
唐木順三(からき じゅんぞう)は、1904年(明治37)2月13日に、長野県上伊那郡宮田村において生まれ、旧制松本中学(現在の長野県松本深志高等学校)、旧制松本高等学校(現在の信州大学)文科甲類を卒業後、京都帝国大学文学部哲学科へ入学しました。西田幾多郎の講義を聴き心酔し、1927年(昭和2)に卒業後は、長野県諏訪青年学校、満州教育専門学校、法政大学予科、成田山新勝寺の成田高等女学校で教鞭を執ります。
一方で、近代文学研究から中世へと視野を広げ、1932年(昭和7)に『現代日本文学序説』を刊行し、一躍注目されました。1939年(昭和14)に、『近代日本文学の展開』を刊行、翌年には、同郷の古田晁、臼井吉見と共に筑摩書房を設立し、中村光夫らと共に顧問となり、同社発行の「展望」を中心に旺盛な評論活動を行ないます。
1943年(昭和18)に、『鴎外(おうがい)の精神』を刊行、近代日本の思想史上の鴎外を歴史小説、史伝の分析によって追究した労作となりました。戦後は、臼井と共に同社の雑誌『展望』の編集を行い、1946年(昭和21)には、明治大学文芸科講師となります。
1949年(昭和24)に明治大学教授となり、1955年(昭和30)には、『中世の文学』で、第7回読売文学賞を受賞しました。1967年(昭和42)には、中世に材を得た小説集『応仁四話』で、第17回芸術選奨文部大臣賞を受賞します。
1971年(昭和46)には、第27回日本芸術院賞を受賞したものの、1980年(昭和55)5月27日に、東京・築地の国立がんセンターにおいて、肺癌により76歳で亡くなりました。
一方で、近代文学研究から中世へと視野を広げ、1932年(昭和7)に『現代日本文学序説』を刊行し、一躍注目されました。1939年(昭和14)に、『近代日本文学の展開』を刊行、翌年には、同郷の古田晁、臼井吉見と共に筑摩書房を設立し、中村光夫らと共に顧問となり、同社発行の「展望」を中心に旺盛な評論活動を行ないます。
1943年(昭和18)に、『鴎外(おうがい)の精神』を刊行、近代日本の思想史上の鴎外を歴史小説、史伝の分析によって追究した労作となりました。戦後は、臼井と共に同社の雑誌『展望』の編集を行い、1946年(昭和21)には、明治大学文芸科講師となります。
1949年(昭和24)に明治大学教授となり、1955年(昭和30)には、『中世の文学』で、第7回読売文学賞を受賞しました。1967年(昭和42)には、中世に材を得た小説集『応仁四話』で、第17回芸術選奨文部大臣賞を受賞します。
1971年(昭和46)には、第27回日本芸術院賞を受賞したものの、1980年(昭和55)5月27日に、東京・築地の国立がんセンターにおいて、肺癌により76歳で亡くなりました。
〇唐木順三の主要な著作
・『現代日本文学序説』(1932年)
・『近代日本文学の展開』(1939年)
・『鴎外の精神』(1943年)
・『三木清』(1947年)
・『作家論』(1947-49年)
・『森鷗外』(1949年)
・『現代史への試み』(1949年)
・『自殺について - 日本の断層と重層』(1950年)
・『近代日本文学』(1951年)
・『近代日本文学史論』(1952年)
・『詩とデカダンス』(1952年)
・『中世の文学』(1954年)
・『夏目漱石』(1956年)
・『詩と哲学の間』(1957年)
・『千利休』(1958年5月)
・『無用者の系譜』(960年2月)
・『朴の木』(1960年5月)
・『中世から近世へ』(1961年)
・『無常』(1964年)
・随想集『日本の心』(1965年)、
・小説集『應仁四話』(1966年)、
・『仏道修行の用心 懐弉 正法眼蔵随聞記』(1966年)
・随想集『飛花落葉』(1967年)
・『古代史試論』(1969年)
・『詩と死』(1969年)
・『日本人の心の歴史-季節美感の変遷を中心に』上・下(1970年)
・『良寛』(1971年)
・『日本人の心の歴史 補遺』(1972年)
・『古きをたづねて』(1972年)
・随想集『光陰』(1974年)、
・『あづまみちのく』(1974年)
・『続 あづまみちのく』(1976年)
・『歴史の言ひ残したこと』(1978年)
・随想集『古いこと 新しいこと』(1979年)
・『「科学者の社会的責任」についての覚え書』(1980年)
☆唐木順三関係略年表
・1904年(明治37)2月13日 長野県上伊那郡宮田村において生まれる
・1927年(昭和2) 京都帝国大学文学部哲学科を卒業する
・1932年(昭和7) 『現代日本文学序説』を刊行し、一躍注目される
・1939年(昭和14) 『近代日本文学の展開』を刊行する
・1940年(昭和15) 同郷の古田晁、臼井吉見と共に筑摩書房を設立し、中村光夫らと共に顧問となり、法政大学に勤務する
・1943年(昭和18) 『鴎外(おうがい)の精神』を刊行する
・1946年(昭和21) 明治大学文芸科講師となる
・1949年(昭和24) 明治大学教授となる
・1955年(昭和30) 『中世の文学』で、第7回読売文学賞を受賞する
・1967年(昭和42) 『応仁四話』で、第17回芸術選奨文部大臣賞を受賞する
・1971年(昭和46) 第27回日本芸術院賞を受賞する
・1980年(昭和55)5月27日 東京・築地の国立がんセンターにおいて、肺癌により76歳で亡くなる
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
743年(天平15) | 「墾田永年私財法」が出される(新暦6月23日) | 詳細 |
1235年(文暦2) | 藤原定家によって「小倉百人一首」が完成された(百人一首の日) | 詳細 |
1273年(文永10) | 鎌倉幕府第7代執権北条政村の命日(新暦6月13日) | 詳細 |
1901年(明治34) | 山陽鉄道(後の山陽本線)の神戸駅~馬関駅(現在の下関駅)間が全通する | 詳細 |
1914年(大正3) | 栄養学者満田久輝の誕生日 | 詳細 |
1938年(昭和13) | 「日独防共協定」締結による同盟強化に伴い、大日本青少年独逸派遣団が出発する | 詳細 |
1989年(平成元) | 東京湾横断道路(愛称:東京湾アクアライン)の工事が着工される | 詳細 |
1992年(平成4) | 漫画家長谷川町子の命日 | 詳細 |