太平洋戦争後の深刻な食糧危機の中で、首都圏の食糧遅配は極度に悪化し、連日餓死者が出ている状況下で、各地で「米よこせ大会」が巻き起こっていました。その中でこの大会が開かれ、政府の食糧配給遅延に抗議し、飯米獲得や民主戦線即時結成を決議、また食糧問題に関する天皇への上奏文を可決したのです。
その後、デモ行進に移りましたが、デモ隊の一人が掲げていた「朕はタラフク食ってるぞナンジ人民飢えて死ね」というプラカードが問題となり、不敬罪で起訴される事件(結局、不敬罪ではなく名誉毀損罪に問われた)が起こりました。
この間の流れの中で、吉田茂総理による組閣も難航し、人民民主政府樹立の機運が盛り上がっていたのですが、翌20日の占領軍(GHQ)最高司令官マッカーサーの「暴民デモ許さず」との声明で運動は鎮静化に向かったのです。