取調掛となる
・1926年(大正15) 東京帝国大学教授兼史料編纂官となり、国史学第一講座を担当する
・1929年(昭和4) 東京帝国大学史料編纂所初代所長となり、国宝保存会委員ともなる
・1932年(昭和7) 帝国学士院会員となる
・1938年(昭和13) 東京帝国大学教授を停年退官し、名誉教授となり、聖心女子学院専門学校教授となる
・1940年(昭和15) 紀元二千六百年奉祝記念にあたり『聖徳餘光』を編む
・1949年(昭和24) 立正大学教授となる
・1952年(昭和27) 文化勲章を受章する
・1953年(昭和28) 立正大学教授を退職、『日本仏教史』で、朝日文化賞を受賞する
・1955年(昭和30)10月13日 東京において、78歳で亡くなる
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
709年(和銅2) | 第49代の天皇とされる光仁天皇の誕生日(新暦11月18日) | 詳細 |
1282年(弘安5) | 鎌倉時代の僧侶・日蓮宗の開祖日蓮の命日(新暦11月14日) | 詳細 |
1707年(宝永4) | 俳人・蕉門十哲の一人服部嵐雪の命日(新暦11月6日) | 詳細 |
1804年(文化元) | 華岡青洲が世界初の麻酔薬を使った手術に成功(新暦11月14日) | 詳細 |
1908年(明治41) | 明治天皇により「戊申詔書」が発布(翌日の官報掲載)される | 詳細 |
コメント