ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事)

 学生時代からの大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。その中でいろいろと歴史に関わる所を巡ってきましたが、日々に関わる歴史上の出来事や感想を紹介します。Yahooブログ閉鎖に伴い、こちらに移動しました。

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 今日は、昭和時代中期の1955年(昭和30年)に、小説家・評論家・随筆家坂口安吾の亡くなった日ですが、安吾忌とも呼ばれています。
 坂口安吾は、明治時代後期の1906年(明治39)10月20日に、新潟県新潟市の旧家で大地主であった衆議院議員の父・坂口仁一郎と母・アサの五男として生まれましたが、本名は炳五(へいご)といいました。
 1922年(大正11)県立新潟中学(現在の県立新潟高校)を退学、上京して私立豊山中学(現在の日本大学豊山高等学校)3年に編入学します。
 卒業後は、代用教員となったものの、1926年(大正15)東洋大学印度哲学科に入学しました。1928年(昭和3)アテネ・フランセに入学し、フランス語を習得し、1930年(昭和5)に東洋大学卒業後は、同人誌『言葉』を創刊します。
 翌年、処女作「木枯の酒倉から」、「ふるさとに寄する讃歌」を発表、続いて後継誌『青い馬』に「風博士」、「黒谷村」を掲載して、文壇に認められます。
 その後失恋による痛手で一時低迷しますが、1942年(昭和17)の「日本文化私観」、「青春論」などの随筆で復帰しました。
 太平洋戦争後は、1946年(昭和21)に、「堕落論」、「白痴」、翌年「青鬼の褌を洗う女」を発表して注目され、太宰治、織田作之助、石川淳らと共に、無頼派・新戯作派と呼ばれるようになります。
 その後は流行作家として、文明批評、歴史小説、探偵小説などの分野で活躍しました。しかし、1955年(昭和30年)2月17日に、群馬県桐生市の自宅において、脳出血により48歳で急逝しました。

〇坂口安吾の主要な作品

<小説>
・『風博士』(1931年)
・『黒谷村』(1931年)
・『吹雪物語』(1938年)
・『白痴』(1946年)
・『青鬼の褌(ふんどし)を洗ふ女』(1947年)
・『桜の森の満開の下』(1947年)
・歴史小説『道鏡』 (1947年)
・歴史小説『二流の人』(1947年)
・歴史小説『織田信長』(1948年)
・推理小説『不連続殺人事件』 (1947~48年)
・『夜長姫と耳男』(1952年)
・歴史小説『狂人遺書』(1955年)

<評論>
・『日本文化私観』(1943年)
・『青春論』(1943年)
・『堕落論』 (1946年)

<随筆>
・『安吾巷談(こうだん)』(1950年)
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 今日は、鎌倉時代初期の1190年(文治6)に、武士・僧侶・歌人西行(さいぎょう)の亡くなった日ですが、新暦では3月31日となります。
 西行は、平安時代後期の1118年(元永元)に、藤原氏藤成流の父・検非違使左衛門尉佐藤康清、母・監物源清経の娘の子として生まれましたが、俗名は佐藤義清と言いました。
 1135年(保延元)に、左兵衛尉に任ぜられ、1137年(保延3)には、北面の武士として鳥羽上皇に仕えましたが、和歌のみならず、武芸、蹴鞠にも堪能であったとされています。
 しかし、1140年(保延6)に22歳で出家し、円位を名のり、嵯峨や鞍馬の奥などにこもり、また伊勢に下向したり、1144年(天養元)ごろには奥羽地方へも旅行しました。
 後に、高野山を本拠とする聖の生活に入り、真言宗に属しましたが、諸国を巡る漂泊の旅に出ながら、和歌を詠んだりしました。
 晩年は、伊勢国の二見浦近くにも数年住みましたが、藤原定家・家隆、寂蓮らに『二見浦百首』を勧進したり、『御裳濯河』『宮河』の2編の自歌合を編み、各々俊成、定家に加判を委嘱したりしています。
 その後、河内国の弘川寺(現在の大阪府南河内郡河南町)に庵居していた1190年(文治6年2月16日)に、73歳で亡くなりました。
 家集に『山家集』、『異本山家集』、『聞書集』、『聞書残集』、自撰の歌合に『御裳濯河歌合』、『宮河歌合』があり、『千載集』に18首、『新古今集』に94首(入集第1位)など勅撰集にも多く入集していて、後の飯尾宗祇や松尾芭蕉らに影響をあたえたと言われています。

<西行の代表的な歌>

・「惜しむとて 惜しまれぬべき此の世かな 身を捨ててこそ 身をも助けめ」(『玉葉和歌集』より)
・「嘆けとて 月やは物を 思はする かこち顔なる わが涙かな」(『小倉百人一首』より)
・「風になびく 富士の煙の 空に消えて 行方も知らぬ わが思ひかな」(『新古今和歌集』より)
・「年たけて また越ゆべしと 思ひきや 命なりけり 佐夜の中山」(『新古今和歌集』より)
・「ねかはくは 花のしたにて 春しなん そのきさらきの もちつきのころ」(『山家集』より)
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 今日は、鎌倉時代の僧侶・時宗の開祖一遍の生まれた日ですが、新暦では3月21日となります。
 一遍は、1239年(延応元年2月15日)に、伊予国久米郡(現在の愛媛県松山市)の豪族、別府通広の第2子として生まれ、10歳の時に出家しました。
 その後、13歳で大宰府に移り、浄土宗西山派の聖達に学ぶことになります。1274年(文永11)、36歳の時に遊行を開始し、四天王寺、高野山などを詣で、熊野で熊野本宮証誠殿参籠中に、「信不信をえらばず、浄不浄をきらはず、その札をくばるべし」という夢告を受け、念仏の札を配る念仏賦算の時宗が成立したとされています。
 その後、九州、四国、山陽、京都の各地を巡り、1279年(弘安2)41歳の時に、信濃国の伴野(現在の長野県佐久市)を訪れて踊り念仏を始めました。
 それからも日本各地を巡って、布教活動を続けましたが、1289年(正応2年8月23日)に摂津国の和田岬(現在の兵庫県神戸市)において、51歳で亡くなっています。
 尚、その生涯は国宝となっている『一遍聖絵』(一遍上人絵伝)に描かれていて、今日に伝えられています。

〇『一遍聖絵』(一遍上人絵伝)とは?

 時宗の開祖一遍(遊行上人)を描いた絵巻で、鎌倉時代の1299年(正安元)に一遍の弟子にあたる聖戒が詞書を起草し、法眼の地位にあった画僧の円伊が絵を描いたものです。
 全12巻からなり、神奈川県藤沢市の清浄光寺に所蔵されているものは、「絹本著色一遍上人絵伝」の名称で、1900年(明治33)に、重要文化財(旧国宝)となり、1952年(昭和27)に国宝に指定されました。
 絹本着色の精緻な画風で、一遍の生涯を各地の風物や社寺の景観の中に描いていて、四季おりおりの風景を美しくとらえて歌絵、名所絵的な趣きがあり、文化史上の貴重な資料とされています。
 他に、1307年(徳治元)頃成立の宗俊編「一遍上人縁起絵」(10巻)の系統のものも流布してきました。
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 今日は、奈良時代の741年(天平13)に、聖武天皇が「国分寺建立の詔」を出した日ですが、新暦では3月5日となります。
 これは、聖武天皇が鎮護国家を具現化するために出した、各国に国分寺(僧寺と尼寺)を建てる命令のことです。
 その内容は、国毎に七重塔を一基造り、「金光明最勝王経」、「法華経」を書写することを命じ、天皇も自ら金字で「金光明最勝王経」を写し、塔ごとに納めること、国ごとに国分僧寺と国分尼寺を1つずつ設置し、僧寺の名は金光明四天王護国之寺、尼寺の名は法華滅罪之寺とすることなどでした。
 僧寺には封戸50戸と水田10町、尼寺には水田10町を施し財源とすること、僧寺に僧20人、尼寺に尼僧10人を置くことも定められたのです。

〇国分寺とは?

 聖武天皇が仏教による国家鎮護のため、奈良時代の741年(天平13年2月14日)に「国分寺建立の詔」で、国ごとに建立を命じた寺院で、国分僧寺と国分尼寺に分かれます。正式名称は、国分僧寺が「金光明四天王護国之寺(こんこうみょうしてんのうごこくのてら)」、国分尼寺が「法華滅罪之寺(ほっけめつざいのてら)」といいました。
 境内に七重塔が建てられ、僧寺には封戸50戸と水田10町、尼寺には水田10町を施し財源とすること、僧寺に僧20人、尼寺に尼僧10人を置くことも定められたのです。
 尚、壱岐や対馬には「島分寺(とうぶんじ)」が建てられました。

☆「国分寺建立の詔」(全文) 741年(天平13年2月14日)

天平十三年 三月乙巳。
詔曰、朕以薄徳、忝承重任。未弘政化、寤寐多慙。古之明主、皆能光業、国泰人楽、災除福至。脩何政化、能臻此道。頃者、年穀不豊、疫癘頻至。慙懼交集、唯労罪己。是以、広為蒼生、遍求景福。故前年、馳驛増飾天下神宮。去歳、普令天下造釈迦牟尼仏尊像、高一丈六尺者、各一鋪、并写中大般若経各一部。自今春已来、至于秋稼、風雨順序、五穀豊穣。此乃、徴誠啓願、霊貺如答。載惶載懼、無以自寧。案経云、若有国土講宣読誦、恭敬供養、流通此経王者、我等四王、常来擁護。一切災障、皆使消殄。憂愁疾疫、亦令除差。所願遂心、恒生歓喜者、宜令下天下諸国各令敬造七重塔一区、并写金光明最勝王経、妙法蓮華経一部。朕、又別擬、写金字金光明最勝王経、毎塔各令置一部。所冀、聖法之盛、与天地而永流、擁護之恩、被幽明而恒満。其造塔之寺、兼為国華。必択好処、実可久長。近人則不欲薫臭所及。遠人則不欲労衆帰集。国司等、各宜務存厳飾、兼尽潔清。近感諸天、庶幾臨護。布告遐邇、令知朕意。又毎国僧寺、施封五十戸、水田一十町。尼寺水田十町。僧寺必令有廿僧。其寺名、為金光明四天王護国之寺。尼寺十尼。其名為法華滅罪之寺。両寺相去、宜受教戒。若有闕者、即須補満。其僧尼、毎月八日、必応転読最勝王経。毎至月半、誦戒羯磨。毎月六斎日、公私不得漁猟殺生。国司等宜恒加検校。

                           『続日本紀』より

          *縦書きの原文を横書きに改め、句読点を付してあります。

<読み下し文>

(天平十三年三月)乙巳、詔して日く、
『朕[1]薄徳[2]を以て忝く重任を承け、未だ政化[3]を弘めず、寤寐[4]多く慙づ。古の明主[5]、皆先業[6]を能くし、災除かれ福至る。何の政化[3]を修めてか、能く此の道に臻れる。頃者、年穀[7]豊かならず[8]、疫癘[9]頻りに至る。慙懼[10]交集りて、唯労して己を罪す。是を以て、広く蒼生[11]の為に、遍く景福[12]を求む。故に前年、驛を馳せて[13]天下の神宮を増し飾へ[14]。去歳、普く天下を令して釈迦牟尼仏の尊像高さ一丈六尺なる者各一鋪を造り、并せて大般若経[15]各一部を写さしむ。今春より已来、秋稼[16]に至るまで、風雨序に順ひ[17]、五穀豊穣[18]なり。此に乃ち誠を徵かにし、願を啓す。靈貺[19]答ふるが如し。案ずるに經に云ふ、若し國土に講宣[20]讀誦、恭敬[21]供養[22]し、此の經を流通[23]せしむる王者あらば、我等四王[24]、常に來つて擁護し、一切の災障、皆消殄[25]せしめ、憂愁疾疫亦除き差へしめん。願ふところ心を遂げ、恒に歡喜を生ぜんものなりと。宜しく天下の諸国をして、各敬んで七重塔一区を造り、并に金光明最勝王経[26]、妙法蓮華経[27]、各一部を写さしむ。朕[1]又別に金字の金光明最勝王経[26]を写し、塔毎に各々一部を置かしめんと擬す。冀ふところは聖法[28]の盛んなること、天地とともに永く流へ、擁護の恩[29]、幽明[30]に被らしめて恒に満たんことを。其れ造塔の寺は、また国の華たり。必ず好処[31]を択びて、実に長久にすべし。近人は則ち薰臭[32]の及ぶところを欲せず、遠人は則ち衆を勞して歸集[33]することを欲せず、國司等各宜しく嚴飾[34]に務めて、兼ねて潔淸[35]を盡すべし。近ごろ諸天に感ず、庶幾くば臨護して、遐邇[36]に布告し、朕[1]の意を知らしめよ。』
又国毎の僧寺には封[37]五十戸、水田十町を施し、尼寺には水田十町。
僧寺には必ず廿僧有らしめよ。其の寺の名を金光明四天王護国之寺と為し、尼寺には一十尼ありて、其の寺の名を法華滅罪之寺と為し、両寺相共に宜しく教戒[38]を受くべし。若し闕者有れば、即ち補満すべし。其の僧尼は每月八日、必らず最勝王經を轉讀[39]し、月半に至る每に、戒羯磨[40]を誦べし。
每月六齋日に公私漁獲殺生するを得ず。国司等宜しく恒に検校[41]を加ふべし。

【注釈】
[1]朕:ちん=聖武天皇のこと。
[2]薄徳:はくとく=徳の少ないこと。寡徳。
[3]政化:せいか=政治上の感化。政治と教化。
[4]寤寐:ごび=寝てもさめても。
[5]明主:めいしゅ=賢明な君主。
[6]先業:せんぎょう=政治上の手柄をよくたてる。
[7]年穀:ねんこく=五穀のこと。
[8]豊ならず:ゆたかならず=よく実らない、つまり飢饉を意味する。
[9]疫癘:えきれい=流行病。疫病。
[10]慙懼:ざんく=恐れと恥ずかしさと。恥じ入りかつ恐れること。
[11]蒼生:そうせい=人民。
[12]景福:けいふく=幸福。大いなる幸せ。
[13]驛を馳せて:えきをはせて=駅馬を走らせて。
[14]神宮を増し飾へ:じんぐうをましととのへ=737年(天平9)11月の詔の指示のこと。
[15]大般若経:だいはんにゃきょう=諸法皆空の理を広く論じた大経典で600巻ある。
[16]秋稼:しゅうか=秋の収穫。
[17]序に順ひ:じょにしたがひ=順調なこと。具合が良いこと。
[18]五穀豊穣:ごこくほうじょう=穀物が豊作なこと。
[19]靈貺:れいきょう=仏が与えて下さる賜物。
[20]講宣:こうせん=講述し宣説すること。
[21]恭敬:きょうけい=つつしみ、うやまうこと。
[22]供養:くよう=仏に物を供えて回向すること。仏・法・僧の三宝を敬い、これに香・華・飲食物などを供えること。
[23]流通:るつう=仏法が伝わり広まること。行き渡らせること。
[24]四王:しおう=四天王のこと、帝釈天に仕え仏教を守護する四神(東・持国天、南・増長天、西・広目天、北・多聞天)。
[25]消殄:しょうてん=消滅させること。
[26]金光明最勝王経:こんこうみょうさいしょうおうきょう=唐(中国)の義浄が訳した「金光明経」の名称。
[27]妙法蓮華経:みょうほうれんげきょう=代表的な大乗仏教経典で、釈迦が永遠の仏であることなどが説かれている。
[28]聖法:しょうほう=仏法のこと。
[29]擁護の恩:ようごのおん=仏の加護の恩恵。
[30]幽明:ゆうめい=幽界と明界。あの世とこの世。来世と現世。
[31]好処:こうしょ=風景が良く、物静かなところ。良いところ。
[32]薰臭:くんしゅう=良くないにおい。
[33]歸集:きしゅう=帰ったり、集まったり、往来すること。
[34]嚴飾:げんしょく=厳かに飾ること。
[35]潔淸:けっせい=清い美しさ。
[36]遐邇:かじ=遠近。
[37]封:ふう=封戸。指定された戸の租の半分と庸・調が支給された。
[38]教戒:きょうかい=教えと戒律。
[39]轉讀:てんどく=長い経典の題目や要所要所の数行だけを読んで、全文を読むことに代えること。
[40]羯磨:かつま=仏教教団の運営に必要な議事や儀式の作法、およびそれらをまとめたテキストのこと。
[41]検校:けんこう=調べ考えること。調査し考え合わせること。監査すること。

<現代語訳>

天平十三年三月乙巳、(聖武天皇は)詔の中で言われた、「私は徳の薄い身であるのにかかわらず、かたじけなくも天皇という重責についている。ところが、 いまだに民を教え導く良い政治を広められず、寝ても醒めても恥ずかしい思いでいっぱいだ。昔の名君は、みな祖先の仕事を良く受け継いで、国家は安泰であり、人々は楽しみ、災害がなく幸せに満ちていた。どのようにすれば、このような政治と教化ができるのであろうか。この頃は実りが豊かでなく、疫病も流行している。それを見るにつけ、私は恥じ入りかつ恐れ、自責の念に駆られている。そこで、広く人民のために、大きな幸福をもらたしたいと思う。以前(天平9年11月)、諸国に駅馬を走らせて、各地の神社を修造させたり、丈六(一丈六尺=約4.8m)の釈迦牟尼仏一体を造らせ、あわせて、大般若経を写させたのもそのためである。その甲斐あって、今年は春から秋の収穫の時期まで天候が順調で穀物も豊作であった。これは真心が伝わったためで、仏の賜物ともいうべきものである。考えてみると、金光明最勝王経には「もし広く世間でこの経を講義したり、読経暗誦したり、つつしんで供養し、行き渡らさせれば、われら四天王は常に来りてその国を守り、一切の災いは消滅し、心中にいだくもの悲しい思いや疫病もまた除去される。そして心のままに願いをかなえ、常に喜びが訪れるであろう」とある。そこで、諸国に命じて敬んで七重塔一基を造営し、あわせて金光明最勝王経と妙法蓮華経各一部を写経させることとする。私もまた別に、金文字で金光明最勝王経を写し、塔ごとに一部ずつ納めようと思う。願うところは、仏教が興隆し、天地とともに永続し、仏の加護の恩恵が来世と現世にいつまでも満ちることである。七重塔を持つ寺(国分寺)は「国の華」であり、必ず良い場所を選定し、いつまでも長く久しく続くようにしなさい。人家に近すぎて、においを感じさせるようなところは良くないし、遠すぎて人々が集まるのに疲れてしまうようなところも望ましくない。国司は国分寺を厳かに飾るように努め、清浄を保つように尽くしなさい。間近に仏教を擁護するものを感嘆させ、仏が望んで擁護されるように請い願いなさい。近い所にも遠い所にも布告を出して、私の意向を人民に知らしめなさい。」
また、国ごとの僧寺には、寺の財源として封戸を五十戸、水田十町を施し、尼寺には水田十町を施しなさい。
僧寺には必ず二十人の僧を住まわせ、その寺の名は金光明四天王護国之寺としなさい。また、尼寺には十人の尼を住まわせ、その寺の名は法華滅罪之寺とし、二つの寺の僧尼は共に教戒を受けるようにしなさい。もし僧尼に欠員が出たときは、すみやかに補充しなさい。毎月八日に、必ず金光明最勝王経を読み、月の半ばには戒と羯磨を暗誦しなさい。
毎月の六斎日(八・十四・十五・二十三・二十九・三十日)には、公私ともに魚とりや狩りをして殺生をしてはならない。国司は、常に監査を行いなさい。
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 今日は、平成時代の2006年(平成18)に、財団法人日本城郭協会が「日本100名城」を発表した日です。
 「日本100名城」は、財団法人日本城郭協会の設立40周年の記念事業の一環として、城郭愛好家からの推薦、専門家による選定会議を経て決定したものです。
 選定にあたっては、まず対象を〕イ譴進顕什癲史跡、著名な歴史の舞台、時代・地域の代表とし、各都道府県から1城以上5城以内として選出されています。近世城郭だけではなく、古代山城や環濠集落も含まれているのが特徴です。
 2007年(平成19)6月2日からは、選定された全国の100城を巡る『「日本100名城」選定記念スタンプラリー』が開始されています。
 尚、2017年(平成29)4月6日に同協会により「続日本100名城」も選定されました。

〇「城」とは?
 広辞苑によると、「敵を防ぐために築いた軍事的構造物。我国では、古くは柵(さく)や石垣または濠(ほり)・土塁を以てしたことがあったが、しだいに構築を加え、中古に至って、天険・丘陵を利用して防御を施す「山城」が発達し、専ら戦闘用であったが、戦国時代以降は、敵軍来襲の防御ばかりでなく、領内統治・城・権勢表示などをも兼ねた築城に進み、いわゆる城郭が完成。多く平地に築かれ、二重・三重に濠をめぐらし、、本丸・二の丸・三の丸などに郭を区分し、石塁上に多数の櫓(やぐら)類を建て、偵察・射撃に利し、本丸には天守閣を設けて郭の中軸とし、表には大手門、裏には搦手(からめて)の門を構え、なお住居用の殿舎をも備えた。」とされていて、古代からのものを含む広い概念とされています。
 
☆「日本100名城」一覧

<北海道>
1 根室半島チャシ跡群(北海道根室市) 国の史跡
2 五稜郭(北海道函館市) 特別史跡
3 松前城(北海道松前町) 国の史跡

<東北>
4 弘前城(青森県弘前市) 国の史跡、現存天守
5 根城(青森県八戸市) 国の史跡
6 盛岡城(岩手県盛岡市) 国の史跡
7 多賀城(宮城県多賀城市) 特別史跡
8 仙台城(宮城県仙台市) 国の史跡
9 久保田城(秋田県秋田市)
10 山形城(山形県山形市) 国の史跡
11 二本松城(福島県二本松市) 国の史跡
12 若松城(福島県会津若松市) 国の史跡

<関東>
13 白河小峰城(福島県白河市) 市指定史跡
14 水戸城(茨城県水戸市) 特別史跡
15 足利氏館(栃木県足利市) 国の史跡
16 箕輪城(群馬県高崎市) 国の史跡
17 金山城(群馬県太田市) 国の史跡
18 鉢形城(埼玉県寄居町) 国の史跡
19 川越城(埼玉県川越市) 県指定史跡、現存本丸御殿
20 佐倉城(千葉県佐倉市) 市指定史跡
21 江戸城(東京都千代田区) 特別史跡
22 八王子城(東京都八王子市) 国の史跡
23 小田原城(神奈川県小田原市) 国の史跡

<甲信越>
24 武田氏館・武田神社(山梨県甲府市) 国の史跡
25 甲府城(山梨県甲府市) 県指定史跡
26 松代城(長野県長野市) 国の史跡
27 上田城(長野県上田市) 国の史跡
28 小諸城(長野県小諸市)
29 松本城(長野県松本市) 国宝、国の史跡、現存天守
30 高遠城(長野県伊那市) 国の史跡
31 新発田城(新潟県新発田市) 国の史跡
32 春日山城(新潟県上越市) 国の史跡

<北陸>
33 高岡城(富山県高岡市) 県指定史跡
34 七尾城(石川県七尾市) 国の史跡
35 金沢城(石川県金沢市) 国の史跡
36 丸岡城(福井県坂井市) 現存天守
37 一乗谷城(福井県福井市) 特別史跡・特別名勝

<東海>
38 岩村城(岐阜県恵那市) 県指定史跡、三大山城
39 岐阜城(岐阜県岐阜市) 市指定史跡
40 山中城(静岡県三島市) 国の史跡
41 駿府城(静岡県静岡市)
42 掛川城(静岡県掛川市) 現存二之丸御殿
43 犬山城(愛知県犬山市) 国宝、現存天守
44 名古屋城(愛知県名古屋市) 特別史跡、三名城
45 岡崎城(愛知県岡崎市) 市指定史跡
46 長篠城(愛知県新城市) 国の史跡
47 伊賀上野城(三重県伊賀市) 国の史跡
48 松阪城(三重県松阪市) 国の史跡

<近畿>
49 小谷城(滋賀県長浜市) 国の史跡
50 彦根城(滋賀県彦根市) 国宝、現存天守、特別史跡・名勝
51 安土城(滋賀県近江八幡市) 特別史跡
52 観音寺城(滋賀県近江八幡市) 国の史跡
53 二条城(京都府京都市) 世界遺産、国宝6棟、国の史跡・名勝、現存二之丸御殿
54 大坂城(大阪府大阪市) 特別史跡、三名城
55 千早城(大阪府千早赤阪村) 国の史跡
56 竹田城(兵庫県朝来市) 国の史跡
57 篠山城(兵庫県篠山市) 国の史跡
58 明石城(兵庫県明石市) 国の史跡
59 姫路城(兵庫県姫路市) 世界遺産、国宝8棟、特別史跡、現存天守、三大平山城
60 赤穂城(兵庫県赤穂市) 国の史跡・名勝
61 高取城(奈良県高取町) 国の史跡、三大山城
62 和歌山城(和歌山県和歌山市) 国の史跡・名勝

<中国>
63 鳥取城(鳥取県鳥取市) 国の史跡
64 松江城(島根県松江市) 国宝、国の史跡、現存天守、三大湖城
65 月山富田城(島根県安来市) 国の史跡
66 津和野城(島根県津和野町) 国の史跡
67 津山城(岡山県津山市) 国の史跡、三大平山城
68 備中松山城(岡山県高梁市) 国の史跡、現存天守、三大山城
69 鬼ノ城(岡山県総社市) 国の史跡
70 岡山城(岡山県岡山市) 国の史跡・特別名勝
71 福山城(広島県福山市) 国の史跡
72 吉田郡山城(広島県安芸高田市) 国の史跡
73 広島城(広島県広島市) 国の史跡
74 岩国城(山口県岩国市)
75 萩城(山口県萩市) 国の史跡

<四国>
76 徳島城(徳島県徳島市) 国の史跡・名勝
77 高松城(香川県高松市) 国の史跡、三大水城
78 丸亀城(香川県丸亀市) 国の史跡、現存天守
79 今治城(愛媛県今治市) 県指定史跡、三大水城
80 湯築城(愛媛県松山市) 国の史跡
81 松山城(愛媛県松山市) 国の史跡、三大平山城、現存天守
82 大洲城(愛媛県大洲市) 県指定史跡
83 宇和島城(愛媛県宇和島市) 国の史跡、現存天守
84 高知城(高知県高知市) 国の史跡、現存天守、現存本丸御殿

<九州>
85 福岡城(福岡県福岡市) 国の史跡
86 大野城(福岡県大野城市) 特別史跡
87 名護屋城(佐賀県唐津市) 特別史跡
88 吉野ヶ里遺跡(佐賀県吉野ヶ里町・神埼市) 特別史跡
89 佐賀城(佐賀県佐賀市) 県指定史跡
90 平戸城(長崎県平戸市)
91 島原城(長崎県島原市) 市指定史跡
92 熊本城(熊本県熊本市) 特別史跡、三名城
93 人吉城(熊本県人吉市) 国の史跡
94 大分府内城(大分県大分市) 県指定史跡
95 岡城(大分県竹田市) 国の史跡
96 飫肥城(宮崎県日南市) 市指定史跡
97 鹿児島城(鹿児島県鹿児島市) 県指定史跡

<沖縄>
98 今帰仁城(沖縄県今帰仁村) 世界遺産、国の史跡
99 中城城(沖縄県中城村) 世界遺産、国の史跡
100 首里城(沖縄県那覇市) 世界遺産、国の史跡
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