ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事)

 学生時代からの大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。その中でいろいろと歴史に関わる所を巡ってきましたが、日々に関わる歴史上の出来事や感想を紹介します。Yahooブログ閉鎖に伴い、こちらに移動しました。

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 今日は、スウェーデンの化学者アルフレッド・ノーベルの命日であると共に、ノーベル賞受賞式の日です。
 ノーベル賞(のーべるしょう)は、ダイナマイトを発明したアルフレッド・ノーベル(1833~96)の遺言と遺産によって、1901年(明治34)から始まった世界で最も権威のある賞です。
 毎年、物理学・化学・生理学および医学・文学・平和の5部門において、顕著な功績のあった人に授与されるようになりましたが、1969年(昭和44)からは、スウェーデン銀行創立300年を記念し、その寄付により経済学賞も同様に授与されるようになり、メダル・賞状・賞金がノーベルの命日に当たる12月10日に贈られてきました。賞の授与機関については、ノーベルの遺志により、物理学部門と化学部門はスウェーデン王立科学アカデミー、生理学・医学部門は王立カロリンスカ医学研究所、文学部門はスウェーデン・アカデミー、平和賞はノルウェー国会ノーベル委員会と定められ、経済学部門については、スウェーデン王立科学アカデミーが賞の授与にあたっています。
 日本人の最初の受賞者は、1949年(昭和24)物理学賞の湯川秀樹「中間子の存在の予想」で、2020年(令和2)までに28名(日本出身の他国籍者含む)と1団体が、物理学賞(11名)、化学賞(8名)、生理学・医学賞(5名)、文学賞(3名)、平和賞(1名と1団体)にわたって受賞してきました。

☆日本人のノーベル賞受賞者一覧(受賞時に外国籍の人は除く)

<物理学賞>9名

・1949年 湯川秀樹「中間子の存在の予想」
・1965年 朝永振一郎「量子電気力学分野での基礎的研究」
・1973年 江崎玲於奈「半導体におけるトンネル効果の実験的発見」
・2002年 小柴昌俊「天体物理学、特に宇宙ニュートリノの検出に対するパイオニア的貢献」
・2008年 小林誠「小林・益川理論とCP対称性の破れの起源の発見による素粒子物理学への貢献」
・2008年 益川敏英「小林・益川理論とCP対称性の破れの起源の発見による素粒子物理学への貢献」
・2014年 赤﨑勇「高輝度で省電力の白色光源を可能にした青色発光ダイオードの発明」
・2014年 天野浩「高輝度で省電力の白色光源を可能にした青色発光ダイオードの発明」
・2015年 梶田隆章「ニュートリノが質量を持つことを示すニュートリノ振動の発見」

<化学賞>8名

・1981年 福井謙一「化学反応過程の理論的研究」
・2000年 白川英樹「導電性高分子の発見と発展」
・2001年 野依良治「キラル触媒による不斉反応の研究」
・2002年 田中耕一「生体高分子の同定および構造解析のための手法の開発」
・2008年 下村脩「緑色蛍光タンパク質 (GFP) の発見と生命科学への貢献」
・2010年 根岸英一「クロスカップリングの開発」
・2010年 鈴木章「クロスカップリングの開発」
・2019年 吉野彰「リチウムイオン二次電池の開発」

<生理学・医学賞>5名

・1987年 利根川進「多様な抗体を生成する遺伝的原理の解明」
・2012年 山中伸弥「様々な細胞に成長できる能力を持つiPS細胞の作製」
・2015年 大村智「線虫の寄生によって引き起こされる感染症に対する新たな治療法に関する発見」
・2016年 大隅良典「オートファジーの仕組みの解明」
・2018年 本庶佑「免疫チェックポイント阻害因子の発見とがん治療への応用」

<文学賞>2名

・1968年 川端康成「『伊豆の踊子』『雪国』など、日本人の心情の本質を描いた、非常に繊細な表現による叙述の卓越さに対して」
・1994年 大江健三郎「『個人的な体験』『万延元年のフットボール』など、詩趣に富む表現力を持ち、現実と虚構が一体となった世界を創作して、読者の心に揺さぶりをかけるように現代人の苦境を浮き彫りにした功績に対して」

<平和賞>1名と1団体

・1974年 佐藤栄作「非核三原則の提唱」
・2024年 日本原水爆被害者団体協議会「核兵器のない世界を実現するための努力と、目撃証言を通じて核兵器が二度と使用されてはならないことを実証したことに対して」

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1186年(文治2)鎌倉幕府が九州の御家人統率・軍事統括の為の鎮西奉行を設置する(新暦1187年1月21日)詳細
1901年(明治34)田中正造が足尾鉱毒問題について、明治天皇へ直訴しようとする詳細
1943年(昭和18)社団法人日本玩具統制協会から子供向けの「愛国イロハカルタ」が発行される詳細
文部省が「疎開ニ伴フ生徒児童取扱ヒ措置ニ関スル新聞発表」を行い、生徒・児童の縁故疎開を促進する詳細
1948年(昭和23)国連総会で「世界人権宣言」が採択される詳細
1952年(昭和27)壺井栄著の『二十四の瞳』が刊行される詳細
1997年(平成9)山陽自動車道(神戸JCT~山口JCT)が全通する詳細
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 今日は、大正時代の1920年(大正9)に、大杉栄らが日本社会主義同盟を結成した日です。
 日本社会主義同盟(にほんしゃかいしゅぎどうめい)は、大正時代の社会主義者が大同団結した組織です。1907年(明治40)の日本社会党の結党禁止以後、1910年(明治43)の大逆事件による大弾圧を経て、社会主義運動は「冬の時代」を迎えていました。
 その中で、第一次世界大戦、ロシア革命の勃発などの影響もあり、1918年(大正7)の米騒動後、急速に労働運動や普選運動の勢いが高まります。堺利彦の「進歩主義の思想的大同団結」の提唱を受けて、橋浦時雄、岩佐作太郎、山崎今朝弥らの社会主義者を中心に大同団結の機運が高まり、1920年(大正9)8月5日に、趣旨書と規約草案が発表され、日本社会主義同盟準備会が結成されました。
 9月には、「新社会評論」を改題してて、機関誌「社会主義」が発刊され、各地で宣伝活動が進められます。発起人には堺、山川均らのマルクス主義者、大杉栄、近藤憲二らのアナルコ・サンディカリストと共に、著作家組合の大庭柯公らの文学者、友愛会や時計工組合などの労働組合、新人会や建設者同盟などの学生団体からの若い世代も名を連ね、11月には30名となりました。
 12月の創立大会には申込者が1,000名を超える中、12月9日に創立準備会を開き、官憲をだしぬいて突如結成を宣言し、翌日に結成の報告集会がなされます。同盟加入者は、創立当時3,000名にも及び、支部は大阪、神戸など5ヶ所に置かれ、翌年1月には、大杉らと近藤栄蔵らのアナ・ボル両派の共同編集の「労働運動」(第2次)も創刊されました。
 しかし、綱領・規約がなく思想的にも雑多で、統一運動も展開できず、弾圧が厳しくなる中で、5月9日に第2回大会を開催したものの、取締り当局の圧迫で解散を命ぜられ、同盟自身も同月28日結社禁止処分を受け、機関誌も9月号で停刊します。その後、アナーキズムとボルシェビズム両派はそれぞれ実際的行動を展開し、それぞれの立場から運動の再結集を図っていきました。

〇日本社会主義同盟関係略年表

<1920年(大正9)>

・8月5日 趣旨書と規約草案が発表され、日本社会主義同盟準備会が結成される
・9月 「新社会評論」を改題してて「社会主義」が発刊される
・11月 発起人が30名となる
・12月9日 創立準備会を開き、官憲をだしぬいて突如結成を宣言をする
・12月10日 結成の報告集会がなされる

<1921年(大正10)>

・1月 大杉らと近藤栄蔵らのアナ・ボル両派の共同編集の「労働運動」(第2次)も創刊される
・5月9日 第2回大会を開催する
・5月28日 弾圧が厳しく解散を命ぜられ、機関誌も9月号で停刊する

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

840年(承和7)藤原緒嗣らが『日本後紀』を撰上する(新暦841年1月5日)詳細
1159年(平治元)院近臣らの対立により発生した平治の乱が起きる(新暦1160年1月19日)詳細
1867年(慶応3)倒幕派によって朝廷から「王政復古の大号令」が発せられ、新政府が発足する(新暦1868年1月3日)詳細
1916年(大正5)小説家夏目漱石の命日(漱石忌)詳細
1945年(昭和20)GHQが「農地改革に関する覚書」(SCAPIN-411)を指令する詳細
1975年(昭和50)第30回国際連合総会において、「障害者の権利に関する宣言」が採択される(障害者の日)詳細
1993年(平成5)屋久島・白神山地・法隆寺・姫路城の4ヶ所が日本初の世界遺産に決定する詳細
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shinnihonfujinkyoukaisoukai
 今日は、大正時代の1922年(大正11)に、新婦人協会が内部対立のために解散した日です。
 新婦人協会(しんふじんきょうかい)は、大正時代に日本で最初に婦人の社会的・政治的地位の向上を求めて活動した婦人団体でした。1919年(大正8)11月24日に平塚らいてうが呼びかけ、市川房枝、奥むめお、坂本真琴、山田わからが応じて、活動を始めます。
 1920年(大正9)3月28日に、70名(内男子約20名)が集まって発会式を行い、宣言、綱領、規約(全21条)を発表し、その後、名古屋、大阪、神戸、福山、三原、広島に支部が出来、会員は400名を数えるようになりました。男女同権、母性保護、女性の権利向上等を掲げ、最初の運動として、女子の政治的活動を封じている「治安警察法」5条の改正と花柳病にかかった男子の結婚制限問題に取り組みます。
 また、機関紙『女性同盟』の発刊や講演会等によって、女性の政治的・経済的・社会的地位の向上に努めました。その結果、1922年(大正11)の第45帝国議会で「治安警察法」5条の一部改正を成立させ、女子も政談演説会を聴く自由とその発起人になる権利を獲得しています。
 しかし、同年12月8日に内部対立のため解散するに至りましたが、約3年間の活動だったものの、日本の婦人参政権運動史上に大きな役割を果たしました。

〇新婦人協会創立当初の役員

<理事>
 平塚明(平塚らいてう)、市川房枝、奥むめお
<評議員>
 坂本真琴、加藤さき子、平山信子、山田わか、吉田清子、田中孝子、矢部初子、塚本なか子、山田美都

〇新婦人協会の宣言

 婦人も亦婦人全体のために、その正しき義務と権利の遂行のために団結すべき時が来ました。今こそ婦人は婦人自身の教養、その自我の充実を期するのみならず、相互の堅き団結の力によって、その社会的地位の向上改善を計り、婦人としての、母としての権利の獲得のため、男子と協力して戦後の社会改造の実際運動に参加すべき時であります。
 若しこの時に於いて、婦人が立たなければ、到来の社会もまた婦人を除外した男子中心のものとなるに相違ありません。そしてそこに世界、人類の禍の大半が置かれるのだと思います。
 私共は日本婦人がいつまで無知無能であるとは信じません。否、既に我が婦人界は今日見るべき学識あり、能力ある幾人かの新婦人を有ってゐます。しかも私共は是等の現われたる婦人以外に、なお多くの更に識見高き、思慮あり、実力ある隠れたる婦人のあることを疑ひません。
 しかるに是等の婦人の力が一つとして社会的に若しくは社会的勢力となって活動して来ないのは何故でありませう。まったく婦人相互の間に何の連絡も無く、各自孤立の状態にあって、少しもその力を婦人共同の目的のために一つにしやうというやうな努力もなく、又そのための機関もないからではないでせうか。私共はさう信ずるものであります。
 是私共が微力を顧みず、同志を糾合し、つとに婦人の団体的活動の一機関として「新婦人協会」を組織し、婦人相互の団結をはかり、堅忍自給の精神をもって、婦人擁護のため、その進歩向上のため、あるいは利益の増進、権利の獲得のため努力し、その目的を達っせんことを期する所以であります。

〇新婦人協会の綱領

一、婦人の能力を自由に発達せしめるため男女の機会均等を主張すること。
一、男女の価値同等観の上に立ちてその差別を認め協力を主張すること。
一、家庭の社会的意義を闡明(せんめい)にすること。
一、婦人、母、子供の権利を雍護し、彼等の利益の増進を計ると共に之に反する一切を排除すること。

〇新婦人協会の規約(事業内容)

一、女子高等教育、小学大学の男女共学、婦人参政権、婦人に不利なる諸法制の改廃、母性保護等の要求をなすために実際運動を開始すること。
一、各地の有力なる婦人団体と連絡を計り、婦人共同の利益に対する日本婦人総同盟を組織すること。
一、婦人に関する諸種の特種問題の研究調査会を設くる事。
一、婦人問題、労働問題、生活問題及其他諸種の社会問題に関する講演会を各地にて開くこと。
一、機関雑誌「女性同盟」の発刊。
一、婦人労働者の教化機関として学校を設置し、婦人労働新聞を発刊し、健全にして実力ある婦人労働組合を組織する基礎を造る事。
一、婦人身上相談、職業紹介、結婚媒介。
一、女子大学講座の開設。
一、事務所、公会所、教室、婦人共同寄宿所、婦人簡易食堂、娯楽所、運動場、図書館等を含む婦人会館の建設。

                 児玉勝子著『婦人参政権運動小史』より

☆平塚らいてふ(ひらつか らいちょう)とは?

 明治時代後期から昭和時代に活躍した評論家・婦人解放運動家です。明治時代前期の1886年(明治19)2月10日に、東京府東京市麹町区土手三番町(現在の東京都千代田区五番町)で、会計検査院高官だった父・平塚定二郎と母・光沢の3女として生まれましたが、本名は明(はる)と言いました。
 知的で裕福な家庭で、ハイカラで自由な環境で育ち、東京女子高等師範学校附属高等女学校(現在のお茶の水女子大学附属高等学校)を経て、1903年(明治36)に日本女子大学校家政学部へ入学しました。しかし、良妻賢母教育に失望して、文学、哲学、宗教などの本を読み、参禅し自我を追求、1906年(明治39)に卒業します。
 その後、英語を学びましたが、1908年(明治41)に森田草平との心中未遂事件(煤煙事件)を起こしました。1911年(明治44)に生田長江にすすめられ、母から資金提供を受け、婦人文芸集団青鞜社を興し、雑誌『青鞜』を発刊以後、編集と経営にあたります。
 その創刊の辞「元始女性は太陽であつた――青鞜発刊に際して――」は、「新しい女」の出現を主張し、今日に至る女権宣言となりました。1914年(大正3)には、5歳年下の画学生奥村博史と法律によらない自由な結婚を実践、1男1女をもうけています。
 1920年(大正9)に、市川房枝、奥むめおらと新婦人協会を発足させ、婦人参政権運動に取り組みました。1930年(昭和5)に高群逸枝らの無産婦人芸術連盟に参加して『婦人戦線』に関与、また協同自治社会の理想をめざして、成城に消費組合を設立しています。
 太平洋戦争後は、反戦・平和運動に力を注ぎ、1953年(昭和28)に日本婦人団体連合会会長、1962年(昭和37)には、野上弥生子、いわさきちひろ、岸輝子らとともに「新日本婦人の会」を結成しました。晩年まで、安保条約廃棄やベトナム反戦運動に関わりましたが、1971年(昭和46)5月24日に、東京において、85歳で亡くなっています。

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1924年(大正13)詩人・児童文学者・伝道師山村暮鳥の命日詳細
1941年(昭和16)「米國及英國ニ對スル宣戰ノ詔書」が発せられ、太平洋戦争が始まる(太平洋戦争開戦記念日)詳細
1943年(昭和18)東条英機の大東亜戦争二週年記念講演が、全国にラジオ放送される詳細
1945年(昭和20)GHQが「救済並福祉計画ノ件」(SCAPIN-404)を指令する詳細
1958年(昭和33)国道20号線の新笹子隧道[一般有料道路笹子トンネル](全長2,953m)が開通する詳細
1990年(平成2)歌人・国文学者土屋文明の命日詳細
2008年(平成20)初めて7地域が日本ジオパークに決まり、内3地域を世界ジオパークへ推薦する詳細
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 今日は、昭和時代中期の1958年(昭和33)に、東京タワーの公開が開始(正式営業開始は23日)された日です。
 東京タワー(とうきょうたわー)は、昭和時代中期の1958年(昭和33)12月23日に竣工した、東京都港区にある総合電波塔で、正式名称は「日本電波塔」といい、各種電波の送受信に用いられていました。しかし、2012年(平成24)の東京スカイツリー開業に伴い、翌年5月からは、放送大学以外の地上デジタルテレビ放送7局の送信所が東京スカイツリーに移転し、予備電波塔となとなり、“日本一高いタワー”の地位も譲っています。
 設計は、内藤多仲により、正方形の断面をもった立体トラスの鋼構造で、高さは333mあり、150mと250mのところにある展望台からは、関東平野が一望できます。以前は、東京へ旅行した時に必ず立ち寄る観光名所の一つでした。
 尚、2013年(平成25)には、国の登録有形文化財となっています。また、全国の有名なタワー20で構成される「全日本タワー協議会」というのがあり、東京タワーも加盟していて、「スタンプラリー」を実施しています。スタンプを集めると認定証と記念品がもらえますので、チャレンジしてみても面白いのではないでしょうか。

〇東京タワー関係略年表

・1957年(昭和32)5月8日  日本電波塔株式会社を設立される
・1957年(昭和32)6月29日 地鎮祭が執り行われ着工する
・1958年(昭和33)10月9日 審査会において愛称「東京タワー」を決定する
・1958年(昭和33)12月7日 公開開始(プレオープン)する
・1958年(昭和33)12月23日 完工式挙行、正式オープンする
・1959年(昭和34) NHK教育テレビジョン、日本教育テレビ(NET、現・テレビ朝日)、フジテレビジョンが本放送を開始する
・1960年(昭和35) ラジオ東京(現・TBSテレビ)が赤坂の自社敷地から主送信所を移転する
・1964年(昭和39) 日本科学技術振興財団テレビ事業本部(現・テレビ東京)が本放送を開始する
・1966年(昭和41)1月2日 来塔者数が3,000万人となる
・1967年(昭和42)7月28 特別展望台がオープンする。
・1970年(昭和45)3月20日 東京タワー蝋人形館が3階にオープンする
・1971年(昭和46)8月18日 来塔者数が5,000万人となる
・1978年(昭和53)4月28日 東京タワー水族館がオープン(世界初の観賞魚水族館)する
・1989年(平成元)7月25日 来塔者数が1億人となる
・1994年(平成6) 「東京タワートリックアートギャラリー」がタワービル4階に登場する
・1995年(平成7)1月 来塔者数が1億2,000万人となり、日本の総人口に相当する人数が来塔したことを記念してキャンペーンを行う
・1995年(平成7)11月1日 東京メトロポリタンテレビジョン(東京MXテレビ、TOKYO MX)が本放送を開始する
・2002年(平成14)3月19日 特別展望台・大展望台がリニューアルオープンする
・2006年(平成18)9月29日 来塔者数が1億5,000万人となる
・2009年(平成21)12月31日 開業以来営業してきた、タワー大食堂(タワーレストラン)が営業終了する
・2011年(平成23)7月24日 地上アナログテレビ放送がこの日の正午で終了し、24時で地上アナログテレビ放送の送信が停止された
・2013年(平成25)6月21日 国の登録有形文化財に登録される
・2018年(平成30)1月25日 来塔者が1億8,000万人突破する
・2019年(令和元)10月1日 運営会社の商号を「株式会社東京タワー」から「株式会社TOKYO TOWER」に変更する

〇「全日本タワー協議会」とは?

 1961年(昭和36)に、東京タワー、通天閣、名古屋テレビ塔の3つで発足しましたが、現在は、日本国内の20のタワーで運営されている協議会で、全国を4つのブロックに分けて活動しています。
 2006年(平成18)から、10月1日を「展望の日」と定め、各加盟タワーにおいて、来場者へ特典プレゼントを贈呈するなどのイベントが行われるようになりました。
 また、2010年(平成22)の「展望の日」から、「All-Japan20タワーズスタンプラリー」を実施していて、各加盟タワーを訪問してスタンプを集め、ブロック全てのスタンプを集めた来場者にはブロック認定証と記念品が、20タワー全てのスタンプを集めた来場者には完全制覇認定証と特別記念品が贈られています。

☆全日本タワー協議会加盟タワー一覧

<イースト>
・さっぽろテレビ塔(北海道)
・五稜郭タワー(北海道)
・銚子ポートタワー(千葉県)
・千葉ポートタワー(千葉県)
・東京タワー(東京都)
・横浜マリンタワー(神奈川県)

<セントラル>
・名古屋テレビ塔(愛知県)
・東山スカイタワー(愛知県)
・東尋坊タワー(福井県)
・ツインアーチ138(愛知県)
・クロスランドタワー(富山県)

<カンサイ>
・通天閣(大阪府)
・京都タワー(京都府)
・神戸ポートタワー(兵庫県)
・空中庭園展望台(大阪府)

<ウエスト>
・福岡タワー(福岡県)
・ゴールドタワー(香川県)
・海峡ゆめタワー(山口県)
・夢みなとタワー(鳥取県)
・別府タワー(大分県)

☆日本のタワーの高さベスト10(一般に登れるもの限定)

1.東京スカイツリー(634m) 東京都墨田区―2012年完成
2.東京タワー(333m) 東京都港区―1958年完成
3.福岡タワー(234m) 福岡県福岡市早良区―1989年完成
4.スカイタワー西東京(195m) 東京都西東京市―1988年完成
5.名古屋テレビ塔(180m) 愛知県名古屋市中区―1954年完成
6.ゴールドタワー(158m) 香川県綾歌郡宇多津町―1988年完成
7.海峡ゆめタワー(153m) 山口県下関市―1996年完成
8.さっぽろテレビ塔(147.2m) 北海道札幌市中央区―1957年完成
9.セリオン[秋田市ポートタワー](143m) 秋田県秋田市―1994年完成
10.ツインアーチ138[木曾三川公園] (138m) 愛知県一宮市―1995年完成

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

721年(養老5)第43代の天皇とされる元明天皇の命日(新暦12月29日)詳細
1367年(正平22/貞治6)室町幕府第2代将軍足利義詮の命日(新暦12月28日)詳細
1867年(慶応3)神戸港が外国船に向けて開港した日(神戸開港記念日)です(新暦1868年1月1日)詳細
1944年(昭和19)昭和東南海地震(M7.9)が起き、死者1,223人を出す詳細
1948年(昭和23)警視庁が昭和電工事件で、芦田均前首相を逮捕する詳細
1995年(平成7)白川郷・五箇山の合掌造り集落(岐阜県・富山県)が世界遺産(文化遺産)に登録される詳細
2001年(平成13)「文化芸術振興基本法」(平成13年法律第148号)が公布・施行される詳細
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 今日は、江戸時代中期の享保5年に、紙屋治兵衛と紀伊国屋小春との心中をモデルに、近松門左衞門が『心中天網島』を脚色し、大坂・竹本座で、人形浄瑠璃として初演された日ですが、新暦では1721年1月3日となります。
 心中天網島(しんじゅう てんの あみじま)は、近松門左衛門作の世話物浄瑠璃で3巻から成っています。1720年(享保5年10月14日)に、大坂天満の紙屋治兵衛と曽根崎新地の遊女小春が、恋と義理のために網島大長寺で、夜明けの鐘とともに心中をとげた当時の事件を脚色した世話物でした。
 同年12月6日に、大坂竹本座で人形浄瑠璃として初演となり、大きく成功し、近松世話物の最高傑作とされています。翌年からは、歌舞伎でも上演され、以後浄瑠璃・歌舞伎ともに影響しあって、近松半二ら合作「心中紙屋治兵衛」やその増補「天網島時雨炬燵(しぐれのこたつ)」などの改作物が生まれ、上演されました。
 その中で、治兵衛の女房おさんの頼みで、小春が泣く泣く縁を切ろうとする「河庄」の場が有名となっています。

〇近松門左衛門】(ちかまつ もんざえもん)とは?

 江戸時代の浄瑠璃・歌舞伎作者です。江戸時代前期の1653年(承応2)に、越前国において、吉江藩士の父・杉森信義(のぶよし)の二男として生まれましたが、名は信盛(通称は平馬)と言いました。
 父が浪人となったため、15、16歳の頃に家族と共に京都に移り、堂上貴族の一条恵観、正親町公通らに仕えます。後に近江の近松寺に遊学し、近松の姓の由来になったともされてきました。
 京都の宇治加賀掾のもとで修業、1685年(貞享2)に竹本義太夫(筑後掾)のために『出世景清』を書いて名声を博し、以後二人の協力関係が始まったとされます。1693年(元禄6)から歌舞伎の坂田藤十郎に作品を提供、『傾城仏の原』(1699年)、『傾城壬生大念仏』(1702年)などの傑作を書き、その名演技と相まって上方歌舞伎の全盛を招きましたが、1709年(宝永6)の藤十郎没後は歌舞伎を離れました。
 一方、1703年(元禄16)に義太夫のために執筆した『曾根崎心中』で世話浄瑠璃を確立し、宝永2年(1705年)には竹本座座付作者となり、『冥途の飛脚』(1711年)を書きました。1714年(正徳4)に義太夫が没した後も、『国性爺合戦』(1715年)、『心中天の網島』(1720年)、『女殺油地獄』(1721年)などの代表作を書きます。時代物、世話物ともに優れ、従来の古浄瑠璃と一線を画した功績は大きかったのですが、1725年1月6日(享保9年11月22日)に、大坂において、数え年72歳で亡くなりました。
 後世には、井原西鶴、松尾芭蕉と並ぶ江戸文学界の巨頭とされるようになります。

<近松門左衛門の主要な作品>

・『出世景清』(1685年・大坂竹本座初演)
・『傾城阿波の鳴門』(1695年・京の早雲座初演)
・『傾城仏の原』(1699年・京の都万太夫座上演)
・『傾城壬生大念仏』(1702年・京の都万太夫座上演)
・『曾根崎心中』(1703年初演)
・『薩摩歌』(1704年・大坂竹本座初演?)
・『用明天王職人鑑』(1705年・大坂竹本座初演)
・『心中重井筒』(1707年・大坂竹本座初演)
・『丹波与作待夜の小室節』(1707年・大坂竹本座初演)
・『けいせい反魂香 (はんごんこう) 』(1708年・大坂竹本座初演)
・『心中刃は氷の朔日』(1709年・大坂竹本座初演)
・『心中万年草』(1710年・大坂竹本座初演)
・『堀川波鼓』(1711年以前・大坂竹本座初演)
・『冥途の飛脚』(1711年初演?)
・『長町女腹切』(1712年秋・大坂竹本座初演)
・『嫗山姥』(1712年・大坂竹本座初演)
・『阿波鳴門物』(1712年・大坂竹本座初演)
・『国性爺合戦』(1715年・大坂竹本座初演)
・『大経師昔暦』(1715年・大坂竹本座初演)
・『生玉心中』(1715年・大坂竹本座初演)
・『鑓の権三重帷子』(1717年・大坂竹本座初演)
・『山崎与次兵衛寿の門松』(1718年・大坂竹本座初演)
・『日本振袖始』(1718年・大坂竹本座初演)
・『博多小女郎波枕』(1718年・大坂竹本座初演)
・『平家女護島』(1719年・大坂竹本座初演)
・『双生隅田川』(1720年・大坂竹本座初演)
・『心中天の網島』(1720年・大坂竹本座初演)
・『女殺油地獄』(1721年・大坂竹本座初演)
・『信州川中島合戦』(1721年・大坂竹本座初演)
・『心中宵庚申(しんじゅうよいごうしん)』(1722年・大坂竹本座初演)
・『関八州繫馬』(1724年・大坂竹本座初演)

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1887年(明治20) 幕末明治維新期の政治家・薩摩藩主忠義の父島津久光の命日 詳細
1890年(明治23) 第1回帝国議会で山形有朋の施政方針演説が行われる 詳細
1912年(大正元) 「朝日新聞」において、夏目漱石著の『行人』が連載開始される 詳細
1918年(大正7) 「大学令」が公布される 詳細
「(第2次)高等学校令」が公布される 詳細
1927年(昭和2) 政治雑誌「労農」が創刊される 詳細
1957年(昭和32) 「日ソ通商条約」が調印される 詳細
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