ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事)

 学生時代からの大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。その中でいろいろと歴史に関わる所を巡ってきましたが、日々に関わる歴史上の出来事や感想を紹介します。Yahooブログ閉鎖に伴い、こちらに移動しました。

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 今日は、江戸時代中期の1714年(正徳4)に、江戸城大奥年寄役・江島(絵島)が俳優生島新五郎らとの宴会により大奥の門限に遅れ、江島生島事件の発端となった日ですが、新暦では2月26日となります。
 江島生島事件(えじま いくしま じけん)は、江戸時代中期の1714年(正徳4)に、江戸城大奥で起こった風紀紊乱事件です。この年の1月14日に、江戸城大奥御年寄の江島(絵島)が、芝の増上寺へ参詣した帰途、山村座に立寄って芝居見物をし、桟敷および座元の居宅で遊興して帰城し際、大奥の門限に遅れました。
 このことから、役者生島新五郎と密通を疑われ、「風紀の乱れを正す」として江島・生島新五郎の2人をはじめ大奥の女中や出入りの医者・商人など、1,500人近くが処罰されます。江島は、信州高遠藩主内藤清枚に預けられ、山村長太夫・歌舞伎俳優生島新五郎も遠島となり、山村座は解散を命じられました。
 江島は、高遠藩の江島囲屋敷に幽閉されましたが、1722年(享保7年)に、高遠藩主内藤頼卿が江戸家老の野木多宮に絵島の赦免嘆願書を届けさせ、翌年には、月番老中安藤信友から内藤家の江戸藩邸に「非公式ながらこれを許可する」という達しがあり、高遠城内での起居が比較的自由になり、囲い屋敷の周囲の散歩が認められます。しかし、1741年(寛保元年4月10日)に、囲屋敷において、数え年61歳で亡くなりました。
 一方、生島新五郎は、三宅島に流刑となりましたが、1742年(寛保2年2月)に、徳川吉宗により赦免され江戸に戻り、翌年1月5日に、江戸・小網町において、数え年73歳で亡くなったとされるものの、1733年(享保18年)に三宅島で亡くなったたという説もあります。

〇江島生島事件関係略年表(日付は旧暦です)

・1671年(寛文11年) 生島新五郎が、大坂で生まれる
・1681年(天和元年) 江島(本名疋田みき)が、三河国において、甲府藩士・疋田彦四郎の娘として、生まれる
・1684年(貞享元年) 生島新五郎が、野田蔵之丞の名で木挽町の芝居小屋・山村座の舞台に立つ
・1691年(元禄4年)、野田蔵之丞が生島新五郎と改名し、当時を代表する人気役者となる
・1714年(正徳4年1月12日) 江戸城大奥年寄役・絵島が俳優生島新五郎らとの宴会により大奥の門限に遅れ、絵島生島事件の発端となる
・1714年(正徳4年) 江島が、信濃国高遠藩の江島囲屋敷に幽閉され、生島新五郎が、三宅島に流刑となる
・1722年(享保7年) 高遠藩主内藤頼卿が江戸家老の野木多宮に絵島の赦免嘆願書を届けさせる
・1723年(享保8年) 月番老中安藤信友から内藤家の江戸藩邸に「非公式ながらこれを許可する」という達しがあり、高遠城内での起居が比較的自由になり、囲い屋敷の周囲の散歩が認められる
・1741年(寛保元年4月10日) 江島が、信濃国高遠藩の江島囲屋敷で、数え年61歳で亡くなる
・1742年(寛保2年2月) 生島新五郎が、徳川吉宗により赦免され江戸に戻る
・1743年(寛保3年1月5日) 生島新五郎が、江戸・小網町において、数え年73歳で亡くなる

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1866年(慶応2)仏教学者・チベット探検家河口慧海の誕生日(新暦2月26日)詳細
1869年(明治2)洋画家岡田三郎助の誕生日(新暦1月22日)詳細
1874年(明治7)板垣退助らが日本初の政党となる愛国公党を結成する詳細
1903年(明治36)日本画家岩橋英遠の誕生日詳細
1914年(大正3)桜島大正大噴火が始まる詳細
1926年(大正15)小説家・文化庁長官だった三浦朱門の誕生日詳細
1954年(昭和29)文化財保護委員会が奈良市・大和郡山市の平城京跡の発掘を開始する詳細
2019年(平成31)哲学者梅原猛の命日詳細
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 今日は、昭和時代中期の1940年(昭和15)に、津田事件で、津田左右吉が記紀研究の主要4著作に関して、右翼から訴えられ早稲田大学教授辞任に追い込まれた日です。
 津田事件(つだじけん)は、昭和時代前期の1940年(昭和15)2月10日に、歴史学者津田左右吉の『古事記及日本書記の研究』、『神代史の研究』、『日本上代史研究』、『上代日本の社会及思想』の4冊の著書が発禁処分となり、3月8日に津田と発行者岩波茂雄が出版法第26条違反の疑いで起訴され、1942年(昭和17)5月21日に有罪判決を受けた事件です。1939年(昭和14)末に津田の『古事記及日本書記の研究』を蓑田胸喜らが雑誌「原理日本」で“大逆思想”にあたると攻撃、これを受けて、検察当局はただちに行動を開始しました。
 翌年1月11日には早稲田大学文学部教授を解任され、2月10日に上記4著書を発売禁止処分とされ、さらに、3月8日には、津田本人と発行元である岩波書店の岩波茂雄が出版法第26条「皇室ノ尊厳ヲ冒涜シ、政体ヲ変壊シ又ハ国憲ヲ紊乱セムトスル文書図画ヲ出版シタルトキハ著作者、発行者、印刷者ヲ二月以上二年以下ノ軽禁錮ニ処シ二十円以上二百円以下ノ罰金ヲ附加ス」の疑いで起訴されます。その後の裁判は29回の予審と21回の公判を経て、1942年(昭和17)5月21日に、『古事記及日本書記の研究』のみ、その記述の崇神、垂仁朝を仮定視し、仲哀天皇以前の天皇の存在を疑問視したことが「出版法」第26条違反とし、津田に禁固3ヶ月、岩波に禁固2ヶ月(いずれも執行猶予2年)の判決が出されました。
 津田、岩波の側はこの判決を不満として控訴、また検察当局も判決が軽すぎると控訴して争いましたたが、結局1944年(昭和19)11月に、控訴院で本件は「時効完成により免訴」という宣告が出されて終わっています。

〇津田左右吉(つだ そうきち)とは?

 明治時代から昭和時代に活躍した歴史学者・思想史家です。明治時代前期の1873年(明治6)10月3日に、岐阜県加茂郡下米田村(現在の美濃加茂市下米田町)で、尾張藩家老竹腰家の旧家臣津田藤馬の長男として生まれました。
 名古屋の私立中学を中退し、上京して東京専門学校(早稲田大学の前身)邦語政治科で学びます。1891年(明治24)に卒業後、中学教員を勤めつつ白鳥庫吉の指導を受け、1901年(明治34)に『新撰東洋史』を刊行しました。
 1908年(明治41)に、白鳥の開設した満鮮歴史地理調査室研究員(満鉄東京支社嘱託)となり、1913年(大正2)に『朝鮮歴史地理』上下を刊行、文献批判的実証研究を培います。1918年(大正7)に早稲田大学講師となり、東洋史、東洋哲学を教え、記紀の文献学的考証を行い、『古事記及び日本書紀の新研究』(1919年)を刊行しました。
 1920年(大正9)に早稲田大学文学部教授となってからも、『神代史の研究』(1924年)、『道家の思想と其の開展』(1927年)、『日本上代史研究』(1930年)、『上代日本の社会及び思想』(1933年)など旺盛に執筆活動を続けます。しかし、記紀研究の主要4著作に関して、皇室の尊厳を冒涜したかどで右翼から訴えられ、1940年(昭和15)に早稲田大学を辞職せざるを得なくなり、発売禁止処分も受け、出版元の岩波茂雄と共に、「出版法」違反で起訴(津田事件)されました。
 その後、1942年(昭和17)には、禁錮3ヶ月、執行猶予2年の宣告を受けますが、1944年(昭和19)には控訴院で免訴となっています。太平洋戦争後も旺盛な著作活動を続け、1949年(昭和24)に文化勲章、1960年(昭和35年)に美濃加茂市名誉市民第1号に選ばれ、1961年(昭和36)には朝日文化賞も受賞しました。しかし、1961年(昭和36)12月4日に、東京都の武蔵境の自宅でにおいて、88歳で亡くなっています。

<津田左右吉の主要な著作>

・『新撰東洋史』(1901年)
・『朝鮮歴史地理』上・下(1913年) 
・『神代史の新しい研究』(1913年)
・『文学に現はれたる我が国民思想の研究』4冊(1916~21年)
・『古事記及び日本書紀の新研究』(1919年)
・『神代史の研究』(1924年)
・『道家(どうか)の思想と其(そ)の開展』(1927年)
・『日本上代史研究』(1930年)
・『上代日本の社会及び思想』(1933年)
・『左伝の思想史的研究』(1935年)
・『支那思想と日本』(1938年)
・『蕃山・益軒』(1938年)
・『論語と孔子の思想』(1947年) 
・『シナ仏教の研究』(1957年) 

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

708年(和銅元)武蔵国秩父郡から朝廷に銅が献上され、記念して和銅改元がされる(新暦2月7日)詳細
1871年(明治4)三浦半島南東端に立つ、日本7番目の洋式灯台である劔埼灯台が初点灯する(新暦3月1日)詳細
1938年(昭和13)御前会議で「支那事変処理根本方針」が決定される詳細
1941年(昭和16)「国家総動員法」第20条に基づき、「新聞紙等掲載制限令」が公布・施行される詳細
1952年(昭和27)植物学者・遺伝学者藤井健次郎の命日詳細
1964年(昭和39)伊豆大島大火で584棟418戸が焼失する詳細
1966年(昭和41)青森県三沢市で三沢大火が起きる詳細
1974年(昭和49)劇作家・小説家山本有三の命日(1.11忌)詳細
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 今日は、平成時代の2000年(平成12)に、多摩都市モノレール線の立川北駅~多摩センター駅間が開業し、全通した日です。
 多摩都市モノレール(たまとしものれーる)は、東京都を中心に、西武鉄道、みずほ銀行、京王電鉄等が出資する第3セクターの株式会社で、東京都の上北台駅(東大和市)と多摩センター駅(多摩市)とを結ぶ、跨座式モノレール路線(16.0km)を運営してきました。多摩地域の公共交通を一層充実させるために構想され、1986年(昭和61)4月8日に株式会社として設立されます。
 1987年(昭和62)に上北台~多摩センター間の「軌道法」に基づく特許を取得、1989年(平成元)に都市計画決定されました。1990年(平成2)には、工事認可され、上北台駅建設予定地で、起工式を実施し、建設工事に着手します。
 1991年(平成3)には、立川北~多摩センター間の工事も認可され、建設工事に着手しました。そして、1998年(平成10)11月27日に、初めて、上北台駅~立川北駅間が開業し、続いて、2000年(平成12)1月10日には、立川北駅~多摩センター駅間が開業します。
 2002年(平成14)11月15日に利用者数が延べ1億人を超え、2012年(平成24)6月27日に開業から13年7ヶ月目で利用者数が延べ5億人を超え、2016年(平成28)8月28日には、開業から17年9ヶ月で利用者数が延べ7億人を超えました。2018年(平成30)に延伸開業20周年記念特別期間とし、20周年ロゴマーク制定、ラッピング列車の運行などを実施(~2020年1月10日)、2019年(平成31)3月23日には、開業以来初となる全面的なダイヤ改正を実施しています。

〇多摩都市モノレール関係略年表

・1979年(昭和54) 東京都が「多摩都市モノレール等基本計画調査」を実施する
・1981年(昭和56) 「多摩都市モノレール等基本計画」の調査報告で約93kmの構想路線が発表される
・1982年(昭和57)9月 日本モノレール協会がモノレール計画試案を発表する
・1986年(昭和61)4月8日 東京都を中心に、西武鉄道、みずほ銀行、京王電鉄等が出資する第3セクターの多摩都市モノレール株式会社が設立される 
・1987年(昭和62)12月26日 多摩都市モノレールが上北台~多摩センター間の「軌道法」に基づく特許を取得する
・1989年(平成元)9月 都市計画決定される
・1990年(平成2) 上北台~立川北間の工事が認可され、上北台駅建設予定地で、多摩都市モノレールの起工式を実施し、建設工事に着手する
・1991年(平成3) 立川北~多摩センター間の工事が認可され、建設工事に着手する
・1997年(平成9)12月19日 先行して完成した立川北~砂川七番間で、初めて本線試運転を開始する
・1998年(平成10)11月27日 初めて、上北台駅~立川北駅間が開業する
・2000年(平成12)1月10日 立川北駅~多摩センター駅間が開業し、全通する
・2002年(平成14)11月15日 利用者数が延べ1億人を超える
・2012年(平成24)6月27日 開業から13年7ヶ月目で利用者数が延べ5億人を超え、モノレールとして日本国内で最速の達成となる
・2016年(平成28)8月28日 開業から17年9ヶ月で利用者数が延べ7億人を超える
・2018年(平成30) 延伸開業20周年記念特別期間とし、20周年ロゴマーク制定、ラッピング列車の運行などを実施(~2020年1月10日)する
・2019年(平成31)3月23日 開業以来初となる全面的なダイヤ改正を実施する

〇モノレールとは?

 1本の走行軌条(走行桁)を用いて車両を走行させる鉄道(単軌鉄道ともいう)のことで、日本の法令上では、鉄道事業法に基づく「鉄道(懸垂式鉄道/跨座式鉄道)」と軌道法に基づく「軌道(懸垂式モノレール/跨座式モノレール)」が存在しています。形式によって分類すると、地上数mの高さに架設された1本の桁に吊下がって走る懸垂(けんすい)式と、桁の上にまたがって走る跨座 (こざ) 式に大別され、さらに下記のように区分されました。
<懸垂式>
(1)ランゲン式:鉄骨で空中に支えられた鉄のレールに鉄の車輪がのり、車輪の車軸は逆L字型に曲がって車両を懸垂するもので、日本には現在ありません。
(2)日本車両式:レールは鋼板製箱型でゴムタイヤ車輪がレールに乗り、タイヤが外れないように補助車輪が左右からレールを挟んでいて、車両は片側補助車輪の車軸に懸垂されるもので、東京都交通局の上野懸垂線に採用されています。
(3)サフェージュ式:レールは鋼板製箱型の筒状で、車両を懸垂するために箱の下面中央部は開いていて、その開口部両側を、車両の屋根上の支柱につけられたゴムタイヤ車輪が走行するもので、千葉都市モノレールや湘南モノレールで採用されています。
<跨座式>
(1)アルウェグ式:レールは太いI字型の鉄筋コンクリートで、走行用ゴムタイヤがレールの上にのり、補助車輪が左右からレールを挟んで安定を保つもので、東京モノレールで採用されています。
(2)日本跨座式:アルウェグ式の改良型で、軌道桁を太くし、ゴムタイヤを使用するが、現在日本の跨座式モノレールの主流になっています。
(3)ロッキード式:コンクリート製の桁の上に鉄のレールを乗せ、その上を鉄の車輪が走るもので、姫路市営モノレールと向ヶ丘遊園モノレール線に採用されましたが、現在は廃止されて存在しません。
 日本で最初のモノレールは、大阪市で行われていた交通電気博覧会で、1928年(昭和3)に運用された懸垂式のものでした。太平洋戦争後は、1951年(昭和26)に、豊島園で遊戯施設として運行され、1957年(昭和32)には、上野動物園内に懸垂式モノレールが開業し、これが現存する最古のものとなっています。その後も、1961年(昭和36)に奈良ドリームランド、1962年(昭和37)に犬山のラインパークに、遊覧用のものが開業しましたが、いずれも廃止されました。1964年(昭和39)には、東京モノレールが浜松町~羽田(現、天空橋)間13.1kmを15分で結ぶ本格的都市交通機関として営業運転を開始し、その後は、都市交通機関として建設されるようにもなります。そして、1996年3月末時点で、モノレールは6事業者(総延長31.4km)でしたが、消長を経て、現在では、10事業者(総延長111.9km)によって運行されています。

☆日本で営業中のモノレール一覧

・東京モノレール(東京都) 跨座式:アルヴェーグ式 羽田空港線[17.8km] 1964年開業
・多摩都市モノレール(東京都) 跨座式:日本跨座式 多摩都市モノレール線[16.0km] 1998年開業
・千葉都市モノレール(千葉県) 懸垂式:サフェージュ式 1号線[3.2km] 1995年開業
・千葉都市モノレール(千葉県) 懸垂式:サフェージュ式 2号線[12.0km] 1988年開業
・舞浜リゾートライン(千葉県) 跨座式:日本跨座式 ディズニーリゾートライン[5.0km] 2001年開業
・湘南モノレール(神奈川県) 懸垂式:サフェージュ式 江の島線[6.6km] 1970年開業
・大阪高速鉄道(大阪府) 跨座式:日本跨座式 大阪モノレール線[21.2km] 1990年開業 、
・大阪高速鉄道(大阪府) 跨座式:日本跨座式 国際文化公園都市モノレール線(彩都線)[6.8km] 1998年開業
・スカイレールサービス(広島県) 懸垂式:ロープ駆動懸垂式 広島短距離交通瀬野線[1.3km] 1998年開業
・北九州高速鉄道(福岡県) 跨座式:日本跨座式 小倉線[8.8km] 1985年開業
・沖縄都市モノレール(沖縄県) 跨座式:日本跨座式 沖縄都市モノレール線[17.0km] 2003年開業

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1871年(明治4)文芸評論家・演出家・劇作家・小説家・詩人島村抱月の誕生日(新暦2月28日)詳細
1873年(明治6)医師・細菌学者二木謙三の誕生日詳細
1891年(明治24)刑法学者・弁護士小野清一郎の誕生日詳細
1920年(大正9) 第一次世界大戦講和の「ヴェルサイユ条約」が発効し、国際連盟が発足する詳細
東京帝国大学経済学部助教授の森戸辰男が筆禍事件(森戸辰男事件)により休職処分を受ける詳細
1922年(大正11)政治家・教育者大隈重信の命日詳細
1947年(昭和22)小説家織田作之助の命日詳細
1951年(昭和26)「日本の現代物理学の父」とも言われる物理学者仁科芳雄の命日詳細
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 今日は、昭和派時代中期の1952年(昭和27)に、電気通信省(後の電電公社)が中断されていた慶弔電報の取扱いを再開した日です。
 電報(でんぽう)は、公衆電気通信の一分野で、発信者の原文を電信で送り、先方で紙などに印刷して、受信者に配達する通信サービスです。外国では、1837年に、アメリカ合衆国のサミュエル・F.B.モースが、電気信号を電磁石の動きとして受信する電信機を発明して特許を得、1843年には、モースがアメリカ政府の援助を受け、ワシントンD.C.―ボルティモア間の通信実験に成功、1844年5月24日に、電信システムが実用化されました。
 日本では、1870年(明治2年12月25日)に、東京~横浜間で公衆電報の取扱いが開始され、1871年(明治3)に、長崎~上海間、長崎~ウラジオストク間に国際電信が開通、1908年(明治40)には、千葉県銚子に無線電信所が開業して船舶無線が始まります。20世紀後半以降、電話、ファクシミリ、携帯電話や電子メールの普及によって利用が限定されるようになり、今日では慶弔電報がその中心となりました。

〇日本の電報サービス関係略年表

・1870年1月26日(明治2年12月25日) 東京~横浜に電信線が開通し、電報の取扱いが始まる
・1871年(明治3) 大北電信会社(グレート・ノーザン・テレグラフ。デンマーク資本)による長崎 - 上海、長崎 - ウラジオストク間の海底電信線敷設。欧亜陸上電信線経由で国際電報が開始される
・1873年(明治5) 東京~長崎間の国内電報が開始。大北電信会社とも接続され、逓信省による国際電報の託送が開始された。以後、国内各地への電信線の敷設が急速に進められた。
・1878年(明治10) 東京木挽町に電信中央局が開業したことにより、海外電報の取り扱いが開始。以後、本格的な電信利用が始まる
・1883年(明治15) 大北電信会社による呼子~釜山間の海底電信線敷設。同社に20年間の海外通信の独占権を与える
・1890年(明治22) 呼子~対馬間の海底電信線を大北電信会社から買収する
・1897年(明治29) 日本独自の大隅半島~基隆間海底電信線を敷設する
・1898年(明治30) 台湾から福建間の海底電信線を日本が買収。イースタン・テレグラフ・カンパニー社(大東電信会社、イギリス資本、後のケーブル・アンド・ワイヤレス社)のThe Red Routeにより接続される
・1904年(明治36)5月7日~1905年(明治37年)9月29日 読売新聞が、本紙直接購読者を対象に、電報料読者負担で重大事件の速報を電報で伝える「電報通信」サービスを行う
・1906年(明治38) 東京~小笠原~グアム間の海底電信線を敷設し、日本とアメリカがコマーシャル・パシフィックケーブル社(商業太平洋電線会社、アメリカ資本)のマニラ - グアム - サンフランシスコ線により接続される
・1908年(明治40) 千葉県銚子に無線電信所が開業して、無線電報サービスが開始される
・1911年(明治43) 対馬~釜山間の海底電信線を大北電信会社より買収する
・1914年(大正3) 第一次世界大戦による好景気で国内・外国電報の利用数が激増する
・1930年(昭和5) 写真電報サービスが開始される
・1934年(昭和9) 年賀電報サービスが開始される
・1936年(昭和11) 冠婚葬祭等の祝電・弔電用として慶弔電報サービスが開始される
・1943年(昭和18) 大東電信会社の運用権を買収、海底電信線を日本領海内で切断、大東電信の名称が国内から消える
・1946年(昭和21) 模写電報サービスを開始する
・1952年(昭和27)1月9日 電気通信省(後の電電公社)が慶弔電報の取扱いを再開する
・1955年(昭和30) 大北電信会社の請求権解決取極(戦後賠償)。
・1969年(昭和41) 大北電信会社の独占権が喪失する
・1976年(昭和30) 至急電報(ウナ電)サービスが終了する
・1985年(昭和60) 夜間配達を19時から翌朝8時に受け付けた緊急定文電報のみに変更。
・1988年(昭和63) ひらがな電報サービスを開始する
・1991年(平成3)3月31日:受付時間を8時から22時までに変更する
・1994年(平成6) 漢字電報サービスを開始する
・2004年(平成16)4月1日 千代田電報配達所と中央電報配達所を合併し、日本一のマンモス配達所になる。
・2018年(平成30)1月1日 緊急定文電報を定文電報に名称変更し、受付時間を午前8時から午後7時に短縮、通常電報の受付時間も午後7時までに変更する
・2023年(令和5)1月10日 定文電報、無線電報、ファクシミリによる電報受付を終了する
・2023年(令和5)1月11日 料金体系を文字数単位料金から、ページ単位料金へ変更する

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1885年(明治18)日本と李氏朝鮮の間で「漢城条約」が締結される詳細
1891年(明治24)第一高等中学校講師の内村鑑三が教育勅語への拝礼を拒否したため免職となる詳細
1895年(明治28)新KS鋼の発見で知られる金属物理学者増本量の誕生日詳細
1918年(大正7)日本最悪の雪崩災害である三俣の大雪崩が起きる詳細
1943年(昭和18)日本と南京政府により、「日華共同宣言」と「日華新協定」が調印・公布される詳細
1953年(昭和28)今井正監督・脚本の映画『ひめゆりの塔』が封切られる詳細
1985年(昭和60)北九州高速鉄道小倉線(北九州モノレール)が開業する詳細
1998年(平成10)日本人初のノーベル化学賞を受賞した化学者福井謙一の命日詳細
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 今日は、昭和時代中期の1952年(昭和27)に、ブリヂストン(株)創業者の石橋正二郎が、ブリヂストン美術館(現在のアーティゾン美術館)を開設し、自身のコレクションを公開した日です。
 アーティゾン美術館(あーてぃぞんびじゅつかん)は、東京都中央区京橋にある私立美術館で、公益財団法人石橋財団が運営しています。昭和時代中期の1952年(昭和27)1月8日に、ブリヂストン(株)創業者の石橋正二郎が、新築のブリヂストンビル2階に、ブリヂストン美術館を開設し、自身のコレクションを公開したのに始まりました。
 1956年(昭和31)に、石橋財団が設立されて運営を開始し、1961年(昭和36)に、石橋所蔵の美術品の大半を受贈します。2015年(平成27)月18日より、ビルの建て替えに伴う新築工事のため、長期休館となり、2019年(令和元)7月1日にミュージアムタワー京橋が竣工、その1~6階部分を利用し、翌年1月18日に、アーティゾン美術館と改称して開館しました。
 カミーユ・コロー、ピエール=オーギュスト・ルノアールなど19世紀フランスの印象主義絵画、パブロ・ピカソなどの 20世紀の西洋近代美術、および青木繁など明治以降の日本の洋画を中心に約2,800点を収蔵しています。

<主要な収蔵品>

・レンブラント・ファン・レイン『聖書あるいは物語に取材した夜の情景』1626-28年
・カミーユ・コロー『ヴィル・ダヴレー』1835-40年
・オノレ・ドーミエ『山中のドン・キホーテ』1850年頃
・ギュスターヴ・クールベ『雪の中を駆ける鹿』1856-57年頃
・エドガー・ドガ『レオポール・ルヴェールの肖像』1874年頃
・ピエール=オーギュスト・ルノワール『すわるジョルジェット・シャルパンティエ嬢』1876年
・カミーユ・ピサロ『菜園』1878年
・エドゥアール・マネ『自画像』1878-79年
・アルフレッド・シスレー『サン=マメス、六月の朝』1884年
・フィンセント・ファン・ゴッホ『モンマルトルの風車』1886年
・ポール・ゴーギャン『乾草』1889年
・ギュスターヴ・モロー『化粧』1885年-1890年
・ポール・セザンヌ『サント=ヴィクトワール山とシャトー・ノワール』1904-06年
・モーリス・ド・ヴラマンク『運河船』1905-06年
・クロード・モネ『黄昏、ヴェネツィア』1908年
・アメデオ・モディリアーニ『若い農夫』1918年頃
・モーリス・ドニ『バッカス祭』1820年
・ジョルジュ・ルオー『郊外のキリスト』1920-24年
・パブロ・ピカソ『腕を組んですわるサルタンバンク』1923年
・パウル・クレー『島』1932年
・アンリ・マティス『青い胴着の女』1935年
・藤島武二『黒扇』(国指定重要文化財)1908-09年
・山下新太郎『読書』1908年
・藤田嗣治『猫のいる静物』1939-40年
・小出楢重『帽子をかぶった自画像』1924年
・中村彝『自画像』1909年
・佐伯祐三『テラスの広告』1927年
・関根正二『子供』1919年

〇アーティゾン美術館(ブリヂストン美術館)関係略年表

・1952年(昭和27)1月8日 株式会社ブリヂストンの創業者・石橋正二郎が、新築のブリヂストンビル2階にブリヂストン美術館を開設し、自身のコレクションを公開する
・1956年(昭和31) 財団法人石橋財団が設立され、ブリヂストン美術館はその運営下に入る
・1957年(昭和32) 「世界現代芸術展」を開催する
・1959年(昭和34) 全面改修により、延べ床面積が8割増加し2,413㎡になる
・1961年(昭和36) 石橋正二郎より石橋コレクションの大半を受贈する
・1962年(昭和37) パリ国立近代美術館にて「石橋コレクション展」が開催される
・1972年(昭和47) ブリヂストン美術館開館20周年記念「青木繁」展を開催する
・1976年(昭和51) ブリヂストン美術館の創設者、石橋正二郎が亡くなる
・1980年(昭和55) ピカソ「腕を組んですわるサルタンバンク」を購入する
・1987年(昭和62) ルノワール「すわるジョルジェット・シャルパンティエ嬢」を購入する
・1989年(平成元) 「ギュスターヴ・クールベ展」を開催する
・1994年(平成6) 「モネ展」を開催し「睡蓮」などの連作を展示する
・1996年(平成8) 入館者数500万人を突破する
・1999年(平成11) 大規模な内装リニューアルを実施、延べ床面積は2,924平方メートルになる
・2001年(平成13) 「ルノワール展」を開催、過去最高の33万人余の入場者を集める
・2002年(平成14) ブリヂストン美術館開館50周年記念「コレクター石橋正二郎」展、「藤島武二」展を開催する
・2004年(平成16) 土曜講座2000回を突破する
・2005年(平成17) 石橋財団創設50周年を記念し、ポロック「Number 2, 1951」を購入する
・2006年(平成18) 石橋財団創設50周年記念「雪舟からポロックまで」展、「坂本繁二郎」展を開催する
・2011年(平成23) カイユボット「ピアノを弾く若い男」を購入する
・2012年(平成24) 石橋財団を公益財団法人に移行、ブリヂストン美術館開館60周年記念「パリへ渡った『石橋コレクション』1962年、春」展、「ドビュッシー−音楽と美術」展、「あなたに見せたい絵があります。」展を開催する
・2013年(平成25) 「カイユボット展」を開催する
・2015年(平成27) 「ベスト・オブ・ザ・ベスト」展を開催、ビルの建て替えに伴う新築工事のため、5月18日より長期休館となる
・2016年(平成28) 石橋美術館の運営を久留米市に返還し、久留米市美術館に改名する
・2017年(平成29) オランジュリー美術館、パリにて「ブリヂストン美術館の名品-石橋財団コレクション」展を開催する
・2018年(平成30) 2019年7月のブリヂストン美術館館名変更 (アーティゾン美術館へ)と、2020年1月の 新美術館開館について発表する
・2019年(令和元)7月1日 ミュージアムタワー京橋が竣工する
・2020年(令和2)1月18日 アーティゾン美術館として開館する

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1173年(承安3)華厳宗の学僧明恵の誕生日(新暦2月21日)詳細
1642年(寛永19)説教僧・茶人・文人安楽庵策伝の命日(新暦2月7日)詳細
1646年(正保3)江戸幕府5代将軍徳川綱吉の誕生日(新暦2月23日)詳細
1892年(明治25)詩人・歌人・フランス文学者・翻訳家堀口大学の誕生日詳細
1912年(明治45)映画監督今井正の誕生日詳細
1920年(大正9)医師・生化学者・分子生物学者早石修の誕生日詳細
1917年(大正6)農芸化学者・富山県立技術短大学長田村三郎の誕生日詳細
1941年(昭和16)陸軍大臣東條英機によって、陸訓第一号「戦陣訓」が発表される詳細
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