
皇極天皇(こうぎょくてんのう)は、第35代とされる天皇(女帝)ですが、重祚して、第37代とされる天皇(斉明天皇)ともなっています。飛鳥時代の594年(推古天皇2年)に、父・茅渟(ちぬ)王(舒明天皇の弟)、母・吉備姫王(欽明天皇の孫)の女子として生まれましたが、名は、宝皇女(たからのひめみこ)と言いました。
最初は、高向王に嫁して、漢皇子を産みましたが、その後舒明天皇の皇后となり、中大兄皇子(後の天智天皇)、間人皇女(後の孝徳天皇皇后)、大海人皇子(後の天武天皇)を産みます。641年(舒明天皇13年10月9日)に、夫の舒明天皇が亡くなると、翌年1月1日に、第35代とされる天皇(皇極天皇)として即位しました。
643年(皇極天皇2年)に、飛鳥板蓋宮(いたぶきのみや)を営んで移ったものの、645年(大化元年6月14日)に、蘇我蝦夷・入鹿父子殺害の政変(乙巳の変)にあたり、弟の軽皇子(孝徳天皇)に譲って退位します。646年(大化2年1月1日)には、孝徳天皇によって、改新之詔が宣せられましたが、653年(白雉4年)には、中大兄皇子と共に、孝徳天皇を捨てて倭飛鳥河辺行宮に遷幸しました。
654年(白雉5年10月10日)に、孝徳天皇が亡くなると、翌年1月3日に、第37代とされる天皇(斉明天皇)として重祚します。656年(斉明天皇2年)に、新たに飛鳥岡本宮を営んで移りましたが、658年(斉明天皇4年11月)には、有間皇子の変が起きました。
660年(斉明天皇6年)に、唐・新羅連合軍が百済を攻略すると、翌年1月6日に、百済救援の為に難波を出帆し、筑紫国へ向かいます。661年(斉明天皇7年5月9日)に、筑紫国(現在の福岡県)の朝倉宮に入りましたが、同年7月24日に、朝倉宮において、68歳で亡くなりました。
尚、667年(天智6年)に、間人皇女とともに大和国高市郡の越智崗上陵に合葬されています。
最初は、高向王に嫁して、漢皇子を産みましたが、その後舒明天皇の皇后となり、中大兄皇子(後の天智天皇)、間人皇女(後の孝徳天皇皇后)、大海人皇子(後の天武天皇)を産みます。641年(舒明天皇13年10月9日)に、夫の舒明天皇が亡くなると、翌年1月1日に、第35代とされる天皇(皇極天皇)として即位しました。
643年(皇極天皇2年)に、飛鳥板蓋宮(いたぶきのみや)を営んで移ったものの、645年(大化元年6月14日)に、蘇我蝦夷・入鹿父子殺害の政変(乙巳の変)にあたり、弟の軽皇子(孝徳天皇)に譲って退位します。646年(大化2年1月1日)には、孝徳天皇によって、改新之詔が宣せられましたが、653年(白雉4年)には、中大兄皇子と共に、孝徳天皇を捨てて倭飛鳥河辺行宮に遷幸しました。
654年(白雉5年10月10日)に、孝徳天皇が亡くなると、翌年1月3日に、第37代とされる天皇(斉明天皇)として重祚します。656年(斉明天皇2年)に、新たに飛鳥岡本宮を営んで移りましたが、658年(斉明天皇4年11月)には、有間皇子の変が起きました。
660年(斉明天皇6年)に、唐・新羅連合軍が百済を攻略すると、翌年1月6日に、百済救援の為に難波を出帆し、筑紫国へ向かいます。661年(斉明天皇7年5月9日)に、筑紫国(現在の福岡県)の朝倉宮に入りましたが、同年7月24日に、朝倉宮において、68歳で亡くなりました。
尚、667年(天智6年)に、間人皇女とともに大和国高市郡の越智崗上陵に合葬されています。
〇皇極天皇(斉明天皇)関係略年表(日付は旧暦です)
・594年(推古天皇2年) 父・茅渟(ちぬ)王(舒明天皇の弟)、母・吉備姫王(欽明天皇の孫)の子として生まれる
・626年(推古天皇34年) 舒明天皇との間で、長子となる中大兄皇子(後の天智天皇)を産む
・630年(舒明天皇2年1月12日) 数え年37歳で舒明天皇の皇后に立てられる
・641年(舒明天皇13年10月9日) 舒明天皇が亡くなる
・642年(皇極天皇元年1月1日) 第35代とされる天皇(皇極天皇)として即位する
・643年(皇極天皇2年) 飛鳥板蓋宮(いたぶきのみや)を営んで移る
・645年(大化元年6月14日) 蘇我蝦夷・入鹿父子殺害の政変(乙巳の変)にあたり、弟の軽皇子(孝徳天皇)に譲って退位する
・646年(大化2年1月1日) 孝徳天皇によって、改新之詔が宣せられる
・653年(白雉4年) 皇祖母尊(皇極天皇のこと)は中大兄皇子と共に、孝徳天皇を捨てて倭飛鳥河辺行宮に遷幸する
・654年(白雉5年10月10日) 孝徳天皇が亡くなる
・655年(斉明天皇元年1月3日) 第37代とされる天皇(斉明天皇)として重祚する
・656年(斉明天皇2年) 新たに飛鳥岡本宮を営んで移る
・658年(斉明天皇4年11月) 有間皇子の変が起きる
・660年(斉明天皇6年) 唐・新羅連合軍が百済を攻略する
・661年(斉明天皇7年1月6日) 百済救援の為に難波を出帆し、筑紫国へ向かう
・661年(斉明天皇7年5月9日) 筑紫国(現在の福岡県)の朝倉宮に移る
・661年(斉明天皇7年7月24日) 筑紫国(現在の福岡県)の朝倉宮において、68歳で亡くなる
・667年(天智6年) 間人皇女とともに大和国高市郡の越智崗上陵に合葬される
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
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