ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事)

 学生時代からの大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。その中でいろいろと歴史に関わる所を巡ってきましたが、日々に関わる歴史上の出来事や感想を紹介します。Yahooブログ閉鎖に伴い、こちらに移動しました。

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 今日は、昭和時代中期の1965年(昭和40)に推理小説作家江戸川乱歩の亡くなった日ですが、「乱歩忌」とも呼ばれています。
 江戸川乱歩は、明治時代後期の1894年(明治27)10月21日に、三重県名賀郡名張町(現在の名張市)の名賀郡役所書記の父・平井繁男、母・きくの長男として生まれましたが、本名は平井太郎と言いました。
 旧制愛知県立第五中学校(現在の県立瑞陵高等学校)に在学中、押川春浪や黒岩涙香の小説を耽読、卒業後、早稲田大学政治経済学部に入学します。
 在学中から英米の探偵小説に関心を抱き、1916年(大正5)に早稲田大学政経学部卒業し、大阪の貿易会社に就職しました。その後、古本屋開業を経て、東京市役所吏員、屋台の支那そば屋、新聞記者など多くの職業を転々とします。
 1923年(大正12)、雑誌『新青年』に掲載された『二銭銅貨』で作家デビューし、筆名はエドガー・アラン・ポーをもじり、『D坂の殺人事件』、『心理試験』、『屋根裏の散歩者』、『人間椅子』(1925年)、『陰獣』(1928年)などの本格的推理小説を書きました。
 一方で、『押絵と旅する男』(1929年)、『孤島の鬼』(1929‐30年)のような幻想的な怪奇趣味の名編を発表します。また、1936年(昭和11)からは、『怪人二十面相』、『少年探偵団』などの少年向けのものも執筆して、好評を博しました。
 これらによって、日本の近代的な推理小説の礎を築きましたが、太平洋戦争中は事実上の執筆禁止の状態に追い込まれます。
 戦後は、1947年(昭和22)探偵作家クラブの初代会長となり、1954年(昭和29)には新人発掘を意図し、乱歩の寄付を基金として「江戸川乱歩賞」を創設、1963年(昭和38)には日本推理作家協会の初代理事長に就任するなど、推理小説発展のために尽力しました。
 一方で、主に評論家、プロデューサーとして活動し、評論集『幻影城』(1951年)、『続・幻影城』(1954年)を出版、1957年(昭和27)からは探偵小説誌『宝石』の編集・経営に携わり、自伝的エッセイ集『探偵小説四十年』(1961年)も残しています。
 生涯で約130の作品を発表し、多彩な活動を続けたものの、1965年(昭和40)7月28日に、東京において、70歳で亡くなりました。

〇江戸川乱歩の主要な作品

・『二銭銅貨』(1923年)
・『D坂の殺人事件』(1925年)
・『心理試験』(1925年)
・『屋根裏の散歩者』(1925年)
・『赤い部屋』(1925年)
・『石榴(ざくろ)』(1925年)
・『人間椅子』(1925年)
・『湖畔亭事件』(1926年)
・『鏡地獄』(1926‐27年)
・『パノラマ島奇譚』(1926‐27年)
・『陰獣』(1928年)
・『押絵と旅する男』(1929年)
・『蜘蛛男(くもおとこ)』(1929年)
・『孤島の鬼』(1929‐30年)
・『黄金仮面』(1930年)
・『黒蜥蜴』(1934年)
・評論集『幻影城』(1951年)
・評論集『続・幻影城』(1954年)
・『化人幻戯』(1954年)
・自伝的エッセイ集『探偵小説四十年』(1961年)
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 今日は、江戸時代中期の1719年(享保4)に、幕臣・大名・老中田沼意次(たぬま おきつぐ)の生まれた日ですが、新暦では9月11日となります。
 田沼意次は、江戸本郷弓町(現在の東京都文京区)で、旗本の田沼意行の嫡男として生まれましたが、幼名は龍助といいました。
 1734年(享保19)、数え年16歳のとき第8代将軍徳川吉宗の世子家重の小姓となり、1735年(享保20)には、父の死去に伴って家督を継ぎ、1737年(元文2)に主殿頭に叙任されます。
 1751年(宝暦元)に第9代将軍徳川家重の御側衆となり、1758年(宝暦8)には、加増により1万石を与えられて大名へ出世しました。
 1767年(明和4)に、側御用人となって知行2万石に加増され遠江相良に築城し、1772年(安永元)には老中に進んで、たびたびの加封で5万7千石を領するに至ります。この間、幕政の実権を掌握するようになり、印旛沼・手賀沼の干拓による新田開発等の積極的な経済政策をとり、いわゆる田沼時代を現出しました。
 しかし、物価が騰貴し、賄賂政治を横行させることにもなり、折しも明和の大火(1772年)、浅間山の天明大噴火(1783年)などの災害が続き、さらに天明の大飢饉が起こるにおよんで、批判が高まります。
 その中で、1784年(天明4)に子の意知が江戸城内で暗殺され、1786年(天明6)に、将軍家治が死去すると勢力を失って失脚、老中も辞任させられ、藩領収公により、1万石に減封されました。
 これらにより、失意のうちに1788年(天明8年6月24日)、江戸において、数え年70歳で亡くなりました。

〇田沼意次関係略年表(日付は旧暦です)

・1719年(享保4)7月27日 旗本の田沼意行の嫡男として生まれる
・1734年(享保19) 第8代将軍徳川吉宗の世子家重の小姓となる
・1735年(享保20) 父の死去に伴って家督(600石)を継ぐ
・1737年(元文2) 従五位下主殿頭に叙任される
・1747年(延享4) 小姓組番頭格となる
・1748年(寛延元) 1,400石を加増され、合計2,000石となる
・1751年(宝暦元)4月18日 第9代将軍徳川家重の御側衆となる
・1755年(宝暦5) 3,000石を加増され、合計5,000石となる
・1758年(宝暦8) 5,000石の加増により、合計1万石を与えられて大名となる
・1767年(明和4)7月1日 側御用人となって知行2万石に加増され遠江相良に築城する
・1769年(明和6)8月18日 侍従にあがり老中格となる
・1772年(明和9)1月15日 老中に進む
・1772年(明和9)2月29日 明和の大火が起こる
・1783年(天明3) 浅間山の天明大噴火が起こる
・1783年(天明3) 天明の大飢饉が始まる
・1784年(天明4)4月2日 子の意知が江戸城内で暗殺される
・1786年(天明6)8月25日 第10代将軍家治が死去する
・1786年(天明6)8月27日 老中を辞任させられる
・1786年(天明6)閏10月5日 家治時代の加増分の2万石を没収される
・1787年(天明7)10月2日 石高3万7,000石が召上げられ蟄居となる
・1788年(天明8)6月24日 江戸において、数え年70歳で亡くなる
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 今日は、江戸時代前期の1651年(慶安4)に、軍学者・慶安の変の首謀者由比正雪の自害した日ですが、新暦では9月10日となります。
 由比正雪は、江戸時代前期の軍学者で、1605年(慶長10)に、駿河国由比(毛現在の静岡県静岡市清水区)の農業兼紺屋の家に生まれたと言われています(駿府説もあります)。
 数え年17歳で江戸の親類のもとに奉公へ出て、楠木正辰の弟子となり軍学を学び、その婿養子となりました。その後、神田に楠木流軍学塾「張孔堂」を開き、旗本や大名の家臣、浪人など多くの門人を集めます。
 1651年(慶安4)の江戸幕府第3代将軍徳川家光の死に際し、丸橋忠弥、金井半兵衛、熊谷直義らとはかり、浪人を糾合して、幕府覆滅を図りました。
 しかし、内部からの訴人によって事前に漏れて、一党が捕縛され、同年7月26日に、駿府茶町(現在の静岡県静岡市)の旅宿梅屋において、数え年47歳で自害します。
 この事件を慶安の変(由比正雪の乱)といい、大名の減封・改易で増加していた浪人救済のための企てとも言われてきました。
 この直後に第4代将軍となった徳川家綱が、武断政治を文治政治に転換する契機の一つになったとも考えられています。

〇武断政治とは?

 武力を背景にして行われる専制的な政治手法、理念のことををいい、文治政治に対応します。
 日本では、江戸時代前期の幕藩体制の確立期(初代将軍徳川家康~第3代将軍徳川家光まで)にとられた政治政策とされてきました。
 関ケ原の戦いや大坂の陣以降に諸大名の減封・改易が多く行われ、これにより多くの浪人が生まれ社会問題化します。それに起因して起きた、慶安の変(1651年)や承応の変(1652年)の反省や幕藩体制の確立もあって、第4代将軍徳川家綱は文治政治に転換していきました。
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 今日は、江戸時代前期の1629年(寛永6)に、江戸幕府の高僧への紫衣の勅許の停止(紫衣事件)に抗議した沢庵らを東北へ流罪にした日ですが、新暦では9月12日となります。
 紫衣事件(しえじけん)は、江戸幕府の朝廷統制圧迫の政策を示す事件で、朝廷が大徳寺や妙心寺の僧侶に出した紫衣勅許を江戸幕府が無効としたものでした。
 江戸幕府は、1613年(慶長18)に、「紫衣着用の際はあらかじめ知らせること」という『勅許紫衣竝に山城大徳寺、妙心寺等諸寺入院の法度』を出します。さらに、2年後の1615年(慶長20)には『禁中並公家諸法度』を定めて、その16条で「一 紫衣の寺住持職、先規希有の事也。近年猥りに勅許の事、且つは臈次を乱し、且つは官寺を汚し、甚だ然るべからず。向後に於ては、其の器用を撰び、戒臈相積み智者の聞へ有らば、入院の儀申し沙汰有るべき事。」としていました。
 しかし、この頃は勅許による収入が朝廷の重要な財源となっていたこともあり、1626年(寛永3)に後水尾天皇はこれまでの慣例どおり、幕府に相談なく、大徳寺・妙心寺等の僧十数人に紫衣着用を許可します。
 江戸幕府は翌年に、事前に勅許の相談のなかったことは法度違反とし、多くの勅許状の無効を宣言し、紫衣を取り上げるよう命じました。
 大徳寺住職の沢庵宗彭、玉室宗珀、江月宗玩や妙心寺の単伝士印、東源慧等らの高僧も、朝廷に同調して幕府に抗弁書を提出して服従せず、江戸幕府は、1629年(寛永6年7月25日)に沢庵を出羽国上山に、玉室を陸奥国棚倉に、単伝を出羽国由利に配流の刑に処します。その上、1615年(元和元)以来幕府の許可なく着した紫衣を剝奪しました。また、同年11月8日の後水尾天皇の退位に繋がったと言われています。
 その後、1632年(寛永9)に、徳川秀忠(第2代将軍)の死去に際して、大赦令が出され、紫衣事件に連座した者たちは許されました。1641年(寛永18)には、事件の発端となった大徳寺と妙心寺の寺法旧復が第3代将軍徳川家光より正式に申し渡され、幕府から剥奪された大徳寺派・妙心寺派寺院の住持らの紫衣も復されています。

〇紫衣事件関係略年表(日付は旧暦です)

・1613年(慶長18)6月16日 江戸幕府が『勅許紫衣竝に山城大徳寺、妙心寺等諸寺入院の法度』を出す
・1615年(慶長20)7月17日 江戸幕府は『禁中並公家諸法度』16条によって、紫衣の勅許を規制する
・1626年(寛永3) 後水尾天皇は幕府に相談なく、大徳寺・妙心寺等の僧十数人に紫衣着用を許可する
・1627年(寛永4) 江戸幕府は事前に勅許の相談のなかったことは法度違反とし、多くの勅許状の無効を宣言する
・1629年(寛永6)7月25日 沢庵を出羽国上山に、玉室を陸奥国棚倉に、単伝を出羽国由利に配流の刑に処する
・1629年(寛永6)11月8日 後水尾天皇が退位する
・1632年(寛永9) 徳川秀忠(第2代将軍)の死去による大赦令が出され、紫衣事件に連座した者たちが許される
・1641年(寛永18) 大徳寺と妙心寺の寺法旧復が第3代将軍徳川家光より正式に申し渡され、紫衣も復される
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 今日は、昭和時代中期の1950年(昭和25)に、琵琶湖が第一号の国定公園に指定された日です。
 国定公園は、1950年(昭和25)の「国立公園法」の改正によって国立公園に準ずる地域を指定する制度が設けられ、同年7月24日にその第一号として琵琶湖国定公園が指定され、続いて、7月27日に佐渡弥彦国定公園(現在は佐渡弥彦米山国定公園)、7月29日に耶馬日田英彦山国定公園が指定されたのに始まりました。
 その後、1957年(昭和32)に公布・施行された「自然公園法」の中で、「国立公園に準ずる優れた自然の風景地であつて、環境大臣が第五条第二項の規定により指定するものをいう。 」(第2条3項)と規定される地域性公園となって受け継がれます。
 それからは、徐々に指定が増えていきましたが、中には国立公園に昇格したり、編入されたりしたものもあり、2016年(平成28)3月25日に、京都丹波高原国定公園が指定されて、差し引きして計56ヶ所になりました。
 これらの公園は、国が指定し、所在の都道府県が管理していて、総面積で1,409,725ha(2017年3月31日現在)あり、国土面積に対する割合は約3.7%で、年間利用者数は2億7,730万人(2014年度)です。
 国定公園の保護区分は、大きく分けて普通地域、特別地域、特別保護地区、海域公園地区の4つがあり、その状況に応じて風致景観の維持が図られてきました。

〇「自然公園法」とは?

 昭和時代中期の1957年(昭和32)6月1日に公布、同年10月1日に施行され、時々の状況に合わせて何度か改正されていますが、「優れた自然の風景地を保護するとともに、その利用の増進を図ることにより、国民の保健、休養及び教化に資するとともに、生物の多様性の確保に寄与することを目的とする」(第1条)とした法律です。
 自然公園審議会の設置、国立公園・国定公園・都道府県立自然公園(以上3種を自然公園という)の指定、その保護と利用、公園の事業費用の負担などについて規定し。それまで国立公園を規定していた、1931年(昭和6)制定の「国立公園法」にかわる法律として制定されました。
 以下に、「自然公園法」の前半部分を掲載しておきますので、ご参照ください。

☆「自然公園法」 (抄文)  昭和32年6月1日法律第161号 最終改正 平成26年6月13日法律第69号

第一章 総則

(目的)

第一条  この法律は、優れた自然の風景地を保護するとともに、その利用の増進を図ることにより、国民の保健、休養及び教化に資するとともに、生物の多様性の確保に寄与することを目的とする。

(定義)

第二条  この法律において、次の各号に掲げる用語の意義は、それぞれ当該各号に定めるところによる。
一  自然公園 国立公園、国定公園及び都道府県立自然公園をいう。
二  国立公園 我が国の風景を代表するに足りる傑出した自然の風景地(海域の景観地を含む。次章第六節及び第七十四条を除き、以下同じ。)であつて、環境大臣が第五条第一項の規定により指定するものをいう。
三  国定公園 国立公園に準ずる優れた自然の風景地であつて、環境大臣が第五条第二項の規定により指定するものをいう。
四  都道府県立自然公園 優れた自然の風景地であつて、都道府県が第七十二条の規定により指定するものをいう。
五  公園計画 国立公園又は国定公園の保護又は利用のための規制又は事業に関する計画をいう。
六  公園事業 公園計画に基づいて執行する事業であつて、国立公園又は国定公園の保護又は利用のための施設で政令で定めるものに関するものをいう。
七  生態系維持回復事業 公園計画に基づいて行う事業であつて、国立公園又は国定公園における生態系の維持又は回復を図るものをいう。

(国等の責務)

第三条  国、地方公共団体、事業者及び自然公園の利用者は、環境基本法 (平成五年法律第九十一号)第三条 から第五条 までに定める環境の保全についての基本理念にのつとり、優れた自然の風景地の保護とその適正な利用が図られるように、それぞれの立場において努めなければならない。
2  国及び地方公共団体は、自然公園に生息し、又は生育する動植物の保護が自然公園の風景の保護に重要であることにかんがみ、自然公園における生態系の多様性の確保その他の生物の多様性の確保を旨として、自然公園の風景の保護に関する施策を講ずるものとする。

(財産権の尊重及び他の公益との調整)

第四条  この法律の適用に当たつては、自然環境保全法 (昭和四十七年法律第八十五号)第三条 で定めるところによるほか、関係者の所有権、鉱業権その他の財産権を尊重するとともに、国土の開発その他の公益との調整に留意しなければならない。


第二章 国立公園及び国定公園

  第一節 指定

(指定)

第五条  国立公園は、環境大臣が、関係都道府県及び中央環境審議会(以下「審議会」という。)の意見を聴き、区域を定めて指定する。
2  国定公園は、環境大臣が、関係都道府県の申出により、審議会の意見を聴き、区域を定めて指定する。
3  環境大臣は、国立公園又は国定公園を指定する場合には、その旨及びその区域を官報で公示しなければならない。
4  国立公園又は国定公園の指定は、前項の公示によつてその効力を生ずる。

(指定の解除及び区域の変更)

第六条  環境大臣は、国立公園の指定を解除し、又はその区域を変更しようとするときは、関係都道府県及び審議会の意見を聴かなければならない。
2  環境大臣は、国定公園の指定を解除し、又はその区域を変更しようとするときは、関係都道府県及び審議会の意見を聴かなければならない。ただし、その区域を拡張するには、関係都道府県の申出によらなければならない。
3  前条第三項及び第四項の規定は、国立公園又は国定公園の指定の解除及びその区域の変更について準用する。

  第二節 公園計画

(公園計画の決定)

第七条  国立公園に関する公園計画は、環境大臣が、関係都道府県及び審議会の意見を聴いて決定する。
2  国定公園に関する公園計画は、環境大臣が、関係都道府県の申出により、審議会の意見を聴いて決定する。
3  環境大臣は、公園計画を決定したときは、その概要を官報で公示し、かつ、その公園計画を一般の閲覧に供しなければならない。

(公園計画の廃止及び変更)

第八条  環境大臣は、国立公園に関する公園計画を廃止し、又は変更しようとするときは、関係都道府県及び審議会の意見を聴かなければならない。
2  環境大臣は、国定公園に関する公園計画を廃止し、又は変更しようとするときは、関係都道府県及び審議会の意見を聴かなければならない。ただし、その公園計画を追加するには、関係都道府県の申出によらなければならない。
3  前条第三項の規定は、環境大臣が公園計画を廃止し、又は変更したときについて準用する。

  第三節 公園事業

(公園事業の決定)

第九条  国立公園に関する公園事業(以下「国立公園事業」という。)は、環境大臣が、審議会の意見を聴いて決定する。
2  国定公園に関する公園事業(以下「国定公園事業」という。)は、都道府県知事が決定する。
3  環境大臣は、国立公園事業を決定したときは、その概要を公示しなければならない。
4  都道府県知事は、国定公園事業を決定したときは、その概要を公示しなければならない。
5  第一項及び第三項の規定は環境大臣が行う国立公園事業の廃止又は変更について、前項の規定は都道府県知事が行う国定公園事業の廃止又は変更について準用する。

(以下略)


☆日本の国定公園一覧 (56件)

・暑寒別天売焼尻国定公園(北海道)1990年8月1日指定 面積43,559ha
【主要な地域】暑寒別山地、雨竜沼湿原、天売島、焼尻島、ルーラン奇勝など
・網走国定公園(北海道)1958年7月1日指定 面積37,261ha
【主要な地域】網走五湖、小清水原生花園、天都山など
・ニセコ積丹小樽海岸国定公園(北海道)1963年7月24日指定 面積19,009ha
【主要な地域】ニセコ連峰の一部、積丹、小樽海岸など
・日高山脈襟裳国定公園(北海道)1981年10月1日指定 面積103,447ha
【主要な地域】日高山脈、襟裳岬、アポイ岳など
・大沼国定公園(北海道)1958年7月1日指定 面積9,083ha
【主要な地域】渡島駒ヶ岳、大沼
・下北半島国定公園(青森県)1968年7月22日指定 面積18,641ha
【主要な地域】仏ヶ浦、恐山、大間崎、尻屋崎など
・津軽国定公園(青森県)1975年3月31日指定 面積25,966ha
【主要な地域】岩木山、十二湖、深浦海岸、十三湖など
・早池峰国定公園(岩手県)1982年6月10日指定 面積5,463ha
【主要な地域】早池峰山
・栗駒国定公園(岩手・宮城・秋田・山形県)1968年7月22日指定 面積77,140ha
【主要な地域】栗駒山地、夏油温泉、鬼首温泉郷、鳴子峡、小安峡など
・蔵王国定公園(宮城・山形県)1963年8月8日指定 面積39,635ha
【主要な地域】蔵王山、山寺
・男鹿国定公園(秋田 1973年5月15日指定 面積8,156ha
【主要な地域】入道崎、一ノ目潟など
・鳥海国定公園(秋田・山形県)1963年7月24日指定 面積29,030ha
【主要な地域】鳥海山、象潟、飛島など
・越後三山只見国定公園(新潟・福島県)1973年5月15日指定 面積86,129ha
【主要な地域】越後三山(八海山、中ノ岳、越後駒ヶ岳)、奥只見ダム周辺
・水郷筑波国定公園(茨城・千葉県)1959年3月3日指定 面積34,956ha
【主要な地域】筑波山、霞ヶ浦、十二橋周辺、鹿島神宮神域、犬吠埼など
・妙義荒船佐久高原国定公園(群馬・長野県)1969年4月10日指定 面積13,123ha
【主要な地域】妙義山、荒船山、佐久高原など
・南房総国定公園(千葉県)1958年8月1日指定 面積5,690ha
【主要な地域】富津岬、鋸山、洲埼灯台、白浜、太海、鴨川、小湊、鵜原、御宿、鹿野山、清澄山など
・明治の森高尾国定公園(東京都)1967年12月11日指定 面積770ha
【主要な地域】高尾山
・丹沢大山国定公園(神奈川県)1965年3月25日指定 面積27,572ha
【主要な地域】丹沢湖、蛭ヶ岳、丹沢山、塔ノ岳、大山など
・佐渡弥彦米山国定公園(新潟県)1950年7月27日指定 面積29,464ha
【主要な地域】佐渡島、弥彦山、米山、福浦八景など
・能登半島国定公園(石川・富山県)1968年5月1日指定 面積9,672ha
【主要な地域】能登金剛、曽々木海岸、禄剛崎、内浦海岸、能登島、雨晴海岸など
・越前加賀海岸国定公園(石川・福井県)1968年5月1日指定 面積20,596ha
【主要な地域】加佐ノ岬、片野鴨池、東尋坊、北潟湖、亀島、鉾島、武周ヶ池、呼鳥門、越前岬など
・若狭湾国定公園(福井県・京都府)1955年6月1日指定 面積19,194ha
【主要な地域】気比松原、三方五湖、蘇洞門、冠島など
・八ヶ岳中信高原国定公園(長野・山梨県)1964年6月1日指定 面積38,957ha
【主要な地域】八ヶ岳山麓、霧ヶ峰、蓼科高原界隈など
・天竜奥三河国定公園(長野・静岡・愛知県)1969年1月10日指定 面積25,756ha
【主要な地域】天竜峡、佐久間ダム、茶臼山高原、鳳来寺山など
・揖斐関ヶ原養老国定公園(岐阜県)1970年12月28日指定 面積11,345ha
【主要な地域】揖斐峡、関ヶ原古戦場跡、養老渓谷など
・飛騨木曽川国定公園(岐阜・愛知県)1964年3月3日指定 面積18,074ha
【主要な地域】飛水峡、藤倉峡、中山七里、鬼岩公園、蘇水峡、日本ラインなど
・愛知高原国定公園(愛知県)1970年12月28日指定 面積21,740ha
【主要な地域】猿投山、岩屋洞、段戸山、長ノ山湿原、段戸裏谷、三河湖、香嵐渓など
・三河湾国定公園(愛知県)1958年4月10日指定 面積9,457ha
【主要な地域】知多半島、三河湾一帯、三ヶ根山、渥美半島、日間賀島、佐久島、篠島など
・鈴鹿国定公園(滋賀・三重県)1968年7月22日指定 面積29,893ha
【主要な地域】御在所山、宇賀渓、石水渓など
・室生赤目青山国定公園(奈良・三重県)1970年12月28日指定 面積26,308ha
【主要な地域】室生高原、香落渓、赤目四十八滝、青山高原など
・琵琶湖国定公園(滋賀県・京都府)1950年7月24日指定 面積97,601ha
【主要な地域】琵琶湖(竹生島、海津大崎など)、比叡山、比良山地、野坂山地、伊吹山など
・丹後天橋立大江山国定公園(京都府)2007年8月3日指定 面積19,023ha
【主要な地域】天橋立、大江山、経ヶ岬、世屋高原など
・京都丹波高原国定公園(京都府)2016年3月25日指定 面積68,851ha
【主要な地域】京都北山、芦生原生林、八丁平、美山かやぶきの里、北村など
・明治の森箕面国定公園(大阪府)1967年12月11日指定 面積963ha
【主要な地域】箕面の滝
・金剛生駒紀泉国定公園(奈良県・大阪府・和歌山県)1958年4月10日指定 面積23,119ha
【主要な地域】金剛山、生駒山
・氷ノ山後山那岐山国定公園(兵庫・岡山・鳥取県)1969年4月10日指定 面積48,803ha
【主要な地域】氷ノ山、那岐山、天滝渓谷、芦津渓谷、神鍋高原、瀞川平、阿瀬渓谷、蘇武岳など
・大和青垣国定公園(奈良県)1970年12月28日指定 面積5,742ha
【主要な地域】大和三山一帯の丘陵地
・高野竜神国定公園(奈良・和歌山県)1967年3月23日指定 面積19,198ha
【主要な地域】高野山、護摩壇山、龍神峡
・比婆道後帝釈国定公園(広島・島根・鳥取県)1963年7月24日指定 面積8,416ha
【主要な地域】帝釈峡、比婆山、道後山、吾妻山など
・西中国山地国定公園(広島・島根・山口県)1969年1月10日指定 面積28,553ha
【主要な地域】恐羅漢山、冠山、寂地山、三段峡、匹見峡、寂地峡など
・北長門海岸国定公園(山口県)1955年11月1日指定 面積12,417ha
【主要な地域】青海島、須佐湾など
・秋吉台国定公園(山口県)1955年11月1日指定 面積4,502ha
【主要な地域】秋芳洞、景清洞、大正洞、秋吉台など
・剣山国定公園(徳島・高知県)1964年3月3日指定 面積20,961ha
【主要な地域】剣山、べふ峡、一宇峡、祖谷渓、大歩危、小歩危など
・室戸阿南海岸国定公園(徳島・高知県)1964年6月1日指定 面積6,255ha
【主要な地域】室戸岬、千羽海崖、橘湾、蒲生田岬、伊島、竹ヶ島海中公園、日和佐海岸など
・石鎚国定公園(愛媛・高知 1955年11月1日指定 面積10,683ha
【主要な地域】石鎚山、瓶ヶ森、伊予富士、二ノ森、面河渓など
・北九州国定公園(福岡県)1972年10月16日指定 面積8,249ha
【主要な地域】皿倉、平尾台、企救、高塔
・玄海国定公園(福岡・佐賀・長崎 1956年6月1日指定 面積10,158ha
【主要な地域】若松北海岸、芥屋大門、虹の松原、唐津湾など
・耶馬日田英彦山国定公園(大分・福岡・熊本県)1950年7月29日指定 面積85,024ha
【主要な地域】耶馬渓、英彦山、鷹ノ巣山、八面山など
・壱岐対馬国定公園(長崎県)1968年7月22日指定 面積12,630ha
【主要な地域】壱岐、浅茅湾など
・九州中央山地国定公園(熊本・宮崎県)1982年5月15日指定 面積27,096ha
【主要な地域】市房山、五木、五家荘、米良荘、綾照葉樹林帯など
・日豊海岸国定公園(大分・宮崎県)1974年2月15日指定 面積8,518ha
【主要な地域】日豊海岸、枇榔島など
・祖母傾国定公園(大分・宮崎県)1965年3月25日指定 面積22,000ha
【主要な地域】祖母山、高千穂峡など
・日南海岸国定公園(鹿児島・宮崎県)1955年6月1日指定 面積4,598ha
【主要な地域】青島、鵜戸神宮、都井岬、志布志湾岸など
・甑島国定公園(鹿児島県)2015年3月16日指定 面積25,288ha
【主要な地域】海鼠池、貝池、鹿島断崖、鹿の子断層、珊瑚礁など
・沖縄海岸国定公園(沖縄県)1972年5月15日指定 面積19,152ha
【主要な地域】真栄田岬、恩納ビーチ、万座毛、与那覇岳、辺戸岬など
・沖縄戦跡国定公園(沖縄県)1972年5月15日指定 面積8,130ha
【主要な地域】ひめゆりの塔、摩文仁など
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