ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事)

 学生時代からの大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。その中でいろいろと歴史に関わる所を巡ってきましたが、日々に関わる歴史上の出来事や感想を紹介します。Yahooブログ閉鎖に伴い、こちらに移動しました。

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 今日は、平安時代前期の869年(貞観11)に、藤原良房らが『続日本後紀』20巻を撰上した日ですが、新暦では9月23日となります。
 『続日本後紀』(しょくにほんこうき)は、平安時代前期に成立した歴史書で、「六国史」の第四にあたり、『日本後紀』に続き833年(天長10)から850年 (嘉祥3) にいたる18年間を扱う、仁明天皇一代の編年史でした。
 文徳天皇の勅命により、855年(斉衡2)に編纂を開始し、869年(貞観11)に完成して、8月14日に清和天皇に撰上されました。藤原良房、藤原良相、伴善男、春澄善縄、県犬養貞守の5人が編集にあたったのですが、途中で、良相は病死し、善男は応天門の変によって伊豆に流され、貞守は駿河守となって赴任したため、奏上した時は、良房、善縄の2人でした。
 内容は、漢文の編年体で記され、天皇の動静の記録を詳述し、全二十巻からなっていて、天皇親政から摂関政治へうつる時代の根本史料ですが、現在残されている写本には錯簡、脱文、省略等が多いことが指摘されています。

〇「六国史」とは?
 奈良時代から平安時代前期に、編纂された以下の6つの官撰の正史のことで、おおむね編年体で記されています。
(1)『日本書紀』 720年(養老4)完成 撰者は、舎人親王 
 全30巻(他に系図1巻は失われた)で、神代から持統天皇まで(?~697年)を掲載する
(2)『続日本紀』 797年(延暦16)完成 撰者は、菅野真道・藤原継縄等
 全40巻で、文武天皇から桓武天皇まで(697~791年)を掲載する
(3)『日本後紀』 840年(承和7)完成 撰者は、藤原冬嗣・藤原緒嗣等
 全40巻(10巻分のみ現存)で、桓武天皇から淳和天皇まで(792~833年)を掲載する
(4)『続日本後紀』 869年(貞観11)完成 撰者は、藤原良房・春澄善縄等
 全20巻で、仁明天皇の代(833~850年)を掲載する
(5)『日本文徳天皇実録』 879年(元慶3)完成 撰者は、藤原基経・菅原是善・嶋田良臣等
 全10巻で、文徳天皇の代(850~858年)を掲載する
(6)『日本三代実録』 901年(延喜元)完成 撰者は、藤原時平・大蔵善行・菅原道真等
 全50巻で、清和天皇から光孝天皇まで(858~887年)を掲載する
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 今日は、昭和時代中期の1952年(昭和27)に、日本が国際通貨基金(IMF)に加盟した日です。
 国際通貨基金は、正式名称を「International Monetary Fund」といい「IMF」と略されています。国際連合の専門機関の一つで、1944年(昭和19)7月に合意された「ブレトン・ウッズ協定」に基づいて1945年(昭和20)12月に設立され、翌年3月1日に業務を開始した国際金融機関で、本部はワシントンに置いていました。
 この機関は、第2次大戦後の世界通貨制度安定のため、自由貿易と金・ドル本位制に基づく多角的決済方式を確立し、為為替相場の安定と自由化、および国際収支の均衡を図ることを目的にして設立されたのです。
 日本は1952年(昭和27)8月13日に加盟しましたが、ブレトン・ウッズ体制においては、金1オンス=35ドルが公定価格とされ、ドルはいつでも金と交換できました。各国通貨はそれぞれ定められた平価(日本では1ドル=360円)の上下1%以内で為替相場を維持することが義務づけられたのです。しかし、1973年(昭和48)には本格的に変動相場制に移行し、ブレトン・ウッズ体制は完全に終結しました。
 国際通貨基金(IMF)の加盟国は、2016年現在で、188ヶ国となっています。
 また、同じ日に「国際復興開発銀行(世界銀行)」にも加盟しています。
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 今日は、昭和時代後期の1978年(昭和53)に、日本と中国が「日中平和友好条約」に調印した日です。
 この条約は、中華人民共和国の北京で調印された、日本と中華人民共和国の二国間条約です。1972年(昭和47)9月の「日中共同声明」によって国交が正常化して以来の交渉が成ったもので、正式には「日本国と中華人民共和国との間の平和友好条約」といい、同年10月23日に東京で批准書が交換されて発効しました。
 その内容は、(1)主権・領土の相互尊重、相互不可侵、相互内政不干渉、(2)覇権反対の表明、(3)経済・文化関係の発展と国民交流の促進、(4)この条約は第三国との関係に影響を与えるものでないこと(いわゆる第三国条項)、(5)条約の有効期間は10年とし、その後は、いずれか一方の締約国の1年前の予告によって終了させることができることを規定しています。

〇「日中平和友好条約」(日本語版全文) [正文は日本語・中国語] 1978年(昭和53)8月12日

日本国と中華人民共和国との間の平和友好条約

 日本国及び中華人民共和国は、
 千九百七十二年九月二十九日に北京で日本国政府及び中華人民共和国政府が共同声明を発出して以来、両国政府及び両国民の間の友好関係が新しい基礎の上に大きな発展を遂げていることを満足の意をもつて回顧し、
 前記の共同声明が両国間の平和友好関係の基礎となるものであること及び前記の共同声明に示された諸原則が厳格に遵守されるべきことを確認し、
 国際連合憲章の原則が十分に尊重されるべきことを確認し、アジア及び世界の平和及び安定に寄与することを希望し、
 両国間の平和友好関係を強固にし、発展させるため、
 平和友好条約を締結することに決定し、このため、次のとおりそれぞれ全権委員を任命した。

 日本国     外務大臣 園田 直
 中華人民共和国 外交部長 黄  華

 これらの全権委員は、互いにその全権委任状を示し、それが良好妥当であると認められた後、次のとおり協定した。

第一条

1 両締約国は、主権及び領土保全の相互尊重、相互不可侵、内政に対する相互不干渉、平等及び互恵並びに平和共存の諸原則の基礎の上に、両国間の恒久的な平和友好関係を発展させるものとする。
2 両締約国は、前記の諸原則及び国際連合憲章の原則に基づき、相互の関係において、すべての紛争を平和的手段により解決し及び武力又は武力による威嚇に訴えないことを確認する。

第二条

 両締約国は、そのいずれも、アジア・太平洋地域においても又は他のいずれの地域においても覇権を求めるべきではなく、また、このような覇権を確立しようとする他のいかなる国又は国の集団による試みにも反対することを表明する。

第三条

 両締約国は、善隣友好の精神に基づき、かつ、平等及び互恵並びに内政に対する相互不干渉の原則に従い、両国間の経済関係及び文化関係の一層の発展並びに両国民の交流の促進のために努力する。

第四条

 この条約は、第三国との関係に関する各締約国の立場に影響を及ぼすものではない。

第五条

1 この条約は、批准されるものとし、東京で行われる批准書の交換の日に効力を生ずる。この条約は、十年間効力を有するものとし、その後は、2の規定に定めるところによつて終了するまで効力を存続する。
2 いずれの一方の締約国も、一年前に他方の締約国に対して文書による予告を与えることにより、最初の十年の期間の満了の際またはその後いつでもこの条約を終了させることができる。

 以上の証拠として、各全権委員は、この条約に署名調印した。

 千九百七十八年八月十二日に北京で、ひとしく正文である日本語及び中国語により本書二通を作成した。

 日本国のために     園田 直(署名)
 中華人民共和国のために 黄  華(署名)

        日本外務省ホームページ「日本国と中華人民共和国との間の平和友好条約」より
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 今日は、祝日「山の日」で、2016年(平成28年)1月1日改正施行の「国民の祝日に関する法律」で新設されてから2回目です。
 「国民の祝日に関する法律」(昭和23年7月20日法律第178号)第2条では、「山に親しむ機会を得て、山の恩恵に感謝する」ことを趣旨としています。ほんとうは、お盆休み(慣例では8月13~16日)に繋がるように8月12日としたかったのですが、8月12日は日本航空のジャンボ機が墜落した日なので、それわ避けて8月11日となったと言われています。特に、この日に山に関するいわれのある出来事があったわけではありません。
 この祝日の制定により、日本の現在の祝日数は16となり、諸外国に比べても多いほうになりました。

〇日本の祝日一覧

・元日 1月1日 1948年(昭和23)制定
・成人の日 1月15日→1月の第2月曜日 1948年(昭和23)制定
・建国記念の日 政令で定める日(2月11日) 1967年(昭和42)制定
・春分の日 春分点 (3月19日〜3月22日)1948年(昭和23)制定
・天皇誕生日→みどりの日→昭和の日 4月29日 1948年(昭和23)制定
・憲法記念日 5月3日 1948年(昭和23)制定
・みどりの日 5月4日 2007年(平成19) 制定
・こどもの日 5月5日 1948年(昭和23)制定
・海の日 7月20日→7月の第3月曜日 1996年(平成8)制定
・山の日 8月11日 2016年(平成28) 制定
・敬老の日 9月15日→9月の第3月曜日 1966年(昭和41)制定
・秋分の日 秋分点(9月22日〜9月24日)1948年(昭和23)制定
・体育の日 10月10日→10月の第2月曜 1966年(昭和41)制定
・文化の日 11月3日 1948年(昭和23)制定
・勤労感謝の日 11月23日 1948年(昭和23)制定
・天皇誕生日 12月23日 1989年(平成元) 制定

☆「国民の祝日に関する法律」(昭和二十三年七月二十日法律第百七十八号)

第一条 自由と平和を求めてやまない日本国民は、美しい風習を育てつつ、よりよき社会、より豊かな生活を築きあげるために、ここに国民こぞつて祝い、感謝し、又は記念する日を定め、これを「国民の祝日」と名づける。

第二条 「国民の祝日」を次のように定める。
元日 一月一日 年のはじめを祝う。
成人の日 一月の第二月曜日 おとなになつたことを自覚し、みずから生き抜こうとする青年を祝いはげます。
建国記念の日 政令で定める日 建国をしのび、国を愛する心を養う。
春分の日 春分日 自然をたたえ、生物をいつくしむ。
昭和の日 四月二十九日 激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす。
憲法記念日 五月三日 日本国憲法 の施行を記念し、国の成長を期する。
みどりの日 五月四日 自然に親しむとともにその恩恵に感謝し、豊かな心をはぐくむ。
こどもの日 五月五日 こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する。
海の日 七月の第三月曜日 海の恩恵に感謝するとともに、海洋国日本の繁栄を願う。
山の日 八月十一日 山に親しむ機会を得て、山の恩恵に感謝する。
敬老の日 九月の第三月曜日 多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う。
秋分の日 秋分日 祖先をうやまい、なくなつた人々をしのぶ。
体育の日 十月の第二月曜日 スポーツにしたしみ、健康な心身をつちかう。
文化の日 十一月三日 自由と平和を愛し、文化をすすめる。
勤労感謝の日 十一月二十三日 勤労をたつとび、生産を祝い、国民たがいに感謝しあう。
天皇誕生日 十二月二十三日 天皇の誕生日を祝う。

第三条 「国民の祝日」は、休日とする。

2 「国民の祝日」が日曜日に当たるときは、その日後においてその日に最も近い「国民の祝日」でない日を休日とする。

3 その前日及び翌日が「国民の祝日」である日(「国民の祝日」でない日に限る。)は、休日とする。

   附 則

1  この法律は、公布の日からこれを施行する。

2  昭和二年勅令第二十五号は、これを廃止する。

   附 則 (昭和四一年六月二五日法律第八六号) 抄

(施行期日)

1  この法律は、公布の日から施行する。

(建国記念の日となる日を定める政令の制定)

2  改正後の第二条に規定する建国記念の日となる日を定める政令は、この法律の公布の日から起算して六月以内に制定するものとする。

3  内閣総理大臣は、改正後の第二条に規定する建国記念の日となる日を定める政令の制定の立案をしようとするときは、建国記念日審議会に諮問し、その答申を尊重してしなければならない。
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 今日は、江戸時代の1693年(元禄6)に、俳諧師・浮世草子作家 井原西鶴が亡くなった日(西鶴忌)ですが、新暦では、9月9日となります。
 井原西鶴は、江戸時代中期の俳人・浮世草子作家です。1642年(寛永19)に、大坂・難波の富商の家に生まれ、本名は平山藤五と伝えられています。
 15歳の頃から俳諧を学び、21歳で点者となったとされています。西山宗因の談林派に加わり、天下一の速吟として名を成しました。
 1682年(天和2)に、浮世草子『好色一代男』を発表して作家へと転進し、以後『好色五人女』、『武家義理物語』、『日本永代蔵』、『世間胸算用』などを発表します。
 そして、現実主義的な庶民文学を確立し、文学史上に一時期を画しましたが、1693年(元禄6)に52歳で亡くなっています。

〇井原西鶴の代表的作品
・『好色一代男』1682年10月
・『諸艶大鑑(しょえんおおかがみ)(好色二代男)』1684年
・『西鶴諸国ばなし』1685年
・『好色五人女』1686年2月
・『好色一代女』1686年6月
・『本朝二十不孝』168611月、
・『男色大鑑(なんしょくおおかがみ)』1687年1月
・『懐硯(ふところすずり)』1687年3月
・『武道伝来記』1687年4月
・『日本永代蔵(にっぽんえいたいぐら)』1688年1月
・『武家義理物語』1688年2月
・『嵐無常物語(あらしはむじょうのものがたり)』1688年3月
・『色里三所世帯(いろざとみところしょたい)』1688年6月
・『新可笑記』1688年11月、
・『好色盛衰記』1688年
・『一目玉鉾(ひとめたまぼこ)』1689年1月
・『本朝桜陰比事(おういんひじ)』1689年1月
・『世間胸算用(せけんむなざんよう)』1692年
・『西鶴置土産(おきみやげ)』1693年

☆『好色一代男』とは?
 井原西鶴著の浮世草子第一作で、江戸時代中期の1682年(天和2)に、大坂の池田屋と江戸の奈良屋から同時刊行されました。8巻54章からなり、一人の男性(世之介)の54年間にわたる好色生活を描き、庶民男性の一つの理想的な生き方を描きだすことで大人気を博したのです。

☆『日本永代蔵』とは?
 井原西鶴著で、江戸時代中期の1688年(貞享5)に刊行された浮世草子の町人物の代表作の一つで、6巻30章の短編からなっています。金持ちはいかにして金持ちになったか、町民の生活の心得を率直に描いた内容となっています。

☆『世間胸算用』とは?
 井原西鶴著の浮世草子町人物の代表作の一つで、江戸時代中期の1692年(元禄5)に、大坂・伊丹屋太郎右衛門、京都・上村平左衛門、江戸・万屋清兵衛を版元として刊行されました。副題は、「大晦日は一日千金」で、5巻20章の短編からなり、大晦日に時間を絞って、町人の生活を描いた町人物の傑作です。
 以下に、冒頭部分を引用しておきます。

巻一 長刀はむかしの鞘
 元朝に日蝕六十九年以前に有りて、又元禄五年みづのえ、さる程にこの曙めづらし。
 暦は持統天皇四年に儀凰暦より改りて、日月の蝕をこよみの証拠に、世の人これを疑ふ事なし。
 口より見尽して末一段の大晦日になりて、浄瑠り小うたの声も出ず、けふ一日の暮せはしく、こと更小家がちなる所は、喧と洗濯と壁下地つゞくると、何もかも一度に取りまぜて、春の用意とていかな事、餅ひとつ小鰯一疋もなし。
 世に有る人と見くらべて、浅間敷哀れなり。

 (後略)
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