ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事)

 学生時代からの大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。その中でいろいろと歴史に関わる所を巡ってきましたが、日々に関わる歴史上の出来事や感想を紹介します。Yahooブログ閉鎖に伴い、こちらに移動しました。

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 今日は、昭和時代前期の1930年(昭和5)に、岡崎駅~多治見駅間・瀬戸記念橋駅~高蔵寺駅間で省営自動車(後の国鉄バス)が運行開始された日です。
 このバスは、国有鉄道の補助・代行機関として、岡崎駅~多治見駅間・瀬戸記念橋駅~高蔵寺駅間において、省営自動車岡多線として運行開始(当初規模はバス7両・トラック10台)され、国鉄バスの前身となりました。
 1932年(昭和7)には、鉄道省運輸局に自動車課が設立され、翌年には「鉄道に関連する国営自動車事業」と位置づけられることとなります。その後拡大して、1940年(昭和15)時点での営業規模は、バス550両・トラック299両、営業キロは約2,600kmとなりました。
 太平洋戦争後の1949年(昭和24)に、公共企業体である日本国有鉄道が発足し、省営自動車は国鉄自動車として再出発します。
 それからも住民の路線拡張に対する要望もあって、どんどん拡大し、1955年(昭和30)までに、バス1,629両・トラックは766両、営業キロは12,033kmとなりました。また、1964年(昭和39)10月5日から名神高速線(名古屋駅~大阪駅・神戸駅間)も開業し、以後高速バスも拡大していきます。
 しかし、国鉄の分割民営化に伴い、1987年(昭和62)3月31日限りで、国鉄バスとしての運行を終了し、各旅客会社に引き継がれることになり、各JRバスとなりました。

〇国鉄バス関係略年表

・1929年(昭和4) 鉄道省に自動車交通網調査会が設置され、全国78路線の自動車交通網の答申を行う
・1930年(昭和5)12月20日 岡崎駅~多治見駅間・瀬戸記念橋駅~高蔵寺駅間で省営自動車が運行開始
・1932年(昭和7) 鉄道省運輸局に自動車課が設立される
・1933年(昭和8) 「鉄道に関連する国営自動車事業」と位置づけられる
・1934年(昭和9) 観光路線である十和田線の運行を開始する
・1940年(昭和15) バス550両・トラック299両、営業キロは約2,600kmとなる
・1945年(昭和20) バス674両・トラック1,279台という規模になる
・1949年(昭和24) 公共企業体である日本国有鉄道が発足、省営自動車は国鉄自動車として再出発する
・1950年(昭和25)10月14日 国鉄バスのシンボルマークを一般公募し、「つばめマーク」が発表される
・1951年(昭和26) 「道路運送法」の適用を受けることになり、民間バス事業者と対等の立場となる
・1952年(昭和27) 政府が国鉄自動車の事業範囲についての見解「国鉄自動車の4原則」を出す
・1955年(昭和30) バス1,629両・トラックは766両、営業キロは12,033kmとなる
・1962年(昭和37)12月 国鉄バスの原則に新たに「鉄道線の補完」が加わり、「国鉄自動車の5原則」となる
・1964年(昭和39)10月5日 名神高速線(名古屋駅~大阪駅・神戸駅間)が開業する(日本初の高速バス)
・1965年(昭和40)3月6日 名神高速線(名古屋駅~京都駅間)が開業する
・1968年(昭和43) 「国鉄自動車経営改善委員会」が設置され、大幅な合理化施策の方針が打ち出される
・1969年(昭和44) 赤字鉄道線のバス転換を図ることが閣議決定される
・1969年(昭和44)6月10日 東名高速線(東京駅~名古屋駅間)が開業、ドリーム号も運行開始する
・1972年(昭和47) 三国線・鍛冶屋原線など5線区の鉄道線が廃止され、国鉄バスによる代替輸送が実施される
・1975年(昭和50)11月1日 中国高速線の運行を開始する
・1977年(昭和52) 「地方バス路線運営費補助金」の交付を受けることになる
・1985年(昭和60) 盛岡~弘前間の高速バス「ヨーデル号」の運行に参入する
・1986年(昭和61)12月4日 「日本国有鉄道改革法」が施行、旅客自動車運送事業は各旅客会社が引き継ぐことされる
・1987年(昭和62)3月31日 分割民営化により、国鉄バスとしての運行を終了する
・1987年(昭和62)4月1日 各旅客会社に引き継がれ、それぞれのJRバスとなる
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 今日は、明治時代前期の1876年(明治9)に、最大の地租改正反対一揆である「伊勢暴動」が起きた日です。
 これは、地租改正事業に反対した明治期最大の農民一揆で、三重県を中心に愛知・岐阜・堺各県に及びました。
 1876年(明治8)11月の石代相場の引下げ要求から端を発し、12月18日、翌日に控えた租税取り立ての延期を三重県飯野郡(現在の三重県松阪市)の農民が戸長らに申し入れましたが埒が明かなかったのです。それで、各村の戸長が租税を取り立てるため、豊原村(現在の松阪市豊原町)で開かれる戸長会へ出かけた留守の隙に、農民が集合し、12月19日についに蜂起するに至りました。
 この動きは、三重県下のほとんど全域に拡大し、愛知・岐阜・堺各県に波及します。当初の嘆願行動は、打ち壊しや焼き打ち行動に激化し、地租改正に関係する役所や屋敷に及びました。
 県と政府は、士族を徴募し鎮台兵をも出動させて鎮圧にあたり、ようやく12月24日には完全に抑え込まれます。これによる処罰は、絞首刑1人を含め受刑者50,773人に上りました。
 地租改正に反対する一揆は、茨城一揆など各地で起き、翌年政府は地租を地価の3%から2.5%に引き下げることになります。
 これについて、「竹槍でどんと突き出す二分五厘」と歌われたりしました。

〇地租改正(ちそかいせい)とは?

 明治時代前期に、明治政府が実施した土地・租税制度の改革のことです。まず、1872年(明治5)に田畑売買禁止令を解き地券を発行し、1873年(明治6)7月28日には、「太政官布告第272号」と「地租改正条例」を発しました。
 その主要な内容は、 (1) 課税標準を従来の収穫量から地価に改める、(2) 税率は100分の3をもって、豊凶に関係なく定率とする、(3) 物納を廃し、すべて金納として、土地所有者に課税するというものだったのです。
 しかし、今までの税収を減らさないことを基本としたので、地価は高めに設定され、農民には重い負担となりました。
 その結果、1876年(明治9)には、各地で地租改正反対一揆が起き、明治政府は、翌年から地租率を100分の2.5に引き下げる譲歩を行うことになったのです。
 これらの改革によって、明治政府の財政的基礎が確立した一方で、地主・小作の関係は強化されました。
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 今日は、昭和時代中期の1947年(昭和22)に、「過度経済力集中排除法」が公布・施行された日です。
 この法律は、太平洋戦争後、占領軍による経済民主化政策の一環として、いわゆる財閥解体をはかるためのものでした。
 この第一条において、「平和的且つ民主的な国家を再建するための方策の一環として、できるだけ速やかに過度の経済力の集中を排除し、国民経済を合理的に再編成することによつて、民主的で健全な国民経済再建の基礎を作ることを目的とする」と定められています。
 戦時下の企業整備などにより規模が過大となっていた巨大独占企業を分割するための手続を定め、当初は鉱工業、商業、サービス部門の大企業のすべてを網羅した325社が分割の対象として指定されました。しかし、その後の占領軍対日政策の転換などにより、実際に分割されたのは以下の12社に留まり、実効性不十分な状態で、1955年(昭和30)にこの法律は廃止されています。
 「独占禁止法」により持株会社は禁止されたので、コンツェルンの形での財閥は姿を消しましたが、その後も、三井財閥、住友財閥、三菱財閥などは株式を持ち合う企業グループという形で温存されることになりました。
 尚、1997年(平成9)に「独占禁止法」改正によって純粋持株会社が解禁されています。

〇分割された企業(12社)

・日本発送電→(北海道電力・東北電力・東京電力・中部電力・北陸電力・関西電力・中国電力・四国電力・九州電力)
・日本製鐵→(八幡製鐵・富士製鐵・日鐵汽船・播磨耐火煉瓦)
・大建産業→(伊藤忠商事・丸紅・呉羽紡績・尼崎製釘所・大建工業)
・三菱重工業→(東日本重工業・中日本重工業・西日本重工業)
・三菱鉱業→(三菱鉱業・太平鉱業)
・三井鉱山→(三井鉱山・神岡鉱業)
・井華(住友)鉱業→(井華鉱業・別子鉱業・住友建設・別子百貨店)
・大日本麦酒→(朝日麦酒・日本麦酒)
・北海道酪農協同→(北海道バター・雪印乳業)
・王子製紙→(苫小牧製紙・十條製紙・本州製紙)
・帝国繊維→(帝国製麻・中央繊維・東邦レーヨン)
・東洋製罐→(東洋製罐・北海製罐)

☆過度経済力集中排除法 (全文) 1947年(昭和22)12月18日(法律第207号)

第一条 この法律は、平和的且つ民主的な国家を再建するための方策の一環として、できるだけ速やかに過度の経済力の集中を排除し、国民経済を合理的に再編成することによつて、民主的で健全な国民経済再建の基礎を作ることを目的とする。

第二条 この法律で企業とは、企業連合、企業結合、企業合同、会社、組合、個人企業その他形態の何であるかを問わず、事業上、金融上その他経済上の一切の方法又は事業体を含むものとする。

この法律で独立企業とは、各個の法律上の人格を有する企業をいう。

この法律で関係とは、協定、了解、共同行為その他名義の何であるかを問わず、一切の関係をいう。

この法律で事業分野とは、事業上、金融上その他経済上の一切の活動の分野を含むものとする。

この法律の施行について独占的性質の企業とは、独立企業の合併の結果、又は昭和十二年七月一日から昭和二十年九月一日までの間に当該事業分野において従前に比し過当な事業の拡張をした結果、当該事業分野において影響力を持つている、又は持つ虞のある企業を含むものとする。この場合において、影響力とは、企業による支配力であつて、当該事業分野における価格の決定又は資金、商品若しくは役務の移動を実質的に左右するに足る程度のものをいう。 この法律の施行について関連性のない事業分野とは、生産過程において相互に依存する生産分野、一の最終生産品の生産において生産の段階となつている生産分野又はその他相互の間に生産、販売若しくは経営の合理化に役立つ関係のある事業分野のいずれにも該当しない事業分野をいう。

この法律で競争又はこの法律の施行について競争者とは、現実に存する競争又は競争者及び潜在的な競争又は競争者をいう。

この法律で生産能力とは、生産施設を通常の状態において最高度に使用した場合の生産の能力をいう。

この法律で家族とは、本人並びにその配偶者及び三親等内の親族をいう。

この法律の施行について個人又は家族における富とは、個人又は家族の成員が所有し、又は支配する企業財産その他の財産を含むものとする。

第三条 持株会社整理委員会は、過度の経済力の集中で、この法律施行の日において現に存している又は昭和二十年八月一日以後この法律施行の日前において存したものを指定し、公共の利益のために、これを排除しなければならない。

前項の場合において過度の経済力の集中とは、営利を目的とする私企業又はその結合体で、一の分野においてその有する相対的規模が題であり、又は二以上の分野においてその占める地位を集積した力が大であるために、事業の重要な部分において、競争を制限し、又は他の企業が独立して事業を営むことを阻害するものをいう。

持株会社整理委員会は、前項の定義及び第六条第一項の規定による具体的基準に従い、過度の経済力の集中を指定しなければならない。

第四条 前条の規定による指定は、昭和二十三年九月三十日までに、これをしなければならない。

第五条 持株会社整理委員会は、第三条の規定による指定をしたときは、その旨を文書で利害関係人に通知しなければならない。同条の規定による指定を取り消したときも、同様である。

前項の規定による指定の通知は、公告してこれを行うことができる。

第六条 持株会社整理委員会は、左に掲げる事項その他必要な事項を考慮して、過度の経済力の集中に該当するかどうかを決定する具体的基準を定めて、これを公示しなければならない。

一 当該企業の内地における生産額又は取引額の当該事業分野における内地全体の生産額又は取引額に対する割合。

二 当該企業の内地における生産能力と昭和十二年六月三十日以前における内地における最高生産能力との比較。

三 当該企業の内地における生産能力又は取引額の当該事業分野における内地全体の生産能力又は取引額に対する割合と昭和十二年六月三十日以前におけるその最高の割合との比較。

四 他の企業に対する当該企業の支配的な関係の内容。

五 当該企業の工場事業場の数及びその位置その他の立地条件。

六 工場事業場の生産過程における相互的関連性の有無及びその程度並びに工場事業場の原料の使用又は生産品の生産若しくは販売における相互的関連性の有無及びその程度。

七 当該企業の原料に対する支配の内容。

八 独立企業の合併その他の方法による事業の拡張の事情。

九 当該企業全体の生産能率と当該企業の各部門又はその結合体の生産能率との比較。

十 一手買取又は一手販売その他これらに類する独占的性質又は制限的性質の取極めその他の関係の有無、物品の購入若しくは販売についての特権、生産若しくは販売の制限、価格の固定、事業地域若しくは販売地域の制限又は特許権若しくは技術の排他的交換を内容とする取極めその他の関係の有無及びこれらの取極めその他の関係への参加の有無。

十一 個人又は家族の成員が企業に対して行う実質的支配の内容。

前項第九号の生産能率を判定するに当つては、生産高又は単価がその企業の構造の変更により影響されるかどうかについても考慮しなければならない。


第七条 持株会社整理委員会は、第三条の規定により指定された過度の経済力の集中の排除について、この法律の目的を達成するのに必要な措置をとらなければならない。

持株会社整理委員会は、前項の措置に関し必要な範囲内において左に掲げる権能を有する。

一 第三条の規定により指定された過度の経済力の集中を排除するための原則、計画及び手続を定めること。

二 諸般の情報を集め、整理し、及び調査し、情報の整理及び提出を求め、記録の保存を命じ、報告及び意見の提出を求め、並びに帳簿書類その他の物件の所持者に対し当該物件の提出を命じ、及び提出物件を留めて置くこと。

三 関係人又は参考人に出頭を命じて審尋し、及び鑑定人に出頭を命じて鑑定させること。

四 工場事業場その他必要な場所に臨検して、業務及び財産の状況、帳簿書類その他の物件を検査すること。

五 財産の譲渡若しくは引渡を命じ、又は株式その他の有価証券につき議決権の行使の委任を求めること及び当該財産が個人又は家族の成員の所有に属する場合においては、その譲渡の対価として受領した金銭で有価証券を取得すべきことを命じ、又はその譲渡の対価として有価証券を交付し、且つ、これらの有価証券の任意の譲渡を制限すること。

六 法人その他の団体の解散を命じ、企業連合、企業結合、企業合同、一手買取、一手販売その他の独占的性質又は制限的性質の取極めの解消を命じその他過度の経済力の集中を存続させる行為を禁止すること。

七 企業の再編成、財産処分その他第三条の規定により指定された過度の経済力の集中を排除するのに必要な措置に関する計画書の提出を求め、これを承認し、及び企業再編成計画書の提出のない場合又はその内容が不適当である場合において、企業の再編成計画書を作成すること。

八 企業再編成計画の実施につき一切の裁判上又は裁判外の権限を有する管理人を指名し、及び企業再編成計画の実施、財産処分、法人その他の団体の解散又は清算その他過度の経済力の集中を排除するのに必要な措置の実施を監督すること。

九 持株会社整理委員会の承認を受けないで財産の移転その他の行為をすることを禁止すること。

十 その他第三条の規定により指定された過度の経済力の集中を排除するのに必要と認められ、且つ、この法律の規定に適合する行為をすること。

十一 前各号に掲げる事項を実施するために、必要な指令をし、又は必要な規則を定めてこれを公示すること。

前項第六号の規定により持株会社整理委員会か法人その他の団体に対しその解散を命じた場合は、他の法令の規定又は契約その他の定にかかわらず、当該法人その他の団体は、その命令により解散する。

第二項第四号の規定により臨検検査をする者は、一定の証票を携帯しなければならない。

第八条 持株会社整理委員会は、企業再編成、財産処分その他第三条の規定により指定された過度の経済力の集中を排除するのに必要な措置に関する計画を承認し、若しくは作成しようとするとき、前条第二項第五号若しくは第六号の規定による処分をしようとするとき、又はその他の処分をする場合において必要と認めるときは、その承認その他の処分の指令案を文書で利害関係人及び公正取引委員会に通達しなければならない。

前項の規定による指令案の文書(提出された計画書の承認に係るものを除く。)には、処分の基礎となつた事実の認定を附記しなければならない。この場合において、その事実の認定は、指令案の基礎となつている経済上、生産上その他の資料を詳細に示し、又はその事実の認定には、これらの資料に関する説明を覚書として添附しなければならない。

第五条第二項の規定は、第一項の規定による指令案の通達に、これを準用する。

第九条 持株会社整理委員会は、指令案を通達した日から十五日を経過した後に利害関係人に対し聴聞会を開かなければならない。

前項の聴聞会においては、利害関係人は、指令案について異議の申立又は意見の具申をすることができる。

持株会社整理委員会は、第一項の聴聞会の手続について、規則を定めて、これを公示することができる。

第十条 公正取引委員会は、指令案が昭和二十二年法律第五十四号私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律(以下私的独占禁止法という。)の規定に反すると認めるときは、その旨を持株会社整理委員会に対し指示しなければならない。

第十一条 持株会社整理委員会は、第九条第二項の規定による異議の申立若しくは意見の具申又は前条の規定による指示に基き、指令案につき必要な変更を加えることができる。

持株会社整理委員会は、指令の内容を決定したときは、その決定指令を文書で利害関係人に通達しなければならない。

第五条第二項の規定は、前項の規定による決定指令の通達に、これを準用する。

第十二条 持株会社整理委員会は、企業再編成計画が債権者、社債権者及び株主(社員を含む。以下同じ。)を公正且つ公平に取り扱つていない場合には、これを承認してはならない。

企業再編成計画においては、債権者、社債権者及び株主の承認を得ないで、これらの者の権利の変更の定をすることができる。但し、これらの者は、聴聞会において、異議の申立をすることができる。

第十三条 事実の認定が実質的な証拠を基礎としていない場合又は持株会社整理委員会が実質的な証拠を採用しなかつた場合においては、利害関係人は、決定指令が通達され、又は公告された日から三十日以内に、内閣総理大臣に不服の申立をすることができる。但し、その証拠の欠如が聴聞会において特に指摘されなかつた場合又はその実質的な証拠が故意に持株会社整理委員会に提出されなかつた場合には、この限りでない。

第十四条 前条の規定による不服申立があつた日から三十日以内に、内閣総理大臣は、その証拠の欠如が実質的性質のものであるために、指令が独断的になつているかどうかを決定しなければならない。

内閣総理大臣は、その証拠の欠如が実質的性質のものであるために指令が独断的になつていると認める場合においては、必要な程度において第八条乃至第十一条に規定する手続に準じ、適当に変更を加えさせるため、その事件を持株会社整理委員会に差し戻さなければならない。

第十五条 第十三条の規定による不服申立の期間内及び同条の規定による不服申立があつた場合にはその事件が確定するまでの間は、当該決定指令の執行は、停止される。

第十六条 過度の経済力の集中は、他の法令の規定に基く場合又は自発的に生じた場合であるかどうかを問わず、この法律の定めるところにより、これを排除することができる。

第十七条 この法律の施行は、配給統制に関する法令の適用を妨げるものではない。

第十八条 第三条の規定により指定された過度の経済力の集中については、その組織が消滅し、解体若しくは清算を終了し、解体中若しくは清算中にあり、又は変更を加えられた場合においても、持株会社整理委員会が、そのいかなる形態による継続もこれを禁止するために必要な措置をとることを妨げない。

第十九条 持株会社整理委員会の決定指令の執行に関する事項は、公正取引委員会がこれを掌る。

持株会社整理委員会の決定指令については、公正取引委員会に対しその変更の申立をすることができる。

前項の規定による申立に基く持株会社整理委員会の決定指令の変更は、第二十六条の規定により持株会社整理委員会の権限を公正取引委員会に移す日前においては、持株会社整理委員会の同意がなければ、これをしてはならない。

第二十条 持株会社整理委員会は、この法律の規定による職権の一部を公正取引委員会に委任することができる。

持株会社整理委員会は、この法律の規定による職権を行使するのに必要な範囲内において、これに関する事務を行政官庁その他の機関に委嘱することができる。

第二十一条 左の各号の一に該当する者は、これを三年以下の懲役又は十万円以下の罰金に処する。

一 第七条第二項第五号の規定による命令に違反し、同号の規定による請求に従わず、又は同号の規定による制限に違反した者

二 第七条第二項第六号の規定による解散命令又は禁止に違反した者。

三 第七条第二項第九号の規定による禁止に違反した者

前項の罪を犯した者には、情状により、懲役及び罰金を併科することができる。

第二十二条 第七条第二項第四号の規定による検査を拒み、妨げ、又は忌避した者は、これを六箇月以下の懲役又は千円以下の罰金に処する。

第二十三条 法人の代表者又は法人若しくは人の代理人、使用人その他の従業者が、その法人又は人の業務又は財産に関して、第二十一条第一項又は前条の違反行為をしたときは、行為者を罰する外、その法人又は人に対しても、各本条の罰金刑を科する。

第二十四条 第七条第二項第七号の規定による計画書の提出の請求に従わなかつた者は、これを一万円以下の過料に処する。

第二十五条 左の各号の一に該当する者は、これを千円以下の過料に処する。

一 第七条第二項第二号の規定による請求に従わず、又は同号の規定による命令に違反して情報を整理せず、情報、報告、意見若しくは帳簿書類その他の物件を提出せず、記録を保存せず、又は虚偽の情報、報告若しくは意見を提出した者。

二 第七条第二項第三号の規定による出頭命令に違反し、同号の規定による審尋に対し陳述せず、若しくは虚偽の陳述をし、又は同号の規定による鑑定命令に対し鑑定せず、若しくは虚偽の鑑定をした者

第二十六条 この法律の規定による持株会社整理委員会の職権及び記録並びにこの法律の目的の達成を確保するために必要な職員は、昭和二十三年九月一日から同年十二月三十一日までの間において別に法律で定めるところにより、これを公正取引委員会に移すものとする。

第二十七条 私的独占禁止法の規定及びその規定に基く公正取引委員会の権限は、この法律の規定及び持株会社整理委員会の権限によつて変更されることはない。

附 則

この法律は、公布の日から、これを施行する。

会社利益配当等臨時措置法の一部を次のように改正する。

第四条中「整備計画を提出したもの」の下に「又は過度経済力集中排除法第三条の規定により指定された会社(以下指定会社という。)」を「決定整備計画」の下に「又は過度経済力集中排除法の決定指令の内容」を加え、同条に次の一項を加える。

指定会社(特別経理会社である指定会社を除く。)の利益の配当について大蔵大臣が前項但書の許可をなすについては、予め、持株会社整理委員会の意見を求めなければならない。

第七条第一項第一号中「第四条」の下に「第一項」を加える。

(内閣総理・大蔵・司法・厚生・農林・商工・運輸・逓信・労働大臣署名)

     「法令全書」より
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 今日は、昭和時代前期の1938年(昭和13)に、日本画家小川芋銭の亡くなった日です。
 小川芋銭(おがわ うせん)は、幕末明治維新期の1868年(慶応4)2月18日に、江戸赤坂溜池の牛久藩邸で、牛久藩山口家の重臣小川賢勝の長男として生まれましたが、幼名は不動太郎、のち茂吉と言いました。
 1871年(明治4)に廃藩置県により新治県河内郡城中村(現在の茨城県牛久市)に移住し、牛久学舎(現在の牛久小学校)に通います。1879年(明治12)に上京し、小間物屋に奉公、翌年に本多錦吉郎の画塾、彰技堂に入り洋画を学びました。
 1887年(明治20)には、尾崎行雄の推挙を得て、『朝野新聞』に客員として入社し、挿絵や風刺的な漫画を描きます。1893年(明治26)に父親の命により牛久に戻り農業に従事しつつ、『茨城日報』や『平民新聞』などにさし絵、漫画を寄稿しました。
 1908年(明治41)に初の画集『草汁漫画』を刊行し反響を呼び、1915年(大正4)には、平福百穂、川端龍子らと珊瑚会を結成して、日本画を製作すめるようになります。
 1917年(大正6)に横山大観に認められ日本美術院同人となり、漫画から俳画、文人画へと進出、院展等で活躍し、独特なユーモアのあふれる素朴な画風を築き、特に河童の絵で知られるようになりました。
 1923年(大正12)に茨城美術展の顧問、1935年(昭和10)に帝国美術院参与となり、書・俳諧もよくしましたが、1938年(昭和13)12月17日に、茨城県牛久の自宅で、71歳で亡くなっています。

〇小川芋銭の主要な作品

・『森羅万象』(1917年)
・『肉案』(1917年)
・『樹下石人談』(1919年)
・『若葉に蒸さるる木精』(1921年)愛知県美術館蔵
・『水虎と其眷族』(1921年) 愛知県美術館蔵
・『水魅戯』(1923年)茨城県立近代美術館蔵
・『夕凪』(1924年)
・『狐隊行』(1930年) 茨城県近代美術館蔵
・『海島秋來』(1932年) 茨城県近代美術館蔵 県指定文化財
・『聴秋』(1936年)
・『羅漢龍虎』桑山美術館蔵
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 今日は、昭和時代前期の1932年(昭和7)に、日本橋白木屋百貨店で大火災が起きた日です。
 この火災は、東京市日本橋区(現在の東京都中央区日本橋)の白木屋百貨店(8階建て)で起こった建物火災のことで、死者14人・負傷者67人を出した、日本初の高層建築火災でした。
 この日の朝、開店して間もない、午前9時15分ごろ4階のおもちゃ売り場に展示してあった、クリスマスツリーの豆電球の故障修理中に、誤って電線がソケットに触れたためスパークによる火花が飛び散り、クリスマスツリーの金モールに着火、付近に展示してあったセルロイド製の人形やおもちゃにも燃え広がり、あっという間に火災が拡大しました。
 火災発見後、直ちに消防職員・消防組員799人、ポンプ車29台、はしご車3台、水管自動車(ホース運搬車)2台などが出動し、当時としては最大規模の消火活動に当たります。しかし、当時のはじご車は5階までしか届かず、脱出用のロープ等を使って降りようとして、途中から墜落する人が多く出ました。
 その結果、ビル4階以上の約14,000平方mを焼失し、14人が死亡(1人は焼死、他の13人は転落死)、負傷者67人を出し、当時の金額で5,009,000円という大きな被害となります。
 女性従業員の死因がすべて転落死であったことから、12月23日付け「朝日新聞」に、白木屋の山田専務による「若い女のことゆえに、裾の乱れているのが気になって片手でロープにすがりながら、片手で裾を押さえたりするために、手が緩んで墜落してしまったというような悲惨なことがありました。」といった内容の談話が載りました。
 また、12月28日付け「都新聞」には「女性に警鐘・生死を分けた下ばきの有無」と題して、「女性たちがズロースを穿(は)いていなかったために、下からあおられる風に裾がまくれるのを気にして、つい手をロープから離してしまい、惨死したということを聞きました。」といった内容の記事を掲載します。
 この火災後、白木屋は女性店員にはズロースを穿くことを義務づけ、服装も着物を辞めて洋服を着るように推奨し、補助金も支給するようになりました。
 これらのことから、「白木屋大火災がきっかけで、日本女性は下着を穿くようになったという」伝説(当時の和装女性は、下着を穿いていなかったので着物の裾が乱れると下半身があらわになった)が広がることになります。
 翌年の1月に、物理学者・俳人・随筆家の寺田寅彦が白木屋火災に関しての随筆「火事教育」を書いていますので、参考までに以下に全文掲載しておきました。

〇「火事教育」寺田寅彦著

 旧臘押し詰まっての白木屋の火事は日本の火災史にちょっと類例のない新記録を残した。犠牲は大きかったがこの災厄が東京市民に与えた教訓もまたはなはだ貴重なものである。しかしせっかくの教訓も肝心な市民の耳に入らず、また心にしみなければあれだけの犠牲は全くなんの役にも立たずに煙になってしまったことになるであろう。今度の火災については消防方面の当局者はもちろん、建築家、百貨店経営者等直接利害を感ずる人々の側ではすぐに徹底的の調査研究に着手して取りあえず災害予防方法を講究しておられるようであるが、何よりもいちばんだいじと思われる市民の火災訓練のほうがいかなる方法によってどれだけの程度にできるであろうかという問題についてはほとんどだれにも見当さえつかないように見える。
 白木屋の火事の場合における消防当局の措置は、あの場合としては、事情の許す範囲内で最善を尽くされたもののように見える。それが事件の直前にちょうどこの百貨店で火災時の消防予行演習が行なわれていたためもあっていっそうの効力を発揮したようであるが、あの際もしもあの建物の中で遭難した人らにもう少し火災に関する一般的科学知識が普及しており、そうして避難方法に関する平素の訓練がもう少し行き届いていたならば少なくも死傷者の数を実際あったよりも著しく減ずることができたであろうという事はだれしも異論のないことであろうと思われる。そうしてまた実に驚くべく非科学的なる市民、逆上したる街頭の市民傍観者のある者が、物理学も生理学もいっさい無視した五階飛び降りを激励するようなことがなかったら、あたら美しい青春の花のつぼみを舗道の石畳に散らすような惨事もなくて済んだであろう。このようにして、白昼帝都のまん中で衆人環視の中に行なわれた殺人事件は不思議にも司直の追求を受けずまた市人の何人もこれをとがむることなしにそのままに忘却の闇に葬られてしまった。実に不可解な現象と言わなければなるまい。
 それはとにかく、実に幸いなことには事件の発生時刻が朝の開場間ぎわであったために、入場顧客が少なかったからこそ、まだあれだけの災害ですんだのであるが、あれがもしや昼食時前後の混雑の場合でもあったとしたら、おそらく死傷の数は十数倍では足りず、事によると数千の犠牲者を出したであろうと想像させるだけの根拠はある。考えてもぞっとする話である。しかしそういう場合であっても、もしも入場していた市民がそのような危急の場合に対する充分な知識と訓練を持ち合わせていて、そうしてかねてから訓練を積んだ責任ある指揮者の指揮に従って合理的統整的行動を取ることができれば、たとえ二万人三万人の群集があっても立派に無事に避難することが可能であるということは簡単な数理からでも割り出されることであると思う。火の伝播がいかに迅速であるとしても、発火と同時に全館に警鈴が鳴り渡りかねてから手ぐすね引いている火災係が各自の部署につき、良好な有力な拡声機によって安全なる避難路が指示され、群集は落ち着き払ってその号令に耳をすまして静かに行動を起こし、そうして階段通路をその幅員尺度に応じて二列三列あるいは五列等の隊伍を乱すことなく、また一定度以上の歩調を越すことなく、軍隊的に進行すればみごとに引き上げられるはずである。そのはずでなければならないのである。
 しかしこのできるはずのことがなかなか容易にできないのは多くの場合に群集が周章狼狽するためであって、その周章狼狽は畢竟火災の伝播に関する科学的知識の欠乏から来るのであろう。火がおよそいかなる速度でいかなる方向に燃え広がる傾向があるか、煙がどういうぐあいに這って行くものか、火災がどのくらいの距離に迫れば危険であるか、木造とコンクリートとで燃え方がどうちがうか、そういう事に関する漠然たる概念でもよいから、一度確実に腹の底に落ちつけておけば、驚くには驚いても決して極度の狼狽から知らず知らず取り返しのつかぬ自殺的行動に突進するようなことはなくてすむわけである。同時にまた消防当局の提供する避難機関に対する一通りの予備知識と、その知識から当然生まれるはずの信頼とをもっておりさえすれば、たとい女子供でも、そうあわてなくてすむわけである。
 しかしこのような訓練が実際上現在のこの東京市民にいかに困難であろうかという事は、試みにラッシュアワーの電車の乗降に際する現象を注意して見ていても直ちに理解されるであろう。東京市民は、骨を折ってお互いに電車の乗降をわざわざ困難にし、従って乗降の時間をわざわざ延長させ、車の発着を不規則にし、各自の損失を増すことに全力を注いでいるように見える。もしこれと同じ要領でデパート火事の階段に臨むものとすれば階段は瞬時に生きた人間の「栓せん」で閉塞されるであろう。そうしてその結果は世にも目ざましき大量殺人事件となって世界の耳口を聳動しょうどうするであろうことは真に火を見るよりも明らかである。このような実例の小規模なものは従来小さな映画館の火事の場合に記録されている。しかし人数の桁数のちがうデパートであったらはたしてどうであろう。
 これに処する根本的対策としては小学校教育ならびに家庭教育において児童の感受性ゆたかなる頭脳に、鮮明なるしかも持続性ある印象として火災に関する最重要な心得の一般を固定させるよりほかに道はないように思われる。
 現在の小学校教育の教程中に火災の事がどれだけの程度に取り扱われているかということについては自分はまだ全く何も知らない。しかしどれほど立派な教程があっても、それの効果が今日われわれの眼前にあまり明白に現われていないことだけは確かな事実であると思われる。
 火事は人工的災害であって地震や雷のような天然現象ではないという簡単明瞭な事実すら、はっきり認識されていない。火事の災害の起こる確率は、失火の確率と、それが一定時間内に発見され通報される確率によって決定されるということも明白に認められていない。火事のために日本の国が年々幾億円を費やして灰と煙を製造しているかということを知る政府の役人も少ない。火事が科学的研究の対象であるということを考えてみる学者もまれである。
 話は変わるが先日銀座伊東屋の六階に開催されたソビエトロシア印刷芸術展覧会というのをのぞいて見た。かの国の有名な画廊にある名画の複製や、アラビアンナイトとデカメロンの豪華版や、愛書家の涎よだれを流しそうな、芸術のための芸術と思われる書物が並んでいて、これにはちょっと意外な感じもした。そのほかになかなか美しい人形や小箱なども陳列してあったが、いちばん自分の注意をひいたのは児童教育のために編纂された各種の安直な絵本であった。残念ながらわが国の書店やデパート書籍部に並んでいるあの職人仕立ての児童用絵本などとは到底比較にも何もならないほど芸術味の豊富なデザインを示したものがいろいろあって、子供ばかりかむしろおとなの好事家を喜ばすに充分なものが多数にあった。その中に「火事パジアール」という見出しで、表紙も入れてたった十二ページの本が見つかったのでこれはおもしろいと思って試みに買って来た。絵もなかなかおもしろいが絵とちゃんぽんに印刷されたテキストが、われわれが読んでさえ非常に口調のいいと思われる韻文になっていて、おそらく、ロシアの子供なら、ひとりでに歌わないではいられなくなるであろうと思われるものである。簡単に内容を紹介すると、まずその第一ページは、消防署で日夜火の手を見張っている様子を歌ってある。第二ページはおかあさんの留守に幼少な娘のリエナが禁を犯してペチカのふたを明け、はね出した火がそれからそれと燃え移って火事になる光景、第三ページは近所が騒ぎだし、家財を持ち出す場面、さすがにサモワールを持ち出すのを忘れていない。第四ページは消防隊の繰り出す威勢のいいシーン。次は消防作業でポンプはほとばしり消防夫は屋根に上がる。おかしいのはポンプが手押しの小さなものである。次は二人の消防夫が屋根から墜落。勇敢なクジマ、今までに四十人の生命を助け十回も屋根からころがり落ちた札付きのクジマのおやじが屋根裏の窓から一匹のかわいい三毛の子ねこを助け出す。その次はクジマがポケットへ子ねこをねじ込んだままで、今にも焼け落ちんばかりの屋根の上の奮闘。子ねこがかくしから首と前足を出して見物しているのが愉快である。その次は火事のほうがとうとう降参して「ごめんください、クジマさん」とあやまる。クジマが「今後はペチカとランプと蝋燭以外に飛び出してはいけないぞ」と命令する場面で、ページの下半にはランプと蝋燭のクローズアップ。次のページにはリエナが戸外のベンチで泣いているところへクジマが子ねこの襟首をつかんで頭上高くさし上げながらやって来る。「坊や。泣くんじゃないよ。お家うちは新しく建ててやる。子ねこも無事だよ。そら、かわいがっておやり」という一編のクライマックスがあって、さて最後には消防隊が引き上げる光景、クジマの顔には焼けど、額には血、目の縁は黒くなって、そうして平気で揚々と引き上げて行くところで「おしまい」である。
 紙芝居にしても悪くはなさそうである。それはとにかく、これだけの、小さな小さな「火事教育」でも、これだけの程度にでもちゃんとしたものがわが国の本屋の店頭にあるかどうか、もし見つかったかたがあったらどうかごめんどうでもちょっとお知らせを願いたい。
 ついでながら見本としてこの絵本の第一ページの文句だけを紹介する。発音は自己流でいいかげんのものであるが、およその体裁だけはわかるであろう。

フ、プロースチャデイ、バザールノイ
ナ、カランチェー、パジャールノイ
クルーグルイ、スートキ
ダゾールヌイ、ウ、ブードキ
スマトリート、ワクルーグ
  ナ、シェビェール
  ナ、ユーグ
  ナ、ザーパド
  ナ、ウォストク
ニェ、ウィディエイ、リ、ドゥイモーク、

右の訳。これもいいかげんである。

市場の辻の
消防屯所
夜でも昼でも
火の見で見張り
ぐるぐる見回る
  北は………
  南は………
  西は………
  東は………
どっかに煙はさて見えないか。

 わが国の教育家、画家、詩人ならびに出版業者が、ともかくもこの粗末な絵本を参考のために一見して、そうしてわが国児童のために、ほんの些細の労力を貢献して、若干の火事教育の絵本を提供されることを切望する次第である。そうすればこの赤露の絵本などよりは数等すぐれた、もっと科学的に有効適切で、もっと芸術的にも立派なものができるであろうと思われる。そういう仕事は決して一流の芸術家を恥ずかしめるものではあるまいと信ずるのである。科学国の文化への貢献という立場から見れば、むしろ、このほうが帝展で金牌をもらうよりも、もっともっとはるかに重大な使命であるかもしれないのである。

(昭和八年一月)

 「青空文庫」の底本:「寺田寅彦随筆集 第四巻」より
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