ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事)

 学生時代からの大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。その中でいろいろと歴史に関わる所を巡ってきましたが、日々に関わる歴史上の出来事や感想を紹介します。Yahooブログ閉鎖に伴い、こちらに移動しました。

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 今日は、『古事記』の編者太安万侶が、723年(養老7)に亡くなった日ですが、新暦に換算すると8月11日となります。
 太安万侶(おおのやすまろ)は、奈良時代の文官で、名は安萬侶、安麻呂とも記され、生年は不詳ですが、父は壬申の乱で功績のあった多品治とされています。
 711年(和銅4)に、元明天皇の命で『古事記』の編纂に着手し、天武朝に稗田阿礼が誦習した帝紀や旧辞を再整理し、712年(和銅5)『古事記』三巻として撰進し、日本書紀の編纂にもあたったといわれています。
 1979年(昭和54)に、奈良県奈良市此瀬町の茶畑で墓が発見され、埋葬されていた墓誌から平城京左京四条四坊に住み、官位は従四位下勲五等、723年(養老7)7月6日に歿したことなどがわかり、話題となりました。
 墓は『太安萬侶墓』として1980年(昭和55)に国の史跡に指定され、『太安萬侶墓誌』は、1981年(昭和56)に国の重要文化財になりました。

〇『古事記』とは?
 奈良時代の元明天皇の勅命により、太安万侶が、稗田阿礼のそらんじていた帝紀・旧辞などを筆録した日本最古の歴史書で、712年(和銅5)に献進されました。
 3巻からなり、内容は上巻は神代、中巻は神武天皇から応神天皇まで、下巻は仁徳天皇から推古天皇までの記事を収め、神話・伝説・歌謡などを含んでいます。
 以下に、『古事記』の冒頭部分を載せておきます。

☆『古事記』の冒頭部分
古事記上卷 幷序

臣安萬侶言。夫、混元既凝、氣象未效、無名無爲、誰知其形。然、乾坤初分、參神作造化之首、陰陽斯開、二靈爲群品之祖。所以、出入幽顯、日月彰於洗目、浮沈海水、神祇呈於滌身。故、太素杳冥、因本教而識孕土產嶋之時、元始綿邈、頼先聖而察生神立人之世。寔知、懸鏡吐珠而百王相續、喫劒切蛇、以萬神蕃息與。議安河而平天下、論小濱而淸國土。
是以、番仁岐命、初降于高千嶺、神倭天皇、經歷于秋津嶋。化熊出川、天劒獲於高倉、生尾遮徑、大烏導於吉野、列儛攘賊、聞歌伏仇。卽、覺夢而敬神祇、所以稱賢后。望烟而撫黎元、於今傳聖帝。定境開邦、制于近淡海、正姓撰氏、勒于遠飛鳥。雖步驟各異文質不同、莫不稽古以繩風猷於既頽・照今以補典教於欲絶。
曁飛鳥淸原大宮御大八洲天皇御世、濳龍體元、洊雷應期。開夢歌而相纂業、投夜水而知承基。然、天時未臻、蝉蛻於南山、人事共給、虎步於東國、皇輿忽駕、淩渡山川、六師雷震、三軍電逝、杖矛擧威、猛士烟起、絳旗耀兵、凶徒瓦解、未移浹辰、氣沴自淸。乃、放牛息馬、愷悌歸於華夏、卷旌戢戈、儛詠停於都邑。歲次大梁、月踵夾鍾、淸原大宮、昇卽天位。道軼軒后、德跨周王、握乾符而摠六合、得天統而包八荒、乘二氣之正、齊五行之序、設神理以奬俗、敷英風以弘國。重加、智海浩汗、潭探上古、心鏡煒煌、明覩先代。
(以下略)
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 今日は、1949年(昭和24)に下山事件の起きた日です。
 この事件は、第二次世界大戦後続いた、一連の国鉄ミステリー事件(三鷹事件、松川事件など)の一つで、昭和時代中期の1949年(昭和24)7月5日、当時の国鉄総裁下山定則が失踪し、翌日に国鉄常磐線北千住駅~ 綾瀬駅間(東京都足立区綾瀬)で汽車に轢断された遺体となって発見された事件です。
 失踪当時は、国鉄の人員整理をめぐり緊張した状況にあり、職員62万3千余名の内12万413名の大規模な人員整理に着手し、前日に第1次整理3万700名の解雇通告を行ったばかりでした。
 この事件発生によって、左翼勢力による他殺説が流され、ストを含む反対闘争を決定していた国鉄労組の出鼻をくじき、さらには、民間企業の人員整理を有利に進めさせるという重大な影響を与えたのです。
 しかし半年後、警視庁は他殺説・自殺説ともに決め手のないままで捜査本部を閉じ、真相不明のまま1964年(昭和39)の時効成立で迷宮入りとなりました。
 作家の松本清張は『日本の黒い霧』で、当時の朝日新聞記者矢田喜美雄は著書『謀殺・下山事件』の中で、アメリカ軍防諜部隊の関与を唱えるなど、これに関する書物がいろいろと出されています。

〇当時の国鉄ミステリー事件の一覧

・庭坂事件(1948年4月27日) 奥羽線赤岩~庭坂間で発生
 脱線地点付近の線路継目板2枚、犬釘6本、ボルト4本が抜き取られていて、列車が転覆し、死者3人を出しましたが、真相は不明です。

・予讃線事件(1949年5月9日) 予讃線浅海 - 伊予北条駅間で発生
 脱線地点で、継ぎ目板2カ所4枚、ボルト8本、犬釘7本が故意に抜き取られており、列車が転覆し、死者3人を出しましたが、真相は不明です。

・下山事件(1949年7月6日) 常磐線北千住~綾瀬駅間で発生

・三鷹事件(1949年7月15日) 中央本線三鷹駅で発生
 中央本線三鷹駅構内で、無人列車が暴走して車止めに激突し、脱線転覆、突っ込んだ線路脇の商店街などで、6名が車両の下敷となって即死し、負傷者も20名出る大惨事となりました。国鉄労働組合員11人が共同謀議による犯行として逮捕・起訴されましたが、結局は元運転士の単独犯として死刑判決が言い渡され、獄死しました。しかし、冤罪ではなかったかとも言われ、その後長男による再審請求がなされています。

・松川事件(1949年8月17日) 東北本線松川~金谷川駅間で発生
 何者かによって当時の国鉄東北本線の旅客列車が転覆させられ、機関車の乗務員3人が死亡しました。それに関連して、東芝松川工場労働組合と国鉄労働組合構成員の労働組合員等合計20名が、不当逮捕・起訴されたのです。一審、二審判決では、有罪(死刑含む)とされましたが、裁判が進むにつれ被告らの無実が明らかになり、全国的な支援活動もあって、1963年(昭和38)に、最高裁で被告全員の無罪が確定しました。しかし、真犯人は不明のままです。

・まりも号脱線事件(1951年5月17日) 根室本線新得~落合駅間で発生
 脱線地点では、レールの継ぎ目板を外し、レールを4 cmずらされていて、蒸気機関車が線路外に逸脱して宙吊りとなり、軽傷者1人を出しましたが、真相は不明です。
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 今日は、1941年(昭和16)に、かつて東京で地下鉄を走らせていた「帝都高速度交通営団」(通称は営団地下鉄)が設立された日です。
 太平洋戦争へと向かう、戦時体制の下で、1941年(昭和16)3月7日に成立した「帝都高速度交通営団法」により、「東京地下鉄道」と「東京高速鉄道」によって行われていた、東京市の地下鉄建設・運営事業を統合し、一元的に東京の地下鉄を建設・経営する公共事業体として、同年7月4日に発足したものです。その時、旧東京地下鉄道(浅草〜新橋)、旧東京高速鉄道(渋谷〜新橋)などの路線を譲り受けました。
 太平洋戦争後も、地下鉄を運営していたこの営団は、特殊法人としてそのまま維持され、以下の路線を建設・運営してきたのです。
・銀座線 浅草 - 渋谷間
・丸ノ内線 池袋 - 荻窪間および中野坂上 - 方南町間
・日比谷線 北千住 - 中目黒間
・東西線 中野 - 西船橋間
・千代田線 綾瀬 - 代々木上原間および綾瀬 - 北綾瀬間
・有楽町線 和光市 - 新木場間(新線含む)
・半蔵門線 渋谷 - 押上間
・南北線 目黒 - 赤羽岩淵間
 しかし、2004年(平成16)3月31日に、国と東京都が出資する特殊会社である「東京地下鉄株式会社」(愛称は東京メトロ)へ受け継ぐことにより、「帝都高速度交通営団」は廃止・解散されました。
 

〇「帝都高速度交通営団法」(昭和16年3月7日・法律51号) 廃止平成14年12月18日・法律188号
第1章 総 則

第1条 帝都高速度交通営団ハ東京都ノ区ノ存スル区域及其ノ附近ニ於ケル交通機関ノ整備拡充ヲ図ル為地下高速度交通事業ヲ営ムコトヲ目的トスル公法上ノ法人トス

2 帝都高速度交通営団ハ国土交通大臣ノ認可ヲ受ケ前項ノ事業ニ関連スル事業ヲ営ミ又ハ之ニ投資スルコトヲ得

第2条 帝都高速度交通営団ノ資本金ハ6,000万円トシ之ヲ60万口ニ分チ一口ノ出資金額ヲ100円トス但シ資本金ハ国土交通大臣ノ認可ヲ受ケ之ヲ増加スルコトヲ得

第3条 削除

第4条 帝都高速度交通営団ハ出資ニ対シ勅令ノ定ムル所ニ依リ出資証券ヲ発行ス

第5条 帝都高速度交通営団ニ出資シ得ル者ハ政府及帝都高速度交通営団ノ路線ノ存スル地域ヲ区域トスル地方公共団体トス

2 政府ハ予算ノ範囲内ニ於テ帝都高速度交通営団ニ出資スルコトヲ得

第6条 削除

第7条 帝都高速度交通営団ノ出資者ノ責任ハ其ノ出資額ヲ限度トス

2 出資者ハ帝都高速度交通営団ニ払込ムベキ出資額ニ付相殺ヲ以テ之ニ対抗スルコトヲ得ズ

第8条 削除

第9条 削除

第10条 帝都高速度交通営団ハ定款ヲ以テ左ノ事項ヲ規定スベシ
一 目的
二 名称
三 事務所ノ所在地
四 資本金額、出資及資産ニ関スル事項
五 役員及会議ニ関スル事項
六 業務及其ノ執行ニ関スル事項
七 交通債券ノ発行ニ関スル事項
八 会計ニ関スル事項
九 公告ノ方法

第11条 帝都高速度交通営団ハ勅令ノ定ムル所ニ依リ登記ヲ為スコトヲ要ス

2 前項ノ規定ニ依リ登記スベキ事項ハ登記ノ後ニ非ザレバ之ヲ以テ第三者ニ対抗スルコトヲ得ズ

第12条 帝都高速度交通営団ニ付解散ヲ必要トスル事由発生シタル場合ニ於テ其ノ処置ニ関シテハ別ニ法律ヲ以テ之ヲ定ム

第13条 帝都高速度交通営団ニ非ザル者ハ帝都高速度交通営団又ハ之ニ類似スル名称ヲ用フルコトヲ得ズ

第14条 民法第44条、第50条、第51条第1項、第54条及第57条並ニ非訟事件手続法第35条第1項ノ規定ハ帝都高速度交通営団ニ之ヲ準用ス

第2章 管理委員会

第14条ノ2 帝都高速度交通営団ニ管理委員会ヲ置ク

第14条ノ3 帝都高速度交通営団ノ収支予算、事業計画、資金計画及収支決算ハ管理委員貝会ノ議決ヲ経ルコトヲ要ス

第14条ノ4 管理委員会ハ委員5人及帝都高速度交通営団ノ総裁ヲ以テ之ヲ組織ス

2 管理委員会ニ委員長1人ヲ置キ委員ガ互選ス

3 委員長ハ管理委員会ノ会務ヲ総理ス

4 管理委員会ハ予メ委員ノ中ヨリ委員長ノ職務ヲ代行スル者ヲ定ムルコトヲ要ス

第14条ノ5 委員ハ帝都高速度交通営団ノ業務ニ関シ適正ナル判断ヲ為スコトヲ得ル者ノ中ヨリ国土交通大臣之ヲ命ズ

2 前項ノ委員ノ中1人ハ帝都高速度交通営団ニ出資シタル地方公共団体ノ長ノ推薦シタル者3人ノ中ヨリ之ヲ命ズルコトヲ要ス

第14条ノ6 左ノ各号ノ一ニ該当スル者ハ委員タルコトヲ得ズ
一 禁錮以上ノ刑ニ処セラレタル者
二 政府職員又ハ地方公共団体ノ職員ニシテ審議会其ノ他之ニ準ズルモノノ構成員タル非常勤ノ者以外ノモノ
三 国会議員又ハ地方公共団体ノ議会ノ議員
四 政党ノ役員(任命ノ日以前1年間ニ於テ之ニ該当シタル者ヲ含ム)
五 帝都高速度交通営団ニ対シ物品ノ売買若ハ工事ノ請負ヲ為スヲ業トスル者又ハ之等ノ者ガ法人ナルトキハ其ノ役員若ハ名称ノ如何ニ拘ラズ役員ト同等以上ノ職権若ハ支配力ヲ有スル者(任命ノ日以前1年間ニ於テ之等ノ者ニ該当シタル者ヲ含ム)
六 前号ニ掲グル事業者ノ団体ノ役員又ハ名称ノ如何ニ拘ラズ役員ト同等以上ノ職権若ハ支配力ヲ有スル者(任命ノ日以前1年間ニ於テ之等ノ者ニ該当シタル者ヲ含ム)

第14条ノ7 委員ノ任期ハ5年トス但シ補欠ノ委員ハ前任者ノ残存期間在任ス

2 委員ハ再任サルルコトヲ得

3 委員ハ任期ガ満了シタル場合ニ於テモ新ニ委員ガ任命サルル迄ハ第1項ノ規定ニ拘ラズ引続キ在任ス

第14条ノ8 国土交通大臣ハ委員ガ心身ノ故障ノ為職務ヲ執行スルコト能ハザルト認ムル場合又ハ委員ニ職務上ノ義務違反其ノ他委員タルニ適セザル非行在リト認ムル場合ニ於テハ之ヲ罷免スルコトヲ得

第14条ノ9 委員ハ報酬ヲ受クルコトヲ得ズ但シ旅費其ノ他業務ノ遂行ニ伴フ実費ハ之ヲ受クルモノトス

第14条ノ10 管理委員会ハ委員長及其ノ他ノ委員ノ中2人以上ガ出席スルニ非ザレバ会議ヲ関キ議決ヲ為スコトヲ得ズ

2 管理委員会ノ議事ハ出席セル委員ノ過半数ヲ以テ之ヲ決ス可否同数ノトキハ委員長之ヲ決ス

第3章 役員及職員

第15条 帝都高速度交通営団ニ総裁副総裁各1人、理事5人以上及監事3人以上ヲ置ク

第16条 総裁ハ帝都高速度交通営団ヲ代表シ其ノ業務ヲ総理ス

2 副総裁ハ総裁事故アルトキハ其ノ職務ヲ代理シ総裁欠員ノトキハ其ノ職務ヲ行フ

3 副総裁及理事ハ総裁ヲ補佐シ定款ノ定ムル所ニ依リ帝都高速度交通営団ノ業務ヲ分掌シ又ハ之ニ参与ス

4 監事ハ帝都高速度交通営団ノ業務ヲ監査ス

第17条 総裁、副総裁、理事及監事ハ国土交通大臣之ヲ命ジ総裁及副総裁ノ任期ハ5年、理事ノ任期ハ4年、監事ノ任期ハ3年トス

第18条 総裁、副総裁及業務ヲ分掌スル理事ハ他ノ職業ニ従事スルコトヲ得ズ但シ国土交通大臣ノ認可ヲ受ケタルトキハ此ノ限ニ在ラズ

第18条ノ2 帝都高速度交通営団ノ役員及職員ハ刑法其ノ他ノ罰則ノ適用ニ付テハ法令ニ依リ公務ニ従事スル職員ト看做ス

第19条 削除

第4章 交通債券等

第20条 帝都高速度交通営団ハ払込資本金額ノ10倍ヲ限リ交通債券ヲ発行スルコトヲ得

第21条 交通債券ハ額面金額50円以上トシ無記名利札附トス但シ応募者又ハ所有者ノ請求ニ依リ記名式ト為スコトヲ得

2 交通債券ハ割引ノ方法ヲ以テ之ヲ発行スルコトヲ得

第22条 帝都高速度交通営団ハ交通債券借換ノ為一時第20条ノ制限ニ依ラズ交通債券ヲ発行スルコトヲ得

2 前項ノ規定ニ依リ交通債券ヲ発行シタルトキハ発行後1月内ニ其ノ発行額面金額ニ相当スル旧交通債券ヲ償還スベシ

第23条 交通債券ハ売出ノ方法ヲ以テ之ヲ発行スルコトヲ得

第24条 削除

第25条 帝都高速度交通営団ニ於テ交通債券ヲ発行セントスルトキハ国土交通大臣ノ認可ヲ受クベシ

第26条 削除

第27条 削除

第28条 交通債券ノ消滅時効ハ元金ニ在リテハ15年、利子ニ在リテハ5年ヲ以テ完成ス

第29条 交通債券ノ所有者ハ帝都高速度交通営団ノ財産ニ付他ノ債権者ニ先チテ自己ノ債権ノ弁済ヲ受クル権利ヲ有ス

2 日本政策投資銀行ハ帝都高速度交通営団ニ対スル貸付金ニ付テハ帝都高速度交通営団ノ財産ニ付他ノ債権者ニ先チテ自己ノ債権ノ弁済ヲ受クル権利ヲ有ス

3 前2項ノ規定ハ民法上ノ一般ノ先取特権ノ行使ヲ妨グルコトナシ

第30条 削除

第31条 本章ニ規定スルモノノ外交通債券ニ関シ必要ナル事項ハ勅令ヲ以テ之ヲ定ム

第5章 会 計

第32条 帝都高速度交通営団ノ事業年度ハ4月ヨリ翌年3月迄トス

第32条ノ2 帝都高速度交通営団ハ第14条ノ3ノ規定ニ依リ収支予算、事業計画、資金計画及収支決算ニ付管理委員会ノ議決ヲ経タルトキハ当該議決後15日以内ニ収支予算、事業計画及資金計画ニ関スル書類並ニ貸借対照表、損益計算書及国土交通省令ヲ以テ定ムル事項ヲ記載シタル事業報告書ヲ作成シ国土交通大臣及帝都高速度交通営団ニ出資シタル地方公共団体ニ提出スベシ

2 帝都高速度交通営団ハ前項ノ規定ニ依リ同項ノ書類ヲ提出シタルトキハ遅滞ナク貸借対照表及損益計算書又ハ之等ノ要旨ヲ官報ニ公告シ且同項ノ書類及附属明細書並ニ貸借対照表及損益計算書ニ関スル監事ノ意見書ヲ各事務所ニ備置キ国土交通省令ヲ以テ定ムル期間之等ヲ一般ノ閲覧ニ供スベシ

第33条 帝都高速度交通営団ハ其ノ資本金ノ4分ノ1ニ達スル迄ハ毎事業年度ニ於テ準備金トシテ利益金ノ100分ノ10以上ヲ積立ツベシ

第34条 帝都高速度交通営団ハ払込ミタル出資金額ニ対シ勅令ヲ以テ定ムル割合ヲ超エテ利益金ノ配当ヲ為スコトヲ得ズ

第6章 監督及助成

第35条 帝都高速度交通営団ハ国土交通大臣之ヲ監督ス

第36条 定款ノ変更(国土交通省令ヲ以テ定ムル軽微ナル事項ニ係ルモノヲ除ク)及利益金ノ処分ハ国土交通大臣ノ認可ヲ受クルニ非ザレバ其ノ効力ヲ生ゼズ

2 帝都高速度交通営団ハ前項ノ国土交通省令ヲ以テ定ムル軽微ナル事項ニ係ル定款ノ変更ヲ為シタルトキハ遅滞ナク其ノ旨ヲ国土交通大臣ニ届出ヅベシ

第37条 国土交通大臣ハ帝都高速度交通営団ニ対シ監督上必要ナル命令ヲ為スコトヲ得 国土交通大臣ハ部下ノ官吏ヲシテ何時ニモテ帝都高速度交通営団ノ金庫、帳簿及諸般ノ文書物件ヲ検査セシムルコトヲ得

第38条 国土交通大臣ハ帝都高速度交通営団ニ対シ地下高速度鉄道ノ建設又ハ改良ヲ命ズルコトヲ得

第39条 政府ハ勅令ノ定ムル所ニ依リ予算ノ範囲内ニ於テ帝都高速度交通営団ニ補助金ヲ交付スルコトヲ得

第40条 帝都高速度交通営団ハ地下高速度鉄道ノ建設又ハ改良工事施行ノ為地下埋設物ノ移転其ノ他ノ工事ノ施行ヲ必要トスル場合ニ在リテハ其ノ工事ノ施行方法又ハ其ノ工事ノ施行ニ因リテ生ズル損失ノ補償ニ付当該管理者ト協議ヲ為スベシ但シ法令ニ別段ノ規定アル場合ハ其ノ規定ノ適用ヲ妨ゲズ

2 前項ノ協議ヲ為スコト能ハザルトキ又ハ協議調ハザルトキハ帝都高速度交通営団ノ申請ニ因リ国土交通大臣之ヲ裁定ス

3 前項ノ裁定中損失ノ補償ニ付不服アル者ハ協議ノ相手方ヲ被告トシ裁定ノ通知ヲ受ケタル日ヨリ3月内ニ出訴スルコトヲ得

4 第2項ノ裁定ニ付テノ異議申立ニ於テハ損失ノ補償ニ付テノ不服ヲ其ノ裁定ニ付テノ不服ノ理由ト為スコトヲ得ズ

第41条 削除

第42条 役員ガ法令、定款若ハ国土交通大臣ノ命令ニ違反シ又ハ公益ヲ害スル行為ヲ為シタルトキハ国土交通大臣ハ之ヲ解任スルコトヲ得

第42条ノ2 国土交通大臣第2条、第25条及第36条第1項(定款ノ変更ニ付テハ第10条第4号ニ係ルモノニ限ル)ニ定ムル認可ヲ為サントスルトキハ財務大臣ト協議スベシ

第7章 罰 則

第43条 帝都高速度交通営団本法若ハ本法ニ基キテ発スル命令又ハ之ニ基キテ為ス処分ニ違反シタルトキハ総裁又ハ総裁ノ職務ヲ行ヒ若ハ代理スル副総裁ヲ5,000円以下ノ過料ニ処ス副総裁又ハ理事ノ分掌業務ニ係ルトキハ副総裁又ハ理事ヲ過料ニ処スルコト亦同ジ

第44条 帝都高速度交通営団ノ総裁、副総裁又ハ業務ヲ分掌スル理事第18条ノ規定ニ違反シ他ノ職業ニ従事シタルトキハ1,000円以下ノ過料ニ処ス

第45条 第13条ノ規定ニ違反シ帝都高速度交通営団又ハ之ニ類似スル名称ヲ用ヒタル者ハ1,000円以下ノ過料ニ処ス
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 今日は、1722年(享保7)に、江戸幕府第8代将軍である徳川吉宗が「上げ米の制」を制定した日(新暦では8月14日)です。
 これは、江戸時代中期に幕府の財政窮乏を救うため「享保の改革」の一つとして、1722年(享保7)に八代将軍徳川吉宗が諸大名に「上げ米の令」を出して課した制度です。
 諸藩に1万石につき 100石の割合で上納させ、その代償として、諸大名の参勤交代で江戸に在府する期間を半分にし、負担軽減を図りました。
 反対する意見も多かったので、幕府財政が一応安定した1731年(享保16)に廃止され、参勤交代制も以前に戻りました。
 以下に、「上げ米の令」(全文)と現代語訳を掲載しておきます。

〇「上げ米の令」(全文)
 御旗本に召し置かれ候御家人、御代々段々相増し候。 御蔵入高も先規よりは多く候得共、御切米御扶持方、其外表立ち候御用筋の渡方に引合候ては、畢竟年々不足の事に候。然共只今迄は所々の御城米を廻され、或ひは御城金を以て急を弁ぜられ、彼是漸く御取続の事に候得共、今年に至て御切米等も相渡し難く、御仕置筋の御用も御手支の事に候。それに付御代々御沙汰これ無き事に候得共、万石以上の面々より八木差上げ候様ニ仰付らるべしと思召し、左候はては御家人の内数百人も御扶持召放たるべくより外はこれ無く候故、御耻辱をも顧みられず、仰出され候。高壱万石に付米百石の積り差上げらるべく候。且又此の間和泉守に仰付られ、随分詮議を遂げ、納り方の品、或ひは新田等取立の儀申付け候様にとの御事に候得共、近年の内に相調へがたくこれ有るべく候条、其の内年々上り米仰付らるるこれ有るべく候。これに依り在江戸半年充御免成され候間、緩々休息いたし候様にと仰せ出され候。

                『御触書寛保集成』より

 *縦書きの原文を横書きに改め、句読点を付してあります。

<現代語訳>
 将軍直属の旗本として任用された御家人(家臣)は、将軍の代ごとにだんだん数が増えてきた。天領の貢租収入も以前よりは多くなっているが、切米・扶持などの俸禄米やその他主要な経常支出の支払高と比較すると、結局毎年不足なのである。しかしながら、現在までは軍事や飢餓対策などのために、幕府が備蓄した米や金を使って急場をしのぎ、彼是しばらく財政収支を取り繕ってきたけれど、今年に至っては、切米なども渡すことが難しく、政治向きの費用にも支障が出てきた。そのため、代々の将軍からこのような命令はなかったことなのだが、一万石以上の大名たちより米を上納するよう命じようと将軍がお考えになった。そうしなければ御家人の内数百人を辞めさせるより他はないので、恥を忍ばれてお命じになったものである。石高一万石について米100石の割合で上納せよ。かつまた、この間水野和泉守に命じられて、随分吟味をして、年貢納入の増強、あるいは新田開発のことを申し付けるようにとのことではあるけれど、近年の内にきちんとした状態になるのは難しい状況であり、その間毎年上げ米を命じられることである。この代わりとして参勤交代の江戸滞在を半年ずつ免除されるので、(国元で)ゆっくり休息するようにと命令された。

☆「享保の改革」とは?
 江戸幕府第8代将軍徳川吉宗が幕藩体制の安定と強化のため、江戸時代中期に、その在任期間(1716~1745年)を通じて行なった諸改革で、江戸時代の三大改革の一つと言われ、最初に行われたものです。
 その内容は、幕政機構の再編、法制の立て直し、都市商業資本の統制などで、具体的には以下の主要な政策が実施されました。

<享保の改革の主要政策>
・質素倹約の奨励
・定免制を施行して年貢収納の強化をはかる
・足高の制(各地位ごとに授与される給与を定め、地位についている時に元の禄高に足されて支給した)
・公事方御定書(幕府の基本法典。判例を法規化した刑事裁判の際の基準となる刑事判例集)
・目安箱の設置(施政の参考意見や社会事情の収集などを目的に、庶民の進言を集めるための投書箱)
・堂島米市場の公認
・キリスト教に関係のない漢訳洋書の輸入の緩和
・上げ米の制
・相対済令(金銭貸借についての訴訟を認めず当事者間の話し合いによる解決を命じたもの)
・元文の改鋳(貨幣の品位を低下させ、通貨量を増大させる貨幣改鋳策)
・新田開発の奨励(商人など民間による新田開発を奨励)
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 今日は、1950年(昭和25)に、金閣寺(鹿苑寺)の金閣が同寺の僧侶の放火により全焼した日です。
 金閣は、室町時代の北山文化を代表する建造物で、当時まで現存し旧国宝にも指定され、建物の内外に金箔を貼った3層の楼閣建築で、内部には、旧国宝の足利義満像なども安置されていました。
 その前庭の日本庭園ともマッチし、京都を代表する景観として、多くの人々に愛でられていたので、その焼失は残念でなりません。
 この金閣寺放火事件については、小説家三島由紀夫が、1956年(昭和31)に、小説『金閣寺』を雑誌『新潮』に連載し、同年新潮社から刊行されました。美に魅せられた青年が復讐と独占のために金閣に放火するまでの心理を描いていて、話題となったのです。

〇金閣寺(鹿苑寺)とは?
 京都府京都市北区にある鹿苑寺の通称で、相国寺の山外塔頭寺院です。室町幕府3代将軍足利義満は別荘北山殿に金閣などの殿楼を造営しましたが、1408年(応永15)の義満の死後、遺言により夢窓疎石を勧請開山とし、禅宗の寺院とされました。
 宗派は臨済宗相国寺派、本尊は聖観世音菩薩で、当時は金閣以外に紫雲殿、天上間、拱北楼、反橋、芳徳殿、天鏡閣、泉殿、護摩堂、懺法堂などが立ち並び、壮観を極めたものの、のちに紫雲殿、天鏡閣は南禅寺に、天上間は建仁寺に、懺法堂は等持寺に移転され、焼失や破壊された建物もあって衰退したのです。
 しかし、天正年間(1573~1592年)から再建が始まり、徐々に堂舎の修理、復興が行われ、昭和時代前期には、金閣、方丈(本堂)、不動堂、大書院、夕佳亭などがありました。
 ところが、中心となる金閣は、1950年(昭和25)7月2日に放火によって焼失、現在のものは1955年(昭和30)に同じ様式で再建されたものです。
 金閣の前の庭は、室町時代初期に改修されましたが、池中の島の配置などに山荘時代の面影を残す名園で、1956年(昭和31)に国の特別史跡・特別名勝に指定されました。そして、1994年(平成6)には、「古都京都の文化財」の一つとして世界遺産(文化遺産)に登録されています。

☆金閣寺(鹿苑寺)の文化財一覧
<国指定重要文化財>
・絹本著色足利義満像・絹本著色足利義満像
・絹本著色達磨図
・大書院障壁画(伊藤若冲筆)宝暦九年の年記がある
 紙本墨画葡萄図(葡萄之間)(一之間)15面
 紙本墨画松鶴図(松鶴之間)(二之間)8面
 紙本墨画芭蕉図(芭蕉之間)(三之間)12面
 紙本墨画鶏及秋海棠図(四之間)11面
 紙本墨画竹図(狭屋之間)4面
・木造不動明王立像(不動堂安置)(西園寺護摩堂旧本尊)
・子元祖元高峰顕日問答語 
・慈聖院并寿寧院遺誡

<特別史跡・特別名勝>
・鹿苑寺(金閣寺)庭園
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