shyutsujingakutosoukoukai00

 今日は、昭和時代前期の1943年(昭和18)に、明治神宮外苑競技場で学徒出陣壮行のための出陣学徒壮行会が開かれた日です。
 出陣学徒壮行会(しゅつじんがくとそうこうかい)は、一般には文部省学校報国団本部主催、陸海軍省等の後援で、東京の明治神宮外苑競技場で開催されたものを言いますが、この他各地でこの日以降に壮行会が行われました。当日は、秋雨降る中だったものの、関東地方入隊学生を中心に7万人が集まり、その様子は2時間半にわたり社団法人日本放送協会(NHK)による実況中継がなされ、映画「学徒出陣」も製作されます。
 多くの人々が観客席で見守る中で、東京都・神奈川県・千葉県・埼玉県の各大学・高校・専門学校からの出陣学徒(東京帝国大学以下計77校)の入場行進(行進曲:観兵式分列行進曲「扶桑歌」 奏楽:陸軍戸山学校軍楽隊)、宮城(皇居)遙拝、岡部長景文部大臣による開戦詔書の奉読、東條英機首相による訓辞、東京帝国大学文学部学生の江橋慎四郎による答辞、「海行かば」の斉唱、などが行われ、最後に競技場から宮城まで行進して終わりました。それ以外にも、この日以後文部省主催の壮行会が全国7都市と満州などで開催されています。
 壮行会後に学生は徴兵検査を受け、同年12月1日に第1回学徒兵入営(陸軍)、続いて同月10日に第1回学徒兵入団(海軍)が行われました。入営・入団時に幹部候補生試験などを受け将校・下士官として出征した者が多かったのですが、短期の訓練を受けてから、中国大陸や南方戦線、南太平洋などの前線に送られ、多くの戦死者を出したとされます。
 尚、翌年の第2次学徒出陣以降は壮行会は行われませんでした。
 以下に、出陣学徒壮行会での東條英機首相の訓示と出陣学徒代表の答辞を全文掲載しておきますので、ご参照下さい。

〇出陣学徒壮行会の式次第 (文部省学校報国団本部主催、陸海軍省等の後援)

日時:1943年(昭和18)10月21日
会場:東京の明治神宮外苑競技場

・入場行進(行進曲:観兵式分列行進曲「扶桑歌」 奏楽:陸軍戸山学校軍楽隊)
・宮城(皇居)遙拝
・岡部長景文部大臣による「開戦詔書」の奉読
・東條英機首相による訓辞
・東京帝国大学文学部学生の江橋慎四郎による答辞
・「海行かば」の斉唱など
・競技場から宮城まで行進
・宮城前で「天皇陛下万歳」を叫び解散

〇出陣学徒壮行会での東條英機首相の訓示

 ここに明治神宮外苑の聖域において上らんとする学徒諸君の壮容に接し、所感を申し述べる機会を得ましたることは私の最も欣快[1]とする所である。
 かつて藤田東湖[2]先生が正気の歌を賦して、その劈頭[3]に「天地正大の気、粋然[4]として神州に錘まる[5]」と申されたのである。只今諸君の前に立ち親しく相見えて私は神州の正気粛然[6]として今ここに集結せられて居るのを感ずるものである。諸君は胸中深く既に決する所あり、腕を撫して国難に赴き烈々たる気魄[7]まさに旺なるものがあるのは私は諸君の輝く眸に十分御察しすることが出来るのである。
 若き諸君は今日まで皇国未曾有の一大試練期に直面しながら、なおいまだ、学窓[8]に止まり、鬱勃[9]たる報国[10]挺身[11]の決意躍動して抑え難きものがあったことと在ずるのである。しかるに、今や皇国三千年来の国運の決する極めて重大なる時局に直面し、緊迫せる内外の情勢は一日半日を忽せにする[12]ことを許さないのである。
 一億同胞[13]が悉く[14]戦闘配置につき、従来の行掛りを捨て、身を呈して各々その全力を尽くし、以て国難を克服すべき総力決戦の時期が正に到来したのである。御国の若人たる諸君が勇躍学窓[8]より、征途[15]に就き、祖先の遺風を昂揚[16]し仇なす敵を撃滅しで皇運[17]を扶翼[18]し奉る日は来たのである。
 大東亜[19]十億の民を、道義に基づいてその本然の姿に復帰しめるために壮途[20]に上るの日は来たのである。私はここに衷心[21]よりその門出を御祝い申し上げる次第である。素よリ、敵米英においても、諸君と同じく幾多の若い学徒が戦場に立っているのである。 
 諸君は彼等と戦場に相対し、気魄[22]においても戦闘力においても必ず彼等を圧倒すべきことを私は信じて疑わざるものである。申すまでもなく、諸君のその燃え上がる魂、その若き肉体、その清新なる血潮総てこれ、御国の大御宝なのである。ここの一切を大君[23]の御為に捧げ奉るは皇国[24]に生を享けたる諸君の進むべきただひとつの途である。諸君が悠久の大義[25]に生きる唯一の道なのである。諸君の門出の尊厳なる所以は、実にここに存するのである。
 諸君の光栄なる今日の門出に接し、我々の祖先が我が子の初陣に当たり、一家一門揃って祝い送ったのと同様の心持をもって、我々一億同胞[13]は心から敬意と感謝とをもって諸君の壮途[20]を祝い奉らんとするものである。
 願わくば、青年学徒諸君、私は諸君が昭和の御代における青年学徒の不抜なる意気と必勝の信念とをもって護国[26]の重責を全うし、後世に永く日本の光輝ある伝統を残されんことを諸君に期待し、かつこれを確信するものである。而して我我諸君の先輩も、亦諸君と共に一切を捧げて皇国[24]興隆[27]の礎石[28]たらんことを深く心に期してゐものである。
 必ずや其の責任を全うせられんことを、切に祈念して、諸君に対する私の壮行[29]の辞と致す次第である。

【注釈】

[1]欣快:きんかい=喜ばしく快いこと。また、そのさま。
[2]藤田東湖:ふじたとうこ=(1806~55年)江戸時代末期の水戸藩士で後期水戸学の大成者。
[3]劈頭:へきとう=物事のいちばん初め。最初。冒頭。
[4]粋然:すいぜん=まじりけのないさま。純粋なさま。
[5]神州に錘まる:しんしゅうにあつまる=神の国の重しとなる。
[6]粛然:しゅくぜん=ひっそりと静かな様子。
[7]気魄:きはく=はげしい気力。強い精神力。
[8]学窓:がくそう=学問をする所。まなびや。学校。
[9]鬱勃:うつぼつ=意気が盛んにわき起こるさま。
[10]報国:ほうこく=国のためにつくして、国の恩に報いること。
[11]挺身:ていしん=率先して身を投げ出し、困難な物事にあたること。
[12]忽せにする:ゆるがせにする=おろそかにする。
[13]一億同胞:いちおくどうほう=全国民がすべて兄弟姉妹であるという意味。
[14]悉く:ことごとく=残らず。すべて。
[15]征途:せいと=戦争などの戦いに向かう道。
[16]昂揚:こうよう=精神や気分を高めること。また、高まること。
[17]皇運:こううん=天皇の運。皇室の運命。
[18]扶翼:ふよく=仕事・任務がうまく進むように、助けること。
[19]大東亜:だいとうあ=ジアの東部「東亜」を誇張していう語。
[20]壮途:そうと=勇ましく出発すること。また、そのような門出。
[21]衷心:ちゅうしん=心の中。心の底。本心。
[22]気魄:きはく=はげしい気力。強い精神力。
[23]大君:おおきみ=天皇を尊敬していう言葉。
[24]皇国:こうこく=天皇が統治する国。
[25]悠久の大義:ゆうきゅうのたいぎ=天皇を頂く国家体制(国体)のこと。
[26]護国:ごこく=国を守ること。
[27]興隆:こうりゅう=勢いが盛んになること。
[28]礎石:そせき=建物の柱の沈下を防ぐために、下に据えておく石。基礎となる石。転じて、物事の基礎となるもの。
[29]壮行:そうこう=旅立ちに際して、その前途を祝し激励すること。

〇出陣学徒代表の答辞

 明治神宮外苑は学徒が多年武を練り、技を競い、皇国学徒の志気を発揚し来れる聖域なり。本日、この思い出多き地に於いて、近く入隊の栄を担い、戦線に赴くべき生等のため、かくも厳粛盛大なる壮行会を開催せられ、内閣総理大臣閣下、文部大臣閣下よりは、懇切なる御訓示忝くし、在学学徒代表より熱誠溢るる壮行の辞を恵与せられたるは、誠に無上の光栄にして、生等の面目、これに過ぐる事なく、衷心感激措く能はざるところなり。思うに大東亜戦争宣せられてより、是に二星霜、大御稜威の下、皇軍将士の善謀勇戦は、よく宿敵米英の勢力を東亜の天地より撃壤払拭し、その東亜侵略の拠点は悉く、我が手中に帰し、大東亜共栄圏の建設はこの確固として磐石の如き基礎の上に着々として進捗せり。
 然れども、暴虐飽くなき敵米英は今やその厖大なる物資と生産力とを擁し、あらゆる科学力を動員し、我に対して必死の反抗を試み、決戦相次ぐ戦局の様相は日を追って、熾烈の度を加え、事態益々重大なるものあり。時なるや、学徒出陣の勅令公布せらる。予ねて愛国の衷情を僅かに学園の内外に優渥なる趣旨を奉体して、近く勇躍軍務に従うを得るに至れるなり。また奮起せざらんや。
 生等今や、見敵必殺の銃剣を提げ、積年忍苦の精進研鑚を挙げて悉くこの光栄ある重任に捧げ、挺身以て頑敵を撃滅せん。生等もとより生還を期せず、在学学徒諸兄、また遠からずして生等に続き出陣の上は、屍を乗り越え乗り越え、邁往敢闘、以て大東亜戦争を完遂し、上宸襟を安んじ奉り、皇国を富岳の寿きに置かざるべからず。かくの如きは皇国学徒の本願とするところ、生等の断じて行する信条なり。
 生等謹んで宣戦の大召を奉戴し、益々、必勝の信念に透徹し、愈々不撓不屈の闘魂を堅待して決戦場裡に突進し、誓って皇国の万一に報い奉り、必ず各位の御期待に背かざらんとす。決意の一端を開陳し、以て答辞となす。

☆主要な出陣学徒壮行会一覧(1943年11月28日以降は開催されていない)

<1943年(昭和18)>
・10月21日 「出陣学徒壮行会」 於:東京市(明治神宮外苑競技場)
・10月21日 「出陣学徒壮行会」 於:台北市(台湾)
・10月30日 「出陣学徒壮行会」 於:京城市(朝鮮)
・11月3日 「満州国出陣学徒壮行式」 於:新京、ハルビン、奉天、大連(満州国)
・11月14日 「二世出陣学徒壮行会」 於:東京
・11月16日 「出陣学徒壮行会ならびに分列行進」 於:大阪府大阪市(中之島公園)
・11月18日 「関東北地方学徒壮行会」 於:宮城県仙台市
・11月19日 「出陣学徒壮行会」 於:兵庫県神戸市(東遊園地)
・11月21・22日 「東海地区学徒聯合演習及び出陣学徒壮行式」 於:愛知県名古屋市
・11月21日 「出陣学徒武運長久祈願祭並びに壮行会」 於:京都府京都市(平安神宮)
・11月27日 「学徒出陣壮行式」 於:上海(中国)
・11月28日 「出陣壮行式」 於:北海道札幌市

〇学徒出陣(がくとしゅつじん)とは?

 昭和時代前期の太平洋戦争の下で、戦局の悪化に伴って、徴兵猶予措置の停止に伴う学生・生徒の出陣を学徒出陣と呼んでいます。
 東条英機内閣は、兵員が不足する中で、1943年(昭和18)10月1日の閣議において、大学や専門学校などに通う理工系と教員養成系を除く学生・生徒の徴兵猶予を取り消しを決め、翌日勅令「在学徴集延期臨時特例」が公布・施行されました。これは、それまで「兵役法」第41条などの規定により大学・高等学校・専門学校(いずれも旧制)などの学生は26歳まで徴兵を猶予されていたのを、文科系学生のみ徴兵猶予を撤廃し、20歳以上の学生に適用させたものです。同時に「昭和十八年臨時徴兵検査規則」(昭和18年陸軍省令第40号)が定められ、同年10月と11月に徴兵検査を実施し丙種合格者(開放性結核患者を除く)までを12月に入隊させることとしました。
 この第1回学徒兵入隊を前にした10月21日に明治神宮外苑競技場(現在の国立競技場跡地)で出陣学徒壮行会が開かれ、関東地方の入隊学生を中心に7万人が集いました。学徒兵は、陸海軍部隊に配属され、短期の訓練を受けて、幹部候補生・見習士官などの下級将校や下士官として、中国大陸や南方戦線、南太平洋などの前線に送られます。
 1943年(昭和18)10月12日には「教育ニ関スル戦時非常措置方策」が閣議決定され、文科系の高等教育諸学校の縮小と理科系への転換、在学入隊者の卒業資格の特例なども定められました。12月24日には、「徴兵適齢臨時特例」(勅令第939号)で、徴兵年齢を19歳に引き下げ、さらに翌1944年(昭和19)10月18日には徴兵適齢が17歳に引き下げられ、敗戦までに兵役についた学徒の総数は、13万人とも言われていますが、多くの戦死者を出すことになります。
 学徒出陣に関して、敗戦後の1947年(昭和22)に東京大学戦没学生の手記『はるかなる山河に』が出され、1949年(昭和24)には、全国の大学の戦没学生の手記『きけわだつみのこえ』が出版され、大きな反響を呼んで、約200万部を売り上げる大ベストセラーとなりました。1950年(昭和25)には、『日本戦歿学生の手記 きけ、わだつみの声』というタイトルで、関川秀雄監督による映画化も実現し、その年の4月には、次の世代に戦争体験を伝える日本戦没学生記念会(通称「わだつみ会」)が結成され、不戦と平和の活動を続けています。2006年(平成18)には、東京都文京区本郷のマンション内に「わだつみのこえ記念館」が設立され、戦没学徒兵の遺品などが展示されてきました。

☆学徒出陣関係略年表

<1943年(昭和18)>
・10月1日 閣議において、大学や専門学校などに通う理工系と教員養成系を除く学生・生徒の徴兵猶予を取り消しを決める
・10月2日 勅令「在学徴集延期臨時特例」が公布・施行、同時に「昭和十八年臨時徴兵検査規則」(昭和18年陸軍省令第40号)が定められる
・10月12日 「教育ニ関スル戦時非常措置方策」が閣議決定され、文科系の高等教育諸学校の縮小と理科系への転換、在学入隊者の卒業資格の特例なども定められる
・10月21日 明治神宮外苑競技場(現在の国立競技場跡地)と台北市(台湾)で出陣学徒壮行会が開かれる
・10、11月 最初の学生の徴兵検査が実施される
・12月1日 第1回学徒兵入営(陸軍)
・12月10日 第1回学徒兵入団(海軍)
・12月24日 「徴兵適齢臨時特例」(勅令第939号)で、徴兵年齢を19歳に引き下げる

<1944年(昭和19)>
・10月18日 徴兵適齢が17歳に引き下げられる

<1947年(昭和22)>
・東京大学戦没学生の手記『はるかなる山河に』が出される

<1949年(昭和24)>
・10月20日 全国の大学の戦没学生の手記『きけわだつみのこえ』が出版される

<1950年(昭和25)>
・4月 日本戦没学生記念会(通称「わだつみ会」)が結成される
・6月15日 『日本戦歿学生の手記 きけ、わだつみの声』(関川秀雄監督)が映画化がさける

<2006年(平成18)>
・東京都文京区本郷のマンション内に「わだつみのこえ記念館」が設立され、戦没学徒兵の遺品などが展示される

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1684年(貞享元)江戸幕府第8代将軍徳川吉宗の誕生日(新暦11月27日)詳細
1818年(文政元)洋風画家・蘭学者・随筆家司馬江漢の命日(新暦11月19日)詳細
1946年(昭和21)「農地調整法」改正、「自作農創設特別措置法」公布により、第二次農地改革が開始される詳細
1971年(昭和46)小説家志賀直哉の命日(直哉忌)詳細