
今日は、江戸時代後期の1858年(安政5)に、安政五カ国条約の一つとされる「日露修好通商条約」が調印された日ですが、新暦では8月19日となります。
「日露修好通商条約」(にちろしゅうこうつうしょうじょうやく)は、江戸時代後期の1858年(安政5年7月11日)に、ロシア使節プチャーチンと江戸で調印され、1859年(安政6年7月10日)に批准された、2国間条約です。「日米修好通商条約」に準拠していて内容はほぼ同じですが、最恵国条款が双務的条項に改訂されている点が、他の4カ国(アメリカ、フランス、オランダ、イギリス)との条約と異なっています。
その後、日本政府とロシア政府との交易業務の便宜を図るため、1867年(慶応3)に、江戸において、ロシア全権委任大使のコンスルコルレジスキー、ツウェツニク、エウゲニー、ビューツォフと外国奉行・加賀守江連堯則とのあいだの協議が行われ、同年11月18日に、「魯西亞國新定約書」が調印され、即日施行されました。しかし、この条約は、1895年(明治28)に締結された「日露通商航海条約」によって総て無効になっています。
その後、日本政府とロシア政府との交易業務の便宜を図るため、1867年(慶応3)に、江戸において、ロシア全権委任大使のコンスルコルレジスキー、ツウェツニク、エウゲニー、ビューツォフと外国奉行・加賀守江連堯則とのあいだの協議が行われ、同年11月18日に、「魯西亞國新定約書」が調印され、即日施行されました。しかし、この条約は、1895年(明治28)に締結された「日露通商航海条約」によって総て無効になっています。
〇安政五カ国条約(あんせいのごかこくじょうやく)とは?
幕末の1858年(安政5)に、江戸幕府がアメリカ・オランダ・ロシア・イギリス・フランスの5ヵ国それぞれと結んだ通商条約の総称で、勅許なく調印されたため「安政の仮条約」とも呼ばれています。安政5年6月19日に、神奈川でアメリカ総領事ハリスと幕府の全権井上清直・岩瀬忠震(ただなり)とが調印した「日米修好通商条約」を嚆矢とし、「日蘭修好通商条約」は7月10日、「日露修好通商条約」は7月11日、「日英修好通商条約」は7月18日、「日仏修好通商条約」は9月3日に調印がおこなわれました。
この一連の条約の締結により、鎖国体制を堅持していた日本は、世界資本主義の市場の一環に組みこまれることになります。これらの条約は、自由貿易を骨子として開港を規定、関税率協定制度、領事裁判権、片務的最恵国待遇の3条項は不平等なもので、のちの条約改正まで撤廃されませんでした。
翌年から貿易が開始されると物価騰貴が起き、尊攘派による攘夷運動や幕政批判が激しくなる要因となり、安政の大獄や井伊大老の暗殺(桜田門外の変)を招くに至ります。
☆安政五カ国条約の一覧
・「日米修好通商条約」 対アメリカ合衆国 1858年(安政5年6月19日)調印
・「日蘭修好通商条約」 対オランダ 1858年(安政5年7月10日)調印
・「日露修好通商条約」 対ロシア帝国 1858年(安政5年7月11日)調印
・「日英修好通商条約」 対イギリス 1858年(安政5年7月18日)調印
・「日仏修好通商条約」 対フランス帝国 1858年(安政5年9月3日)調印
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
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