
新渡戸稲造(にとべ いなぞう)は、陸奥国岩手郡盛岡(現在の岩手県盛岡市)で、南部藩士の父・新渡戸十次郎、母・せきの3男として生まれましたが、幼名は稲之助といいました。
その後、名を稲造と改めて上京し、数え年13歳頃から東京英語学校で学びます。農学を志すようになり、札幌農学校の二期生として入学、在学中に内村鑑三らとともに受洗し、キリスト者となりました。
1881年(明治14)札幌農学校を卒業し、1883年(明治16)には東京大学に入学しますが満足できず、翌年退学し、アメリカに留学します。
ジョンズ・ホプキンス大学在学中、札幌農学校助教授に任ぜられ、ドイツに移り、ボン、ベルリン、ハレ各大学で農政学を研究、1891年(明治24)に帰国し、札幌農学校教授となりました。しかし、病を得て、1898年(明治31)から3年間、療養を兼ねて欧米を漫遊します。
1901年(明治34)には、台湾総督府技師に任ぜられ、殖産事業に参画、糖業により統治の経済的基礎を確立しました。
1903年(明治36)に京都帝国大学教授に就任、1906年(明治39)には、第一高等学校校長となり、7年間在職します。また、1909年(明治42)より東京帝国大学教授として植民政策講座を担当しました。
1918年(大正7)に東京女子大学初代学長、1928年(昭和3)に東京女子経済専門学校の初代校長に就任、女子教育に尽力します。
その一方で、国際連盟事務次長(1920~26年)や太平洋問題調査会理事長(1929~33年)を務めて、「太平洋の橋」になることを願い、国際理解と世界平和のために活躍しました。
その中で、帝国学士院会員、貴族院議員ともなって活躍しましたが、1933年(昭和8)に太平洋会議(カナダ開催)出席後、病を得て、同年10月16日にカナダのビクトリアで、71歳で亡くなります。
尚、1984年(昭和59)発行の5,000円札の肖像に選ばれたことでも知られました。
〇新渡戸稲造の主要な著作
・『農業本論』(1898年)
・『武士道』(1899年)
・『修養』(1911年)
・『新渡戸稲造全集』23巻別巻1(1987年)



