今日は、昭和時代前期の1943年(昭和18)の太平洋戦争下において、 東京都が上野動物園に戦時猛獣処分を指令した日です。
戦時猛獣処分(せんじもうじゅうしょぶん)は、戦争下で動物園において猛獣が逃亡し、被害を出すのを未然に防止するために、殺処分したことでした。太平洋戦争時には、1941年(昭和16)7月に、陸軍東部軍司令部より要請があって、東京上野動物園は同年8月11日に、『動物園非常処置要綱』を作成して提出します。
これは、万が一空襲があった場合の非常処置をこと細かく記載したもので、猛獣危険度により、「第一種」であるライオン・虎・熊・象等から、一番危険度の低い「第四種」カナリア・亀などに分類されて記されていました。そして、動物の処置の時期について、「第一期の防空下令・第二期の空襲の時に処置の準備を完了させ、 第三期の空襲による爆撃火災の危険近接したる時、近接の程度に応じて第一・第二種動物を順次処置し、更に危険のおよぶ時は第三種動物も順次処置す」と定められます。
1942年(昭和17)4月18日には、ドーリットル空襲(日本本土に対する初空襲)があり、その後もアメリカ軍の攻勢が続き、首都圏への空襲の危険が増大していきました。その中で、1943年(昭和18)8月16日に東京都は、『動物園非常処置要綱』に基づき、空襲で壊れた獣舎から逃げ出した動物が人間を襲うおそれや食糧難を理由に、上野動物園に対して飼育動物の殺処分命令を出します。
これによって、翌17日~9月23日の間に猛獣処分が行われ、ライオンやトラ、ヒョウ、クマ、ゾウなど14種27頭が薬殺や餓死により殺処分されました。他にも、天王寺動物園・京都市動物園・仙台市動物園・福岡市記念動物園などで多くの動物が殺処分されています。
〇東京都恩賜上野動物園で動物の非常処置により殺処分された動物一覧
・ホクマンヒグマ雌(3歳以上)─ 薬殺
・ホクマンヒグマ雄(推定6歳)─ 服薬,槍で刺殺
・ニホンツキノワグマ雄(9歳以上)─ 薬殺
・ニホンツキノワグマ雌(推定20歳)─ 絶食後,ロープで絞殺
・チョウセンクロクマ雄(推定15歳)─ 薬殺
・チョウセンクロクマ雌(3歳)─ 服薬,刺殺
・マレーグマ雄(推定9歳)─ 薬殺
・ホッキョクグマ雌(推定20歳)─ 飢餓死
・ホッキョクグマ雄(推定20歳)─ 絶食後,絞殺
・ライオン雌(8歳)─ 薬殺
・ライオン雌「カテリーナ」(推定16歳)─ 絶食,服薬,槍で刺殺
・ライオン雄「アリ」(16歳)─ 絶食後,薬殺
・ヒョウ雄「八紘」(1歳以上)─ 薬殺
・ヒョウ雌(推定11歳)─ 服薬失敗,ロープで絞殺
・ヒョウ雄(推定11歳)─ 薬殺
・クロヒョウ雄(推定12歳)─ 薬殺
・クロヒョウ雌(推定12歳)─ 服薬失敗,ロープで絞殺
・トラ雄(推定20歳)─ 薬殺
・チーター雌(推定15歳)─ 薬殺
・アメリカヤギュウ雌(19歳以上)─ ツルハシで撲殺
・アメリカヤギュウ雌(4歳)─ 撲殺
・ゾウ雄(9歳以上)─ 絶食後,餓死
・ゾウ雌「花子(ワンリー)」(年齢不明) ─ 絶食後,餓死
・ゾウ雄「トンキー」(年齢不明) ─ 絶食後,餓死
・ガラガラヘビ(年齢不明)─ 刺・絞殺,埋没
・ニシキヘビ雌(4歳以上)─ 絞・斬殺
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