
節米運動(せつまいうんどう)は、日中戦争以降の戦時体制下で、物資が不足の中において、食糧確保のために主食の米をできるだけ節約する運動です。1937年(昭和12)10月12日 挙国一致・尽忠報国・堅忍持久を3目標として、国民精神総動員中央連盟が発足して、国民精神総動員運動が始まりました。
その中で、1939年(昭和14)11月に、先鞭をつけ、京都府で駅弁の代用として焼き芋が用いられましす。1939年(昭和14年)12月1日に、「白米禁止令」(正式名:米穀搗精等制限令)が施行され、7分づき以上の米(種皮や胚芽を7割以上除去した米)の販売が禁止されました。
1939年(昭和14)8月に、興亜奉公日(同年9月1日より毎月1日)が設定され、日の丸弁当が推奨されるようになります。同年11月に、節米運動の先鞭をつけ、京都府で駅弁の代用として焼き芋が用いられ、1939年(昭和14)12月1日には、「白米禁止令」(正式名:米穀搗精等制限令)が施行され、7分づき以上の米(種皮や胚芽を7割以上除去した米)の販売が禁止されました。
1940年(昭和15)1月に、昼食を時々代用食とする旨が記述されるようになり、1940年(昭和15)5月10日から、国民精神総動員運動の一環としての節米運動が開始され、週に1度の「節米デー」が設定されます。1940年(昭和15)7月に、3日に1食は代用食をとること、飯に米以外の具材を1割以上混ぜることを「必ず実行しませう」と、語気が強調され、1940年(昭和15)8月には、東京市の食堂で米飯が全廃され、うどんやパン類のメニューが登場しました。
1941年(昭和16)4月1日に、六大都市では「米穀割当配給制実施要綱」に基づき、米穀配給通帳が導入され、入手可能な米の量が制限され、節米は必須となり、1942年(昭和17)4月1日から、米穀配給通帳の導入が全国的に開始され、米の販売は完全に統制されることとなります。
その中で、1939年(昭和14)11月に、先鞭をつけ、京都府で駅弁の代用として焼き芋が用いられましす。1939年(昭和14年)12月1日に、「白米禁止令」(正式名:米穀搗精等制限令)が施行され、7分づき以上の米(種皮や胚芽を7割以上除去した米)の販売が禁止されました。
1939年(昭和14)8月に、興亜奉公日(同年9月1日より毎月1日)が設定され、日の丸弁当が推奨されるようになります。同年11月に、節米運動の先鞭をつけ、京都府で駅弁の代用として焼き芋が用いられ、1939年(昭和14)12月1日には、「白米禁止令」(正式名:米穀搗精等制限令)が施行され、7分づき以上の米(種皮や胚芽を7割以上除去した米)の販売が禁止されました。
1940年(昭和15)1月に、昼食を時々代用食とする旨が記述されるようになり、1940年(昭和15)5月10日から、国民精神総動員運動の一環としての節米運動が開始され、週に1度の「節米デー」が設定されます。1940年(昭和15)7月に、3日に1食は代用食をとること、飯に米以外の具材を1割以上混ぜることを「必ず実行しませう」と、語気が強調され、1940年(昭和15)8月には、東京市の食堂で米飯が全廃され、うどんやパン類のメニューが登場しました。
1941年(昭和16)4月1日に、六大都市では「米穀割当配給制実施要綱」に基づき、米穀配給通帳が導入され、入手可能な米の量が制限され、節米は必須となり、1942年(昭和17)4月1日から、米穀配給通帳の導入が全国的に開始され、米の販売は完全に統制されることとなります。
〇節枚運動関係略年表
・1918年(大正7) 全国に米騒動が広がり、原内閣はパンの代用食運動を推進する
・1919年(大正8) 白米の節食運動の一環として、医師による日本主食改良会が発足する
・1937年(昭和12)8月24日 「国民精神総動員実施要綱」が閣議決定される
・1937年(昭和12)10月12日 挙国一致・尽忠報国・堅忍持久を3目標として、国民精神総動員中央連盟が発足して、国民精神総動員運動が始まる
・1939年(昭和14)8月 興亜奉公日(同年9月1日より毎月1日)が設定され、日の丸弁当が推奨される
・1939年(昭和14)11月 節米運動の先鞭をつけ、京都府で駅弁の代用として焼き芋が用いられる
・1939年(昭和14)12月1日、「白米禁止令」(正式名:米穀搗精等制限令)が施行され、7分づき以上の米(種皮や胚芽を7割以上除去した米)の販売が禁止される
・1940年(昭和15)1月 昼食を時々代用食とする旨が記述されるようになる
・1940年(昭和15)5月10日 国民精神総動員運動の一環として節米運動が開始され、週に1度の「節米デー」が設定される
・1940年(昭和15)7月 3日に1食は代用食をとること、飯に米以外の具材を1割以上混ぜることを「必ず実行しませう」と、語気が強調される
・1940年(昭和15)8月 東京市の食堂で米飯が全廃され、うどんやパン類のメニューが登場する
・1941年(昭和16)4月1日 六大都市では「米穀割当配給制実施要綱」に基づき、米穀配給通帳が導入され、入手可能な米の量が制限され、節米は必須となる
・1941年(昭和16)7月 文部省が発行した冊子『臣民の道』にも、物資の輸入は外米よりも軍需品を優先するよう記述がなされる
・1942年(昭和17)4月1日 米穀配給通帳の導入が全国的に開始される
☆国民精神総動員運動(こくみんせいしんそうどういんうんどう)とは?
昭和時代前期の1937年(昭和12)7月7日の日中全面戦争突入(盧溝橋事件)以後、第一次近衛内閣により行われた国民を戦争に協力させるための運動でした。8月24日に「国民精神総動員実施要綱」が閣議決定され、10月12日 に挙国一致・尽忠報国・堅忍持久を3目標として、国民精神総動員中央連盟が発足して、国民精神総動員運動が始まり、翌日から、第1回国民精神総動員強調週間(~19日)が開始されます。
「ぜいたくは敵だ!」などの標語を街頭・新聞などで掲げ、パンフレットや教育映画・ラジオなど、メディアを使った宣伝に努めました。また、子供向けには、銃後支援、軍事援護、国民貯蓄奨励などを題材にした国策紙芝居が製作され、小学校を中心に上演されます。
その中で、翌年までに帝国在郷軍人会、全国神職会、全国市長会、日本労働組合会議など多くの団体が参加するようになりました。最初は、精神運動の性格が強かったのですが、次第に献金、献品など物的協力に転換していき、貯蓄増加や国債消化の奨励、金属類回収などが展開されます。
1939年(昭和14)3月には文部大臣を委員長とする国民精神総動員中央委員会が設置され、道府県には主務課が設けられました。同年8月には興亜奉公日(同年9月1日より毎月1日)が設定され、さらに翌年4月には、従来の組織を解消して、首相を会長とする国民精神総動員本部が設けられ、中央連盟を吸収します。しかし、同本部も同年10月には大政翼賛会に吸収されて、運動が引き継がれていきました。
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
「ぜいたくは敵だ!」などの標語を街頭・新聞などで掲げ、パンフレットや教育映画・ラジオなど、メディアを使った宣伝に努めました。また、子供向けには、銃後支援、軍事援護、国民貯蓄奨励などを題材にした国策紙芝居が製作され、小学校を中心に上演されます。
その中で、翌年までに帝国在郷軍人会、全国神職会、全国市長会、日本労働組合会議など多くの団体が参加するようになりました。最初は、精神運動の性格が強かったのですが、次第に献金、献品など物的協力に転換していき、貯蓄増加や国債消化の奨励、金属類回収などが展開されます。
1939年(昭和14)3月には文部大臣を委員長とする国民精神総動員中央委員会が設置され、道府県には主務課が設けられました。同年8月には興亜奉公日(同年9月1日より毎月1日)が設定され、さらに翌年4月には、従来の組織を解消して、首相を会長とする国民精神総動員本部が設けられ、中央連盟を吸収します。しかし、同本部も同年10月には大政翼賛会に吸収されて、運動が引き継がれていきました。
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
| 892年(寛平4) | 菅原道真が『類聚国史』を撰進する(新暦6月2日) | 詳細 |
| 1863年(文久3) | 長州藩が下関海峡に碇泊中のアメリカ商船に砲撃し、下関事件が始まる(新暦6月25日) | 詳細 |
| 1871年(明治4) | 「新貨条例」が公布され、「円・銭・厘」の十進法が採用される(新暦6月27日) | 詳細 |
| 1895年(明治28) | 三国干渉により遼東半島を清に返還する旨の「遼東半島還付の詔勅」が出される | 詳細 |
| 1900年(明治33) | 『鉄道唱歌』第一集東海道篇が発行される | 詳細 |
| 1930年(昭和5) | 日本画家下村観山の命日 | 詳細 |
| 1949年(昭和24) | シヤウプ使節団のシャウプ博士、ヴィックリ一博士、ハットフィールド氏が来日する | 詳細 |
| 1964年(昭和39) | 国鉄柳ヶ瀬線(長浜~柳ヶ瀬)がこの日限りで廃止され、柳ヶ瀬トンネルの鉄道利用が終了する | 詳細 |



