
野島埼灯台(のじまざきとうだい)は、房総半島最南端の千葉県安房郡白浜町の岬に立つ、白亜の八角形をした美しい大型灯台で、幕末の1866年(慶応2)5月に、アメリカ、イギリス、フランス、オランダの4ヶ国と結んだ「改税約書」(別名「江戸条約」)によって建設することを約束した8ヶ所の灯台の一つでした。これらを条約灯台とも呼び、日本で最初に建設された一群の洋式灯台でもあります。
これらが順次建設され、 観音崎灯台に続いて、日本で2番目に初点灯しましたが、野島崎は東京湾に出入りする船舶にとっては、昔からの重要ポイントでした。F・L・ヴェルニーを首長とするフランス人技師たちの設計によって建設された当初は、白色八角形のレンガ造灯台で、基礎から灯火までが30mの高さで、フランス製の第1等フレネル式レンズを使用した第1等灯台で、石油灯器の6,500カンデラだったそうです。
しかしながら、関東大震災で、地上6mの所で折れて、大音響と共に倒壊してしまいました。 現在の白色塔形(八角形)コンクリート造 りの灯台は、その後1925年(大正14)8月15日に、再建されたものですが、1945年(昭和20)太平洋戦争の攻撃で大きな被害を受け、1946年(昭和21)11月12日に完全復旧したものです。
尚、野島埼とあるは昔の書き方で、1962年(昭和37)に埼を崎と改め、サキをザキと呼ぶようになったそうですが、灯台の方は以前の呼び方のままとされてきました。現況は、灯塔高(地上~塔頂)29m、標高(平均海面~灯火)38m、第2等フレネル式レンズを使い、光度73万カンデラ(実効光度)で、光達距離は17海里(約32km)です。
これらが順次建設され、 観音崎灯台に続いて、日本で2番目に初点灯しましたが、野島崎は東京湾に出入りする船舶にとっては、昔からの重要ポイントでした。F・L・ヴェルニーを首長とするフランス人技師たちの設計によって建設された当初は、白色八角形のレンガ造灯台で、基礎から灯火までが30mの高さで、フランス製の第1等フレネル式レンズを使用した第1等灯台で、石油灯器の6,500カンデラだったそうです。
しかしながら、関東大震災で、地上6mの所で折れて、大音響と共に倒壊してしまいました。 現在の白色塔形(八角形)コンクリート造 りの灯台は、その後1925年(大正14)8月15日に、再建されたものですが、1945年(昭和20)太平洋戦争の攻撃で大きな被害を受け、1946年(昭和21)11月12日に完全復旧したものです。
尚、野島埼とあるは昔の書き方で、1962年(昭和37)に埼を崎と改め、サキをザキと呼ぶようになったそうですが、灯台の方は以前の呼び方のままとされてきました。現況は、灯塔高(地上~塔頂)29m、標高(平均海面~灯火)38m、第2等フレネル式レンズを使い、光度73万カンデラ(実効光度)で、光達距離は17海里(約32km)です。
ここは、一般公開(有料大人200円)されている参観灯台で、上まで登ることができ、灯台上からは太平洋や遠く伊豆半島までも見渡せる、すばらしい眺望として知られてきました。また、灯台資料館(愛称「きらりん館」)が併設されていて、以前烏帽子島灯台で実際に使われていた第2等フレネル式の灯台レンズなど貴重な灯台関係資料も展示されています。
1998年(平成10)11月1日には、第50回灯台記念日の行事として、「日本の灯台50選」にも選定されました。
1998年(平成10)11月1日には、第50回灯台記念日の行事として、「日本の灯台50選」にも選定されました。
〇「改税約書」(別名「江戸条約」)とは?
幕末の1866年(慶応2年5月13日)に、アメリカ、イギリス、フランス、オランダの4ヶ国との間で結ばれた「安政五か国条約付属貿易章程」の改訂協約で、江戸において締結されたので、別名「江戸条約」とも呼ばれていました。
1863年(文久3)に長州藩がアメリカ、フランス、オランダの船を砲撃した下関事件に関連して、1865年(慶応元年9月)に、兵庫沖に集結した四国連合艦隊 (英・仏・米・蘭) の威嚇により、4ヶ国は、上京していた第14代将軍徳川家茂に対し、長州藩の下関での外国船砲撃事件の償金の3分の2を放棄する代りに、1858年(安政5)に結んだ「修好通商条約」の勅許、兵庫開港、関税率低減を要求します。これに対し、幕府は兵庫開港延期の代償として、関税率の引下げ要求に応じるほかなくなりました。
そして、輸入税に関して、「修好通商条約」の5~35%の従価税を廃止し、4ヵ年平均価格を原価とする一律5%を基準とする従量税とされ、きわめて不利な関税率となります。これによって、安価な外国商品が日本市場に流入し、産業資本の発達が厳しく阻害されることとなりました。その他、無税倉庫の設置や外国向け輸出品の国内運送非課税、貿易制限の撤去などがあわせて規定されます。
この後、明治時代における条約改正の主目標となり、ようやく1894年(明治27)に廃棄されました。
尚、この条約第11条「日本政府は外国交易の為め開きたる各港最寄船々の出入安全のため灯明台浮木瀬印木等を備ふへし」(灯明台規定)により、灯台を建設することを約束させられ、日本で初となる洋式灯台が8ヶ所(観音埼灯台、野島埼灯台、樫野埼灯台、神子元島灯台、剱埼灯台、伊王島灯台、佐多岬灯台、潮岬灯台)建設されることとなります。
☆「改税約書」(江戸条約)により建設された灯台(条約灯台)一覧
・観音埼灯台(神奈川県横須賀市)初点灯:1869年2月11日(旧暦:明治2年1月1日)
・野島埼灯台(千葉県南房総市)初点灯:1870年1月19日(旧暦:明治2年12月18日)
・樫野埼灯台(和歌山県串本町)初点灯:初点灯:1870年7月8日(旧暦:明治3年6月10日)
・神子元島灯台(静岡県下田市)初点灯:1871年1月1日(旧暦:明治3年11月11日)
・剱埼灯台(神奈川県三浦市)初点灯:1871年3月1日(旧暦:明治4年1月11日)
・伊王島灯台(長崎県長崎市)初点灯:1871年9月14日(旧暦:明治4年7月30日)
・佐多岬灯台(鹿児島県佐多町)初点灯:1871年11月30日(旧暦:明治4年10月18日)
・潮岬灯台(和歌山県串本町)初点灯:1873年(明治6)9月15日
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
1914年(大正3) | 東京駅の開業式が行われる(東京駅完成記念日) | 詳細 |
1947年(昭和22) | 「過度経済力集中排除法」が公布施行される | 詳細 |
1948年(昭和22) | 連合国最高司令官総司令部(GHQ)が日本経済自立復興の為の「経済安定9原則」を指令する | 詳細 |
1997年(平成9) | 東京湾横断道路(愛称:東京湾アクアライン)が開通する | 詳細 |
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