ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事)

 学生時代からの大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。その中でいろいろと歴史に関わる所を巡ってきましたが、日々に関わる歴史上の出来事や感想を紹介します。Yahooブログ閉鎖に伴い、こちらに移動しました。

タグ:黒田清隆

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 今日は、明治時代前期の1869年(明治2)に、北海道の開拓使が設置された日ですが、新暦では8月15日となります。
 開拓使(かいたくし)は、明治時代前期に、北海道の開拓経営のためにおかれた行政機関でした。1869年(明治2年7月8日)に、版籍奉還直後の官制改革によって開拓使が設置(於:東京)され、1870年(明治3年2月13日)には、樺太開拓使を分置し、北海道開拓使と改称されます。
 同年5月に、黒田清隆(きよたか)が開拓次官となり、長官は東久世通禧(ひがしくぜみちとみ)でしたが、実質的権力を握り、薩摩閥が支配するようになりました。1871年(明治4)に開拓使庁が札幌に移り、東京には出張所が設けられ、その後、開拓使の名称に戻ります。
 1871年(明治4)に、10年間1,000万円をもって総額とするという大規模予算計画、いわゆる開拓使十年計画が決定されました。アメリカから招聘した、ケプロン以下の顧問団の助言により、札幌本府を開き、欧米の文化・技術を積極的に取り入れることとなります。
 移民・屯田兵 (とんでんへい) の奨励、道路・鉄道の敷設、港湾・炭田の開発、ビール、砂糖、亜麻(あま)、木材、漁具、農具など各種の製造工場の開設、W.S.クラークを招いての札幌農学校の創設などに努めました。1881年(明治14)に黒田は、開拓使の事業を継承させるため、部下の官吏に官有の施設、設備を安値で払い下げることとする中で、スキャンダル(開拓使官有物払下げ事件)も起します。
 これらにより、本土との行政一元化のため、1882年(明治15)2月8日に、開拓使が廃止され、函館・札幌・根室の3県が設置され、官営諸事業の多くは、翌年に置かれた農商務省北海道事業管理局に移管されることになりました。その後、1886年(明治19年)1月26日には、3県1局が廃止され、北海道庁が設置されています。

〇開拓使関係略年表(明治5年以前の日付は旧暦です)

・1869年(明治2年7月8日) 開拓使が設置(はじめ東京のち箱館)される 
・1870年(明治3年2月13日) 樺太開拓使を分置し、北海道開拓使と改称される
・1870年(明治3年5月) 黒田清隆(きよたか)が開拓次官となり実質的権力を握る
・1871年(明治4年5月) 開拓使庁が札幌に移る
・1871年(明治4年8月7日) 開拓使の名称に戻る
・1871年(明治4年8月19日) 10年間1,000万円をもって総額とするという大規模予算計画、いわゆる開拓使十年計画が決定される
・1871年(明治4年12月) 亀田郡七重村に「七重開墾場」が開設される
・1872年(明治5年) 新規移民募集や新規移民優遇をやめ、既に定着した移民への援助に切り替える
・1872年(明治5年10月) 旧館県であった渡島国に属する福島郡、津軽郡、檜山郡、爾志郡の4郡が青森県から開拓使に移管される
・1873年(明治6年)6月 政府は北方警備と開拓とを兼任させる屯田兵制を開始するため、開拓使東京出張所に屯田課を設置する
・1874年(明治7年)8月 黒田清隆が長官となる
・1874年(明治7年)10月 屯田兵例則が制定される
・1875年(明治8年)3月 開拓使に屯田事務局が設置される
・1875年(明治8年)5月7日 「樺太・千島交換条約」によって、樺太を管轄から除き、得撫(ウルップ)島以北の千島列島を管轄に加える
・1875年(明治8年)5月17日 最初の屯田兵が北海道の琴似(現在の札幌市西区)に入植する
・1875年(明治8年)7月29日 開拓使仮学校が東京から札幌に移転し、札幌学校と改称する
・1876年(明治9年)8月14日 札幌学校は札幌農学校と改称して開校式が挙行される
・1876年(明治9年)9月 開拓使が札幌に札幌麦酒醸造所と葡萄酒醸造所を設立する
・1877年(明治10年)10月10日 開拓使の石狩缶詰所でサケの缶詰生産がはじまる
・1879年(明治12年) 官営の炭鉱として幌内炭鉱が開山する
・1880年(明治13年)11月28日 道内の開発と、産業振興に必要な幌内炭鉱の石炭を運び出すために官営幌内鉄道(手宮~札幌間)が開業する
・1880年(明治13年)12月 開拓使のてん菜糖工場を北海道胆振国有珠郡紋鼈村(今の伊達市)に建設する
・1881年(明治14年) 黒田は開拓使の事業を継承させるため、部下の官吏に官有の施設、設備を安値で払い下げることとする(開拓使官有物払下げ事件)
・1882年(明治15年)2月8日 開拓使が廃止され、函館・札幌・根室の3県が設置される
・1883年(明治16年) 農商務省北海道事業管理局が設置される
・1886年(明治19年)1月26日 3県1局を廃止し、北海道庁が設置される

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1588年(天正16)豊臣秀吉が「刀狩り令」を布告する(新暦8月29日)詳細
1783年(天明3)浅間山天明大噴火が起きる(新暦8月5日)詳細
1908年(明治41)日本画家・著述家東山魁夷の誕生日詳細
1912年(明治45)日本とロシアとの間で、「第三次日露協約」が締結される詳細
1939年(昭和14)「国民徴用令」(勅令第451号)が公布される詳細
1950年(昭和25)GHQが自衛隊の前身となる警察予備隊の創設を求める「日本警察力増強に関する書簡」を送る詳細
1955年(昭和30)日本住宅公団を設立するための「日本住宅公団法」(昭和30年法律第53号)が公布される詳細
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 今日は、明治時代前期の1882年(明治15)に、北海道の開拓使が廃止され、函館・札幌・根室の3県が設置された日です。
 開拓使(かいたくし)は、明治時代前期に、北海道の開拓経営のためにおかれた行政機関でした。1869年(明治2年7月8日)に、版籍奉還直後の官制改革によって開拓使が設置(於:東京)され、1870年(明治3年2月13日)には、樺太開拓使を分置し、北海道開拓使と改称されます。
 同年5月に、黒田清隆(きよたか)が開拓次官となり、長官は東久世通禧(ひがしくぜみちとみ)でしたが、実質的権力を握り、薩摩閥が支配するようになりました。1871年(明治4)に開拓使庁が札幌に移り、東京には出張所が設けられ、その後、開拓使の名称に戻ります。
 1871年(明治4)に、10年間1,000万円をもって総額とするという大規模予算計画、いわゆる開拓使十年計画が決定されました。アメリカから招聘した、ケプロン以下の顧問団の助言により、札幌本府を開き、欧米の文化・技術を積極的に取り入れることとなります。
 移民・屯田兵 (とんでんへい) の奨励、道路・鉄道の敷設、港湾・炭田の開発、ビール、砂糖、亜麻(あま)、木材、漁具、農具など各種の製造工場の開設、W.S.クラークを招いての札幌農学校の創設などに努めました。1881年(明治14)に黒田は、開拓使の事業を継承させるため、部下の官吏に官有の施設、設備を安値で払い下げることとする中で、スキャンダル(開拓使官有物払下げ事件)も起します。
 これらにより、本土との行政一元化のため、1882年(明治15)2月8日に、開拓使が廃止され、函館・札幌・根室の3県が設置され、官営諸事業の多くは、翌年に置かれた農商務省北海道事業管理局に移管されることになりました。その後、1886年(明治19年)1月26日には、3県1局が廃止され、北海道庁が設置されています。

〇開拓使関係略年表

・1869年(明治2年7月8日) 開拓使が設置(はじめ東京のち箱館)される 
・1870年(明治3年2月13日) 樺太開拓使を分置し、北海道開拓使と改称される
・1870年(明治3年5月) 黒田清隆(きよたか)が開拓次官となり実質的権力を握る
・1871年(明治4年5月) 開拓使庁が札幌に移る
・1871年(明治4年8月7日) 開拓使の名称に戻る
・1871年(明治4年8月19日) 10年間1,000万円をもって総額とするという大規模予算計画、いわゆる開拓使十年計画が決定される
・1871年(明治4年12月) 亀田郡七重村に「七重開墾場」が開設される
・1872年(明治5年) 新規移民募集や新規移民優遇をやめ、既に定着した移民への援助に切り替える
・1872年(明治5年10月) 旧館県であった渡島国に属する福島郡、津軽郡、檜山郡、爾志郡の4郡が青森県から開拓使に移管される
・1873年(明治6年)6月 政府は北方警備と開拓とを兼任させる屯田兵制を開始するため、開拓使東京出張所に屯田課を設置する
・1874年(明治7年)8月 黒田清隆が長官となる
・1874年(明治7年)10月 屯田兵例則が制定される
・1875年(明治8年)3月 開拓使に屯田事務局が設置される
・1875年(明治8年)5月7日 「樺太・千島交換条約」によって、樺太を管轄から除き、得撫(ウルップ)島以北の千島列島を管轄に加える
・1875年(明治8年)5月17日 最初の屯田兵が北海道の琴似(現在の札幌市西区)に入植する
・1875年(明治8年)7月29日 開拓使仮学校が東京から札幌に移転し、札幌学校と改称する
・1876年(明治9年)8月14日 札幌学校は札幌農学校と改称して開校式が挙行される
・1876年(明治9年)9月 開拓使が札幌に札幌麦酒醸造所と葡萄酒醸造所を設立する
・1877年(明治10年)10月10日 開拓使の石狩缶詰所でサケの缶詰生産がはじまる
・1879年(明治12年) 官営の炭鉱として幌内炭鉱が開山する
・1880年(明治13年)11月28日 道内の開発と、産業振興に必要な幌内炭鉱の石炭を運び出すために官営幌内鉄道(手宮~札幌間)が開業する
・1880年(明治13年)12月 開拓使のてん菜糖工場を北海道胆振国有珠郡紋鼈村(今の伊達市)に建設する
・1881年(明治14年) 黒田は開拓使の事業を継承させるため、部下の官吏に官有の施設、設備を安値で払い下げることとする(開拓使官有物払下げ事件)
・1882年(明治15年)2月8日 開拓使が廃止され、函館・札幌・根室の3県が設置される
・1883年(明治16年) 農商務省北海道事業管理局が設置される
・1886年(明治19年)1月26日 3県1局を廃止し、北海道庁が設置される

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

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