ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事)

 学生時代からの大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。その中でいろいろと歴史に関わる所を巡ってきましたが、日々に関わる歴史上の出来事や感想を紹介します。Yahooブログ閉鎖に伴い、こちらに移動しました。

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 今日は、昭和時代後期の1968年(昭和43)に、東名高速道路の最初の開業区間・東京~厚木・富士~静岡・岡崎~小牧が開通した日です。
 東名高速道路(とうめいこうそくどうろ)は、昭和時代後期の1969年(昭和44)5月26日に全線開通した、東京から愛知県小牧市まで全長346kmにおよぶ高速道路です。この完成によって、小牧インターチェンジで、4年前に完成していた名神高速車道と接続し、関東から関西が高速道路で結ばれることになり、日本の大動脈となりました。
 この高速道路の構想は、1953年(昭和28)に当時の建設省が公表した「東京神戸間有料道路計画書」が始めです。そして、名神高速車道が先行建設されることになりましたが、東名高速道路の方は、1962年(昭和37)に工事に着手し、1968年(昭和43)4月25日に、東京インターチェンジ~厚木インターチェンジ間・富士インターチェンジ~静岡インターチェンジ間・岡崎インターチェンジ~小牧インターチェンジ間が部分開通しました。
 そして、徐々に開通区間を延ばしていって、着工より7年で全線開通となります。平地部では、100km/h制限(一部の区間は80km/h)で走行することができ、名神高速車道とあわせて、関東から関西への自動車輸送時間が大幅に短縮されることになりました。

〇東名高速道路関係略年表

・1951年(昭和26) 東京~神戸高速自動車道調査を再開する
・1956年(昭和31)5月19日 ワトキンス調査団が来日する
・1957年(昭和32)10月17日 東京~神戸間の内、競争のない小牧~西宮間(名神高速道路)の施行命令が下る
・1958年(昭和33)3月19日 松永安左エ門の私設シンクタンク「産業計画会議」が東京~神戸間 高速道路の建設を政府に勧告する
・1960年(昭和35)7月25日 「東海道幹線自動車国道建設法」が施行される
・1962年(昭和37) 東京IC~静岡IC間と豊川IC~小牧IC間の整備計画が策定される
・1963年(昭和38) 静岡IC~豊川IC間、豊川IC~小牧IC間の整備計画策定、および、改めて東京 - 小牧間に施行命令を下す
・1965年(昭和40)4月22日 全線起工式が開催される
・1966年(昭和41)7月1日 「国土開発幹線自動車道建設法」が施行され、「東海道幹線自動車国道建設法」か廃止される
・1968年(昭和43)4月25日 最初の開業区間である東京~厚木・富士~静岡・岡崎~小牧が開通し、小牧ICで名神高速道路と接続する
・1969年(昭和44)2月1日 静岡IC~崎IC間が開通する
・1969年(昭和44)3月31日 厚木IC~大井松田IC間・御殿場IC~富士IC間が開通する
・1969年(昭和44)5月26日 大井松田IC~御殿場IC間の開通により、全線開通する
・1971年(昭和46)12月21日 首都高速3号渋谷線渋谷出入口~用賀出入口間開通により、首都高速道路と接続する
・1972年(昭和47)10月5日 小牧JCT開通により、中央道と接続する
・1974年(昭和49)3月26日 浜松西ICが開通する
・1977年(昭和52)  足柄SA上り線に高速国道初の仮眠休憩所であるレストイン足柄がオープンする
・1979年(昭和54)7月11日 日本坂トンネル火災事故が発生する
・1981年(昭和56)4月25日 秦野中井ICが開通する
・1986年(昭和61)11月21日 音羽蒲郡ICが開通する
・1988年(昭和63)3月30日 裾野ICが開通する
・1991年(平成3)3月28日 御殿場IC~大井松田IC間の新上り線(東名足柄橋を含む)が開通する
・1993年(平成5)3月22日 東名三好ICが開通する
・1993年(平成5)3月25日 相良牧之原ICが開通する
・1993年(平成5)12月3日 名古屋ICで東名阪自動車道(現・名古屋第二環状自動車道)と接続する
・1993年(平成5)12月21日 掛川ICが開通する
・1994年(平成6)12月15日 厚木IC~伊勢原市、秦野中井IC~大井松田IC間の6車線化が完了する
・1995年(平成7)4月28日 伊勢原市~秦野中井IC間の6車線化完了する
・1998年(平成10)3月2日 横浜青葉ICが開通する
・1998年(平成10)3月27日 日本坂トンネル 新下り線(3車線)が供用開始する
・1999年(平成11)4月4日 磐田ICが開通する
・2001年(平成13)10月19日 小牧ICで名古屋高速11号小牧線と接続する
・2003年(平成15)3月15日 豊田JCT開通により伊勢湾岸道(豊田東IC方面)と接続する
・2004年(平成16)11月27日 日進JCT開通により、名古屋瀬戸道路と接続する
・2004年(平成16)12月12日 豊田JCTが完成し、伊勢湾岸道(四日市方面)と接続する
・2004年(平成16)12月22日 御殿場IC~駒門PA間の6車線化が完了する
・2007年(平成19)4月1日 富士川PAスマートIC・遠州豊田PAスマートICが供用開始する
・2009年(平成21)7月27日 沼津ICで伊豆縦貫道と接続する
・2010年(平成22)2月27日 海老名JCT開通により、圏央道と接続する
・2011年(平成23)1月23日 相良牧之原ICで金谷御前崎連絡道と接続する
・2011年(平成23)10月21日 上り線の豊田JCT~音羽蒲郡IC間・下り線の美合PA~豊田JCT間を暫定6車線化する
・2012年(平成24)4月14日 新東名高速道路の御殿場JCT~浜松いなさJCT間、清水連絡路の清水JCT~新清水JCT間、引佐連絡路の三ヶ日JCT~浜松いなさJCT間がそれぞれ開通、御殿場JCTで新東名と、清水JCTで清水連絡路と三ヶ日JCTで引佐連絡路とそれぞれ接続する
・2016年(平成28)2月13日 新東名高速道路の浜松いなさJCT~豊田東JCT間が開通する
・2016年(平成28)3月12日 大井川焼津藤枝スマートIC供用開始する
・2016年(平成28)3月19日 愛鷹スマートIC供用開始する
・2016年(平成28)10月8日 上り線の豊田JCT~音羽蒲郡IC間・下り線の美合PA~豊田JCT間を再び4車線化する
・2017年(平成29)3月18日 三方原スマートICが供用開始する
・2018年(平成30)3月24日 守山スマートICが供用開始する
・2019年(平成31)3月9日 足柄スマートICが供用開始する
・2019年(平成31)3月17日 伊勢原JCT・舘山寺スマートICが供用開始する
・2019年(令和元)9月14日 日本平久能山スマートICが供用開始する
・2020年(令和2)3月22日 横浜青葉JCTで首都高速神奈川7号横浜北西線と接続する
・2020年(令和2)3月28日 駒門スマートICが供用開始する
・2021年(令和3)3月27日 豊田上郷スマートICが供用開始する
・2021年(令和3)3月31日 綾瀬スマートICが供用開始する

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

722年(養老6)百万町歩開墾計画が出される(新暦6月13日)詳細
1613年(慶長18)武将大久保長安の命日(新暦6月13日)詳細
1881年(明治14)『交詢雑誌』第45号に、交詢社の「私擬憲法案」が発表される詳細
1888年(明治21)「市制」と共に、「町村制」が公布される詳細
1946年(昭和21)出版人・岩波書店創業者・貴族院議員岩波茂雄の命日詳細
1957年(昭和32)「高速自動車国道法」(昭和32年法律第79号)が公布・施行される詳細
1978年(昭和53)洋画家東郷青児の命日詳細
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 今日は、明治時代前期の1870年(明治3)に、明治新政府が、各府藩県に種痘実施を命令した日ですが、新暦では5月24日となります。
 種痘(しゅとう)は、痘瘡(天然痘)に対する免疫をつくるための予防接種です。牛痘(ウシの痘瘡で人間に感染しても軽症ですむ)を人間の皮膚に接種して、その部分だけに痘疱を生じさせて免疫を得させ、感染を予防するものでした。
 1796年(寛政8)に、英国の外科医ジェンナーが、牛痘を発明し、その効果を立証しています。日本では、1824年(文政7)に、中川五郎治が、蝦夷(北海道)に痘瘡が流行したとき施行したのが牛痘接種としての最初となり、1849年(嘉永2)には、バタビアからオランダ船がもたらした痘苗をモーニケが楢林の子らに接種して成功しました。
 1870年(明治3)に、明治新政府が、各府藩県に種痘実施を命令し、1874年(明治7)に定期の種痘を定めた文部省告示「種痘規則」がを布達され、1876年(明治9)には、「天然痘予防規則」が制定されています。1909年(明治42)4月14日には、「種痘法」が公布(施行は翌年1月1日)され、初めて種痘が法律によって実施されるようになりましたが、1948年(昭和23)の「予防接種法」の制定に伴い、その法律に取り込まれ、廃止されました。
 その後、1956年(昭和31)以降は、天然痘の発症例は無く、1976年(昭和51)には、種痘の定期予防接種が廃止されています。
 以下に、「種痘法」(明治42年法律第35号)を掲載しておきますので、ご参照下さい。

〇日本の種痘関係略年表

・1824年(文政7) 中川五郎治が、蝦夷(北海道)に痘瘡が流行したとき施行したのが牛痘接種として日本最初となる
・1849年(嘉永2) バタビアからオランダ船がもたらした痘苗をモーニケが楢林の子らに接種して成功する
・1870年(明治3) 明治新政府が、各府藩県に種痘実施を命令する
・1874年(明治7) 定期の種痘を定めた文部省告示「種痘規則」を布達する、
・1876年(明治9) 「天然痘予防規則」が制定される
・1884年(明治18) 東京神田の医師角倉賀道は私費を投じて日本最大級の牧場を開設、天然痘ワクチンの増産に務める
・1909年(明治42)4月14日 「種痘法」が公布され、初めて種痘が法律によって実施されるようになる
・1949年(昭和24)1月1日 「種痘法」が施行される
・1948年(昭和23) 「予防接種法」が公布され、計3回の定期接種が義務付けられる
・1956年(昭和31) これ以降は、天然痘の発症例が無くなる
・1970年(昭和45) 国が定期接種として行っている種痘による事故に対して国の責任を求める動き、いわゆる種痘禍がおこる
・1976年(昭和51) 「予防接種法」改正と同時に、国内の接種は実際上中止される
・1980年(昭和55)8月 定期接種の種痘が法律から削除され、法的にも完全に廃止される

☆「種痘法」(明治42年法律第35号) 1909年(明治42)4月14日公布、翌年1月1日施行

第一条 種痘ハ左ノ定期ニ於テ之ヲ行フ但シ痘瘡ヲ経過シタル者ニ付テハ此ノ限ニ在ラス
 一 第一期 出生ヨリ翌年六月ニ至ル間但シ不善感ナルトキハ翌年六月ニ至ル間ニ於テ更ニ種痘ヲ行フヘシ
 二 第二期 数ヘ歲十歲但シ不善感ナルトキハ翌年十二月ニ至ル間ニ於テ更ニ種痘ヲ行フヘシ
 定期前二年以內ニ善感シタル種痘ハ第二期ノ種痘ト看做ス

第二条 保護者ハ未成年者ヲシテ種痘ヲ受ケシムルノ義務ヲ負フ

第三条 左ニ掲クル者ハ未成年ノ生徒、院生若ハ之ニ準スヘキ者又ハ未成年ノ寄寓者ヲシテ種痘ヲ受ケシメ又ハ保護者ヲシテ其ノ義務ヲ履行セシムヘシ
 一 学校、育兒院又ハ之ニ準スヘキ場所ノ校長、院長其ノ他首長
 二 教育、監護又ハ傭使ノ目的ヲ以テ人ヲ寄寓セシムル者
 前項各号ニ掲クル者ノ法定代理人アルトキハ法定代理人ニ前項ノ規定ヲ適用ス

第四条 新ニ保護者ト為リ又ハ新ニ前条ノ関係ヲ生シタルトキハ種痘ヲ受ケサルカ又ハ之ヲ受ケタル証跡不明ナル未成年者ヲシテ六月以內ニ種痘ヲ受ケシメ又ハ保護者ヲシテ其ノ義務ヲ履行セシムヘシ
 前項ノ期間內ニ其ノ手続ヲ為シ難キ事由アルトキハ市町村長区長ヲ以テ戶籍吏ニ充ツル市ニ於テハ区長以下之ニ準スニ屆出ツヘシ
 未成年者ヲ傭使スル雇主ニ関シテハ其ノ之ヲ寄寓セシメサル場合ト雖前二項ノ規定ヲ適用ス
 前条第二項ノ規定ハ前三項ノ場合ニ之ヲ準用ス

第五条 市町村ハ種痘ヲ施行スヘシ

第六条 市町村長ハ種痘定期ニ在ル者ノ種痘期日ヲ指定スヘシ

第七条 疾病其ノ他ノ事故ニ因リテ市町村長ノ指定シタル期日ニ種痘ヲ受ケシムルコト能ハサル場合ニ於テハ保護者又ハ第三条ノ義務者ハ其ノ事由ヲ具シ市町村長ニ猶予ヲ申請スルコトヲ得
 前項ニ依リ種痘ヲ猶予シタルトキハ市町村長ハ其ノ証ヲ交付スヘシ

第八条 市町村長ハ第一期種痘ヲ完了シ又ハ之ヲ要セサルニ至リタル者ヲ戸籍吏ニ通知シ戸籍吏ハ戸籍簿ノ欄外ニ符号ヲ以テ之ヲ記入スヘシ
 前項ノ記入ニ関スル事務ニ付テハ戸籍法第五条ノ規定ヲ準用ス

第九条 市町村長ノ指定シタル期日ニ種痘ヲ受ケス其ノ他種痘ヲ怠リ又ハ之ヲ受ケタル証跡不明ナル未成年者アルトキハ市町村長ハ更ニ期日ヲ指定シテ種痘ヲ受ケシメ又ハ直ニ種痘ヲ行フヘシ

第十条 種痘ヲ怠リタル者又ハ種痘ヲ受ケタル証跡不明ナル者ノ定期外ニ受ケタル種痘ハ第一条第二項ノ場合ヲ除クノ外其ノ定期種痘ト看做ス

第十一条 第五条ノ種痘ヲ受ケタル者ノ保護者又ハ第三条ノ義務者ハ市町村長ノ指定シタル期日ニ於テ検診ヲ受ケシムヘシ但シ其ノ期日ニ検診ヲ受ケシムルコト能ハサル事由アルトキハ市町村長ニ屆出ツヘシ
 市町村長ハ前項ノ検診ヲ經タル者ニ種痘済証ヲ交付スヘシ
 第一項ノ場合ニ於テ必要アルトキハ痘漿ヲ採收スルコトヲ得

第十二条 医師定期種痘ヲ施シタル者ヲ検診シタルトキハ種痘証ヲ交付スヘシ
 前項ノ場合ニ於テ種痘証ヲ受ケタル者ノ保護者又ハ第三条ノ義務者ハ十日以內ニ市町村長ニ屆出ツヘシ

第十三条 医師ハ其ノ診療ニ係ル痘瘡患者全治シタルトキ之ニ痘瘡経過証ヲ交付スヘシ

第十四条 当該吏員ノ請求アルトキハ保護者又ハ第三条ノ義務者ハ種痘済証又ハ種痘証ヲ提示セシムヘシ但シ命令ニ別段ノ規定アル場合ハ此ノ限ニ在ラス

第十五条 地方長官ハ痘瘡予防上必要ト認ムルトキハ種痘ヲ受クヘキ者ノ範囲及期日ヲ指定シテ臨時種痘ヲ命スルコトヲ得
 臨時種痘ニ関シテハ本法ノ規定ヲ準用スルコトヲ得

第十六条 医師虚偽ノ種痘証ヲ交付シ又ハ検診セスシテ種痘証ヲ交付シタルトキハ五十円以下ノ罰金ニ処ス

第十七条 左ニ掲クル者ハ科料ニ処ス
 一 第四条又ハ第十一条第一項ニ違反シタル者
 二 保護者又ハ第三条ノ義務者ニシテ市町村長ノ指定シタル期日迄ニ種痘ヲ受ケシメサル者

第十八条 第十二条又ハ第十四条ニ違反シタル者ハ十円以下ノ科料ニ処ス

第十九条 官庁公署及官立公立ノ学校等ニ於テハ第三条第一項及第四条第一項乃至第三項ノ規定ニ準シ其ノ措置ヲ為スヘシ

第二十条 本法ニ於テ保護者ト称スルハ未成年者ニ対シ親権ヲ行フ者又ハ後見人、親権ヲ行フ者又ハ後見人ナキトキハ戸主、戸主未成年者又ハ禁治產者ナルトキハ戸主ニ対シ親権ヲ行フ者又ハ後見人ヲ謂フ
 本法中市町村又ハ市町村長トアルハ市制町村制ヲ施行セサル地ニ於テハ之ニ準スヘキモノニ該当ス

附 則

 本法ハ明治四十三年一月一日ヨリ之ヲ施行ス
 種痘規則ハ之ヲ廃止ス
 本法施行前数ヘ歲七歲以前ニ種痘ヲ受ケタル者又ハ種痘ヲ受ケタルモ其ノ時期不明ナル者ハ本法ニ依ル第一期ノ種痘、数ヘ歲八歲以後ニ種痘ヲ受ケタル者ハ第二期ノ種痘ヲ受ケタル者ト看做ス
 本法施行前第一条第一項ノ種痘定期ヲ経過シタル未成年者ニ付テハ第四条ノ規定ハ生来種痘ヲ受ケサルカ又ハ之ヲ受ケタル証跡不明ナル者ニ関シテ之ヲ適用ス

           「官報」より

 ※旧字を新字に直してあります。

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1875年(明治8)飛騨高山明治8年の大火で、死者1名、焼失1,032戸を出す詳細
1908年(明治41)農学者・教育家津田仙の命日詳細
1921年(大正10)日本初の女性による社会主義団体「赤瀾会」が発足する詳細
1934年(昭和9)目黒競馬場で第1回日本ダービーが開催される詳細
1940年(昭和15)価格形成中央委員会で、日用必需品10品目に配給切符制導入が発表(6月1日以降順次実施)される詳細
1951年(昭和26)国鉄で桜木町事故が起こり、電車火災により死者106人・重軽傷92人を出す詳細
1955年(昭和30)第1回アジア・アフリカ会議最終日、「アジア・アフリカ会議最終コミュニケ」が採択される詳細
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 今日は、昭和時代中期の1948年(昭和23)に、文部省が「全小中学校に学校給食を拡大」と発表した日です。
 学校給食(がっこうきゅうしょく)は、児童、生徒の心身の健全な発達と国民の食生活の改善をはかるために、学校教育活動の一環として集団的に実施される給食のことです。日本では、明治時代の中頃の1889年(明治22)に、現在の山形県鶴岡市の市立忠愛小学校で貧困児童を対象に、おにぎり・焼き魚・漬物の昼食を無償で提供したのが始まりとされてきました。
 大正時代末頃から主に貧困児童の就学奨励策として、小規模ながら全国的に実施されたものの、太平洋戦争中は、食料不足で多くが中止されています。戦後の1946年(昭和21)に、文部・厚生・農林三省次官通達「学校給食実施の普及奨励について」が発せられ、戦後の学校給食の方針が定まりました。
 翌年1月に、主要都市の約300万人の児童にララ物資を利用した学校給食が開始され、1948年(昭和23)4月23日には、文部省が「全小中学校に学校給食を拡大」と発表します。翌年に、ユニセフ(国際連合児童基金)から脱脂粉乳の寄贈を受けて、ユニセフ給食が開始され、1950年(昭和25)には、8大都市の小学校児童に対し、米国寄贈の小麦粉によりはじめて完全給食が実施されました。
 1954年(昭和29)6月3日に、「学校給食法」が公布・施行され、義務教育諸学校などに適用されます。1956年(昭和31)には、高等学校定時制課程の学校給食奨励のための法律も定められ,翌年には盲学校、聾学校、養護学校の学校給食に関する法律も制定されました。
 その後、2005年(平成17)には、学校給食を教材として活用し、食に関する指導の充実をはかるため、栄養教諭制度が創設されています。

〇学校給食関係略年表

・1889年(明治22) 現在の山形県鶴岡市の市立忠愛小学校で貧困児童を対象に、おにぎり・焼き魚・漬物の昼食を無償で提供したのが始まり
・1923年(大正12) 文部次官通牒「小学校児童の衛生に関する件」において、児童の栄養改善のための方法としての学校給食が奨励される
・1929年(昭和4) この年までに学校給食を実施した学校は全国で204校、経費は約2万9,000円に及ぶ
・1932年(昭和7)9月 文部省が訓令「学校給食臨時施設方法」を制定し、給食のための設備が初めて法制化される
・1939年(昭和14) 昭和13年度の給食実施校が約1万2,000校、給食を提供された人数は約60万人(実人数)、給食費は約150万円に及ぶ
・1941年(昭和16) 学校給食は貧困児童の救済・児童の栄養改善に向けて全国に広がり、内容の充実が図られるも、太平洋戦争による食糧不足のため、学校給食は中止となる
・1944年(昭和19) 6大都市の小学生児童約200万人に対し、米・味噌等を特別配給して学校給食を実施、4月1日に6大都市の国民学校学童に1食7勺の給食が始まり、9月1日にパン食のみになる
・1946年(昭和21) 文部・厚生・農林三省次官通達「学校給食実施の普及奨励について」が発せられ、戦後の学校給食の方針が定まる
・1947年(昭和22)1月 主要都市の約300万人の児童にララ物資を利用した学校給食が開始される
・1948年(昭和23)4月23日 文部省が「全小中学校に学校給食を拡大」と発表する
・1949年(昭和24) ユニセフ(国際連合児童基金)から脱脂粉乳の寄贈を受けて、ユニセフ給食が開始される
・1950年(昭和25) 8大都市の小学校児童に対し、米国寄贈の小麦粉によりはじめて完全給食が実施される
・1951年(昭和26) 講和条約の調印に伴い、給食用物資の財源であったガリオア資金(アメリカの占領地域救済政府資金)が6月末日をもって打ち切られ、学校給食は中止の危機にさらされる
・1952年(昭和27) 日本学校給食会が脱脂粉乳の輸入業務を開始、また、ユニセフ寄贈の脱脂粉乳の受入配分業務も実施される
・1954年(昭和29) 「学校給食法」が公布・施行され、日本の学校給食は第二のスタートを切る
・1956年(昭和31) 高等学校定時制課程の学校給食奨励のための法律も定められる
・1957年(昭和32) 盲学校、聾学校、養護学校の学校給食に関する法律も制定され、全国学校給食会連合会が発足する
・1958年(昭和33) 農林次官通達「学校給食用牛乳供給事業実施要綱」に伴い、文部省管理局長より「学校給食用牛乳取扱要領」が通知され、学校給食に牛乳が供給される
・1958年(昭和33)10月1日 「学習指導要領」が改訂され、学校給食が初めて学校行事などの領域に位置付けられる
・1960年(昭和35) 学校給食研究改善協会が設立され、「へき地における学校給食助成事業」が開始される
・1961年(昭和36) へき地におけるミルク給食施設設備費及び夜間定時制高等学校夜食費に対する補助制度が設けられる
・1962年(昭和37) 文部省より財団法人として学校給食研究改善協会が認可される
・1963年(昭和38) 脱脂粉乳に対する国庫補助(100グラム4円)が実現し、ミルク給食の全面実施が推進される
・1964年(昭和39) 国が共同調理場に勤務する学校栄養職員の設置に要する人件費の2分の1を補助することになる
・1966年(昭和41) 高度へき地学校の全児童生徒に対し、全学国庫補助により、パン・ミルクの無償給食が実施される
・1968年(昭和43) 「小学校学習指導要領」の改正に伴い、小学校の学校給食は「特別活動」の中の「学級指導」に位置づけられる
・1969年(昭和44) 「中学校学習指導要領」の改正に伴い、中学校の学校給食は「特別活動」の中の「学級指導」に位置付けられる
・1974年(昭和49) 教育的専門職員として「学校栄養職員」の名称地位が制度上明確になる
・1976年(昭和51) 学校給食制度上に米飯が正式に導入される
・1986年(昭和61) 「学校栄養職員の職務内容について」が文部省体育局長より通知される
・1989年(平成元) 「小学校学習指導要領」、「中学校学習指導要領」が改正され、学校給食は「特別活動」の中の「学級活動」に位置づけられる
・1995年(平成7) 学校給食用脱脂粉乳の輸入自由化に伴い、関税暫定措置法等関係法令が改正され、従来の輸入割当制度から関税割当制度に移行される
・1996年(平成8)7月18日 文部省が「学校給食における衛生管理の改善に関する調査研究協力者会議」を設置し、夏季緊急点検、抽出による食材の点検等が実施される
・1997年(平成9) 「学校給食衛生管理の基準」が定められる
・2004年(平成16) 「学校教育法の一部を改正する法律」が公布され、栄養教諭の役割が明記される
・2005年(平成17)4月、栄養教諭制度がスタートする
・2005年(平成17)6月 「食育基本法」が公布(7月より施行)される
・2006年(平成18) 食育推進基本計画が策定される
・2007年(平成19) 「食に関する指導の手引」が作成される
・2008年(平成20) 中教審答申にて「食育」の必要性が明記される
・2009年(平成21) 「学校給食法」が改正施行され、その目的が「食育」の観点から見直される
・2011年(平成23) 内閣府より公益財団法人として学校給食研究改善協会が認定される
・2012年(平成24) 文部科学省から「学校給食調理従事者研修マニュアル」が発行される
・2013年(平成25) 文部科学省から「学校給食施設・設備の改善事例集」が発行される
・2014年(平成26) 学校給食における食物アレルギー対応に関する調査研究協力者会議から「今後の学校給食における食物アレルギー対応について」最終報告が出る
・2015年(平成27) 文部科学省より「学校給食における食物アレルギー対応指針」が発行される
・2016年(平成28) 文部科学省より小学生用食育教材「たのしい食事つながる食育」が発行される
・2017年(平成29) 文部科学省より「栄養教諭を中核としたこれからの学校の食育」が発行される
・2018年(平成30) 文部科学省「学校給食実施基準」一部改正施行される
・2019年(平成31)3月 文部科学省「食に関する指導の手引(第二次改定版)」発行される

☆「学校給食法」(がっこうきゅうしょくほう)とは?

 学校給食および学校給食を活用した食に関する指導の実施に関して必要な事項を定めた法律(昭和29年法律第160号)でした。義務教育諸学校における学校給食の実施に関する根拠法律で、「学校給食が児童の心身の健全な発達に資し、かつ、国民の食生活の改善に寄与するものであることにかんがみ、学校給食の実施に関し必要な事項を定め、もつて学校給食の普及充実を図ることを目的とする。」(第1条)と規定されます。学校設置者は学校給食の実施について努力しなければならないとされ、その食の経費については、施設設備費や関係職員の給与費などは設置者が、それ以外は児童生徒の保護者が負担するものとし、国はそれらの経費の一部を補助することができるとしていました。しかし、2009年(平成21)4月1日の改正で、日本における一般的な食生活の現状に鑑み同文言は削除され、かわって「食に関する正しい理解と適切な判断力を養う」点が盛り込まれています。

☆「学校給食法」(昭和29年法律第160号) 1954年(昭和29)6月3日公布・施行

 (この法律の目的)

第一条 この法律は、学校給食が児童の心身の健全な発達に資し、かつ、国民の食生活の改善に寄与するものであることにかんがみ、学校給食の実施に関し必要な事項を定め、もつて学校給食の普及充実を図ることを目的とする。

 (学校給食の目標)

第二条 学校給食については、小学校における教育の目的を実現するために、左の各号に掲げる目標の達成に努めなければならない。
 一 日常生活における食事について、正しい理解と望ましい習慣を養うこと。
 二 学校生活を豊かにし、明るい社交性を養うこと。
 三 食生活の合理化、栄養の改善及び健康の増進を図ること。
 四 食糧の生産、配分及び消費について、正しい理解に導くこと。

 (定義)

第三条 この法律で「学校給食」とは、前条各号に掲げる目標を達成するために、学校教育法(昭和二十二年法律第二十六号)に定める小学校、盲学校、ろう学校又は養護学校(以下「小学校等」と総称する。)において、その児童に対し実施される給食をいう。

 (小学校等の設置者の任務)

第四条 小学校等の設置者は、当該小学校等において学校給食が実施されるように努めなければならない。

 (国及び地方公共団体の任務)

第五条 国及び地方公共団体は、学校給食の普及と健全な発達を図るように努めなければならない。

 (経費の負担)

第六条 学校給食の実施に必要な施設及び設備に要する経費並びに学校給食の運営に要する経費のうち政令で定めるものは、小学校等の設置者の負担とする。
2 前項に規定する経費以外の学校給食に要する経費は、学校給食を受ける児童の保護者(学校教育法第二十二条第一項に規定する保護者をいう。)の負担とする。

 (国の補助)

第七条 国は、公立又は私立の小学校等の設置者に対し、政令で定めるところにより、予算の範囲内において、学校給食の開設に必要な施設又は設備に要する経費の一部を補助することができる。

 (補助の申請等)

第八条 小学校等の設置者は、前条の規定により国の補助を受けようとする場合においては、政令で定めるところにより、文部大臣に補助金の交付申請書を提出しなければならない。
2 文部大臣は、前項の規定により補助金の交付申請書の提出を受けたときは、補助金を交付するかしないかを決定し、その旨を当該小学校等の設置者に通知しなければならない。

 (補助金の返還等)

第九条 文部大臣は、前条第二項の規定により補助金の交付の決定を受けた者が左の各号の一に該当するときは、補助金の交付をやめ、又はすでに交付した補助金を返還させるものとする。
 一 補助金を補助の目的以外の目的に使用したとき。
 二 正当な理由がなくて補助金の交付の決定を受けた年度内に補助に係る施設又は設備を設けないこととなつたとき。
 三 補助に係る施設又は設備を、正当な理由がなくて補助の目的以外の目的に使用し、又は文部大臣の許可を受けないで処分したとき。
 四 補助金の交付の条件に違反したとき。
 五 虚偽の方法によつて補助金の交付を受け、又は受けようとしたとき。

 (小麦等の売渡し)

第十条 国が、食糧管理特別会計の負担において買い入れた小麦又はこれを原料として製造した小麦粉を、農林大臣が文部大臣と協議して定める売渡計画に従い、食糧管理法(昭和十七年法律第四十号)の定めるところにより、学校給食用として売り渡す場合における売渡しの予定価格は、食生活の改善のため必要があるときは、食糧管理法第四条ノ三第二項の規定にかかわらず、農林大臣が定める価格によるものとする。

 (小麦等の用途外使用の禁止)

第十一条 前条に規定する小麦又は小麦粉を学校給食用として買い受けた者、その者から当該小麦又は小麦粉を学校給食用として買い受けた者及びこれらの者のために当該小麦又は小麦粉を保管する者は、当該小麦又は小麦粉を学校給食以外の用途に供する目的で譲渡し、又は学校給食以外の用途に使用してはならない。

 (報告の徴取)

第十二条 文部大臣又は農林大臣は、第十条に規定する売渡計画の立案又は実施のため必要があるときは、公立又は私立の小学校等の設置者に対し、学校給食に関し必要な事項の報告を求めることができる。

 (政令への委任)

第十三条 この法律に規定するもののほか、この法律の実施のため必要な手続その他の事項は、政令で定める。

   附 則

1 この法律は、公布の日から施行する。
2 食糧管理特別会計法(大正十年法律第三十七号)の一部を次のように改正する。
  附則第七項中「麦ノ売渡」を「麦ノ売渡及学校給食法(昭和二十九年法律第百六十号)第十条ノ規定ニ依ル小麦又ハ小麦粉ノ売渡」に改める。

(大蔵・文部・農林・内閣総理大臣署名) 

   「衆議院ホームページ」より

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 今日は、大正時代の1925年(大正14)に、「治安維持法」(大正12年法律第46号)が公布(施行は同年5月12日)された日です。
 「治安維持法」(ちあんいじほう)は、最初は、大正時代の1925年(大正14)4月22日に公布(施行は同年5月12日)され、昭和時代前期の1941年(昭和16)3月10日に、全面改定されて公布(施行は同年5月15日)たものです。当初は、国体の変革と私有財産制度の否認を目的とする結社や行動を処罰するために定められた法律でした。
 しかし、1928年(昭和3)に最高刑が死刑に、1941年(昭和16)には予防拘禁制度ができるなどの改定や拡大解釈により、労働組合、農民組合、宗教団体、学術研究サークルなど、政府を批判するものが対象とされていき、思想や言論の自由の抑圧の手段として利用されたのです。司法省の調査によると、1943年(昭和18)4月までの同法による検挙者は6万7,223名、起訴された者は6,024名に上りました。
 そして、太平洋戦争敗戦直後の1945年(昭和20)10月15日に、GHQ(連合国最高司令官総司令部)の指令に基づいて廃止されています。
 以下に、「治安維持法」(大正12年法律第46号)と全面改定後の「治安維持法」(昭和16年法律第54号)を掲載しておきますので、ご参照下さい。

〇「治安維持法」 (全文)(大正12年法律第46号) 1925年(大正14)4月22日公布、同年5月12日施行

第一条 国体ヲ変革シ又ハ私有財産制度ヲ否認スルコトヲ目的トシテ結社ヲ組織シ又ハ情ヲ知リテ之ニ加入シタル者ハ十年以下ノ懲役又ハ禁錮ニ処ス
前項ノ未遂罪ハ之ヲ罰ス

第二条 前条第一項ノ目的ヲ以テ其ノ目的タル事項ノ実行ニ関シ協議ヲ為シタル者ハ七年以下ノ懲役又ハ禁錮ニ処ス

第三条 第一条第一項ノ目的ヲ以テ其ノ目的タル事項ノ実行ヲ煽動シタル者ハ七年以下ノ懲役又ハ禁錮ニ処ス

第四条 第一条第一項ノ目的ヲ以テ騒擾、暴行其ノ他生命、身体又ハ財產ニ害ヲ加フヘキ犯罪ヲ煽動シタル者ハ十年以下ノ懲役又ハ禁錮ニ処ス

第五条 第一条第一項及前三条ノ罪ヲ犯サシムルコトヲ目的トシテ金品其ノ他ノ財產上ノ利益ヲ供与シ又ハ其ノ申込若ハ約束ヲ為シタル者ハ五年以下ノ懲役又ハ禁錮ニ処ス情ヲ知リテ供与ヲ受ケ又ハ其ノ要求若ハ約束ヲ為シタル者亦同シ

第六条 前五条ノ罪ヲ犯シタル者自首シタルトキハ其ノ刑ヲ減軽又ハ免除ス

第七条 本法ハ何人ヲ問ハス本法施行区域外ニ於テ罪ヲ犯シタル者ニ亦之ヲ適用ス

附則

大正十二年勅令第四百三号ハ之ヲ廃止ス

 ※旧字を新字に直してあります。

☆全面改定後の「治安維持法」 (全文)(昭和16年法律第54号) 1941年(昭和16)3月10日公布、同年5月15日施行

   第一章 罪

第一条 国体ヲ変革スルコトヲ目的トシテ結社ヲ組織シタル者又ハ結社ノ役員其ノ他指導者タル任務ニ従事シタル者ハ死刑又ハ無期若ハ七年以上ノ懲役若ハ禁錮ニ処シ情ヲ知リテ結社ニ加入シタル者又ハ結社ノ目的遂行ノ為ニスル行為ヲ為シタル者ハ三年以上ノ有期懲役ニ処ス

第二条 前条ノ結社ヲ支援スルコトヲ目的トシテ結社ヲ組織シタル者又ハ結社ノ役員其ノ他指導者タル任務ニ従事シタル者ハ死刑又ハ無期若ハ五年以上ノ懲役ニ処シ情ヲ知リテ結社ニ加入シタル者又ハ結社ノ目的遂行ノ為ニスル行為ヲ為シタル者ハ二年以上ノ有期懲役ニ処ス

第三条 第一条ノ結社ノ組織ヲ準備スルコトヲ目的トシテ結社ヲ組織シタル者又ハ結社ノ役員其ノ他指導者タル任務ニ従事シタル者ハ死刑又ハ無期若ハ五年以上ノ懲役ニ処シ情ヲ知リテ結社ニ加入シタル者又ハ結社ノ目的遂行ノ為ニスル行為ヲ為シタル者ハ二年以上ノ有期懲役ニ処ス

第四条 前三条ノ目的ヲ以テ集団ヲ結成シタル者又ハ集団ヲ指導シタル者ハ無期又ハ三年以上ノ懲役ニ処シ前三条ノ目的ヲ以テ集団ニ参加シタル者又ハ集団ニ関シ前三条ノ目的遂行ノ為ニスル行為ヲ為シタル者ハ一年以上ノ有期懲役ニ処ス

第五条 第一条乃至第三条ノ目的ヲ以テ其ノ目的タル事項ノ実行ニ関シ協議若ハ煽動ヲ為シ又ハ其ノ目的タル事項ヲ宣伝シ其ノ他其ノ目的遂行ノ為ニスル行為ヲ為シタル者ハ一年以上十年以下ノ懲役ニ処ス

第六条 第一条乃至第三条ノ目的ヲ以テ騒擾、暴行其ノ他生命、身体又ハ財産ニ害ヲ加フべキ犯罪ヲ煽動シタル者ハ二年以上ノ有期懲役ニ処ス

第七条 国体ヲ否定シ又ハ神宮若ハ皇室ノ尊厳ヲ冒涜スべキ事項ヲ流布スル事ヲ目的トシテ結社ヲ組織シタル者又ハ結社ノ役員其ノ他指導者タル任務ニ従事シタル者ハ無期又ハ四年以上ノ懲役ニ処シ情ヲ知リテ結社ニ加入シタル者又ハ結社ノ目的遂行ノ為ニスル行為ヲ為シタル者ハ一年以上ノ有期懲役ニ処ス

第八条 前条ノ目的ヲ以テ集団ヲ結成シタル者又ハ集団ヲ指導シタル者ハ無期又ハ三年以上ノ懲役ニ処シ前条ノ目的ヲ以テ集団ニ参加シタル者又ハ集団ニ関シ前条ノ目的遂行ノ為ニスル行為ヲ為シタル者ハ一年以上ノ有期懲役ニ処ス

第九条 前八条ノ罪ヲ犯サシムルコトヲ目的トシテ金品其ノ他ノ財産上ノ利益ヲ供与シ又ハ其ノ申込若ハ約束ヲ為シタル者ハ十年以下ノ懲役ニ処ス情ヲ知リテ供与ヲ受ケ又ハ其ノ要求若ハ約束ヲ為シタル者亦同ジ

第十条 私有財産制度ヲ否認スルコトヲ目的トシテ結社ヲ組織シタル者又ハ情ヲ知リテ結社ニ加入シタル者若ハ結社ノ目的遂行ノタメニスル行為ヲ為シタル者ハ十年以下ノ懲役又ハ禁錮ニ処ス

第十一条 前条ノ目的ヲ以テ其ノ目的タル事項ノ実行ニ関シ協議ヲ為シ又ハ其ノ目的タル事項ノ実行ヲ煽動シタル者ハ七年以下ノ懲役又ハ禁錮ニ処ス

第十二条 第十条ノ目的ヲ以テ騒擾、暴行其ノ他生命、身体又ハ財産ニ害ヲ加フべキ犯罪ヲ煽動シタル者ハ七年以下ノ懲役又ハ禁錮ニ処ス

第十三条 前三条ノ罪ヲ犯サシムルコトヲ目的トシテ金品其ノ他ノ財産上ノ利益ヲ供与シ又ハ其ノ申込若ハ約束ヲ為シタル者ハ五年以下ノ懲役又ハ禁錮ニ処ス情ヲ知リテ供与ヲ受ケ又ハ其ノ要求若ハ約束ヲ為シタル者亦同シ

第十四条 第一条乃至第四条、第七条、第八条及第十条ノ未遂罪ハ之ヲ罰ス

第十五条 本章ノ罪ヲ犯シタル者自首シタルトキハ其ノ刑ヲ減軽又ハ免除ス

第十六条 本章ノ規定ハ何人ヲ問ハズ本法施行地外ニ於テ罪ヲ犯シタル者ニ亦之ヲ適用ス

   第二章 刑事手続

第十七条 本章ノ規定ハ第一章ニ掲グル罪ニ関スル事件ニ付之ヲ適用ス

第十八条 検事ハ被疑者ヲ召喚シ又ハ其ノ召喚ヲ司法警察官ニ命令スルコトヲ得
2 検事ノ命令ニ因リ司法警察官ノ発スル召喚状ニハ命令ヲ為シタル検事ノ職、氏名及其ノ命令ニ因リ之ヲ発スル旨ヲモ記載スベシ
3 召喚状ノ送達ニ関スル裁判所書記及執達吏ニ属スル職務ハ司法警察官吏之ヲ行フコトヲ得

第十九条 被疑者正当ノ事由ナクシテ前条ノ規定ニ依ル召喚ニ応ゼズ又ハ刑事訴訟法第八十七条第一項各号ニ規定スル事由アルトキハ検事ハ被疑者ヲ勾引シ又ハ其ノ勾引ヲ他ノ検事ニ嘱託シ若ハ司法警察官ニ命令スルコトヲ得
2 前条第二項ノ規定ハ検事ノ命令ニ因リ司法警察官ノ発スル勾引状ニ付之ヲ準用ス

第二十条 勾引シタル被疑者ハ指定セラレタル場所ニ引致シタル時ヨリ四十八時間内ニ検事又ハ司法警察官之ヲ訊問スベシ其ノ時間内ニ勾留状ヲ発セザルトキハ検事ハ被疑者ヲ釈放シ司法警察官ヲシテ之ヲ釈放セシムベシ

第二十一条 刑事訴訟法第八十七条第一項各号ニ規定スル事由アルトキハ検事ハ被疑者ヲ勾留シ又ハ其ノ勾留ヲ司法警察官ニ命令スルコトヲ得
2 第十八条第二項ノ規定ハ検事ノ命令ニ因リ司法警察官ノ発スル勾留状ニ付之ヲ準用ス

第二十二条 勾留ニ付テハ警察官署又ハ憲兵隊ノ留置所ヲ以テ監獄ニ代用スルコトヲ得

第二十三条 勾留ノ期間ハ二月トス特ニ継続ノ必要アルトキハ地方裁判所検事又ハ区裁判所検事ハ検事長ノ許可ヲ受ケ一月毎ニ勾留ノ期間ヲ更新スルコトヲ得但シ通ジテ一年ヲ超ユルコトヲ得ズ

第二十四条 勾留ノ事由消滅シ其ノ他勾留ヲ継続スルノ必要ナシト思料スルトキハ検事ハ速ニ被疑者ヲ釈放シ又ハ司法警察官ヲシテ之ヲ釈放セシムベシ

第二十五条 検事ハ被疑者ノ住居ヲ制限シテ勾留ノ執行ヲ停止スルコトヲ得
2 刑事訴訟法第百十九条第一項各号ニ規定スル事由アル場合ニ於テハ検事ハ勾留ノ執行停止ヲ取消スコトヲ得

第二十六条 検事ハ被疑者ヲ訊問シ又ハ其ノ訊問ヲ司法警察官ニ命令スルコトヲ得
2 検事ハ公訴提起前ニ限リ証人ヲ訊問シ又ハ其ノ訊問ヲ他ノ検事ニ嘱託シ若ハ司法警察官ニ命令スルコトヲ得
3 司法警察官検事ノ命令ニ因リ被疑者又ハ証人ヲ訊問シタルトキハ命令ヲ為シタル検事ノ職、氏名及其ノ命令ニ因リ訊問シタル旨ヲ訊問調書ニ記載スベシ
4 第十八条第二項及第三項ノ規定ハ証人訊問ニ付之ヲ準用ス

第二十七条 検事ハ公訴提起前ニ限リ押収、捜索若ハ検証ヲ命ジ又ハ其ノ処分ヲ他ノ検事ニ嘱託シ若ハ司法警察官ニ命令スルコトヲ得
2 検事ハ公訴提起前ニ限リ鑑定、通訳若ハ翻訳ヲ命ジ又ハ其ノ処分ヲ他ノ検事ニ嘱託シ若ハ司法警察官ニ命令スルコトヲ得
3 前条第三項ノ規定ハ押収、捜索又ハ検証ノ調書及鑑定人、通事又ハ翻訳人ノ訊問調書ニ付之ヲ準用ス
4 第十八条第二項及第三項ノ規定ハ鑑定、通訳及翻訳ニ付之ヲ準用ス

第二十八条 刑事訴訟法中被告人ノ召喚、勾引及勾留、被告人及証人ノ訊問、押収、捜索、検証、鑑定、通訳並ニ翻訳ニ関スル規定ハ別段ノ規定アル場合ヲ除クノ外被疑事件ニ付之ヲ準用ス但シ保釈及責付ニ関スル規定ハ此ノ限ニ在ラズ

第二十九条 弁護人ハ司法大臣ノ予メ指定シタル弁護士ノ中ヨリ之ヲ選任スベシ但シ刑事訴訟法第四十条第二項ノ規定ノ適用ヲ妨ゲズ

第三十条 弁護人ノ数ハ被告人一人ニ付二人ヲ超ユルコトヲ得ズ
2 弁護人ノ選任ハ最初ニ定メタル公判期日ニ係ル召喚状ノ送達ヲ受ケタル日ヨリ十日ヲ経過シタルトキハ之ヲ為スコトヲ得ズ但シ已ムコトヲ得ザル事由アル場合ニ於テ裁判所ノ許可ヲ受ケタルトキハ此ノ限ニ在ラス

第三十一条 弁護人ハ訴訟ニ関スル書類ノ謄写ヲ為サントスルトキハ裁判長又ハ予審判事ノ許可ヲ受クルコトヲ要ス

第三十二条 被告事件公判ニ付セラレタル場合ニ於テ検事必要アリト認ムルトキハ管轄移転ノ請求ヲ為スコトヲ得但シ第一回公判期日ノ指定アリタル後ハ此ノ限ニ在ラズ
2 前項ノ請求ハ事件ノ繋属スル裁判所及移転先裁判所ニ共通スル直近上裁判所ニ之ヲ為スベシ
3 第一項ノ請求アリタルトキハ決定アル迄訴訟手続ヲ停止スベシ

第三十三条 第一章ニ掲グル罪ヲ犯シタルモノト認メタル第一審ノ判決ニ対シテハ控訴ヲ為スコトヲ得ズ
2 前項ニ規定スル第一審ノ判決ニ対シテハ直接上告ヲ為スコトヲ得
3 上告ハ刑事訴訟法ニ於テ第二審ノ判決ニ対シ上告ヲ為スコトヲ得ル理由アル場合ニ於テ之ヲ為スコトヲ得
4 上告裁判所ハ第二審ノ判決ニ対スル上告事件ニ関スル手続ニ依リ裁判ヲ為スベシ

第三十四条 第一章ニ掲グル罪ヲ犯シタルモノト認メタル第一審ノ判決ニ対シ上告アリタル場合ニ於テ上告裁判所同章ニ掲グル罪ヲ犯シタルモノニ非ザルコトヲ疑フニ足ルベキ顕著ナル事由アルモノト認ムルトキハ判決ヲ以テ原判決ヲ破毀シ事件ヲ管轄控訴裁判所ニ移送スベシ

第三十五条 上告裁判所ハ公判期日ノ通知ニ付テハ刑事訴訟法第四百二十二条第一項ノ期間ニ依ラザルコトヲ得

第三十六条 刑事手続キニ付テハ別段ノ規定アル場合ヲ除クノ外一般ノ規定ノ適用アルモノトス

第三十七条 本章ノ規定ハ第二十二条、第二十三条、第二十九条、第三十条第一項、第三十二条、第三十三条及第三十四条ノ規定ヲ除クノ外軍法会議ノ刑事手続ニ付之ヲ準用ス此ノ場合ニ於テ刑事訴訟法第八十七条第一項トアルハ陸軍軍法会議法第百四十三条又ハ海軍軍法会議法第百四十三条、刑事訴訟法第四百二十二条第一項トアルハ陸軍軍法会議法第四百四十四条第一項又ハ海軍軍法会議法第四百四十六条第一項トシ第二十五条第二項中刑事訴訟法第百十九条第一項ニ規定スル事由アル場合ニ於テトアルハ何時ニテモトス

第三十八条 朝鮮ニ在リテハ本章中ノ司法大臣トアルハ朝鮮総督、検事長トアルハ覆審法院検事長、地方裁判所検事又ハ区裁判所検事トアルハ地方法院検事、刑事訴訟法トアルハ朝鮮刑事令ニ於テ依ルコトヲ定メタル刑事訴訟法トス但シ刑事訴訟法第四百二十二条第一項トアルハ朝鮮刑事令第三十一条トス

   第三章 予防拘禁

第三十九条 第一章ニ掲グル罪ヲ犯シ刑ニ処セラレタル者其ノ執行ヲ終リ釈放セラルベキ場合ニ於テ釈放後ニ於テ更ニ同章ニ掲グル罪ヲ犯スノ虞アルコト顕著ナルトキハ裁判所ハ検事ノ請求ニ因リ本人ヲ予防拘禁ニ付スル旨ヲ命ズルコトヲ得
2 第一章ニ掲グル罪ヲ犯シ刑ニ処セラレ其ノ執行ヲ終リタル者又ハ罪ノ執行猶予ノ言渡ヲ受ケタル者思想犯保護観察法ニ依リ保護観察ニ付セラレ居ル場合ニ於テ保護観察ニ依ルモ同章ニ掲グル罪ヲ犯スノ危険ヲ防止スルコト困難ニシテ更ニ之ヲ犯スノ虞アルコト顕著ナルトキハ亦前項ニ同ジ

第四十条 予防拘禁ノ請求ハ本人ノ現在地ヲ管轄スル地方裁判所ノ検事其ノ裁判所ニ之ヲ為スベシ
2 前項ノ請求ハ保護観察ニ付セラレ居ル者ニ係ハルトキハ其ノ保護観察ヲ為ス保護観察所ノ所在地ヲ管轄スル地方裁判所ノ検事其ノ裁判所ニ之ヲ為スコトヲ得
3 予防拘禁ノ請求ヲ為スニハ予メ予防拘禁委員会ノ意見ヲ求ムルコトヲ要ス
4 予防拘禁委員会ニ関スル規程ハ勅令ヲ以テ之ヲ定ム

第四十一条 検事ハ予防拘禁ノ請求ヲ為スニ付テハ必要ナル取調ヲ為シ又ハ公務所ニ照会シテ必要ナル事項ノ報告ヲ求ムルコトヲ得
2 前項ノ取調ヲ為スニ付必要アル場合ニ於テハ司法警察官吏ヲシテ本人ヲ同行セシムルコトヲ得

第四十二条 検事ハ本人定リタル住居ヲ有セザル場合又ハ逃亡シ若ハ逃亡スル虞アル場合ニ於テ予防拘禁ノ請求ヲ為スニ付必要アルトキハ本人ヲ予防拘禁所ニ仮ニ収容スルコトヲ得但シ已ムコトヲ得サル事由アル場合ニ於テハ監獄ニ仮ニ収容スルコトヲ妨ゲズ
2 前項ノ仮収容ハ本人ノ陳述ヲ聴キタル後ニ非ザレバ之ヲ為スコトヲ得ズ但シ本人陳述ヲ肯ゼズ又ハ逃亡シタル場合ハ此ノ限ニ在ラス

第四十三条 前条ノ仮収容ノ期間ハ十日トス其ノ期間内ニ予防拘禁ノ請求ヲ為サザルトキハ速ニ本人ヲ釈放スベシ

第四十四条 予防拘禁ノ請求アリタルトキハ裁判所ハ本人ノ陳述ヲ聴キ決定ヲ為スベシ此ノ場合ニ於テハ裁判所ハ本人ニ出頭ヲ命スルコトヲ得
2 本人陳述ヲ肯ゼズ又ハ逃亡シタルトキハ陳述ヲ聴カズシテ決定ヲ為スコトヲ得
3 刑ノ執行終了前予防拘禁ノ請求アリタルトキハ裁判所ハ刑ノ執行終了後ト雖モ予防拘禁ニ付スル旨ノ決定ヲ為スコトヲ得

第四十五条 裁判所ハ事実ノ取調ヲ為スニ付必要アル場合ニ於テハ参考人ニ出頭ヲ命シ事実ノ陳述又ハ鑑定ヲ為サシムルコトヲ得
2 裁判所ハ公務所ニ照会シテ必要ナル事項ノ報告ヲ求ムルコトヲ得

第四十六条 検事ハ裁判所ガ本人ヲシテ陳述ヲ為サシメ又ハ参考人ヲシテ事実ノ陳述若ハ鑑定ヲ為サシムル場合ニ立会ヒ意見ヲ開陳スルコトヲ得

第四十七条 本人ノ属スル家ノ戸主、配属者又ハ四親等内ノ血族若ハ三親等内ノ姻族ハ裁判所ノ許可ヲ受ケ輔佐人ト為ルコトヲ得
2 輔佐人ハ裁判所ガ本人ヲシテ陳述ヲ為サシメ若ハ参考人ヲシテ事実ノ陳述若ハ鑑定ヲ為サシムル場合ニ立会ヒ意見ヲ開陳シ又ハ参考ト為ルベキ資料ヲ提出スルコトヲ得

第四十八条 左ノ場合ニ於テハ裁判所ハ本人ヲ勾引スルコトヲ得
 一 本人定マリタル住居ヲ有セザルトキ
 二 本人逃亡シタルトキ又ハ逃亡スル虞アルトキ
 三 本人正当ノ理由ナクシテ第四十四条第一項ノ出頭命令ニ応セザルトキ

第四十九条 前条第一号又ハ第二号ニ規定スル事由アルトキハ裁判所ハ本人ヲ予防拘禁所ニ仮ニ収容スルコトヲ得但シ已ムコトヲ得ザル事由アル場合ニ於テハ監獄ニ仮ニ収容スルコトヲ妨ケス
2 本人監獄ニアルトキハ前項ノ事由ナシト雖モ之ヲ仮ニ収容スルコトヲ得
3 第四十二条第二項ノ規定ハ第一項ノ場合ニ付之ヲ準用ス

第五十条 別段ノ規定アル場合ヲ除クノ外刑事訴訟法中勾引ニ関スル規定ハ第四十八条ノ勾引ニ、勾留ニ関スル規定ハ第四十二条及前条ノ仮収容ニ付之ヲ準用ス但シ保釈及責付ニ関スル規定ハ此ノ限ニ在ラス

第五十一条 予防拘禁ニ付セザル旨ノ決定ニ対シテハ検事ハ即時抗告ヲ為スコトヲ得
2 予防拘禁ニ付スル旨ノ決定ニ対シテハ本人及輔佐人ハ即時抗告ヲ為スコトヲ得

第五十二条 別段ノ規定アル場合ヲ除クノ外刑事訴訟法中ノ決定ニ関スル規定ハ第四十四条ノ決定ニ、即時抗告ニ関スル規定ハ前条ノ即時抗告ニ付キ之ヲ準用ス

第五十三条 予防拘禁ニ付セラレタル者ハ予防拘禁所ニ之ヲ収容シ改悛セシムル為必要ナル処置ヲ為スヘシ
2 予防拘禁所ニ関スル規程ハ勅令ヲ以テ之ヲ定ム

第五十四条 予防拘禁ニ付セラレタル者ハ法令ノ範囲内ニ於テ他人ト接見シ又ハ信書其ノ他ノ物ノ授受ヲ為スコトヲ得
2 予防拘禁ニ付セラレタル者ニ対シテハ信書其ノ他ノ物ノ検閲、差押若ハ没収ヲ為シ又ハ保安若ハ懲戒ノ為必要ナル処置ヲ為スコトヲ得仮ニ収容セラレタル者及本章ノ規定ニ依リ勾引状ノ執行ヲ受ケ留置セラレタル者ニ付亦同ジ

第五十五条 予防拘禁ノ期間ハ二年トス特ニ継続ノ必要アル場合ニ於テハ裁判所ハ決定ヲ以テ之ヲ更新スルコトヲ得
2 予防拘禁ノ期間満了前更新ノ請求アリタルトキハ裁判所ハ期間満了後ト雖モ更新ノ決定ヲ為スコトヲ得
3 更新ノ決定ハ予防拘禁ノ期間満了後確定シタルトキト雖モ之ヲ期間満了ノ時確定シタルモノト看做ス
4 第四十条、第四十一条及第四十四条乃至第五十二条ノ規定ハ更新ノ場合ニ付之ヲ準用ス此ノ場合ニ於テ第四十九条第二項中監獄トアルハ予防拘禁所トス

第五十六条 予防拘禁ノ期間ハ決定確定ノ日ヨリ起算ス
2 拘禁セラレサル日数又ハ刑ノ執行ノ為拘禁セラレタル日数ハ決定確定後ト雖モ前項ノ期間ニ算入セズ

第五十七条 決定確定ノ際本人受刑者ナル時ハ予防拘禁ハ刑ノ執行終了後之ヲ執行ス
2 監獄ニアル本人ニ対シ予防拘禁ヲ執行セントスル場合ニ於テ移送ノ準備其ノ他ノ事由ノ為特ニ必要アルトキハ一時拘禁ヲ継続スルコトヲ得
3 予防拘禁ノ執行ハ本人ニ対スル犯罪ノ捜査其ノ他ノ事由ノタメ特ニ必要アルトキハ決定ヲ為シタル裁判所ノ検事又ハ本人ノ現在地ヲ管轄スル地方裁判所ノ検事ノ指揮ニ因リ之ヲ停止スルコトヲ得
4 刑事訴訟法第五百三十四条乃至第五百三十六条及第五百四十四条乃至第五百五十二条ノ規定ハ予防拘禁ノ執行ニ付之ヲ準用ス

第五十八条 予防拘禁ニ付セラレタル者収容後其ノ必要ナキニ至リタルトキハ第五十五条ニ規定スル期間満了後ト雖モ行政官庁ノ処分ヲ以テ之ヲ退所セシムヘシ
2 第四十条第三項ノ規定ハ前項ノ場合ニ付之ヲ準用ス

第五十九条 予防拘禁ノ執行ヲ為サザルコト二年ニ及ビタルトキハ決定ヲ為シタル裁判所ノ検事又ハ本人ノ現在地ヲ管轄スル地方裁判所ノ検事ハ事情ニ因リ其ノ執行ヲ免除スルコトヲ得
2 第四十条第三項ノ規定ハ前項ノ場合ニ付之ヲ準用ス

第六十条 天災事変ニ際シ予防拘禁所内ニ於テ避難ノ手段ナシト認ムルトキハ収容セラレタル者ヲ他所ニ護送スヘシ若シ護送スルノ暇ナキトキハ一時之ヲ解放スルコトヲ得
2 解放セラレタル者ハ解放後二十四時間内ニ予防拘禁所又ハ警察官署ニ出頭スベシ

第六十一条 本章ノ規定ニ依リ予防拘禁所若ハ監獄ニ収容セラレタル者又ハ勾引状若ハ逮捕状ヲ執行セラレタル者逃走シタルトキハ一年以下ノ懲役ニ処ス
2 前条第一項ノ規定ニ依リ解放セラレタル者同条第二項ノ規定ニ違反シタルトキ亦前項ニ同ジ

第六十二条 収容設備若ハ械具ヲ損壊シ、暴行若ハ脅迫ヲ為シ又ハ二人以上通謀シテ前条第一項ノ罪ヲ犯シタル者ハ三月以上五年以下ノ懲役ニ処ス

第六十三条 前二条ノ未遂罪ハ之ヲ罰ス

第六十四条 本法ニ規定スルモノ外予防拘禁ニ関シ必要ナル事項ハ命令ヲ以テ之ヲ定ム

第六十五条 朝鮮ニ在リテハ予防拘禁ニ関シ地方裁判所ノ為スベキ決定ハ地方法院ノ合議部ニ於テ之ヲ為ス
2 朝鮮ニ在リテハ本章中地方裁判所ノ検事トアルハ地方法院ノ検事、思想犯保護観察法トアルハ朝鮮思想犯保護観察法、刑事訴訟法トアルハ朝鮮刑事令ニ於テ依ルコトヲ定メタル刑事訴訟法トス

  附 則

1 本法施行ノ期日ハ勅令ヲ以テ之ヲ定ム
2 第一章ノ改正規定ハ本法施行前従前ノ規定ニ定メタル罪ヲ犯シタル者ニ亦之ヲ適用ス但シ改正規定ニ定ムル刑ガ従前ノ規定ニ定メタル刑ヨリ重キトキハ従前ノ規定ニ定メタル刑ニ依リ処断ス
3 第二章ノ改正規定ハ本法施行前公訴ヲ提起シタル事件ニ付テハ之ヲ適用セズ
4 第三章ノ改正規定ハ従前ノ規定ニ定メタル罪ニ付本法施行前刑ニ処セラレタル者ニ亦之ヲ適用ス
5 本法施行前朝鮮刑事令第十二条乃至第十五条ノ規定ニ依リ為シタル捜査手続ハ本法施行後ト雖モ仍其ノ効力ヲ有ス
6 前項ノ捜査手続キニシテ本法ニ之ニ相当スル規定アルモノハ之ヲ本法ニ依リ為シタルモノト看做ス
7 本法施行前朝鮮思想犯予防拘禁令ニ依リ為シタル予防拘禁ニ関スル手続キハ本法施行後ト雖モ仍其ノ効力ヲ有ス
8 前項ノ予防拘禁ニ関スル手続キニシテ本法ニ之ニ相当スル規定アルモノハ之ヲ本法ニ依リ為シタルモノト看做ス

              「官報」より

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1891年(明治24)大槻文彦著の国語辞典『言海』第四冊(つ−を)が混交され、全4巻が完結する詳細
1897年(明治30)八王子大火で、死者42名、負傷者223名、焼失3,500余戸を出す詳細
1910年(明治43)彫刻家荻原守衛(碌山)の命日詳細
1912年(明治45)映画監督・脚本家新藤兼人の誕生日詳細
松本明治45年「北深志の大火」で、死者5名、焼失1,341戸の被害を出す詳細
1950年(昭和25)日本戦歿学生記念会(わだつみ会)が結成される詳細
1993年(平成5)全国103ヶ所の施設が「道の駅」として初めて正式登録される詳細
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hikosonotaikakiji01
 今日は、昭和時代前期の1927年(昭和2)に、石川県金沢市内で、彦三の大火が起き、733戸が全焼した日です。
 彦三の大火(ひこそのたいか)は、昭和時代前期の1927年(昭和2)午前3時40分頃、横安江町商店街の雑貨店から出火、南西の強い風(15m/s)にあおられ、彦三8番丁より、1番丁方面へと燃え広がり、ついには塩屋町、岩根町、母衣町、浅野川を越えて東馬場に移り、4時間近く経って、ようやく午前7時30分に鎮火しました。
 その結果、全焼戸数595棟733戸、焼失面積約16.5ha、被災者3千名、被害総額322万円という大きな被害をもたらします。これに対して、皇室からの救恤金2,000円が下賜され、焼け野原となった住宅地跡で金沢市初の土地区画整理事業が行われのました。それによって、翌年11月に、幅員12間(約21m)の「彦三大通り」が開通し、これが近代的住宅地と金沢の新しい街づくりの出発点となりました。

〇昭和時代の日本の大火(500棟以上の焼失で、戦災・地震によるものを除く)

・1927年(昭和2)4月21日 - 彦三の大火(石川県金沢市)
 死者なし、全焼戸数595棟733戸、焼失面積約16.5ha、被災者3千名、被害総額322万円
・1932年(昭和7)4月21~22日 - 大宮町大火(静岡県富士郡大宮町)
 死者1名、負傷者97名、全焼1,102戸、被災者4,914人名
・1934年(昭和9)3月21日 - 箱館大火(北海道函館市)
 死者2,166名、負傷者9,485名、焼失家屋11,105棟、罹災世帯22,667世帯、罹災人員約102,001名
・1940年(昭和15)1月15日 - 静岡大火(静岡県静岡市)
 死者1名、負傷者788名、焼失家屋5,275戸、羅災人員27,518名
・1947年(昭和22)4月20日 - 飯田大火(長野県飯田市)
 死者・行方不明者3名、焼失棟数3,742棟、焼損面積約48ha、罹災戸数4,010戸、罹災人員17,778名
・1949年(昭和24)2月20日 - 第一次能代大火(秋田県能代市)
 死者3名、負傷者132名、焼失家屋2,237棟、焼失面積83.6ha、罹災世帯1,755世帯、罹災人員8,790名
・1952年(昭和27)4月17日 - 鳥取大火(鳥取県鳥取市)
 死者3名、罹災家屋5,228戸、罹災面積約160ha、罹災者2万451名
・1954年(昭和29)9月26日 - 岩内大火(北海道岩内郡岩内町)
 死者35名、負傷者551名、行方不明3名、焼失戸数3,298戸、焼失面積約106ha、罹災者16,622名
・1955年(昭和30)10月1日 - 新潟大火(新潟県新潟市)
 行方不明者1名、負傷者175名、焼失棟数892棟、焼失面積約26ha、罹災世帯1,193世帯、罹災人員5,901名
・1956年(昭和31)3月20日 - 第二次能代大火(秋田県能代市)
 死者なし、負傷者194名、焼失家屋1,475棟、焼失面積約31.5ha、罹災世帯1,248世帯、罹災人員6,087名
・1956年(昭和31)9月10日 - 魚津大火(富山県魚津市)
 死者5名、負傷者170名(うち重傷者5名)、焼失戸数1,583戸、罹災者7,219名
・1965年(昭和40)1月11日 - 伊豆大島大火(東京都大島町)
 死者なし、全焼戸数584棟418戸、焼失面積約16.5ha、罹災世帯408世帯1,273名、被害総額20億7千万円
・1976年(昭和51)10月29日 - 酒田大火(山形県酒田市)
 死者1名、焼失棟数1,774棟、焼失面積約22.5ha、被災者約3,300名、被害総額約405億円

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

748年(天平20)第44代の天皇とされる元正天皇の命日(新暦5月22日)詳細
1583年(天正11)賤ヶ岳の戦いで柴田勝家が羽柴秀吉に敗北する(新暦6月11日)詳細
1868年(慶応4)「五箇条の御誓文」に基づき「政体書」が発布される(新暦6月11日)詳細
1875年(明治8)数学者高木貞治の誕生日詳細
1932年(昭和7)大宮町大火(静岡県富士郡大宮町)が起こり、全焼1,102戸、死者1名、負傷者97名を出す詳細
1952年(昭和27)「公職追放令」が廃止され、最後まで追放解除にならなかった5,700人の公職追放が解除される詳細
日本民間放送連盟(民放連)が社団法人化する(民放の日)詳細
  

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