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 今日は、昭和時代前期の1935年(昭和10)に、映画監督・アニメーション演出家・プロデューサー・翻訳家高畑勲の生まれた日です。
 高畑勲(たかはた いさお)は、三重県宇治山田市(現在の伊勢市)で、高畑浅次郎の子として生まれ、1938年(昭和13)に同県津市に転居、1942年(昭和17)には、三重県立師範学校男子部付属国民学校に入学しました。1943年(昭和18)に父・浅次郎が岡山一中校長となるに伴って岡山市へ転居、岡山県立師範学校男子部付属国民学校に転入、1945年(昭和20)に太平洋戦争下の岡山空襲に遭っています。
 戦後、岡山大学付属中学校を経て、1954年(昭和29)に岡山県立岡山朝日高等学校を卒業、東京大学教養学部文科二類に入学、文学部仏文科に進みましたが、同期に大江健三郎、海老坂武らがいました。1959年(昭和34)に東京大学卒業後、東映動画(現在の東映アニメーション)に演出助手として入社します。
 テレビアニメ『狼少年ケン』で演出デビューし、1968年(昭和43)に劇場用長編初演出の『太陽の王子・ホルスの大冒険』で評価されました。一方で、東映動画労働組合で副委員長に就き、組合運動を通じ宮崎駿と知り合い親交を深めます。
 1971年(昭和46)に宮崎駿、小田部羊一と共にAプロダクションへ移籍、1973年(昭和48)には、宮崎駿、小田部羊一と共にズイヨー映像(現在の日本アニメーション)へ移りました。1974年(昭和49)からテレビアニメ『アルプスの少女ハイジ』の全話を演出、1976年(昭和51)には、テレビアニメ『母を訪ねて三千里』の全話を演出します。
 1979年(昭和54)にテレビアニメ『赤毛のアン』を脚本・演出しましたが、1981年(昭和56)には、テレコム・アニメーションフィルムへ移籍しました。1982年(昭和57)に『セロ弾きのゴーシュ』(脚本・監督)を公開、1984年(昭和59)には、『風の谷のナウシカ』をプロデュースします。
 1985年(昭和60)にスタジオジブリを宮崎駿・鈴木敏夫らと共に設立、翌年には『天空の城ラピュタ』をプロデュースしました。その後、『柳川堀割物語』(1987年)、『火垂るの墓』(1988年)、『おもひでぽろぽろ』(1991年)、『平成狸合戦ぽんぽこ』(1994年)を脚本・監督し、高い評価を得ます。
 それらの業績により、紫綬褒章(1998年)、ロカルノ国際映画祭名誉豹賞(2009年)、フランスのアヌシー国際アニメーション映画祭名誉功労賞(2014年)、フランス芸術文化勲章オフィシエ、第43回ウィンザー・マッケイ賞(2015年)など数々の栄誉に輝きました。しかし、2017年(平成29)夏頃から体調を崩して入退院を繰り返し、翌年4月5日に、肺がんのため東京都内の病院において、82歳で亡くなっています。

〇高畑勲の主要な監督作品

・『太陽の王子 ホルスの大冒険』(1968年)タシケント国際映画祭監督賞
・『パンダコパンダ』(1972年)
・『パンダコパンダ 雨ふりサーカスの巻』(1973年)
・『アルプスの少女ハイジ』(1974年、1975年、1979年)
・『母をたずねて三千里』(1976年、1980年)
・『赤毛のアン』(1979年)厚生省児童福祉文化賞
・劇場版『じゃりン子チエ』(1981年)
・『セロ弾きのゴーシュ』(1982年)第36回毎日映画コンクール大藤信郎賞
・『柳川堀割物語』(1987年)第42回毎日映画コンクール教育文化映画賞
・『火垂るの墓』(1988年)日本カトリック映画大賞、文化庁優秀映画、国際児童青少年映画センター賞、シカゴ国際児童映画祭最優秀アニメーション映画賞、シカゴ国際児童映画祭子供の権利部門第1位
モスクワ児童青少年国際映画祭グランプリ
・『おもひでぽろぽろ』(1991年)1992年芸術選奨文部大臣賞
・『平成狸合戦ぽんぽこ』(1994年)第49回毎日映画コンクールアニメーション映画賞、1995年度アヌシー国際アニメーション映画祭長編部門グランプリ
・『ホーホケキョ となりの山田くん』(1999年)第3回文化庁メディア芸術祭アニメーション部門優秀賞
・『かぐや姫の物語』(2013年)第68回毎日映画コンクールアニメーション映画賞、2015年 東京アニメアワード監督賞

☆高畑勲関係略年表

・1935年(昭和10)10月29日 三重県宇治山田市(現在の伊勢市)で、高畑浅次郎の子として生まれる
・1938年(昭和13) 三重県津市に転居する
・1942年(昭和17) 三重県立師範学校男子部付属国民学校に入学する
・1943年(昭和18) 父の転勤に伴い岡山県立師範学校男子部付属国民学校に転入する
・1954年(昭和29) 岡山県立岡山朝日高等学校を卒業、東京大学教養学部文科二類に入学する
・1956年(昭和31)4月 東京大学文学部仏文科に進むが、同期に大江健三郎、海老坂武らがいた
・1959年(昭和34)3月 東京大学を卒業する
・1959年(昭和34)4月 東映動画に演出助手として入社する
・1968年(昭和43) 劇場用長編初演出『太陽の王子・ホルスの大冒険』で評価をうける
・1971年(昭和46)6月10日 宮崎駿、小田部羊一と共にAプロダクションへ移籍する
・1973年(昭和48) 宮崎駿、小田部羊一と共にズイヨー映像(現・日本アニメーション)へ移籍する
・1974年(昭和49) テレビアニメ『アルプスの少女ハイジ』全話を演出する
・1976年(昭和51) テレビアニメ『母を訪ねて三千里』全話を演出する
・1978年(昭和53) 宮崎駿の『未来少年コナン』に(絵コンテ・演出)参加する
・1979年(昭和54) テレビアニメ『赤毛のアン』を脚本・演出する
・1981年(昭和56) テレコム・アニメーションフィルムへ移籍する
・1982年(昭和57) 『セロ弾きのゴーシュ』(脚本・監督)を公開する
・1983年(昭和58) 『NEMO/ニモ』の準備作業をするが米国側と意見が合わず演出を降板する
・1984年(昭和59) 『風の谷のナウシカ』(プロデューサー)を公開する
・1985年(昭和60) スタジオジブリを宮崎駿・鈴木敏夫らと共に設立する
・1986年(昭和61) 『天空の城ラピュタ』(プロデューサー)を公開する
・1987年(昭和62) 『柳川堀割物語』(脚本・監督)を公開する
・1988年(昭和63) 『火垂るの墓』(脚本・監督)を公開する
・1989年(平成元) 『魔女の宅急便』(音楽演出)を公開する
・1991年(平成3) 『おもひでぽろぽろ』(脚本・監督)を公開する
・1994年(平成6) 『平成狸合戦ぽんぽこ』(原作・脚本・監督)を公開する
・1995年(平成7) 若手演出家養成のための第1期東小金井村塾を主催する
・1998年(平成10) 秋の紫綬褒章を受章する
・1999年(平成11) 『ホーホケキョ となりの山田くん』(脚本・監督)を公開する
・2009年(平成21) ロカルノ国際映画祭名誉豹(ひょう)賞を受賞する
・2012年(平成24) ドキュメンタリー映画『いわさきちひろ 〜27歳の旅立ち〜』(出演)を公開する
・2013年(平成25) 『かぐや姫の物語』(原案・脚本・監督)を公開する
・2014年(平成26) フランスのアヌシー国際アニメーション映画祭で名誉功労賞を受賞する
・2015年(平成27) フランス芸術文化勲章オフィシエを受章、第43回ウィンザー・マッケイ賞を受賞する
・2017年(平成29)夏頃 体調を崩し入院する
・2018年(平成30)4月5日 肺がんのため東京都内の病院において、82歳で亡くなる

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

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