ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事)

 学生時代からの大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。その中でいろいろと歴史に関わる所を巡ってきましたが、日々に関わる歴史上の出来事や感想を紹介します。Yahooブログ閉鎖に伴い、こちらに移動しました。

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 今日は、大正時代の1925年(大正14)に、「治安維持法」(大正12年法律第46号)が公布(施行は同年5月12日)された日です。
 「治安維持法」(ちあんいじほう)は、最初は、大正時代の1925年(大正14)4月22日に公布(施行は同年5月12日)され、昭和時代前期の1941年(昭和16)3月10日に、全面改定されて公布(施行は同年5月15日)たものです。当初は、国体の変革と私有財産制度の否認を目的とする結社や行動を処罰するために定められた法律でした。
 しかし、1928年(昭和3)に最高刑が死刑に、1941年(昭和16)には予防拘禁制度ができるなどの改定や拡大解釈により、労働組合、農民組合、宗教団体、学術研究サークルなど、政府を批判するものが対象とされていき、思想や言論の自由の抑圧の手段として利用されたのです。司法省の調査によると、1943年(昭和18)4月までの同法による検挙者は6万7,223名、起訴された者は6,024名に上りました。
 そして、太平洋戦争敗戦直後の1945年(昭和20)10月15日に、GHQ(連合国最高司令官総司令部)の指令に基づいて廃止されています。
 以下に、「治安維持法」(大正12年法律第46号)と全面改定後の「治安維持法」(昭和16年法律第54号)を掲載しておきますので、ご参照下さい。

〇「治安維持法」 (全文)(大正12年法律第46号) 1925年(大正14)4月22日公布、同年5月12日施行

第一条 国体ヲ変革シ又ハ私有財産制度ヲ否認スルコトヲ目的トシテ結社ヲ組織シ又ハ情ヲ知リテ之ニ加入シタル者ハ十年以下ノ懲役又ハ禁錮ニ処ス
前項ノ未遂罪ハ之ヲ罰ス

第二条 前条第一項ノ目的ヲ以テ其ノ目的タル事項ノ実行ニ関シ協議ヲ為シタル者ハ七年以下ノ懲役又ハ禁錮ニ処ス

第三条 第一条第一項ノ目的ヲ以テ其ノ目的タル事項ノ実行ヲ煽動シタル者ハ七年以下ノ懲役又ハ禁錮ニ処ス

第四条 第一条第一項ノ目的ヲ以テ騒擾、暴行其ノ他生命、身体又ハ財產ニ害ヲ加フヘキ犯罪ヲ煽動シタル者ハ十年以下ノ懲役又ハ禁錮ニ処ス

第五条 第一条第一項及前三条ノ罪ヲ犯サシムルコトヲ目的トシテ金品其ノ他ノ財產上ノ利益ヲ供与シ又ハ其ノ申込若ハ約束ヲ為シタル者ハ五年以下ノ懲役又ハ禁錮ニ処ス情ヲ知リテ供与ヲ受ケ又ハ其ノ要求若ハ約束ヲ為シタル者亦同シ

第六条 前五条ノ罪ヲ犯シタル者自首シタルトキハ其ノ刑ヲ減軽又ハ免除ス

第七条 本法ハ何人ヲ問ハス本法施行区域外ニ於テ罪ヲ犯シタル者ニ亦之ヲ適用ス

附則

大正十二年勅令第四百三号ハ之ヲ廃止ス

 ※旧字を新字に直してあります。

☆全面改定後の「治安維持法」 (全文)(昭和16年法律第54号) 1941年(昭和16)3月10日公布、同年5月15日施行

   第一章 罪

第一条 国体ヲ変革スルコトヲ目的トシテ結社ヲ組織シタル者又ハ結社ノ役員其ノ他指導者タル任務ニ従事シタル者ハ死刑又ハ無期若ハ七年以上ノ懲役若ハ禁錮ニ処シ情ヲ知リテ結社ニ加入シタル者又ハ結社ノ目的遂行ノ為ニスル行為ヲ為シタル者ハ三年以上ノ有期懲役ニ処ス

第二条 前条ノ結社ヲ支援スルコトヲ目的トシテ結社ヲ組織シタル者又ハ結社ノ役員其ノ他指導者タル任務ニ従事シタル者ハ死刑又ハ無期若ハ五年以上ノ懲役ニ処シ情ヲ知リテ結社ニ加入シタル者又ハ結社ノ目的遂行ノ為ニスル行為ヲ為シタル者ハ二年以上ノ有期懲役ニ処ス

第三条 第一条ノ結社ノ組織ヲ準備スルコトヲ目的トシテ結社ヲ組織シタル者又ハ結社ノ役員其ノ他指導者タル任務ニ従事シタル者ハ死刑又ハ無期若ハ五年以上ノ懲役ニ処シ情ヲ知リテ結社ニ加入シタル者又ハ結社ノ目的遂行ノ為ニスル行為ヲ為シタル者ハ二年以上ノ有期懲役ニ処ス

第四条 前三条ノ目的ヲ以テ集団ヲ結成シタル者又ハ集団ヲ指導シタル者ハ無期又ハ三年以上ノ懲役ニ処シ前三条ノ目的ヲ以テ集団ニ参加シタル者又ハ集団ニ関シ前三条ノ目的遂行ノ為ニスル行為ヲ為シタル者ハ一年以上ノ有期懲役ニ処ス

第五条 第一条乃至第三条ノ目的ヲ以テ其ノ目的タル事項ノ実行ニ関シ協議若ハ煽動ヲ為シ又ハ其ノ目的タル事項ヲ宣伝シ其ノ他其ノ目的遂行ノ為ニスル行為ヲ為シタル者ハ一年以上十年以下ノ懲役ニ処ス

第六条 第一条乃至第三条ノ目的ヲ以テ騒擾、暴行其ノ他生命、身体又ハ財産ニ害ヲ加フべキ犯罪ヲ煽動シタル者ハ二年以上ノ有期懲役ニ処ス

第七条 国体ヲ否定シ又ハ神宮若ハ皇室ノ尊厳ヲ冒涜スべキ事項ヲ流布スル事ヲ目的トシテ結社ヲ組織シタル者又ハ結社ノ役員其ノ他指導者タル任務ニ従事シタル者ハ無期又ハ四年以上ノ懲役ニ処シ情ヲ知リテ結社ニ加入シタル者又ハ結社ノ目的遂行ノ為ニスル行為ヲ為シタル者ハ一年以上ノ有期懲役ニ処ス

第八条 前条ノ目的ヲ以テ集団ヲ結成シタル者又ハ集団ヲ指導シタル者ハ無期又ハ三年以上ノ懲役ニ処シ前条ノ目的ヲ以テ集団ニ参加シタル者又ハ集団ニ関シ前条ノ目的遂行ノ為ニスル行為ヲ為シタル者ハ一年以上ノ有期懲役ニ処ス

第九条 前八条ノ罪ヲ犯サシムルコトヲ目的トシテ金品其ノ他ノ財産上ノ利益ヲ供与シ又ハ其ノ申込若ハ約束ヲ為シタル者ハ十年以下ノ懲役ニ処ス情ヲ知リテ供与ヲ受ケ又ハ其ノ要求若ハ約束ヲ為シタル者亦同ジ

第十条 私有財産制度ヲ否認スルコトヲ目的トシテ結社ヲ組織シタル者又ハ情ヲ知リテ結社ニ加入シタル者若ハ結社ノ目的遂行ノタメニスル行為ヲ為シタル者ハ十年以下ノ懲役又ハ禁錮ニ処ス

第十一条 前条ノ目的ヲ以テ其ノ目的タル事項ノ実行ニ関シ協議ヲ為シ又ハ其ノ目的タル事項ノ実行ヲ煽動シタル者ハ七年以下ノ懲役又ハ禁錮ニ処ス

第十二条 第十条ノ目的ヲ以テ騒擾、暴行其ノ他生命、身体又ハ財産ニ害ヲ加フべキ犯罪ヲ煽動シタル者ハ七年以下ノ懲役又ハ禁錮ニ処ス

第十三条 前三条ノ罪ヲ犯サシムルコトヲ目的トシテ金品其ノ他ノ財産上ノ利益ヲ供与シ又ハ其ノ申込若ハ約束ヲ為シタル者ハ五年以下ノ懲役又ハ禁錮ニ処ス情ヲ知リテ供与ヲ受ケ又ハ其ノ要求若ハ約束ヲ為シタル者亦同シ

第十四条 第一条乃至第四条、第七条、第八条及第十条ノ未遂罪ハ之ヲ罰ス

第十五条 本章ノ罪ヲ犯シタル者自首シタルトキハ其ノ刑ヲ減軽又ハ免除ス

第十六条 本章ノ規定ハ何人ヲ問ハズ本法施行地外ニ於テ罪ヲ犯シタル者ニ亦之ヲ適用ス

   第二章 刑事手続

第十七条 本章ノ規定ハ第一章ニ掲グル罪ニ関スル事件ニ付之ヲ適用ス

第十八条 検事ハ被疑者ヲ召喚シ又ハ其ノ召喚ヲ司法警察官ニ命令スルコトヲ得
2 検事ノ命令ニ因リ司法警察官ノ発スル召喚状ニハ命令ヲ為シタル検事ノ職、氏名及其ノ命令ニ因リ之ヲ発スル旨ヲモ記載スベシ
3 召喚状ノ送達ニ関スル裁判所書記及執達吏ニ属スル職務ハ司法警察官吏之ヲ行フコトヲ得

第十九条 被疑者正当ノ事由ナクシテ前条ノ規定ニ依ル召喚ニ応ゼズ又ハ刑事訴訟法第八十七条第一項各号ニ規定スル事由アルトキハ検事ハ被疑者ヲ勾引シ又ハ其ノ勾引ヲ他ノ検事ニ嘱託シ若ハ司法警察官ニ命令スルコトヲ得
2 前条第二項ノ規定ハ検事ノ命令ニ因リ司法警察官ノ発スル勾引状ニ付之ヲ準用ス

第二十条 勾引シタル被疑者ハ指定セラレタル場所ニ引致シタル時ヨリ四十八時間内ニ検事又ハ司法警察官之ヲ訊問スベシ其ノ時間内ニ勾留状ヲ発セザルトキハ検事ハ被疑者ヲ釈放シ司法警察官ヲシテ之ヲ釈放セシムベシ

第二十一条 刑事訴訟法第八十七条第一項各号ニ規定スル事由アルトキハ検事ハ被疑者ヲ勾留シ又ハ其ノ勾留ヲ司法警察官ニ命令スルコトヲ得
2 第十八条第二項ノ規定ハ検事ノ命令ニ因リ司法警察官ノ発スル勾留状ニ付之ヲ準用ス

第二十二条 勾留ニ付テハ警察官署又ハ憲兵隊ノ留置所ヲ以テ監獄ニ代用スルコトヲ得

第二十三条 勾留ノ期間ハ二月トス特ニ継続ノ必要アルトキハ地方裁判所検事又ハ区裁判所検事ハ検事長ノ許可ヲ受ケ一月毎ニ勾留ノ期間ヲ更新スルコトヲ得但シ通ジテ一年ヲ超ユルコトヲ得ズ

第二十四条 勾留ノ事由消滅シ其ノ他勾留ヲ継続スルノ必要ナシト思料スルトキハ検事ハ速ニ被疑者ヲ釈放シ又ハ司法警察官ヲシテ之ヲ釈放セシムベシ

第二十五条 検事ハ被疑者ノ住居ヲ制限シテ勾留ノ執行ヲ停止スルコトヲ得
2 刑事訴訟法第百十九条第一項各号ニ規定スル事由アル場合ニ於テハ検事ハ勾留ノ執行停止ヲ取消スコトヲ得

第二十六条 検事ハ被疑者ヲ訊問シ又ハ其ノ訊問ヲ司法警察官ニ命令スルコトヲ得
2 検事ハ公訴提起前ニ限リ証人ヲ訊問シ又ハ其ノ訊問ヲ他ノ検事ニ嘱託シ若ハ司法警察官ニ命令スルコトヲ得
3 司法警察官検事ノ命令ニ因リ被疑者又ハ証人ヲ訊問シタルトキハ命令ヲ為シタル検事ノ職、氏名及其ノ命令ニ因リ訊問シタル旨ヲ訊問調書ニ記載スベシ
4 第十八条第二項及第三項ノ規定ハ証人訊問ニ付之ヲ準用ス

第二十七条 検事ハ公訴提起前ニ限リ押収、捜索若ハ検証ヲ命ジ又ハ其ノ処分ヲ他ノ検事ニ嘱託シ若ハ司法警察官ニ命令スルコトヲ得
2 検事ハ公訴提起前ニ限リ鑑定、通訳若ハ翻訳ヲ命ジ又ハ其ノ処分ヲ他ノ検事ニ嘱託シ若ハ司法警察官ニ命令スルコトヲ得
3 前条第三項ノ規定ハ押収、捜索又ハ検証ノ調書及鑑定人、通事又ハ翻訳人ノ訊問調書ニ付之ヲ準用ス
4 第十八条第二項及第三項ノ規定ハ鑑定、通訳及翻訳ニ付之ヲ準用ス

第二十八条 刑事訴訟法中被告人ノ召喚、勾引及勾留、被告人及証人ノ訊問、押収、捜索、検証、鑑定、通訳並ニ翻訳ニ関スル規定ハ別段ノ規定アル場合ヲ除クノ外被疑事件ニ付之ヲ準用ス但シ保釈及責付ニ関スル規定ハ此ノ限ニ在ラズ

第二十九条 弁護人ハ司法大臣ノ予メ指定シタル弁護士ノ中ヨリ之ヲ選任スベシ但シ刑事訴訟法第四十条第二項ノ規定ノ適用ヲ妨ゲズ

第三十条 弁護人ノ数ハ被告人一人ニ付二人ヲ超ユルコトヲ得ズ
2 弁護人ノ選任ハ最初ニ定メタル公判期日ニ係ル召喚状ノ送達ヲ受ケタル日ヨリ十日ヲ経過シタルトキハ之ヲ為スコトヲ得ズ但シ已ムコトヲ得ザル事由アル場合ニ於テ裁判所ノ許可ヲ受ケタルトキハ此ノ限ニ在ラス

第三十一条 弁護人ハ訴訟ニ関スル書類ノ謄写ヲ為サントスルトキハ裁判長又ハ予審判事ノ許可ヲ受クルコトヲ要ス

第三十二条 被告事件公判ニ付セラレタル場合ニ於テ検事必要アリト認ムルトキハ管轄移転ノ請求ヲ為スコトヲ得但シ第一回公判期日ノ指定アリタル後ハ此ノ限ニ在ラズ
2 前項ノ請求ハ事件ノ繋属スル裁判所及移転先裁判所ニ共通スル直近上裁判所ニ之ヲ為スベシ
3 第一項ノ請求アリタルトキハ決定アル迄訴訟手続ヲ停止スベシ

第三十三条 第一章ニ掲グル罪ヲ犯シタルモノト認メタル第一審ノ判決ニ対シテハ控訴ヲ為スコトヲ得ズ
2 前項ニ規定スル第一審ノ判決ニ対シテハ直接上告ヲ為スコトヲ得
3 上告ハ刑事訴訟法ニ於テ第二審ノ判決ニ対シ上告ヲ為スコトヲ得ル理由アル場合ニ於テ之ヲ為スコトヲ得
4 上告裁判所ハ第二審ノ判決ニ対スル上告事件ニ関スル手続ニ依リ裁判ヲ為スベシ

第三十四条 第一章ニ掲グル罪ヲ犯シタルモノト認メタル第一審ノ判決ニ対シ上告アリタル場合ニ於テ上告裁判所同章ニ掲グル罪ヲ犯シタルモノニ非ザルコトヲ疑フニ足ルベキ顕著ナル事由アルモノト認ムルトキハ判決ヲ以テ原判決ヲ破毀シ事件ヲ管轄控訴裁判所ニ移送スベシ

第三十五条 上告裁判所ハ公判期日ノ通知ニ付テハ刑事訴訟法第四百二十二条第一項ノ期間ニ依ラザルコトヲ得

第三十六条 刑事手続キニ付テハ別段ノ規定アル場合ヲ除クノ外一般ノ規定ノ適用アルモノトス

第三十七条 本章ノ規定ハ第二十二条、第二十三条、第二十九条、第三十条第一項、第三十二条、第三十三条及第三十四条ノ規定ヲ除クノ外軍法会議ノ刑事手続ニ付之ヲ準用ス此ノ場合ニ於テ刑事訴訟法第八十七条第一項トアルハ陸軍軍法会議法第百四十三条又ハ海軍軍法会議法第百四十三条、刑事訴訟法第四百二十二条第一項トアルハ陸軍軍法会議法第四百四十四条第一項又ハ海軍軍法会議法第四百四十六条第一項トシ第二十五条第二項中刑事訴訟法第百十九条第一項ニ規定スル事由アル場合ニ於テトアルハ何時ニテモトス

第三十八条 朝鮮ニ在リテハ本章中ノ司法大臣トアルハ朝鮮総督、検事長トアルハ覆審法院検事長、地方裁判所検事又ハ区裁判所検事トアルハ地方法院検事、刑事訴訟法トアルハ朝鮮刑事令ニ於テ依ルコトヲ定メタル刑事訴訟法トス但シ刑事訴訟法第四百二十二条第一項トアルハ朝鮮刑事令第三十一条トス

   第三章 予防拘禁

第三十九条 第一章ニ掲グル罪ヲ犯シ刑ニ処セラレタル者其ノ執行ヲ終リ釈放セラルベキ場合ニ於テ釈放後ニ於テ更ニ同章ニ掲グル罪ヲ犯スノ虞アルコト顕著ナルトキハ裁判所ハ検事ノ請求ニ因リ本人ヲ予防拘禁ニ付スル旨ヲ命ズルコトヲ得
2 第一章ニ掲グル罪ヲ犯シ刑ニ処セラレ其ノ執行ヲ終リタル者又ハ罪ノ執行猶予ノ言渡ヲ受ケタル者思想犯保護観察法ニ依リ保護観察ニ付セラレ居ル場合ニ於テ保護観察ニ依ルモ同章ニ掲グル罪ヲ犯スノ危険ヲ防止スルコト困難ニシテ更ニ之ヲ犯スノ虞アルコト顕著ナルトキハ亦前項ニ同ジ

第四十条 予防拘禁ノ請求ハ本人ノ現在地ヲ管轄スル地方裁判所ノ検事其ノ裁判所ニ之ヲ為スベシ
2 前項ノ請求ハ保護観察ニ付セラレ居ル者ニ係ハルトキハ其ノ保護観察ヲ為ス保護観察所ノ所在地ヲ管轄スル地方裁判所ノ検事其ノ裁判所ニ之ヲ為スコトヲ得
3 予防拘禁ノ請求ヲ為スニハ予メ予防拘禁委員会ノ意見ヲ求ムルコトヲ要ス
4 予防拘禁委員会ニ関スル規程ハ勅令ヲ以テ之ヲ定ム

第四十一条 検事ハ予防拘禁ノ請求ヲ為スニ付テハ必要ナル取調ヲ為シ又ハ公務所ニ照会シテ必要ナル事項ノ報告ヲ求ムルコトヲ得
2 前項ノ取調ヲ為スニ付必要アル場合ニ於テハ司法警察官吏ヲシテ本人ヲ同行セシムルコトヲ得

第四十二条 検事ハ本人定リタル住居ヲ有セザル場合又ハ逃亡シ若ハ逃亡スル虞アル場合ニ於テ予防拘禁ノ請求ヲ為スニ付必要アルトキハ本人ヲ予防拘禁所ニ仮ニ収容スルコトヲ得但シ已ムコトヲ得サル事由アル場合ニ於テハ監獄ニ仮ニ収容スルコトヲ妨ゲズ
2 前項ノ仮収容ハ本人ノ陳述ヲ聴キタル後ニ非ザレバ之ヲ為スコトヲ得ズ但シ本人陳述ヲ肯ゼズ又ハ逃亡シタル場合ハ此ノ限ニ在ラス

第四十三条 前条ノ仮収容ノ期間ハ十日トス其ノ期間内ニ予防拘禁ノ請求ヲ為サザルトキハ速ニ本人ヲ釈放スベシ

第四十四条 予防拘禁ノ請求アリタルトキハ裁判所ハ本人ノ陳述ヲ聴キ決定ヲ為スベシ此ノ場合ニ於テハ裁判所ハ本人ニ出頭ヲ命スルコトヲ得
2 本人陳述ヲ肯ゼズ又ハ逃亡シタルトキハ陳述ヲ聴カズシテ決定ヲ為スコトヲ得
3 刑ノ執行終了前予防拘禁ノ請求アリタルトキハ裁判所ハ刑ノ執行終了後ト雖モ予防拘禁ニ付スル旨ノ決定ヲ為スコトヲ得

第四十五条 裁判所ハ事実ノ取調ヲ為スニ付必要アル場合ニ於テハ参考人ニ出頭ヲ命シ事実ノ陳述又ハ鑑定ヲ為サシムルコトヲ得
2 裁判所ハ公務所ニ照会シテ必要ナル事項ノ報告ヲ求ムルコトヲ得

第四十六条 検事ハ裁判所ガ本人ヲシテ陳述ヲ為サシメ又ハ参考人ヲシテ事実ノ陳述若ハ鑑定ヲ為サシムル場合ニ立会ヒ意見ヲ開陳スルコトヲ得

第四十七条 本人ノ属スル家ノ戸主、配属者又ハ四親等内ノ血族若ハ三親等内ノ姻族ハ裁判所ノ許可ヲ受ケ輔佐人ト為ルコトヲ得
2 輔佐人ハ裁判所ガ本人ヲシテ陳述ヲ為サシメ若ハ参考人ヲシテ事実ノ陳述若ハ鑑定ヲ為サシムル場合ニ立会ヒ意見ヲ開陳シ又ハ参考ト為ルベキ資料ヲ提出スルコトヲ得

第四十八条 左ノ場合ニ於テハ裁判所ハ本人ヲ勾引スルコトヲ得
 一 本人定マリタル住居ヲ有セザルトキ
 二 本人逃亡シタルトキ又ハ逃亡スル虞アルトキ
 三 本人正当ノ理由ナクシテ第四十四条第一項ノ出頭命令ニ応セザルトキ

第四十九条 前条第一号又ハ第二号ニ規定スル事由アルトキハ裁判所ハ本人ヲ予防拘禁所ニ仮ニ収容スルコトヲ得但シ已ムコトヲ得ザル事由アル場合ニ於テハ監獄ニ仮ニ収容スルコトヲ妨ケス
2 本人監獄ニアルトキハ前項ノ事由ナシト雖モ之ヲ仮ニ収容スルコトヲ得
3 第四十二条第二項ノ規定ハ第一項ノ場合ニ付之ヲ準用ス

第五十条 別段ノ規定アル場合ヲ除クノ外刑事訴訟法中勾引ニ関スル規定ハ第四十八条ノ勾引ニ、勾留ニ関スル規定ハ第四十二条及前条ノ仮収容ニ付之ヲ準用ス但シ保釈及責付ニ関スル規定ハ此ノ限ニ在ラス

第五十一条 予防拘禁ニ付セザル旨ノ決定ニ対シテハ検事ハ即時抗告ヲ為スコトヲ得
2 予防拘禁ニ付スル旨ノ決定ニ対シテハ本人及輔佐人ハ即時抗告ヲ為スコトヲ得

第五十二条 別段ノ規定アル場合ヲ除クノ外刑事訴訟法中ノ決定ニ関スル規定ハ第四十四条ノ決定ニ、即時抗告ニ関スル規定ハ前条ノ即時抗告ニ付キ之ヲ準用ス

第五十三条 予防拘禁ニ付セラレタル者ハ予防拘禁所ニ之ヲ収容シ改悛セシムル為必要ナル処置ヲ為スヘシ
2 予防拘禁所ニ関スル規程ハ勅令ヲ以テ之ヲ定ム

第五十四条 予防拘禁ニ付セラレタル者ハ法令ノ範囲内ニ於テ他人ト接見シ又ハ信書其ノ他ノ物ノ授受ヲ為スコトヲ得
2 予防拘禁ニ付セラレタル者ニ対シテハ信書其ノ他ノ物ノ検閲、差押若ハ没収ヲ為シ又ハ保安若ハ懲戒ノ為必要ナル処置ヲ為スコトヲ得仮ニ収容セラレタル者及本章ノ規定ニ依リ勾引状ノ執行ヲ受ケ留置セラレタル者ニ付亦同ジ

第五十五条 予防拘禁ノ期間ハ二年トス特ニ継続ノ必要アル場合ニ於テハ裁判所ハ決定ヲ以テ之ヲ更新スルコトヲ得
2 予防拘禁ノ期間満了前更新ノ請求アリタルトキハ裁判所ハ期間満了後ト雖モ更新ノ決定ヲ為スコトヲ得
3 更新ノ決定ハ予防拘禁ノ期間満了後確定シタルトキト雖モ之ヲ期間満了ノ時確定シタルモノト看做ス
4 第四十条、第四十一条及第四十四条乃至第五十二条ノ規定ハ更新ノ場合ニ付之ヲ準用ス此ノ場合ニ於テ第四十九条第二項中監獄トアルハ予防拘禁所トス

第五十六条 予防拘禁ノ期間ハ決定確定ノ日ヨリ起算ス
2 拘禁セラレサル日数又ハ刑ノ執行ノ為拘禁セラレタル日数ハ決定確定後ト雖モ前項ノ期間ニ算入セズ

第五十七条 決定確定ノ際本人受刑者ナル時ハ予防拘禁ハ刑ノ執行終了後之ヲ執行ス
2 監獄ニアル本人ニ対シ予防拘禁ヲ執行セントスル場合ニ於テ移送ノ準備其ノ他ノ事由ノ為特ニ必要アルトキハ一時拘禁ヲ継続スルコトヲ得
3 予防拘禁ノ執行ハ本人ニ対スル犯罪ノ捜査其ノ他ノ事由ノタメ特ニ必要アルトキハ決定ヲ為シタル裁判所ノ検事又ハ本人ノ現在地ヲ管轄スル地方裁判所ノ検事ノ指揮ニ因リ之ヲ停止スルコトヲ得
4 刑事訴訟法第五百三十四条乃至第五百三十六条及第五百四十四条乃至第五百五十二条ノ規定ハ予防拘禁ノ執行ニ付之ヲ準用ス

第五十八条 予防拘禁ニ付セラレタル者収容後其ノ必要ナキニ至リタルトキハ第五十五条ニ規定スル期間満了後ト雖モ行政官庁ノ処分ヲ以テ之ヲ退所セシムヘシ
2 第四十条第三項ノ規定ハ前項ノ場合ニ付之ヲ準用ス

第五十九条 予防拘禁ノ執行ヲ為サザルコト二年ニ及ビタルトキハ決定ヲ為シタル裁判所ノ検事又ハ本人ノ現在地ヲ管轄スル地方裁判所ノ検事ハ事情ニ因リ其ノ執行ヲ免除スルコトヲ得
2 第四十条第三項ノ規定ハ前項ノ場合ニ付之ヲ準用ス

第六十条 天災事変ニ際シ予防拘禁所内ニ於テ避難ノ手段ナシト認ムルトキハ収容セラレタル者ヲ他所ニ護送スヘシ若シ護送スルノ暇ナキトキハ一時之ヲ解放スルコトヲ得
2 解放セラレタル者ハ解放後二十四時間内ニ予防拘禁所又ハ警察官署ニ出頭スベシ

第六十一条 本章ノ規定ニ依リ予防拘禁所若ハ監獄ニ収容セラレタル者又ハ勾引状若ハ逮捕状ヲ執行セラレタル者逃走シタルトキハ一年以下ノ懲役ニ処ス
2 前条第一項ノ規定ニ依リ解放セラレタル者同条第二項ノ規定ニ違反シタルトキ亦前項ニ同ジ

第六十二条 収容設備若ハ械具ヲ損壊シ、暴行若ハ脅迫ヲ為シ又ハ二人以上通謀シテ前条第一項ノ罪ヲ犯シタル者ハ三月以上五年以下ノ懲役ニ処ス

第六十三条 前二条ノ未遂罪ハ之ヲ罰ス

第六十四条 本法ニ規定スルモノ外予防拘禁ニ関シ必要ナル事項ハ命令ヲ以テ之ヲ定ム

第六十五条 朝鮮ニ在リテハ予防拘禁ニ関シ地方裁判所ノ為スベキ決定ハ地方法院ノ合議部ニ於テ之ヲ為ス
2 朝鮮ニ在リテハ本章中地方裁判所ノ検事トアルハ地方法院ノ検事、思想犯保護観察法トアルハ朝鮮思想犯保護観察法、刑事訴訟法トアルハ朝鮮刑事令ニ於テ依ルコトヲ定メタル刑事訴訟法トス

  附 則

1 本法施行ノ期日ハ勅令ヲ以テ之ヲ定ム
2 第一章ノ改正規定ハ本法施行前従前ノ規定ニ定メタル罪ヲ犯シタル者ニ亦之ヲ適用ス但シ改正規定ニ定ムル刑ガ従前ノ規定ニ定メタル刑ヨリ重キトキハ従前ノ規定ニ定メタル刑ニ依リ処断ス
3 第二章ノ改正規定ハ本法施行前公訴ヲ提起シタル事件ニ付テハ之ヲ適用セズ
4 第三章ノ改正規定ハ従前ノ規定ニ定メタル罪ニ付本法施行前刑ニ処セラレタル者ニ亦之ヲ適用ス
5 本法施行前朝鮮刑事令第十二条乃至第十五条ノ規定ニ依リ為シタル捜査手続ハ本法施行後ト雖モ仍其ノ効力ヲ有ス
6 前項ノ捜査手続キニシテ本法ニ之ニ相当スル規定アルモノハ之ヲ本法ニ依リ為シタルモノト看做ス
7 本法施行前朝鮮思想犯予防拘禁令ニ依リ為シタル予防拘禁ニ関スル手続キハ本法施行後ト雖モ仍其ノ効力ヲ有ス
8 前項ノ予防拘禁ニ関スル手続キニシテ本法ニ之ニ相当スル規定アルモノハ之ヲ本法ニ依リ為シタルモノト看做ス

              「官報」より

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1891年(明治24)大槻文彦著の国語辞典『言海』第四冊(つ−を)が混交され、全4巻が完結する詳細
1897年(明治30)八王子大火で、死者42名、負傷者223名、焼失3,500余戸を出す詳細
1910年(明治43)彫刻家荻原守衛(碌山)の命日詳細
1912年(明治45)映画監督・脚本家新藤兼人の誕生日詳細
松本明治45年「北深志の大火」で、死者5名、焼失1,341戸の被害を出す詳細
1950年(昭和25)日本戦歿学生記念会(わだつみ会)が結成される詳細
1993年(平成5)全国103ヶ所の施設が「道の駅」として初めて正式登録される詳細
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hikosonotaikakiji01
 今日は、昭和時代前期の1927年(昭和2)に、石川県金沢市内で、彦三の大火が起き、733戸が全焼した日です。
 彦三の大火(ひこそのたいか)は、昭和時代前期の1927年(昭和2)午前3時40分頃、横安江町商店街の雑貨店から出火、南西の強い風(15m/s)にあおられ、彦三8番丁より、1番丁方面へと燃え広がり、ついには塩屋町、岩根町、母衣町、浅野川を越えて東馬場に移り、4時間近く経って、ようやく午前7時30分に鎮火しました。
 その結果、全焼戸数595棟733戸、焼失面積約16.5ha、被災者3千名、被害総額322万円という大きな被害をもたらします。これに対して、皇室からの救恤金2,000円が下賜され、焼け野原となった住宅地跡で金沢市初の土地区画整理事業が行われのました。それによって、翌年11月に、幅員12間(約21m)の「彦三大通り」が開通し、これが近代的住宅地と金沢の新しい街づくりの出発点となりました。

〇昭和時代の日本の大火(500棟以上の焼失で、戦災・地震によるものを除く)

・1927年(昭和2)4月21日 - 彦三の大火(石川県金沢市)
 死者なし、全焼戸数595棟733戸、焼失面積約16.5ha、被災者3千名、被害総額322万円
・1932年(昭和7)4月21~22日 - 大宮町大火(静岡県富士郡大宮町)
 死者1名、負傷者97名、全焼1,102戸、被災者4,914人名
・1934年(昭和9)3月21日 - 箱館大火(北海道函館市)
 死者2,166名、負傷者9,485名、焼失家屋11,105棟、罹災世帯22,667世帯、罹災人員約102,001名
・1940年(昭和15)1月15日 - 静岡大火(静岡県静岡市)
 死者1名、負傷者788名、焼失家屋5,275戸、羅災人員27,518名
・1947年(昭和22)4月20日 - 飯田大火(長野県飯田市)
 死者・行方不明者3名、焼失棟数3,742棟、焼損面積約48ha、罹災戸数4,010戸、罹災人員17,778名
・1949年(昭和24)2月20日 - 第一次能代大火(秋田県能代市)
 死者3名、負傷者132名、焼失家屋2,237棟、焼失面積83.6ha、罹災世帯1,755世帯、罹災人員8,790名
・1952年(昭和27)4月17日 - 鳥取大火(鳥取県鳥取市)
 死者3名、罹災家屋5,228戸、罹災面積約160ha、罹災者2万451名
・1954年(昭和29)9月26日 - 岩内大火(北海道岩内郡岩内町)
 死者35名、負傷者551名、行方不明3名、焼失戸数3,298戸、焼失面積約106ha、罹災者16,622名
・1955年(昭和30)10月1日 - 新潟大火(新潟県新潟市)
 行方不明者1名、負傷者175名、焼失棟数892棟、焼失面積約26ha、罹災世帯1,193世帯、罹災人員5,901名
・1956年(昭和31)3月20日 - 第二次能代大火(秋田県能代市)
 死者なし、負傷者194名、焼失家屋1,475棟、焼失面積約31.5ha、罹災世帯1,248世帯、罹災人員6,087名
・1956年(昭和31)9月10日 - 魚津大火(富山県魚津市)
 死者5名、負傷者170名(うち重傷者5名)、焼失戸数1,583戸、罹災者7,219名
・1965年(昭和40)1月11日 - 伊豆大島大火(東京都大島町)
 死者なし、全焼戸数584棟418戸、焼失面積約16.5ha、罹災世帯408世帯1,273名、被害総額20億7千万円
・1976年(昭和51)10月29日 - 酒田大火(山形県酒田市)
 死者1名、焼失棟数1,774棟、焼失面積約22.5ha、被災者約3,300名、被害総額約405億円

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

748年(天平20)第44代の天皇とされる元正天皇の命日(新暦5月22日)詳細
1583年(天正11)賤ヶ岳の戦いで柴田勝家が羽柴秀吉に敗北する(新暦6月11日)詳細
1868年(慶応4)「五箇条の御誓文」に基づき「政体書」が発布される(新暦6月11日)詳細
1875年(明治8)数学者高木貞治の誕生日詳細
1932年(昭和7)大宮町大火(静岡県富士郡大宮町)が起こり、全焼1,102戸、死者1名、負傷者97名を出す詳細
1952年(昭和27)「公職追放令」が廃止され、最後まで追放解除にならなかった5,700人の公職追放が解除される詳細
日本民間放送連盟(民放連)が社団法人化する(民放の日)詳細
  

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 今日は、大正時代の1924年(大正13)に、宮沢賢治著の詩集『春と修羅』(関根書店)が刊行された日です。
 『春と修羅』(はるとしゅら)は、宮沢賢治唯一の生前に自薦した口語詩集で、大正時代の1924年(大正13)4月20日に、関根書店より刊行されました。詩8章64編が、発想または第一稿の日付順に収められていて、方言や農民の日常会話を取り入れ、豊富な語彙でその独特の宇宙観、宗教観にもとづく詩的世界が展開されています。
 刊行時から、一部の詩人に深い衝撃を与えた近代詩の記念碑的一冊とされますが、作者の死後に評価が高まった作品でした。尚、没後『春と修羅』第2、第3、第4と、さらに三集が編まれ,それら全体をこの名で呼ぶこともあります。
 以下に、『春と修羅』序を掲載しておきますので、ご参照下さい。

〇『春と修羅』序

わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといつしよに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です
(ひかりはたもち その電燈は失はれ)

これらは二十二箇月の
過去とかんずる方角から
紙と鉱質インクをつらね
(すべてわたくしと明滅し
 みんなが同時に感ずるもの)
ここまでたもちつゞけられた
かげとひかりのひとくさりづつ
そのとほりの心象スケツチです

これらについて人や銀河や修羅や海胆は
宇宙塵をたべ または空気や塩水を呼吸しながら
それぞれ新鮮な本体論もかんがへませうが
それらも畢竟こゝろのひとつの風物です
たゞたしかに記録されたこれらのけしきは
記録されたそのとほりのこのけしきで
それが虚無ならば虚無自身がこのとほりで
ある程度まではみんなに共通いたします
(すべてがわたくしの中のみんなであるやうに
 みんなのおのおののなかのすべてですから)

けれどもこれら新生代沖積世の
巨大に明るい時間の集積のなかで
正しくうつされた筈のこれらのことばが
わづかその一点にも均しい明暗のうちに
  (あるいは修羅の十億年)
すでにはやくもその組立や質を変じ
しかもわたくしも印刷者も
それを変らないとして感ずることは
傾向としてはあり得ます
けだしわれわれがわれわれの感官や
風景や人物をかんずるやうに
そしてたゞ共通に感ずるだけであるやうに
記録や歴史 あるいは地史といふものも
それのいろいろの論料データといつしよに
(因果の時空的制約のもとに)
われわれがかんじてゐるのに過ぎません
おそらくこれから二千年もたつたころは
それ相当のちがつた地質学が流用され
相当した証拠もまた次次過去から現出し
みんなは二千年ぐらゐ前には
青ぞらいつぱいの無色な孔雀が居たとおもひ
新進の大学士たちは気圏のいちばんの上層
きらびやかな氷窒素のあたりから
すてきな化石を発掘したり
あるいは白堊紀砂岩の層面に
透明な人類の巨大な足跡を
発見するかもしれません

すべてこれらの命題は
心象や時間それ自身の性質として
第四次延長のなかで主張されます

     大正十三年一月廿日

☆宮沢賢治(みやざわけんじ)とは?

 大正時代から昭和時代前期に活躍した詩人・児童文学者です。明治時代後期の1896年(明治29)8月27日に、岩手県稗貫郡花巻町(現在の花巻市)の質古着商の父宮澤政次郎と母イチの長男として生まれました。1903年(明治36)花巻川口尋常小学校に入学、1909年(明治42)には、岩手県立盛岡中学校(現在の盛岡第一高等学校)に進み、寄宿舎「自彊寮」に入寮します。
 在学中は、鉱物採集や星座に熱中し、自然に親しみ、短歌を作るようになりました。卒業後は、1915年(大正4)に盛岡高等農林学校(現在の岩手大学農学部)へ首席で入学し、寄宿舎「自啓寮」に入寮します。
 在学中は、友人らと同人誌『アザリア』を発行し、『校友会会報』へも短歌や短編を寄稿しました。卒業後さらに研究生として稗貫郡土性調査に従事し、この頃から童話を書き始めるようになります。
 1920年(大正9)に、田中智学の国柱会に入会、上京して布教活動等に加わりながら、童話を書き続けました。しかし、家の事情で帰郷して、稗貫農学校(後の花巻農学校)教諭となり、以後4年余り教壇に立つことになります。
 この間、1924年(大正13)に詩集『春と修羅』、童話集『注文の多い料理店』を自費出版しました。1926年(大正15)に農学校を退職し、開墾自炊生活にはいり、羅須地人協会を設立して農民指導に献身します。
 しかし、病気などのために挫折し、病状回復後、東北砕石工場技師となって石灰の宣伝販売に携わりましたが、無理がたたり、1933年(昭和8)9月21日に、37歳の若さで病死しました。代表作に童話では『風の又三郎』『銀河鉄道の夜』、詩では『永訣の朝』、『雨ニモマケズ』などがあり、1982年(昭和57)、花巻市に「宮沢賢治記念館」が開設されたのです。

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1546年(天文15)河越城の戦いで北条氏康が河越城包囲の上杉方を夜襲し勝利する(新暦5月19日)詳細
1651年(慶安4)江戸幕府三代将軍徳川家光の命日(新暦6月8日)詳細
1926年(大正15)「青年訓練所令」が公布され、在郷軍人や青年団幹部を職員とした青年訓練所が各地に設置される詳細
1947年(昭和22)飯田大火で4,010戸が焼失する詳細
1974年(昭和49)「日中航空協定」が調印(効力発生は同年5月24日)される詳細
1978年(昭和53)小説家橋本英吉の命日詳細
2005年(平成17)小説家丹羽文雄の命日詳細
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 今日は、幕末明治維新期の1868年(慶応4年閏4月)に、 明治新政府が初めて、「阿片烟ヲ禁シ府藩県高札ニ掲示セシム」を布告して、阿片の売買・喫煙を禁止した日ですが、新暦では6月9日となります。
 「阿片烟ヲ禁シ府藩県高札ニ掲示セシム」(あへんえんをきんじふはんけんこうさつにけいじせしむ)は、幕末明治維新期の1868年(慶応4年閏4月19日)に、 明治新政府が初めてだした、阿片の売買・喫煙を禁止した布告です。長崎、横浜などの条約港では、貿易のために集まった外国商人が居住のため使用人や料理人として中国人を連れて来ており、彼らが密輸により、阿片の煙膏を持ち込んで問題となっていました。
 その中で、この布告では、「阿片煙草ハ、人ノ精気ヲ耗シ、命数ヲ縮メ候品ニ付」と初めて人害であることが明記され、「売買之儀ハ勿論、一己ニ呑用ヒ候儀、決而不相成候」と使用や売買を含めて禁止し、「若御制禁相犯シ、他ヨリ顕ルヽニ於テハ、可被処厳科候間」と、厳罰に処すものとしています。その後、新政府は法整備を進め、1870年(明治3年8月9日)には、「販売鴉片烟律」が布告され、使用や売買を含めて罰則規定を設けて、重罪としました。
 以下に、この「阿片烟ヲ禁シ府藩県高札ニ掲示セシム」を記した、慶応4年の『太政官日誌』の「阿片煙草禁制ノ事」と「販売鴉片烟律」を掲載しておきますので、ご参照下さい。

〇『太政官日誌慶応4年

【阿片煙草禁制ノ事】

御布告写一通

阿片煙草ハ、人ノ精気ヲ耗シ、命数ヲ縮メ候品ニ付、兼而御条約面ニ有之候通、外国人持渡候事、厳禁之処、近頃窃ニ舶載之聞ヘ有之万一世上ニ流布致シ候テハ、生民之大害ニ候間、売買之儀ハ勿論、一己ニ呑用ヒ候儀、決而不相成候、若御制禁相犯シ、他ヨリ顕ルヽニ於テハ、可被処厳科候間、心得違無之様末々ニ至ル迄、堅ク可相守者也

右御達シ書、府藩県一同高札ニ掲示可致様被仰出候事

閏四月

〇「販売鴉片烟律」 1870年(明治3年8月9日)布告

一、凡ソ鴉片烟ヲ販売シテ利ヲ謀ル者首ハ斬、従ハ三等流、自首スル者ハ一等ヲ減ス

一、人ヲ引誘シ吸食セシムル者ハ絞、従及ヒ情ヲ知リ房屋ヲ給スル者ハ三等流、引誘セラレテ吸食スル者ハ徒一年

一、収買シテ未タ售賈セサル者首ハ三等流、従は徒三年、買食スル者徒二年半、自首スル者は並ニ罪ヲ免シ、鴉片烟ハ官ニ没収ス

一、官吏知テ挙セザル者ハ、併ニ拠同罪、財ヲ受クル者ハ出事

一、薬用関之ニ付、外国ヨリ取寄度節ハ、各地方官ヨリ開港場ヘ申立候ハヽ、別段ノ注文ヲ以テ、取寄候様可致事

<現代語訳>

一、およそ、営利目的で生成アヘンの販売を行う主犯者は斬首である。それに基づき、販売にかかわった者はその度合いにより近流、中流、遠流のいづれかの流刑、自首したものはその状況等により一段階低い罪にする。

一、人を誘いアヘンを吸飲させた主犯者は絞首刑である。客引きなどで主犯者に従った者、事情を知り吸飲の場所を提供した者などは三種の流刑が科せられ、誘われて客となりアヘンを吸飲した者も、1年の徒刑(懲役刑)が科せられる。

一、購入した生成アヘンを販売せず所持をしている主犯者は三種の流刑。それに従っている者は3年の懲役刑。生成アヘンを購入して吸飲するもの2年半の懲役刑。自首する者は無罪。そして所持している生成アヘンは、すべて没収する。

一、役人が知っていて、逮捕しない者は、その罪は同罪とし、財を受け取ってていた者は差し出すこと。

一、薬用に関するものについては、外国より取り寄せるたびごとに、各地方官より開港場ヘ申し立てるならば、各別の注文として、取り寄せるべきこととする。

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1068年(治暦4)第70代の天皇とされる後冷泉天皇の命日(新暦5月22日)詳細
1800年(寛政12)伊能忠敬が、第1次測量(蝦夷地測量)のために、江戸を出発(閏月)する(新暦6月11日)詳細
1870年(明治3)哲学者西田幾多郎の誕生日(新暦5月19日)詳細
1901年(明治34)数学者岡潔の誕生日詳細
1912年(明治45)小説家源氏鶏太の誕生日詳細
1928年(昭和3)田中義一内閣が中国・国民革命軍の北伐再開に対応して第二次山東出兵を決定する詳細
2007年(平成19)漆芸家高橋節郎の命日詳細

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 今日は、昭和時代前期の太平洋戦争下、1942年(昭和17)に、東京、横須賀、横浜、名古屋、神戸などが初空襲(ドゥーリットル空襲)された日です。
 ドゥーリットル空襲(どぅーりっとるくうしゅう)は、昭和時代前期の太平洋戦争下、1942年(昭和17)4月18日に、アメリカ軍が日本本土に対して、初めて行った空襲でした。J.ドゥーリトル中佐の指揮の下に、アメリカの航空母艦「ホーネット」から発進した、B-25爆撃機16機が、東京、横須賀、横浜、名古屋、神戸などを爆撃し、中国大陸などに不時着します。
 これによって、死者87人、重傷者151人、軽傷者311人以上、家屋全壊・全焼112棟(180戸)以上、半壊・半焼53棟(106戸)以上の被害が出ました。日本の海軍上層部への衝撃は大きく、その後の戦局に大きな影響を与え、同年6月のミッドウェー作戦を行う契機となったとされます。

〇太平洋戦争下の主要な空襲一覧

 <1942年(昭和17)>
・4月18日 東京、横須賀、横浜、名古屋、神戸などが初空襲される(ドゥーリットル空襲)

 <1944年(昭和19)>
・11月24日 B-29による初めての東京空襲が行われる

<1945年(昭和20)>
・1月19日 阪神地方へ初の本格的空襲が行われる
・3月10日 東京大空襲か行われる(死傷者10万人以上、焼失家屋27万余戸、100余万人罹災)
・3月12日 名古屋大空襲で中心街が消失する(家屋25,734棟棟被災、105,093人罹災、死者519人、負傷者負傷者734人)
・3月13~14日 大阪へ初の大空襲が行われる
・3月17日 神戸大空襲が行われ神戸市西部が消失する(約65,000棟が全半焼、死者2,598人)
・3月19日 名古屋大空襲で名古屋駅が炎上する(家屋39,893棟被災、151,332人罹災、死者826人、負傷者2,728人)
・3月29日 北九州が空襲される
・4月4日 川崎の他鶴見・港北・神奈川・西各区が空襲を受ける(罹災戸数5,873戸、死者398人)
・4月13日 東京西部地域空襲(城北大空襲)が行われる(罹災戸数約17万戸、死者2,459人)
・4月15日 東京・横浜・川崎の空襲が行われる(罹災住宅5万2655戸、死者972人)
・5月14日 名古屋空襲で名古屋城が焼失する(家屋21,905棟被災、66,585人罹災、死者338人、負傷者783人)
・5月24日 東京へ250機来襲し、皇居が炎上する
・5月25~26日 東京空襲(山手地域)が行われる
・5月29日 京浜へ600機来襲し、川崎、横浜が被災(横浜大空襲)する(死者3,650人、重軽傷者10,198人、行方不明309人)
・6月1日 大阪、尼崎等へ400機来襲する
・6月5日 兵庫県神戸市へ350機来襲する(西部の神戸市垂水区から東部の西宮市まで広範囲が爆撃される)
・6月7日 大阪周辺へ250機来襲する
・6月29日 岡山空襲で岡山城が焼失する(家屋12,693棟被災、死者が1,737人)
・7月9日 和歌山大空襲で和歌山城が消失する(焼失家屋31,137戸、被災者113,548人、死者・行方不明者1,424人)
・7月14日 青函連絡船の翔鳳丸など9隻が米艦載機の攻撃を受けて沈没する
・8月5日 B-29爆撃機92機が前橋市・高崎市を空襲し、死傷者1,323人が出る
・8月6日 B-29が広島に原子爆弾を投下し、市街地は廃墟と化し、20万人以上の人命が喪われる
・8月7日 愛知県の豊川海軍工廠が爆撃され女子挺身隊員・国民学校児童ら2,477人の死者を出す
・8月8日 福山大空襲で福山城が消失する(焼失家屋数10,179戸、被災者数47,326人、死者354人)
・8月9日 B-29が長崎にも原子爆弾を投下し、市街地は廃墟と化し、8万人弱の人命が喪われる

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1849年(嘉永2)浮世絵師葛飾北斎の命日(新暦5月10日)詳細
1885年(明治18)日清両国間で「天津条約」(李・伊藤条約)が締結される詳細
「専売特許条例」が公布(施行は同年7月1日)される(発明の日)詳細
1900年(明治33)福井「橋南大火」で、死者11名、負傷者131名、全焼1891軒、半焼3軒の被害を出す詳細
1946年(昭和21)国際司法裁判所(略称:ICJ)が開所する詳細
1964年(昭和39)彫刻家朝倉文夫の命日詳細
1970年(昭和45)刑法学者牧野英一の命日詳細
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