ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事)

 学生時代からの大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。その中でいろいろと歴史に関わる所を巡ってきましたが、日々に関わる歴史上の出来事や感想を紹介します。Yahooブログ閉鎖に伴い、こちらに移動しました。

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 今日は、大正時代の1920年(大正8)に、東京市街自動車の乗合自動車[バス]に女性車掌(バスガール)が登場した日です。
 乗合自動車[バス](のりあいじどうしゃ)は、一定の運賃で不特定の旅客を乗せ、定まった路線を運行する大型の自動車のことで、乗合バスとも呼ばれます。日本では、明治時代後期の1903年(明治36)9月20日に、京都府京都市の堀川中立売~七条~祇園で、運行されたのが最初とされてきました。
 この日、京都府京都市の二井商会(福井九兵衛と坪井清兵衛によって創業)が、蒸気自動車を改造した幌なしの6人乗り車両(運転手、助手、乗客4名)によって、運行開始されます。同年11月21日には、京都府自動車取締規則により正式な許可業とされのしたが、翌年1月には、経営破綻によって営業を終えました。
 また、1905年(明治38)2月5日に広島県の横川町~可部町間(約15km)でも、12人乗りで運行開始されましたが、こちらも車両そのものの不備、乗合馬車屋からの反対等により、同年9月に事業を終了しています。明治時代には、ライバルの乗合馬車屋からの妨害や車両の故障が相次ぎ、本格的な営業の継続が難しかったと言われていました。
 大正時代に入ると、車両の信頼性も高まり、全国的にバス事業を取り扱う事業者が増えていきます。特に東京市では、1923年(大正12)9月1日に起こった関東大震災の影響で路面電車が大きな被害を受け、この代替輸送として、乗合バスが活用されて、普及していきました。
 現在日本での乗合バスは、原則として「道路運送法」に基づく一般乗合旅客自動車運送事業の免許を必要とし、運賃改定にあたっては運輸大臣 (陸運局長) の認可を必要としています。また、同法第3条により一般自動車運送事業に分類され、その中の一般乗合旅客自動車運送事業(乗合旅客を運送する一般旅客自動車運送事業)とされてきました。
 尚、1987年(昭和62)に、日本バス協会が9月20日を「バスの日」と定めました。そして、2009年(平成21)からは、それを記念して、日本バス協会が毎年9月ごろに「バスフェスタ」を開催し始めます。また、この日の前後に全国のバス事業者によって、さまざまな催し(試乗会、一日乗車券の販売など)が行われるようになりました。

〇乗合自動車[バス]関係略年表

・1903年(明治36)3月 大阪で開かれた内国勧業博覧会への旅客輸送のために、梅田と天王寺を結ぶ臨時バス路線が開設される
・1903年(明治36)9月20日 京都府京都市の堀川中立売~七条~祇園で、日本初の乗合バスが運行され、「バスの日」とされる
・1905年(明治38)2月5日 広島県の横川町~可部町間(約15km)でも、12人乗りで運行開始される
・1913年(大正2)4月15日 東京府では京王電気軌道(のち京王帝都電鉄を経て京王電鉄バス)が、京王線の開業時に未成区間を補完するため車両5台で乗合バスを開業する
・1920年(大正8)2月2日 東京市街自動車の乗合自動車[バス]に女性車掌(バスガール)が登場する
・1923年(大正12) 関東大震災(大正関東地震)で被災した東京市電の代わりに、応急的な処置として東京市電気局がT型フォードを約800台輸入し、11人乗りに改造してバス事業を開始する(都営バスの起こり)
・1927年(昭和2)2月26日 大阪市電気局が大阪市電の補完として大阪市営バスを営業開始する
・1928年(昭和3)5月10日 京都市電気局(現在の京都市交通局)が京都市電の補完として、京都市バスを営業開始する
・1928年(昭和3)11月10日 横浜市営バスが7路線で営業開始する
・1930年(昭和5)2月1日 名古屋市電気局が名古屋市電の補完として、名古屋市営バスを営業開始する
・1930年(昭和5)9月16日 神戸市電気局が神戸市電の補完として、神戸市バスを営業開始する
・1930年(昭和5)12月20日 岡崎駅~多治見駅間・瀬戸記念橋駅~高蔵寺駅間にて省営自動車(現在のJRバス)岡多線の運行を開始する
・1933年(昭和8) 「自動車交通事業法」が整備され「一路線一事業者」の原則が示される
・1938年(昭和13) 「陸上交通事業調整法」が施行され、バス事業のほぼ強制的な統合が行われる
・1940年(昭和15) 「陸運統制令」が施行され、バス事業のほぼ強制的な統合が行われる
・1940年(昭和15)9月11日 商工省では営業バスの7割を代替燃料にするよう禁令を発す
・1941年(昭和16)9月1日 代用燃料を利用するバスのみに営業許可を出すこととなる
・1948年(昭和23)3月8日 尼崎市交通局が発足する
・1949年(昭和24)1月5日 伊丹市交通局が発足する
・1950年(昭和25)12月15日 川崎市営バスの運行が開始される
・1964年(昭和39)10月5日 日本初の高速バスである名神ハイウェイバス(名古屋~大阪・神戸間)が運行を開始する
・1984年(昭和59) 「東京都区内バス共通回数乗車券」が発売され、首都圏での運賃支払い共通化の端緒となる
・1992年(平成4) 「バス共通カード」が横浜・川崎地区で運用開始される
・2002年(平成14)2月 「改正道路運送法」施行で乗合バス事業の公的な規制が取り払われ、事業参入が路線ごとの免許制から事業者ごとの許可制へ移行する
・2007年(平成19) 交通系ICカード「PASMOが誕生する
・2009年(平成21) 「バスの日」を記念して、日本バス協会が毎年9月ごろに「バスフェスタ」を開催し始める

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

749年(天平21)社会事業に尽力した法相宗の僧行基の命日詳細
1074年(延久6)公卿・歌人藤原頼通の命日(新暦3月2日)詳細
1929年(昭和4)日本プロレタリア映画同盟(プロキノ)が結成される詳細
1940年(昭和15)第75帝国議会の衆議院本会議において、斎藤孝夫の反軍演説が行われる詳細
1942年(昭和17)大日本国防婦人会・愛国婦人会・大日本聯合婦人会を統合し、大日本婦人会が発足詳細
1946年(昭和21)「宗教法人令」が改正され、神道を宗教として扱かい、神社が国家管理から宗教法人に移行される詳細
1954年(昭和29)日本航空が戦後初の国際航空路(東京~ホノルル~サンフランシスコ線)を開設する詳細
1971年(昭和46)湿地の保存に関する「ラムサール条約」が調印される(世界湿地デー)詳細
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 今日は、昭和時代後期1899年(明治32)に、東京~大阪で初の長距離電話(1通話1円60銭)が開通した日です。
 電話(でんわ)は、音声を電気的信号に変換し、有線または無線により離れた場所に伝送し、これを再び音声に戻すことで、相互に通話できるようにした通信方法です。1837年(天保8)に、アメリカ合衆国のチャールズ・ページが磁気による音声伝達原理を発見、1876年(明治9)に、アレクサンダー・グラハム・ベルが磁石式電話を発明して実用化されました。
 日本では、明治時代前期の1877年(明治10)に工部省と宮内省との間19町32間(約2130m)に電線を架設し、日本で初めて電話を実用化、1878年(明治11) に警察電話が開通、1880年(明治13)には、鉄道電話が開通しています。1883年(明治16)に工部省電信局長石井忠亮、国営電話事業の必要性を強く訴え、建議書を政府に提出、1890年(明治23)に、「電話交換規則令」が発せられ、東京と横浜での電話業務開始にともない、初めて電話局内に「電話所」が設置されました。
 1899年(明治32)2月1日に、東京~大阪で初の長距離電話(1通話1円60銭)が開通、1900年(明治33)9月11日に東京の新橋駅(中等待合室前)と上野駅(駅長室前)に1台ずつ、街頭にて初めて設置され「自働電話」と呼ばれます。1926年(大正15)に、自動交換方式に対応したダイヤル式電話機が導入され、自動化(ダイヤル式)への移行が開始されました。
 1952年(昭和27)に日本電信電話公社が設立されて電話通信事業を独占し、1979年(昭和54)には、全国の電話自動化完了し、全国の電話でダイヤル即時通話ができるようになり、自動車電話サービスが開始されます。1984年(昭和59)に第二電電、日本テレコム、日本高速通信(KDD)の民営3社が設立され、翌年には、電気通信事業の自由化が開始され、日本電電公社も民営化されて日本電信電話となりました。
 1987年(昭和62)に日本初の携帯電話が発売されるようになり、現在では、広く携帯電話が普及しています。

〇日本の電話関係略年表

・1877年(明治10)11月 工部省と宮内省との間19町32間(約2130m)に電線を架設し、日本で初めて電話を実用化する
・1878年(明治11) 5月17日  日本初の警察電話が開通する
・1880年(明治13)12月1日 日本初の鉄道電話が開通する
・1883年(明治16) 工部省電信局長石井忠亮、国営電話事業の必要性を強く訴え、建議書を政府に提出する
・1890年(明治23) 「電話交換規則令」が発せられ、東京と横浜での電話業務開始にともない、初めて電話局内に「電話所」が設置される
・1899年(明治32)2月1日 東京~大阪で初の長距離電話(1通話1円60銭)が開通する
・1900年(明治33)9月11日 東京の新橋駅(中等待合室前)と上野駅(駅長室前)に1台ずつ、街頭にて初めて設置され「自働電話」と呼ばれた
・1900年(明治33)10月 最初の公衆電話ボックスが京橋(現在の東京都中央区)のたもとに建てられる
・1903年(明治36) 共電式公衆電話機の設置を開始
・1906年(明治39) 太平洋横断海底ケーブルが布設される
・1913年(大正2) 日本の電話加入者が20万271件となる
・1920年(大正9) 日本で電話の需要が急増し、市価が東京で3,450円、大阪で3,500円に騰貴した、戦前の最高値となる
・1925年(大正14)10月1日 交換手が要らないダイヤル自動方式が採用され、「自働電話」が「公衆電話」と改称される
・1926年(大正15) 自動交換方式に対応したダイヤル式電話機が導入され、自動化(ダイヤル式)への移行が開始される
・1951年(昭和26)12月 委託公衆電話が登場する
・1952年(昭和27) 日本電信電話公社が設立される
・1953年(昭和28)1月 ボタン付き硬貨後納式の「青電話」の設置が開始される
・1953年(昭和28)8月 「赤電話」(店頭公衆電話)が登場する
・1955年(昭和30) 10円硬貨前納式の「青電話」の設置が開始される
・1957年(昭和32) 近畿日本鉄道の特急2250系に日本初の列車公衆電話が設置される
・1959年(昭和34) 「ピンク電話」(特殊簡易公衆電話)が登場する
・1965年(昭和40) 東海道新幹線で列車公衆電話サービスが開始される 
・1968年(昭和43) ダイヤル市外通話可能な10円硬貨前納式の大型青電話の設置が開始される
・1969年(昭和34) 押しボタン式電話機(プッシュホン)が登場する
・1972年(昭和47)12月 100円硬貨にも対応した「黄電話」の設置が開始される
・1975年(昭和50) プッシュ式黄電話の設置が開始される
・1979年(昭和54) 全国の電話自動化完了し、全国の電話でダイヤル即時通話ができるようになり、自動車電話サービスが開始される
・1982年(昭和57)12月 磁気カード式公衆電話(磁気テレホンカード使用可)の設置が開始される
・1984年(昭和59) 第二電電、日本テレコム、日本高速通信(KDD)の民営3社が設立される
・1985年(昭和60)  電気通信事業の自由化が開始され、日本電電公社も民営化されて日本電信電話となり、自動車電話を自動車から取り外して持ち運べるようにしたショルダーホンが登場する
・1987年(昭和62) 日本初の携帯電話が発売される
・1988年(昭和63) ISDN方式デジタル電話INSネット64が開始される
・1986年(昭和61) 航空機公衆電話サービスが開始される 
・1993年(平成5) 公衆電話の通話料金が大幅に値上げされる
・1995年(平成7)3月 公衆電話のカード化が完了し、青電話、赤電話、黄電話が姿を消す 
・1999年(平成11)3月 ICカード対応公衆電話の設置が開始される
・2001年(平成13) マイラインが開始される
・2002年(平成14)11月 新規機種の開発の停止
・2005年(平成17) ICカード対応公衆電話の廃止に伴い、磁気テレホンカード式公衆電話の新機種DMC-8Aが出される
・2006年(平成18)3月31日 ICカード対応公衆電話のすべてのサービス終了する
・2007年(平成19) NTTが老朽化している公衆電話約2000台を新型公衆電話DMC-8Aに交換することを決定する
・2012年(平成24)6月29日 NTT東西が公式サイトにて全国の公衆電話の設置場所を公開する
・2016年(平成28年) DMC-8A公衆電話後継機種MC-D8のサービスが開始される

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

702年(大宝2)前年に制定された「大宝律令」を諸国に頒布する(新暦3月3日)詳細
1874年(明治7)江藤新平・島義勇らが佐賀の乱を起こす詳細
1895年(明治28)京都市(塩小路東洞院通~伏見町下油掛間)で日本初の路面電車が営業開始する詳細
1903年(明治36)当時日本一の長さの鉄道トンネルだった、中央本線笹子トンネル(単線)が開通する詳細
1911年(明治44)徳富蘆花が旧制第一高等学校弁論部大会で「謀反論」を講演しする詳細
1922年(大正10)軍人・政治家で元老の筆頭格山県有朋の命日詳細
1938年(昭和13)有沢広巳、大内兵衛、美濃部亮吉ら教授陣や佐々木更三を含む38人が検挙される(第二次人民戦線事件)詳細
1984年(昭和59)国鉄が「エキゾチック・ジャパン」キャンペーンを開始する詳細
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 今日は、大正時代の1920年(大正9)に、普選運動の高まりの中で、政党関係者、労働団体、学生団体、ジャーナリストなどが集まり、全国普選連合会が結成された日です。
 普選運動(ふせんうんどう)は、日本において、「男子普通選挙法」の獲得を目ざし、明治時代後期の1892年(明治25)~大正時代の1925年(大正14)まで行われた社会運動で、普通選挙運動とも言います。その始まりは、1892年(明治25)に大井憲太郎が普通選挙期成同盟会を設立したこととされてきました。
 紆余曲折を経て、1916年(大正5)1月に吉野作造が民本主義を広め、1918年(大正7)半ばの米騒動と11月11日第一次世界大戦休戦による世界的に民主主義の潮流に刺激された、大正デモクラシーの下で最高潮に達します。1920年(大正9)1月31日に、政党関係者、労働団体、学生団体、ジャーナリストなどが集まって全国普選連合会が結成され、2月11日には、東京で111団体、数万人の普選大示威行進が行われました。
 その後、帝国議会にたびたび法案が出されて、否決されたものの、加藤高明内閣により、「治安維持法」と引きかえに、1925年(大正14)に「普通選挙法」が制定されたことで終焉しました。しかし、女性や植民地人民を除外していたので、女性は「完全普選」を要求し、「普選から婦選へ」をスローガンになおも運動を続け、ようやく太平洋戦争後後の1945年(昭和20)12月17日の選挙法改正公布により、完全普通選挙が実現しています。

〇「全国普選連合会決議」 1920年(大正9)2月22日
 
 吾人ハ協力一致本議会ニ於テ普通選挙ノ達成ヲ期ス

  大正九年二月二十二日

   全国普選連合会

☆衆議院選挙の選挙権の推移

<1889年(明治22)>
「衆議院議員選挙法」制定当初、次の資格を満たす者とされる
 ①日本臣民の男子で年齢満25歳以上
 ②選挙人名簿調製の期日より前満1年以上その府県内に本籍を定め居住し引き続き居住している
 ③選挙人名簿調製の期日より前満1年以上その府県内において直接国税15円以上を納め引き続き納めている

<1900年(明治33)>
改正「衆議院議員選挙法」により、次の資格を満たす者となる
 ①帝国臣民たる男子で年齢満25歳以上
 ②選挙人名簿調製の期日より前満1年以上その選挙区内に住居を有し引き続き有する
 ③選挙人名簿調製の期日より前満1年以上地租10円以上又は満2年以上地租以外の直接国税10円以上若しくは地租とその他の直接国税とを通して10円以上を納め引き続き納めている

<1919年(大正8)> 
改正「衆議院議員選挙法」により、次の資格を満たす者となる
 直接国税3円以上納付の満25歳以上の男子に改められる

<1925年(大正14)> 
改正「衆議院議員選挙法」(通称:普通選挙法)により、次の資格を満たす者となる
 納税資格が撤廃され、満25歳以上の男子となる

<1945年(昭和20)>
改正「衆議院議員選挙法」により、次の資格を満たす者となる
 満20歳以上の男女となる(選挙権が拡大され、婦人参政権が認められる)

<2015年(平成27)>
「公職選挙法等の一部を改正する法律」により、次の資格を満たす者となる
 満18年以上の男女となる(18歳選挙権の実現)

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1883年(明治16)病理学者緒方知三郎の誕生日詳細
1892年(明治25)詩人・随筆家・翻訳家尾崎喜八の誕生日詳細
1893年(明治26)北村透谷・島崎藤村らが文藝雑誌「文学界」を創刊する詳細
1897年(明治30)哲学者・啓蒙思想家・教育者西周の命日詳細
1935年(昭和10)小説家・ノーベル文学賞作家大江健三郎の誕生日詳細
1947年(昭和22)マッカーサーが、翌日から予定されていた「2.1ゼネスト」の中止を命令する詳細
1985年(昭和60)小説家石川達三の命日詳細
2007年(平成19)小説家高橋揆一郎の命日詳細
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 今日は、昭和時代後期の1970年(昭和45)に、日本の公衆電話の市内通話料金が、10円無制限から、3分10円になった日です。
 公衆電話(こうしゅうでんわ)は、不特定多数の人々が利用することを目的とし、街頭、店頭等の公衆が利用しやすい場所に設置された電話のことです。明治時代後期の1900年(明治33)に、日本初の街頭用公衆電話が、東京の新橋駅(中等待合室前)と上野駅(駅長室前)に1台ずつ設置され、「公衆電話の日」とも呼ばれてきました。
 また、翌10月には最初の公衆電話ボックスが京橋のたもとに建てられています。しかし、当時の方式は、交換手を呼びだしてからお金を入れて相手に繋いでもらうもので、「自動電話」と呼ばれていました。
 1925年(大正14)10月1日には、交換手が要らないダイヤル自動方式が採用され名称に混乱を来たすとして「自働電話」が「公衆電話」と改称されています。以前は、(1) 街頭公衆電話(駅前や繁華街など街頭にあり,ボックス式やポール式のもので、青電話ともいわれ、後に黄電話も登場した)、 (2) 店頭公衆電話(NTTが設置場所を選定し,取扱者を委託するもので、赤電話ともいわれた)、 (3) 局内公衆電話(郵便局,電報局などの局内にあるもの)、 (4) 特殊簡易公衆電話(加入電話を NTTと契約して,一般にも利用させるものでピンク電話ともいわれた)この他、列車公衆電話、航空機公衆電話などがありました。
 しかし、1990年(平成2)からアナログ回線にかわり、ISDN回線を使用したデジタル公衆電話も登場し、1995年(平成7)には、ピンク電話をのぞくすべての公衆電話が磁気カード式公衆電話(緑電話)にかわり、青電話、赤電話、黄電話は姿を消したのです。尚、1984年(昭和59)度末には、934,903台あった公衆電話も、家庭電話や携帯電話の普及等により、2015年(平成27)度末には、171,179台にまで激減しました。

〇「公衆電話」の歴史年表

・1890年(明治23)12月16日 東京と横浜での電話業務開始にともない初めて電話局内に「電話所」が設置される
・1900年(明治33)9月11日 東京の新橋駅(中等待合室前)と上野駅(駅長室前)に1台ずつ、街頭にて初めて設置され「自働電話」と呼ばれた
         10月 最初の公衆電話ボックスが京橋(現在の東京都中央区)のたもとに建てられる
・1903年(明治36) 共電式公衆電話機の設置を開始する
・1925年(大正14)10月1日 交換手が要らないダイヤル自動方式が採用され、「自働電話」が「公衆電話」と改称される
・1951年(昭和26)12月 委託公衆電話が登場する
・1953年(昭和28)1月 ボタン付き硬貨後納式の「青電話」の設置が開始される
         8月 「赤電話」(店頭公衆電話)が登場する
・1955年(昭和30) 10円硬貨前納式の「青電話」の設置が開始される
・1957年(昭和32) 近畿日本鉄道の特急2250系に日本初の列車公衆電話が設置される
・1959年(昭和34) 「ピンク電話」(特殊簡易公衆電話)が登場する
・1965年(昭和40) 東海道新幹線で列車公衆電話サービスが開始される 
・1968年(昭和43) ダイヤル市外通話可能な10円硬貨前納式の大型青電話の設置が開始される
・1970年(昭和45)1月30日 市内通話料金が10円無制限から、3分10円になる
・1972年(昭和47)12月 100円硬貨にも対応した「黄電話」の設置が開始される
・1975年(昭和50) プッシュ式黄電話の設置が開始される
・1982年(昭和57)12月 磁気カード式公衆電話(磁気テレホンカード使用可)の設置が開始される
・1986年(昭和61) 航空機公衆電話サービスが開始される 
・1993年(平成5) 公衆電話の通話料金が大幅に値上げされる
・1995年(平成7)3月 公衆電話のカード化が完了し、青電話、赤電話、黄電話が姿を消す 
・1999年(平成11)3月 ICカード対応公衆電話の設置が開始される
・2002年(平成14)11月 新規機種の開発の停止
・2005年(平成17) ICカード対応公衆電話の廃止に伴い、磁気テレホンカード式公衆電話の新機種DMC-8Aが出される
・2006年(平成18)3月31日 ICカード対応公衆電話のすべてのサービス終了する
・2007年(平成19) NTTが老朽化している公衆電話約2000台を新型公衆電話DMC-8Aに交換することを決定する
・2012年(平成24)6月29日 NTT東西が公式サイトにて全国の公衆電話の設置場所を公開する
・2016年(平成28年) DMC-8A公衆電話後継機種MC-D8のサービスが開始される

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1788年(天明8)京都最大の3万軒以上を焼失した「天明の大火」が起きる(新暦3月7日)詳細
1823年(文政6)幕臣・政治家勝海舟の誕生日(新暦3月12日)詳細
1877年(明治10)西郷隆盛が主宰する私学校の生徒が新政府に反発、政府の武器を奪取して、西南戦争の発端となる詳細
1902年(明治35) 「第一回日英同盟協約」が調印される詳細
1945年(昭和20)藷類増産対策要綱」が閣議決定される詳細
1949年(昭和24)永井隆著の随筆『長崎の鐘』(日比谷出版社)が刊行される詳細
1974年(昭和49)「日韓大陸棚協定」が締結(発効は1978年6月22日)される詳細
2010年(平成22)児童文学作家川村たかしの命日詳細
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 今日は、昭和時代前期の1940年(昭和15)に、西成線列車脱線火災事故が起き、死者189人・負傷者89人を出した日です。
 西成線列車脱線火災事故(にしなりせんれっしゃだっせんかさいじこ)は、昭和時代前期の1940年(昭和15)1月29日午前6時56分に、大阪府大阪市此花区の鉄道省西成線(現在のJR西日本桜島線)安治川口駅構内において発生した列車脱線転覆火災事故です。駅員の誤操作により列車通過中にポイントが転換したため、通勤客で満員のガソリン動車(ガソリンカー)3両編成のうち最後尾の1両(キハ42000形42056号車)が2対のレールにまたがったまま走行し、踏切付近の構築物に衝突して脱線・転覆しました。
 これにより、燃料のガソリンへの引火で、火災が発生して満員のまま横転し、車両から乗客らの脱出が困難になり、死者189人、重軽傷者69人を出す大惨事となります。通常は、ポイントを列車が通過中は切り替えが出来ないように鎖錠装置が付いていますが、当時の西成線(現桜島線)には取り付けられていませんでした。
 この事故が契機となって、気動車の動力がガソリンエンジンからディーゼルエンジンへと切り替えが進められることとなります。尚、1963年(昭和38)4月15日に、安治川口駅前の道路際に、「南無阿弥陀仏慰霊碑」が建立されました。

〇昭和・平成時代の列車大事故(死者100人以上)

・1940年(昭和15)1月29日 西成線列車脱線火災事故(死者189人・負傷者89人)
・1943年(昭和18)10月26日 常磐線土浦駅列車衝突事故(死者110人・負傷者107人)
・1944年(昭和19)12月11日 沖縄県営鉄道輸送弾薬爆発事故(死者約220人)
・1945年(昭和20)8月24日 八高線列車正面衝突事故(死者105人・負傷者約150人)
・1947年(昭和22)2月25日 八高線列車脱線転覆事故(死者184人・負傷者495人)
・1951年(昭和26)4月24日 桜木町電車火災事故(死者106人・負傷者92人)
・1962年(昭和37)5月3日 三河島三重衝突事故(死者160人・負傷者296人)
・1963年(昭和38)11月9日 鶴見三重衝突事故(死者161人・負傷者120人)
・2005年(平成17)4月25日 宝塚線(福知山線)脱線転覆事故(死者107人・負傷者562人)

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1293年(正応6)南北朝時代の公卿・武将・学者北畠親房の誕生日(新暦3月8日)詳細
1634年(寛永11)江戸幕府が、各藩邸から出動して江戸市内の消火にあたる大名火消設置する(新暦2月26日)詳細
1879年(明治12)日本が国際電信連合(現在の国際電気通信連合)に加盟する詳細
1905年(明治38)週刊「平民新聞」第64号が赤字で発行され、「終刊の辞」が掲載されて廃刊となる詳細
1944年(昭和19)「中央公論」、「改造」の編集者が検挙され、横浜事件の一つ「中央公論・改造事件」の発端となる詳細
1946年(昭和21)GHQが「日本の行政権の行使に関する範囲の指令」(SCAPIN-677)を出す詳細
1991年(平成3)小説家井上靖の命日詳細
2019年(平成31)小説家・評論家・随筆家橋本治の命日詳細
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